束の間の平穏
イスタでの生活は快適――というよりも、心地よいものとなっている。
引っ越しから早くも3週間が経過していた。
引っ越し後、まずはすぐにワイバーンを迎えに行き、騎手ギルドの仮設の厩舎に預ける。今のところ問題らしい問題は発生していないが、イスタの騎手ギルドとしても初のワイバーンの扱いとなるので、少なくとも1日2回はアデルかネージュが様子を見に行くことになっていた。ブリュンヴィンドの方も、既に大型犬ほどの大きさに育ち、常に目は離せないものの、堂々と町の中を連れて歩けている。当初は首輪とリードでも必要だろうかと思ったが、グリフォン夫妻に相談をした結果、必要ないと明言されたのでそのままにしている。最近はアデル達の鍛錬やアンナのお遣いにもたつきながらもついてくるようになり、時々予定のペースより遅くなってしまうことはあるがそこは笑顔で受け入れるしかない。航続距離も着々と伸びてきている。
アデルとしては王都と大差ない感じであったが、髪色を除き本来の姿で活動できることはアンナとネージュにとってはかなり快適度が違う様だ。ただアンナに関しては、“巨人殺し”としての存在が大きいようで、行く先々で讃えられたり、差し入れを貰ったりと少々こそばゆいところもあるようだ。ネージュは「こうなるなら私もさっさと本気を出すべきだったのでは?」とアデルに詰め寄ったが、「竜人と翼人じゃまた少し違うから。」と一蹴された。
カミラは意外にも《魔術師》としての素養が高いようで、ソフィーに色々習ってみるとあれよあれよという間に初級魔法の中盤までは習得してしまったそうだ。ソフィーによると魔力の量とコントロールがすこぶる良いらしい。火力としても支援としても十分な戦力たりうるとのことで、ソフィーが手放しに褒めるあまり、カミラ本人もかなりその気になって貪欲に習っているようである。このままでは実戦以外の部分は1~2か月で追い越されるのではないかとヴェルノの方は気が気でない様子らしい。
アデル達もじっとはしていられない。格闘戦の鍛錬や、空中機動の模索や鍛錬などで1日の大半を過ごす。王都にいた頃は午前に鍛錬を行い午後はゆっくりするということが多かったが、宿の様にただ部屋でぐだっていたり、ふらりと出かける店も多くないため、この辺りは逆に以前よりストイックになっているとも言える。週に1度はドルンへと赴き、ナミやダールグレン侯爵に連絡を入れたり、軍務卿の厚意で翼竜騎士団の訓練に参加したり、ブリュンヴィンドの兄弟の様子を見に行ったりとしている。
翼竜騎士団からは、やっかみもあるのだろうが毎回“手厚い訓練”を受けさせてもらっており、毎回一方的にボコられるのもやってられんと、翌日グリフォンの群れに持ち掛け“交流戦”を企画した所、双方から大いに喜ばれた。基本的にワイバーンライダーは“強襲”を主な戦術とし、対地攻撃は得意だが、空中での戦闘となると、ほぼホバリングに近い状態での正面からの槍の打ち合いになるのだが、ネージュとアデル、それにグリフォンsはそれを無視し、背後に回り反撃をさせずに仕留める“機動戦”に重点を置き、一方的に翼竜騎士を蹴散らし、騎士団長に「そろそろマニュアルを改定する時期か……」と頭を抱えさせた。尚、アンナとブリュンヴィンドは癒し係である。実際に怪我への応対や落下事故のフォローをするのはアンナだけだが。
ブリュンヴィンドの兄弟達やアデル達が取り返した卵から生まれたグリフォン夫妻の子供たちはすでに小動物を狩る訓練を始めているようで、ブリュンヴィンドにもその手の訓練が必要であるとアデル達に感じさせた。ネージュは来年の秋にはグリズリーを狩れるようにしなければ。と妙な意気込みを語っている。
ナミやダールグレン侯爵からは、グリフォン事件の捜査が佳境に入っていることを聞いたり、カミラの様子をマティルダに伝える様に頼んだりと連絡を取り合った。その際に、アデル達が制圧し、救出した虜囚の中にウルマン子爵の次女が含まれていたことが明らかになった。ウルマン子爵は「組織の幹部とやらに脅されて協力した」と供述しているようだが、子爵の今後の立場がどうなるかはまだわからないという話だ。背後関係の洗い出しに協力するなら子爵の罪はだいぶ軽減される可能性もあるとのことであるが、その辺りはアデルが口を挟むことはないと伝える。
薬に関しては実際に試してみるわけにもいかず、調査はほとんど手つかずの様である。ただアデルはカミラの記憶として、カミラが飲まされたのは粉ではなく液体であったようだと伝える。尤も、単に粉や結晶体を水に溶かしたものを飲まされただけと言う事も考えられるが。
そして軍との合同訓練はドルケンの翼竜騎士団とだけではない。ワイバーンやグリフォンと聞きつけて触らせろ、乗せろと駆け付けてきたディアスらとイスタに駐留している国軍とも何度か訓練の機会を得られた。
ドルンでは講釈と座学ばかりだった“対地”訓練のまたとない機会であり、軍側としても通常武器が届かない相手にどう対処するかを試行錯誤する貴重な機会となる。
アデルとしては空から突撃に移るタイミングを計ったり、騎乗するワイバーンの死角――ワイバーンの腹への矢や投げ槍の脅威を思い知ったりと自分たちだけではできない訓練を経験する。ネージュも初日こそ、アンナに矢避けの魔法を貰い、好きなタイミングで好きな位置に飛び込んで、蛇腹剣の代わりに訓練用の槍を振り回して無双を楽しんだが、翌日にはきっちり対策が取られ、投網によって動きを封じられ一度ボコられてからは無闇な着地を控える様になった。
ディアスはディアスで流石と言うべきか、アデルから数時間ほどレクチャーを受けただけでほぼ同程度にワイバーンを動かせるようになっていた。元々《騎手》のレベルもアデルよりも高く、アデルで数日のものなら、この程度時間で何とかなるようだ。ディアスはアンナの支援を受けつつ、ネージュを従えて嬉々として国軍に切り込む。
その様子を安堵ではなく嬉しそうに眺めているのがソフィーだった。しかし当のソフィーは自分からそんな表情が漏れているなどと気付いていない様でそのソフィーの様子をヴェルノが暖かく、カミラが生暖かくにやにやと見つめている。同様に見学に追いやられていたアデルはそんなところに気が回る訳もなく、ただディアスの旋回から突入のタイミングを文字通り見て学ぶことになった。この位置からはあまり良くわからないが、恐らく上から見れば軍の守りの薄そうな所や隙などが見えているのだろう。次回があるならその時の課題だ。
国軍としても期せずして、現在の仮想敵の中の最大の脅威が竜人であるため、対人形態でのネージュ、対竜形態を想定したワイバーンのアデルやディアスは丁度良い訓練の相手となった。勿論、“本物”の竜人は着地して暴れる前に相当量の魔法を空から浴びせてくるであろうし、竜形態ではそれ以上に強力なブレスを吐くので今回ほどの効果が上がるとは思わないが、それでも対空訓練の経験や対策の有無は今後に大きな違いをもたらすであろう。
アデルとしては自分から積極的に討伐隊に参加する気はないが、攻めてくるならその時こそ“撃退”ではなく“討伐”できる様にと策をと思案中だ。また、ネージュは今まで自分をずっと蔑んできた本物の竜人に一泡吹かすことはできないかと考えながら日々の鍛錬に臨んでいた。アデルや翼竜騎士、グリフォンやアンナと形態や挙動は異なるものの、相対する中で常に空対空で相手の死角に入り込もうと真剣に機動を考えているのは詰まるところ“竜人に勝つ”為である。
だがしかし、彼らはその機会から遠ざかることになる。
小型の馬車で彼らの新居に現れたのはカイナン商事の副代表ともいうべきヴェンであった。




