35
ぱちん、ぱちん、と薔薇を切る音が皇城に響く。
夜の薔薇園だ。ふわりふわりと柔らかい髪と一緒に、濃い紅薔薇の匂いが舞う。影は一つきり、満月の下で薔薇を剪定していく。まるで、命を摘み取るように。
そこへふわりと、もう一つ影が舞い降りた。
「こんばんは、リリア様」
「まあ、アイリーン様」
何もない夜空から舞い降りたアイリーンにさして驚いた顔もせず、リリアが薔薇を剪定する手を止めた。その腕いっぱいに赤い薔薇を抱いて、微笑む。
「ミルチェッタからもうお帰りになられたんですか? あちらはまだ落ち着かないとセドリックが言ってましたけど」
「ええ。でも、クロード様にこうして送ってもらえば一瞬だもの」
「あ、そうですよね。それで、どうされたんです? 何か私に用事ですか?」
「ええ。――薔薇はあなたが面倒をみてくれているのね。とても綺麗」
「はい! アイリーン様たちから譲り受けた農園ですもの。私はお花を摘むくらいしかできないけど……」
「オピムも?」
切り込んだアイリーンに、リリアは答えなかった。
ただ笑顔のまま、一本、咲き誇る薔薇の枝を切る。
「この農園を真っ先に取り返しておかなかったのは、うかつだったわ」
「お忙しいですから、アイリーン様は。それにこの農園はセドリックが管理しているとはいえ、名目上は皇帝のものです。政治的なあれこれで、クロード様への譲渡は難しいんじゃないかしら」
「それでもよ。――あなた、いつからなの」
「それに答える必要が、私にありますか?」
そう言ってリリアが一本、薔薇を差し出した。
とげがついたままのそれを、アイリーンは受け取る。
「……セレナがあなたに手紙を送ったのね?」
それが、『聖と魔と乙女のレガリア2』のオープニングだ。
正解なのか不正解なのか、微笑んだままリリアは答えない。だがアイリーンはかまわず続けた。
「あなたはそれに返事をすることでセレナを操ったのね。魔香を香水瓶に入れて送り、偏った情報を吹き込んだ。オーギュストが聖騎士になること、ウォルトとカイルの正体、魔香の効能――聖剣の乙女の代理としてアシュタルトを探し、斃せとでもそそのかしたのかしら? あの子はあなたに憧れていたもの。学園に薄めた魔香をばらまいて、一生懸命さがしたのね、きっと」
学園で散在した魔香の濃度や使い方にばらつきがあったのは、彼女自身、正確な使い方が分からなかったからだろう。色々ためしたに違いない。
「でもいつまでもたってもアシュタルトが見つからなくて焦れた彼女は、全生徒が集まる学園祭で魔香をぶちまける策に出た。オーギュストが聖剣を持っていると、あなたに吹き込まれた嘘を信じて。――あなた、わたくしをためしたわね」
「私が? アイリーン様を?」
「わたくしにゲームの知識があるかどうか。――あなたと同じ、前世の記憶があるか」
ざあっと風が吹いて、弱った薔薇の花弁を虚空へと舞わせた。赤い花弁でリリアの顔が隠れる。
だがその口元に浮かんだ笑みを、アイリーンの瞳が捕らえた。
「……アシュタルトはあなたね。わたくしにゲームの知識があるなら必ずミーシャ学園に行くとふんで、あなたがあの声明を用意した。アシュタルトっていう名前は偶然つけたもの?」
「アイリーン様、FDはやっていないんですね」
その一言だけで状況は飲みこめた。アシュタルトという名前がゼームスの魔物としての名前というのは、アイリーンが未プレイのFDで出てきた設定だったのだ。
「ふふ。じゃあゲームの知識は私の方が上ってことかしら」
「――オピムはここで採取できるとしても、魔香はどうやって用意したの? あなたに魔香を作る知識があるとは思えないのだけれど」
「アイリーン様は、元婚約者をあんまりにも侮りすぎだわ」
変わらない笑顔で、でも少しだけ困ったようにリリアが小首をかしげた。
「教会へのツテくらい持っているのよ、セドリックだって」
「そう。じゃあ、白百合姫の賞品が魔香だっていう文書も、セドリック様が手を回したのね」
「セドリックを支持する方々にお願いしたの。びっくりした?」
「村の襲撃は」
「それも同じ。魔香を少しばらまいてもらっただけ」
「――死人が出たらどうするつもりだったの。あなたに利用されたセレナのことは? まさか自分が手をくだしていないなら、関係ないとでも?」
こんなずさんな作戦、誰が死んでもおかしくなかった。
拳を握るアイリーンにきょとんとしたあとで、リリアがにいと唇の端をつり上げる。
「死人!? おかしな人ね、何を言ってるの。ゲームのキャラクターに!」
はははは、と哄笑が夜空に響いた。
「ひょっとしてアイリーン様、前世でゲームと現実の区別がつかなかった人? ここはゲームの世界よ! 人が死んだ? キャラが死んだの間違いでしょう」
「ここは現実よ! みんなあなたと同じ、死ねばもう戻らない人間だわ」
「あのね。キャラが死ぬからっていう理由で、買ってきたゲームを遊ばないプレイヤーが一体どこにいるの?」
ゆっくりと薔薇を足下に落とし、リリアが自分の胸に手を当てる。
「私は、プレイヤーなの。だから主人公があなたの物語を楽しませてもらったのよ。――ねえ、アイリーン様。もっと遊びましょう?」
まるで子供のように無邪気に、リリアは微笑む。
「あなたしか相手にならないわ。だってみんな、ゲームどおりなんだもの。台詞をそのまま言って、はいおしまい。楽でいいけれど、つまらないの」
「……わたくしがミルチェッタにかまけている間に1のキャラを攻略したってことかしら。ハーレムエンドはなかったはずだけれど、あのゲーム」
「あら、そこは好感度をうまく調整するのがプレイヤーの腕の見せ所でしょ」
足下に落ちた薔薇を一本拾い、リリアははしゃいだ声を上げる。
「ああ、次は続編がいいかしら。それとも1のFD? 楽しみね。セレナは残念だったわ。もし転生者なら、仲間に入れてあげようって思ってたのに。でもセレナだけが死ぬエンドなんてゲームにはないし、そういう意味ではとっても楽しめた」
「……悪いけど、わたくしはあなたにつきあったりなんかしないわ。今回のこと、自首する気はないの?」
「私、何かしたかしら。アシュタルトの正体はセレナ・ジルベール。そう公表したのは、アイリーン様じゃない」
――セドリックは最低だが馬鹿ではない。かつてアイザックがそう評したとおり、証拠を残すなんてまねはしないだろう。あっても、すべて実行犯はセレナだと切って捨てて終わる。
ざあざあとうるさい風とむせかえるような薔薇の匂いが、二人の間を舞った。
距離は歩幅にして三歩分。それでも、ずいぶん遠くに彼女が見える。
同じ記憶を持った転生者だというのに――そう、思った。
「セレナ・ジルベールをあなたに返すわ」
リリアの顔から笑みが消えた。
「生きてるの、彼女。表向きは死んだことにしてあるけど、いつだって生き返らせる用意がこちらにはあるわ。皇城にあがらせるわね。挨拶もさせるわ――あなた推薦の召使いとして」
「――召使い? ……スパイにでもしたの」
一歩、アイリーンは近づく。そしてわざとらしく笑った。
「さあ? どうかしら。あの子が尊敬してるのはゲームどおり、あなたよ。わたくしは嫌われているもの」
リリアは答えない。おそらくリリアが考えていることを、あえてアイリーンは口にした。
「でも、さすがにあなたに利用されたとは気づいたかもしれないわね。わたくしが何か吹き込んでそそのかしているかも。さあ、あなたはどう考える? 今回の件であなたの弱みになる彼女を殺す? でも、そうさせることがわたくしの罠かもしれないわよね」
――実は、セレナは何も知らない。
アイリーンは姿も見せないまま無罪放免にした。このままリリアの元に送り届けてやれば、セレナはリリアが助けてくれたと勘違いするだろう。だが、リリアは決してセレナを信じない。その内、きっとこじれる。セレナがお荷物になるだけではなく、リリアの足を引っ張ってくれれば理想的だ。
「それに、もし彼女もここがゲームだと気づいたら、あなたのことをどう見るかしら」
事件に間接的にしかかかわっていないリリアやセドリックを追い落とすためにセレナを証人として突き出しても、決定打に欠ける。だったら相手にしかける爆弾になってくれた方がいい。
さらに一歩近づく。影が重なり合った。
「クロード様は今回の件で、皇帝自ら報奨を与えられることになったわ。人間からの信頼も得始めている。着実に皇帝への道を進んでいるわね」
「……」
「あなたは今回、確かに楽しんだんでしょう。でもそれが何? ゲームの知識があるなら、ミルチェッタを壊滅させてクロード様の足を引っ張ればよかったのに、あなたときたら遊んでいただけ。わたくしの言いたいことが分かる? あなたはゲームをひっかきまわしただけで勝ったつもりになっているけれど、現実では負けてるの」
現実ではゲームのように、単純に区切ることはできない。
必ず過去は未来につながってしまう。
「あなた、現実とゲームの区別がついていないのね」
至近距離で、ゆっくりとアイリーンは微笑んだ。
「セドリック様を略奪した以前のあなたの方が手強かったわ。わたくしと遊びたいなら、ゲームばかりやっていないで、社会復帰して出直してらして?」
もらった薔薇を捨て、アイリーンは優雅に一礼する。
「では、失礼するわリリア様。ごきげんよう」
きびすを返したあとにぐしゃりと薔薇を踏みつぶす音がしても、振り返らなかった。
次回更新がエピローグとなり、第二部が終了する予定です。
最後まで読んで頂けたら嬉しいです。




