ホームタウン
報告を終えた翌日からアデルとネージュは忙しかった。
まずは前回ヴェンを輸送した時と同様、ワイバーンでコローナ王都付近まで行き、そこでネージュをワイバーンに乗せ一度ドルンに戻らせる。ワイバーンの受け入れ態勢がどうなっているのか分からないというのと、ネージュの隠しようのなくなった種族に対する警戒である。冒険者カードと実績、それなりの魔石の原石は用意していあるので何とかなるだろうとは思っているが、ある程度の根回しと、場合によってはコローナと比べると生活水準こそ若干劣るが、ドルケン移住の可能性を考えてのことである。少なくともドルケンなら種族を理由に排斥される可能性は低い。グリフォンの羽根飾り2本差しという無駄に派手な髪型にすれば黙っていても道が開くのだ。
ネージュには5日後の夜に1度単身でコローナに来るように言って別れた。
30分ほど歩くことになったが、アンナは勿論、カミラの方も疲れを見せずに王都に到着する。王都に入るにあたり、カミラの身分証がなかったが、アデル達のカードを提示し、カミラの事情を説明すると黙って通してくれた。この辺りはコローナのポイントが高い所でもある。
最初に向かうのは当然ブラーバ亭だ。ヴェンを届けた後に立ち寄った際にある程度の説明はしていたので話はスムーズに進む。まずはカミラの説明だ。
我が身に起きた凄惨な話であるにもかかわらず、やはりカミラは無感情にただ虚空――ブラバドの表情を見ていただけだった。
「麻薬の後遺症でそうなることがあるらしいとは聞いたことがあるが、それを目的にした薬の話は初めて聞くな……少しだけ試してみたいことがあるのだが?」
ブラバドは真剣な表情でアデルにそう声を掛ける。アデルはカミラの様子を窺うが、当然というかカミラに反応はない。肯定も拒否もないのだ。
「なにをするんですか?」
「どれくらい動けるのか確認したい。これ、考えようによってはとんでもない事態だぞ?」
この薬の危険性をブラバドはすぐに理解したようだ。それもアデル以上に。
「わかりました。裏庭で適当に武器らせてみますか?」
「そうだな。」
そう言うと、全員で裏庭に移動し、適当な木剣を持たせて、ブラバドに切りかかるように指示を出した。
「……?」
カミラの動きは完全に素人だ。豪快だが雑な振りではブラバドに一撃を加えらえよう訳もなかった。
「ちょっ!?」
アデルが驚く。ブラバドがカミラの腹部にそれなりの威力を持ちそうな一撃を見舞ったのだ。アデルとアンナがすぐに動き出そうとしたところをブラバドが手を突き出して静止させる。
カミラは少しだけ呼吸を整える時間を置くと再び剣を振り上げブラバドへと向かっていった。
「わかった。もういい。アデル、彼女を止めろ。」
アデルがカミラにもう良いと告げるとカミラは動きを止め、少しだけ辛そうに腹を押さえる。
「これは……とんでもない事態だ……アンナ、治療を頼む。」
ブラバドはそう言うと、アンナの回復魔法が発動したのを確認して今度は密談室へと促した。
「……どういうことですか?」
ブラバドの豹変ぶりに困惑しつつもアデルが尋ねる。
「この薬はまずいぞ。もし、彼女を戦場に連れて行き、死ぬまで戦えと言ったらどうなると思う?」
ブラバドの言葉にそのシーンを想像してアデルはカミラをちらりと見て戦慄した。それを拒否するイメージが出てこない。
「もしかして……」
「ああ、こんなものを軍に転用されたら……全員が死兵の一歩手前になるぞ。軍としては理想的だろうが、兵や送り出す者には悪夢でしかない。」
「…………」
ブラバドの言葉にアデルとアンナは言葉を失う。
「……まずは浄めが先だな。大神殿へ連れて行ってやれ。恐らくカミラは一晩はそちらで過ごすことになるだろうが……この様子なら逆に心配はいらんだろう。お前らは預けたらすぐに戻ってこい。次はお前らの話だ。」
ブラバドにそう促され、アデルはアンナとカミラを連れて地母神レアの大神殿へと向かう。受付には先日の受付が仕事をしており、アデルが何かを言おうとしたところで「ロラン様を呼んできます。」と勝手に話を進めてくれた。これはアデルに気を使ってくれたわけではなく、ロラン司祭の方がアデルに用事があったからだったのだが、流石にそこまではアデルには分からない。
程なくしてロラン司祭が出てくると、アデルに声を掛け、まずは初顔合わせとなるカミラについて尋ねてきたので、カミラの事情を説明する。すると司祭は悲しそうな表情を浮かべ、カミラを見舞うとすぐに手続きに入ると受付に指示を出した。
「もう心配はいりません。これ以上の不幸は起きないでしょう。」
ロランはそう言うとカミラに指示に従うように言い、出てきた担当に預けた。カミラはやはり何の疑義も挟まずにそれに従う。そこでアデルは先ほどのブラバドの言葉を思い出しふと思う。
(これ、別の人間が別の指示を出したらどうなるんだ?死兵にしたところで、相手に投降を呼びかけられたら終わるんじゃないか?)
そんな疑問をここで述べても仕方がないのであとでブラバドに尋ねる事にしよう。
アデルが少し黙り込んだところでロラン司祭が言葉を掛けてくる。
「先日の手紙なのですが……」
「ああ、アレですね。どうですか?」
「アルシェ様は『検討に値する』と。まあ、『それに気付けば相手も対策を取るだろうし、1度しか使えない手だろうがな』だ、そうですが、何の手段もないよりは良いかと。」
「まあ、そうですよね。」
アデルが先日ロランに預け、ポールに届けてもらった手紙は単に、竜人対策として、弩やトラップを用意して誘導したところに、高レベルの術者による催眠魔法を掛けたらどうか、という物であった。グリフォン夫妻の卵を取り返すときに、竜化したネージュがいきなり高度をさげ、自傷行動に出てなんとか踏みとどまったときに思いついた策である。今なら、不本意だが、グリフォンの“王”――ブリュンヴィンドの両親を昏睡させるときに使われたエーテルを混成させた催眠弾などを提案したかもしれない。
「意外と盲点ではあった様ですよ。エストリアには大型の弩の配備が進んでいる様でしたが、こんな話は1度も上がらなかったとね。」
「でしょうね。空で催眠魔法なんて食らってみて初めてヤバさを思い知ることでしょうし。まあ、魔法の射程や相手の抵抗力も関係してきますし、万能ではないのでしょうが。」
万能であったら、対翼竜騎士団にとっくにテラリアが使っている筈だ。アデルは内心でそう呟く。
「…………彼女の治療も明日の朝には終わっていることでしょう。朝食の後くらいに迎えに来てあげてください。」
アデルの表情を窺うように少し沈黙した後、司祭はそう言った。
「……わかりました。お願いします。」
特に金銭を要求されるわけでもないのでアデルの方も深くは考えずにそう言って神殿を後にした。
「……アルシェ殿に伝えろ。『彼が現れた、明日朝にこちらにくる。』とな。」
アデルの姿が見えなくなったところで、ロラン司祭は近くにいた神官にそう言った。
ブラーバ亭に戻と、今度はアデル達の話になった。
「ネージュはどうした?」
「ワイバーンの“扱い”がどうなるかわからないのでワイバーンを連れて一旦ドルンに引き上げさせました。5日後の夜に単身でここに来ることになっています。」
「そうか。それまでに対応を決めねばということか。一応お前の希望を聞いておくが?」
「第1希望は今まで通りですね。馬がいなくなったので前ほど移送の仕事で稼げるとは思いませんが。まずはワイバーンですね。王都に住まわせて世話を任せられるところがあれば良いのですが……費用はカイナン商事に付けますので。」
「……よくワイバーンなんて得られたな。ドルケンじゃエリート中のエリート、テラリアでも極一部の者しか“扱えない”って代物なんだがな。」
「グリフォンとの決別を防いだってのが大きいのでしょうね。あと、ブリュンヴィンドを育てることになったのも。2年くらいで人を乗せて飛べるくらいに育つそうですが、ドルケン王家の象徴でもあるので、少なくともドルケン内では騎乗されたくない様です。その代わりですかね。」
「肩書とかはないんだな?」
ブラバドが眉間に皺寄せて尋ねる。
「いえ……名目上“准騎士”の称号は受けてもらうと。内向けの口実で、これで依頼が出たり俸禄が出たりするわけではないそうですが。」
ブラバドの表情が一気に険しくなる。
「ん?どうかしました?」
「……いや、まあお前にしてみればただそれだけの話なんだろうがな……先を越されたというかやられたというか。」
「え?」
「コローナの冒険者ギルドはグランのそれとは交流があるが、ドルケンにはない。コローナの有能な冒険者をドルケンに引き抜かれたということになりかねない。」
「……向こうの冒険者の店とは何の接点もないですよ?まあ、今の所は……ですが。」
「それだよ。コローナじゃワイバーンを扱える冒険者も施設もない。況してそこに種族問題が絡んでくるとなると……一応、アルシェだったか?王宮付きの騎士が何やら考えているらしいが……」
「むう。まあ、ワイバーンは手間ですが、借りたいときに借りに行くという手もあるようですのでそこはまあ。そうなるとやっぱり人種問題か。変な条件さえなければ魔石全部出してもいいんですけどね。」
「そこまでは……まあ、そのうち何かしら接触してくるだろう。こればっかりは俺がどうにか出来る事も少ない。悔いのないように判断するんだな。」
「……わかりました。」
険しい表情のままのブラバドにアデルはそう返すしかなかった。




