長い1日
夜が明けて――否、夜が明ける前からアデル達の長い1日が始まった。
東の空が暗い紫色、空と稜線の境目が見えるくらいになると同時に行軍が再開された。何としてもイスタが包囲される前に到着したい。無茶な行軍ではあったが、その場にいる者全員が同じ気持ちで黙々とそして整然と駆け足で移動をしていた。無闇に急いで隊列が崩れると移動効率は悪くなる。将兵全員それを理解し、適切なペースと間隔で一丸となって行軍している。
そんな中、昨夜ほとんど寝られなかったアデルもしっかりと目は冴えていた。程なく訪れる、経験したことのない両軍で2000にも届きそうな戦闘と、敬愛できるかもしれない王族の直掩というシチュエーションに柄にもなくテンションが上がっている。それはニルスやミルテも同じようだ。ネージュとアンナがディアスに駆り出されてしまった為、プルルにはアデルが乗り、ヴェントはニルスとミルテに任せることになった。
1月末と言う、屋外で活動するにはかなり寒い時期ではあるが、それが1日中動きっぱなしの軍には少しだけ幸いした。もしこれが夏場の暑い時期なら、例え鍛練を積み重ねた将兵とはいえ、金属鎧の熱と上がりっぱなしの体温で不調を訴える物が続出していた可能性も十分にある。
そして空が紫から橙、稜線の境界だけでなく山肌の姿がある程度見える様になると、昨晩ネージュがもたらした情報を元に、王太子を含むすべての騎兵が1騎を残し先行する旨を告げられ再編成される。1騎残るのは冒険者の窓口も兼任しているイベール子爵の様だ。
先行組は王太子を中心として、近衛騎士、将軍2名、騎士、騎兵、そして冒険者の内、馬を扱える者全員だ。少人数の先行の増援ということで、厳しい状況に飛び出すことになるが、軍人は言うまでもなく冒険者たちも、文字通り抜け駆けのチャンス、ここが稼ぎ時と士気も高くその集団に属していく。
その中で少々異端なのがアデル達であった。まずアデルが、
「俺の馬、元々荷馬なので移動はあまり得意じゃありません、最後尾で少し遅れるかも……こちらの2人もようやく《騎手:5》になった程度で……」
と事前に申し出ると、騎士たちが揃って見下す表情をする。まあ、そこは仕方ない。プルルの足が遅いのも事実だし、アデル達としては途中からこっそりとネージュが合流する予定だからだ。恐らくディアスがある程度の仮眠は取らせるだろうが、他の者よりも時間が短くなるのは確実、できれば到着後居眠りさせてやりたいというのもある。
一方、冒険者の方は意外とそのような様子は見せなかった。アデルは少々意外に思ったが、その辺りはブラーバ亭から参戦依頼を受けた他の冒険者パーティがうまく言いくるめていた様だ。こちらも後に分かることになるが、最初にイベール子爵の所とは別の配属になった時点で“何だアイツら”みたいな空気になったところを、最初に門で会ったブラーバ亭のAランク、3決に勝利したパーティの者たちから、『見た目はあれだが、模擬戦とはいえ俺達も危なかった。』『あの“白風”から唯一2人を落とした奴らだ。』という話を聞かされた時点で嫉妬や侮蔑と言う物から興味へと置き換わっていた様だ。
さらにロゼールが「先のエストリア東征で防衛隊を全滅から救ったと言われるパーティの一つです。単独で敵の小隊3つを倒し、敵リーダーと交戦のうえ撃退した方達ですよ?」と言うと流石に騎士たちも黙らざるを得ない様子だった。これにニルスとミルテはすっかり恐縮してしまったが、アデルは内心で(あんまりハードルを上げないでくれ……)と苦笑したのは合流した後のネージュくらいにしか察せなかったであろう。
先頭を王太子の後見たるエリオット侯爵の軍、次いで王太子とロゼールに近衛騎士、その後ろにその他の将兵、最後に《騎手》冒険者が10名ほど、その最後尾にアデルとニルス達と言う隊列で騎馬による先行部隊が動き出す。
午前8時、3時間ほど馬を走らせたところで、上空から覚えのある風を感知しアデルはペースを落とした。最近のアデルは上から吹き付ける風、ダウンウォッシュで誰が上にいるのか、姿を見ずともわかるようになっている。ネージュだ。減速を始めたアデルに気付き、ニルスも馬の速度を下げると、アデルが停止する頃には少々距離は離れたが、他の騎馬全員がそれに気づき減速・停止してしまっていた。と、同時にポールが近くの将軍に何かを告げ、こちらへと走り出してきているのがわかる。
アデルが停止すると、風が真上からの吹き下ろしに変わり、止むと同時にアデルは背中にネージュが着地(?)した感触を覚える。
「戻った。」
発声により“不可視”の術が解けると、ネージュがいつも通りの姿を見せる。
「ご苦労さん。何か連絡事項は?」
「ん。」
アデルがそう迎え声を掛けると、ネージュは手紙を差し出した。図面ではなく、ディアスからの伝言の様だ。内容を確認すると、イスタ内の様子や敵の到着予測、自分たちは東門防衛に付くので到着次第そちらに来るようにと書かれていた。
程なくポールがアデル達の傍までやってきたため、アデルはポールに手紙を託した。
「最後の部分は俺ら宛てなので無視してください。それ以外で必要な情報があるようでしたら上にあげてください。」
「む。わかった。ご苦労だったな。」
ポールは余計な言葉は一切口に出さず、ネージュに声を掛けると手紙を持って王太子の元へと向かう。
「前に来い。しばらくは居眠りしてていいぞ。」
アデルはネージュを自分の前に移動させると左手で抱きかかえ、右手で手綱を握ると他に追いつくべくプルルを歩かせた。それに合わせてニルスもヴェントをそのようにする。アデル達が合流する付近で、ロゼールがアデル達に寄ってくる。
「馬の為に少し休憩を取ることになりました。馬にはこちらの事情は分からないでしょうからね。」
「そうですか……助かります。最近ずっとアンナの疲労軽減魔法に頼っていたせいか、予想よりも大分疲弊しているようで……」
実際、プルルもヴェントも、特に大柄で重装備な2人を乗せているヴェントはかなり疲弊している様子だ。その様子を見てロゼールがヴェントに体力回復の魔法を掛けてくれる。
「傷の様には直せませんけどね。気休め程度と思ってください。」
どうやら回復魔法という物は外傷と体力は別会計である様だ。ロゼールによると筋肉の断裂等は治療できるが、筋肉等に蓄積された疲労は対象外というのが少しややこしい所の様だ。体力の回復のために回復魔法を使うというのは術者の負担に対してかなり割を食ってしまうらしい。ただ、それでも多少の効果があるようでヴェントの呼吸が少しは回復している様な気はする。
陣の中央ではポールが他の将軍や王太子たちに何か説明をしている様だが、特に方針の変更は無い様で、15分程の休憩を終えると再び東へと移動を再開した。
昼、腹が減ってはなんとやらという訳でもないが、30分ほどの休憩を取りつつ昼食を取れることになった。ここから先はどちらの到着が先になるかにかかわらず大規模な戦闘が終わるまで休む機会はないだろう。
アデル達は他の冒険者組と同じスペースで休憩を取った。
再編成時にいなかった筈のネージュの姿に何人かが『あれ?』と首をかしげたが、それ以上に“白風”のティルザを倒した《暗殺者》という話に興味を持っている者が多かった様で、どう見ても少女――見る者によっては童女や幼女と言われかねない――の容姿に驚いている様だった。恐らく話を振ったのであろう、ブラーバ亭の余興総合の部3位のパーティの面々が、余計なこと話しちまったか?と肩を竦めて見せていた。
流石の馬も限界に達しつつある中、16時前にはイスタに到着した。西門から入ると、70騎程度とは言え、先頭に立つ王太子の姿に、住民や兵士が熱狂的な歓迎を見せる。王太子が自らの言葉で住民を落ち付かせ、兵士たちを鼓舞すると、直ちに将官たちと現地の代表は作戦の詰めに入る。
アデルはポールに一言だけ声を掛け、ディアスの指示通りに東門へと向かった。
ディアスとはすぐに合流できた。ディアスはソフィーとヴェルノと共に東門の内側でバリケードの構築を指導しつつ、自ら作業に当っていた。
「間に合いました。やはり騎兵だけで先行という形になりましたが……アンナは?」
アンナがいない事に気づいたアデルが尋ねると、
「偵察を頼んだ。敵軍が5キロ圏内に到達するか、二手に分かれる様ならすぐに戻ってきて報告してくれと。」
「……なるほど。」
本物の竜人がいる危険性を知っているアデルは少々心配するが、実際同じ状況になっていたら同様の事を頼むだろうと考える。
バリケードの設置がひと段落ついたところで、アデル達は他の住民、民兵、防衛隊らと共に、門防衛とバリケードを用いた防衛に関してディアスやソフィーからのレクチャーを受ける。弓隊との連携や相手の兵科による対処法などだが、今回はこちらの視界が一方的に悪くなる夜間戦闘であるため、弓は牽制程度で支援は余り期待するなと言うことだ。また、前回の襲撃時、蛮族側が火矢を外郭の外から放ち、外郭付近の建物が焼かれた事から、民間人は主に消火に全力を尽くすようにと言う。両軍が詰める門以外の場所でも火矢は有用で、ほんの数名の工兵で街に大きな被害を出すことが可能で、その消火に人手が割かれると結果として門の守りも薄くなってしまう。門のない場所からの火攻めと延焼に留意する様にとの事だ。
町を守るに当り、兵たちの激突以外の部分でアドバイスが出来るのはやはり経験によるものだろう。皆真剣にディアスの話を聞いている。その様子を見ていたソフィーとアデルの視線が合うとソフィーは肩を竦めて見せた。ヴェルノはいつになく真剣に話を聞いていた。
そして暫くしてアンナが戻る。それは即ち、敵が、会戦がすぐそこに迫ってきていることを示していた。
アンナの報告によると、蛮族軍は隊を分けないまま、全軍が東に数キロメートルの所に到着したとの事だ。勿論、そんな正確な数字を出せる訳もなく、アンナもディアスに言われた「だいたい普通に歩いて1時間くらいと思われる距離」という指示のもとに測っていた様だ。だが、それくらいの距離であれば、さほど倍率の高くないこの世界の望遠鏡でも、光があれば、日が落ちていなければ、確認することができる。ディアスはすぐに、伝令を本陣と門の上の物見の所へと走らせる。
日没は近い。だが、こちらの防衛体制を考慮すれば、相手が動き出すのは完全に日が落ちてからになるだろうと予測された。勿論、油断なく監視は怠れないが。
伝令を受け、将官全員がまずは東門内側に集まった。
「見事な防陣だ。指揮をしたのは誰か?」
王太子の言葉に、イスタの防衛兵長が答える。
「Aランク冒険者の……あれ?」
兵長がディアスやソフィーの姿を探すが、彼らは王太子の姿を見てさっさと姿をくらませていた。
「先ほどまで指導して下さっていたのですが……」
兵長が冒険者ギルドの職員らと視線を合わせるが全員が首を傾げる。昨日の話からして、王太子とは顔見知りで且つ、あまり関わりたくないのであろうと察したアデルは誰とは分らないように場を繕う声を兵長に向けて上げる。
「先程、門周辺以外の火攻めに弱そうな場所を確認しに行くと歩いて行かれましたよ?」
「なるほど。確かに今回は消火に兵を割り当てるのは無理だろう。その辺りは住民たちに期待するしかないな。」
アデルの適当な言葉に兵長を飛び越えて王太子が納得した。
「今のうちに防火用水の確保と確認、危険個所は人と物の退避を急がせろ。」
王太子が兵長にそう下知すると、兵長は各担当にすぐに指示を出す。
「敵が二手に分かれた場合、中央の道路は伝令と応援で騎兵が行き交うことになる。戦闘終了まで、一般人は必要時以外は中央の道に出ないように指示を。あと、可能な限り光源も用意しておくように。」
こちらは兵長ではなく、代官、領主であるエストリア辺境伯の家臣に指示を出す。
「畏まりました。」
「本来なら……こうなる数日前には避難をさせておいてほしかったのだがな。」
王太子の言葉に代官は青くなった。危機意識が薄かったのか、この辺りはやはりエストリア辺境伯の家臣と言えるのかもしれない。
「受け入れ先やその他を考えると難しかったと言うのも理解はするがな。もはや栓なきことか。我々は一旦指揮所に戻る。市庁舎一階に指揮所、市西地区の教会に救護所を設ける。全ての兵に周知しておくように。敵に動きがあればすぐに知らせろ。」
「ははっ」
王太子の言葉に兵長が跪くと、王太子はその他の将官と共に指揮所へと戻っていくようだ。
(と、なると救護所の指揮はロゼールか。先の救援で救護区分を教えられたようだし、王女の指揮となれば現地の神官らも従うだろう。)
この時、アデルはそう考えていた。
「やれやれ……態々王太子が出張って来るとは……」
他者には聞かれない程度にディアスの声が聞こえたと思うと、アデルの背後から突然姿を現した。
「アンナの魔法ですか……本戦前にあまり魔素を消耗させないようにして下さいよ?」
「何、どっちにしろ偵察から戻ったら一休みさせるつもりだったしな。ソフィーの家に魔力香もあっただろう。暗くなるまでもう少し時間がある。ソフィーの家で休ませてやってくれ。何かあればすぐにネージュを向かわせる。」
ディアスの言葉にネージュは「ぇぇぇ……」という表情をするが、そこは唯一の師匠らしい師匠と認める存在の言だ。反論はせずに従う様子を見せた。
「それなら、ヴェルノ。あなたも一緒に休んでいなさい。家の鍵よ。何かあったらすぐに合流してもらうからね?」
ソフィーに言われ、ヴェルノの案内でアデルとアンナはソフィー宅へと向かう。
(エスター達のグループが全滅したと言う話をヴェルノは聞いているのだろうか?どちらにしろ、いま切り出す話ではないか。)
そんな事を考えながら、ヴェルノからソフィーの魔力香を受け取り、アンナに処方する。単身での長時間の偵察と魔素の消費に心身ともに疲れていたのか、アンナは香水を振りかけたタオルを顔に乗せると驚くほどあっさりとアデルの腕の中で眠りに入ってしまった。
「……俺もほとんど寝れてなかったんだがなぁ……」
「……客用の布団を敷きますか?」
「いや、いい。毛布だけ頼む。」
ヴェルノの申し出にアデルはそう答える。用意された毛布にアンナごと包まり、アデルも香水を軽く嗅いで眠りにつく。」
「うちのお兄ちゃんも少し前まではそうしてくれたんだけどなぁ。」
そんなヴェルノの呟きをアデルはまどろみの中で聞いた気がした。




