卒業 ~新生活~
イスタでの環境を確かめて戻ってきたアデルはブラーバ亭へと戻りブラバドに報告をする。
「イスタの様子を見てきました。……イスタに行こうかと思います。」
「……そうか。」
アデルの言葉に、ブラバドは少しほっとしたような、そして少し寂しそうな表情を見せた。
「所属はここのままで大丈夫という話でしたが、そうなんですか?」
「特別なことでもないんだよ。実際、北部やら西部やらに遠征してる連中なんて、新年くらいにしか戻ってこないしな。現地のギルドで依頼を更新しても所属が変わってなければ彼らが活躍する度に店にもそれなりの斡旋料が入ってくる。」
「なるほど……」
言われてみれば納得だ。ヴァンブランシュやラウルら、そしてローザらは所属こそブラーバ亭であるものの、ほとんど店に姿を見せることはない。
「ちなみに決め手は?」
「そうですね……あちらの担当が信用できそうというのと、王都と比べてそこまで環境レベルが落ちる訳でもない事、あとはやはり、ワイバーンとネージュに関してが大きいですね。ワイバーンさえ傍においておければ、王都、ドルン、エストリアあたりなら半日も掛からなさそうですし。」
「そうか。」
籍だけでも店に残るという話を聞いてブラバドの表情が少し緩んだ。
「それじゃ、悪いが引っ越しが終われば例の部屋の無償契約は終了とさせてもらうぞ。まああと半年は残っていたし、今月中に出てけとは言わんがな?」
そう言いながら少し力のない笑みを見せた。
「ソウデスネ。」
アデルは棒読みで返す。
「一応、懇意にしている店には伝えておけ。神殿の方は……まあ、そのうち勝手に情報が入るだろう。」
「ソウデスカ。」
神殿には恐らくポールが随時情報を投げているのだろう。あとはネージュが戻り次第伝え、アモールやアルムスに挨拶をしつつ荷物――それほどの物はないが。を纏めていこう。アデルはそう考えた。
「そのお嬢さんはどうするんだ?」
ブラバドがカミラを見てそう尋ねてくる。
「その辺は改めて話し合おうと。どうやらドルケンに戻るつもりもないようですし……少し様子を見て冒険者になれそうなら薦めてみます。無理なら当面は家の管理とブリュンヴィンドやワイバーンの世話として雇う形?」
「私に家政婦をさせようとはいい度胸だ。」
アデルの言葉にカミラが言う。
「それじゃ他に何かできるの?マティルダさんの所に行って修行でもしてくる?無職を養うほどの甲斐性は俺にはないぞ?」
「……むう。引っ越しが済み次第ゆっくり話し合おう。」
カミラとしても現状、アデルの姉かマティルダの娘に収まる以外に生活の当てはない。憮然としつつそう言う。
本当に表情が豊かである。ほんの数日前とはえらい違いだ。アデルはそう思った。妖艶な置物としては前のままでも良かったのではと思ってしまうことも稀にあるが、それでも概ね今の方が良いと思う。それにアデルとしてもフランベル公国という物に少なからぬ興味を覚えていた。黒髪は旅人を除けばだいたいテラリアの西の端でしか見かけない珍しい部類なのである。もしかしたら自分たちのルーツが出てくるのかも入れない。そんな思いがうっすらとある。好奇心は猫も食わない?何か違うがこれがそんなことになろうとは彼らに知る由もない。
「それじゃあまあ、引っ越しの準備は進めておいてくれよ。」
ブラバドはいつもの顔に戻ると、片手を上げて彼らから離れていった。
アモール防具店に行くと、プルルの形見となるグローブやブーツがほぼ完成していた。3人の内、金属鎧を付ける機会の多いアデルはグローブを、レザー装備が多いネージュとアンナはブーツを選んでいた。特にアデルはグローブの上から鎧を付けられるように調整も頼んでいる。暑いには暑くなるが、衝撃の緩和と、それに熱の伝導率が高い金属鎧は夏や冬には装備しているだけで体力を奪いに来るが、その間にレザー等を挟むことでその影響を押さえられるというものもある。
例によってあとは本人が装着の上での微調整となるのだが、アモールはカミラを見て表情を変える。
「4人目がいるとは聞いていないぞ?」
「姉のカミラです。どうぞよろしく。」
カミラはそう言うとなんともお上品に会釈をして見せた。
「……姉?」
カミラの言葉にアモールは言葉までも失うが、常日頃から竜人や翼人を妹と称しているアデルの手前、そこは察したようである。
「そうかい。素材がほんの少しだけ残ったから、小さなカバンでも作るかね?」
アモールはそう言いながらアデルの表情を覗う。アデルの方もそれ以上装備を作るのは難しいと察したか、「それでお願いします。」と告げ、その後、イスタに引っ越すことを知らせる。
「ワイバーンにグリフォンか……またずいぶんと賑やかになりそうだな。いずれ馴染んだらそれに合った鎧も考えよう。」
アモールはそう言うと、特に惜別するでもなくまずはアデルとアンナの装備の調整作業へと移った。
装備を受け取りアルムス武器店へと向かいアルムスにも同様の説明をすると、やはりアルムスもそれほどの反応は見せなかった。毎朝顔を合わせる宿ならともかく、時々立ち寄る程度の武器屋としては半日で往復できる距離なら状況は今と変わらない。王都が外的要因で危機になるという事態も考えにくい。ただ最近、ヒルダが西へと向かうことが多くて心配だとだけ言った。どうやらヒルダは先日ヴァンブランシュへの伝令を任されたのち、あちらのメンバーに認められたのか、彼女らと行動をする機会が増えたという。伝令だけでなく、積極的に戦闘にも参加しているようで、腕兼武器のメンテナンスをしにくる回数が増えているそうだ。アタッチメントの改良が進んでいるとはいえ、片手で武器のメンテナンスは大変であり、また腕と一体化している武器を他の者に頼むわけにもいかない。長期戦とモニタリングを兼ねていくつか渡してあるそうだが、やはり槍が一番使いやすい様だという。義足の方も少しずつ納品が始まり、アルムスとしてはかなり忙しい様であった。
「ワイバーン乗りと竜人・翼人か。空中戦はどういう武器がいいんだろうなぁ?」
アデルパーティに対してのアルムスの関心はもうそこにあるようだ。そのうち空対空か空対地に適したとんでも武器が生まれてくるかもしれない。そんなことを考えながらアデル達は店を出た。
2日後、ネージュがブラーバ亭に戻ってくると、アデルは方針を説明し引っ越しの準備に入った。荷物と言っても、貯めこんでいた魔石の原石と装備の替え、それに金くらいしかない。今までブラーバ亭に預かってもらっていたお金は今後はイスタの冒険者ギルドで必要分以外は預かってくれると言う。紙幣と言う物がまだないゴルトでは全財産を常時持ち歩くというのはかなりの重荷である。何の保証もなしに命を懸ける冒険者は一般の市民よりも大金を手にする機会が多く、危険も増える。そこで店が保管したり、ギルドが銀行口座のような役割をしてくれるのである。勿論、手数料ばかりで利子など全くないのであるが。
引っ越しの方もすでに手慣れた(?)もので、ギルドで2頭立ての馬車を借り、自分たちで積み込み夕暮れ前にはイスタに到着する。庁舎の方で転入の手続きを済ませ、冒険者ギルド経由で魔具ギルドへと魔石の納入が行われた。なんだかんだでそれなりの量を貯めこんでおり、馬車があるうちについでに納めてしまおうと思ったのであるが、魔具ギルドのイスタ支部によると、キマイラの魔石と割られたゴーレムの魔石は大きさ的に価値が高く、本部に届け新技術の開発に当てると言う話だ。これによりイスタ内だけでなく、コローナの主な都市で通用する称号と証明を得られるだろうとの事だ。イスタ分においては、イスタ内での身分証となる、特殊な意匠と識別の魔具を組み込んだ腕輪を調整の上で支給された。識別の魔具とは、現代風に言うなら専用の端末でアクセス、照合できるマイクロチップな様なものである。初回発行料は無料だが、紛失や破損をすると再発行にはそれなりのお値段になるので注意するようにとのことだ。普段使いなら問題はないだろうとのことだが、何かの拍子にまた竜化が起きてしまうと壊れかねないだろう。竜化のトリガーがはっきりと特定できていないのでそこは少々心配である。
その後、ソフィーや新居のご近所に挨拶をすると、荷物を降ろしてとりあえず運ぶ。
アデルが選んだのは2階建ての物件の方だった。今迄こそ、ネージュ、アンナと一つの部屋でなんとか遣り繰りしてきていたが、カミラや今後誰かを迎え入れることになった場合にやはりパーソナルスペースというのは必要になってくるだろう。その場合は1階と2階に分けたほうが良いだろうという判断からだ。下見で一度見ていたアデルやアンナは黙々と荷物を降ろして運んでいたが、初めて中を目にしたネージュは、最初こそ、「ソファーだ。ソファーが足りない。」などと言っていたが、風呂場を確認すると作業などそっちのけで建物内を輝かんばかりの笑顔でブリュンヴィンドと共に飛び回っていた。大いに気に入ってくれたようだ。
配置は後日として、とりあえず荷物をすべて馬車から搬出すると少し遅い時間となったが馬車と馬をイスタの騎手ギルドへと返す。
ここで新たな問題が発覚した。
夕食だ。今までは階下の食堂でメニューを注文すればすぐに食事にありつけたが、独立した家ではそうはいかない。この日は町の中央の食堂で済ませたが、毎食ごとにわざわざ出かけるのも面倒である。
外食後に戻って来てまだソファどころかろくな家具もないリビングで腰を下ろしながらアデルが呟く。
「姉さん。仕事が見つかりそうだ……」
「……自宅の炊事係は仕事とは言わん。が、ふむ。“挑んで”みるのは悪くない。“結果”が出来るようになるには少々時間が掛かるかもしれんがな?」
アデルの言わんとしたことを正しく理解しカミラはにやりと笑って見せた。アデルの方も、カミラの言葉の意味を正しく理解する。覚えるのは吝かではないが出来るようになるのはまだ先。つまりは料理はほぼ未経験であるということだ。
「あの……昔村にいた時に手伝いはしていたのである程度なら出来ますよ?他人に振舞うほどの腕はないですが……」
そこで手を上げたのがアンナだ。家庭料理くらいなら出来るという事らしい。
「ほう。火を起こす魔具や水道はあちらにあったようだしな。そのうち自分たちで自炊できるように頑張ろう。」
覚える気は満々の様だ。
「あれ?魔具は使えるんだ……」
「……馬鹿にしているのか?」
「いや、流石にそこまでは。」
そんなやり取りをしていると、食後の一服を済ませたネージュが早速、加温の魔具を持って風呂場へと行く。普段なら食前に入浴を済ませるのだが、今回は夕食の心配が先に来てしまったので機を逃していたようだ。ネージュが浴槽に水を張り、加温の魔具を投入して戻ってくると、先ほどから少し考え込むようにしていたアンナが口を開く。
「あの……先日、イスタを守り切ったらご褒美が欲しいって言ったの覚えてますよね?」
「ほほう?」
「ああ、覚えてるぞ。」
ご褒美の言葉に先にカミラが反応するが、全員でスルーをする。本命のアデルが覚えていると言ったところで、アンナは少し緊張した表情になる。
「どうした?何が欲しいか決まったか?」
「成人祝いも兼ねるというのも?」
「そんな事言ってたな。なんだかんだで……アンナもようやく15か……」
この世界の人族の成人は概ね15才である。アデルはネージュやブリュンヴィンドと見比べながらアンナに声を掛けた。
「はい。で、成人祝いなんですが……妹を卒業したいと……」
「「なぬっ!?」」
予想外の言葉にアデルとネージュが目を丸くする。
「いえ……その、“お兄様”と呼ぶのをそろそろ卒業したいな。と……」
「あー、微妙に嫌そうだったしねー。」
「元はお前だろ。」
いきなりの独立宣言でないことにネージュとアデルはほっとしつつ、互いに言葉を向けあう。
「まあ、そうだな。これからは普段は2人とも本来の姿で生活できるようになるはずだし……無理に兄妹と言い張る必要もなくなるか。」
「しかし……お兄様でないならなんと呼ぶ?流れ者の身でアニキはあまり良くないって何かで見た気がする。」
「いえ、普通に『アデルさん』と名前で呼ぶつもりですが……」
アンナはそう言いながら緊張したような固い笑みを見せると、今まで1度しか見せなかった“本来”の姿に戻る。
「え?」
淡い水色の髪、それを初めて目にするカミラが短く驚きの声を上げる。
「あー、せっかくだしな。隠す必要のないものはもう堂々とオープンしてくか?」
「え~……ならいっそ、全員黒でいいじゃん。」
アデルの言葉をネージュが否定した。ネージュは自分の髪色があまり好きではない様だ。
「むう……」
相談の結果、当面は全員黒で統一することに決まった。アンナもどうしてもという訳でなく、またドルケンで水色の髪の翼人がどういう物なのか確認するまではその方が良いだろうという判断からであった。
その判断が正しかったとをアンナが胸を撫でおろすのはもう少し先の話である。




