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足を進める時は、天使のように軽く。どんなに重たくても姿勢を崩してはならない。口元にはいつも優雅な笑みを、指先まで気を抜かず、視線をさらえ。
骨の髄まで叩きこまれたことは、多少男のふりをしていた時間が長くても、当然にできる。
会場の視線を一人で集めることだって造作もない。
名門校とはいえ一地方の学園祭、学生のお遊びだ。国の中心、本物の社交界でしのぎを削ってきた自分の相手になどならない。
まして、階段から候補を落とす、そんな小賢しい手段しかとれない相手など。
「あなたは……ええと、みない顔だけれど……」
「審査員の皆様。今宵は宜しくお願いいたします」
一切素性を明かさず、アイリーンは微笑んで完璧な辞儀をした。
お手本がかすむようなその礼に、ほうと審査員の百合の貴婦人たちから感嘆がこぼれる。
「まあまあ……七番のお嬢さんは、綺麗なお辞儀ねえ」
「有り難うございます、ロイス婦人。そちらの著書で勉強いたしました。『淑女の心得』はとてもわかりやすくて、愛読しております」
「あ、あら。私の本を読むなんて、感心だこと」
「ズィール夫人、初めてお目にかかります。このドレス、この間の夜会でお召しになっていたと聞いて、形をまねをしてしまいましたの。おかしくありませんか?」
レイチェルから借りて手直ししたドレスをそっと広げて見せる。
「ええ、ええ。とても似合っていてよ。腰回りはアレンジをきかせているのね?」
「まあ、気づいてくださったんですね! 嬉しいです。ゴッサム教授も、はじめまして。女性の権利についての論文、拝読しました。是非ご意見をうかがいたくて」
「おや、若いのに感心ねぇ。どういったことを聞きたいのかしら?」
「はい。わたくしは常々、女性の地位向上にはまずは参政権が必要だと――」
一人一人、丁寧に挨拶と会話をかわしながら微笑む。好感触なあたり、この程度のこともできない生徒が多いのだろう。
(あのリリア様だって人気取りはうまかったわよ。あの方、礼儀作法と知識はあれでも、褒め言葉と話を聞くスキルがすごかったものね……)
同じヒロインでも、セレナなどアイリーンの相手ではない。
審査員に惜しまれながら挨拶をすませたアイリーンは、ゆっくりとセレナを見た。
セレナは真っ赤な顔をして、こちらを見ていた。握りしめた拳が震えている。
本当ならば、彼女の敵はレイチェルだった。礼儀作法が苦手だが人目は惹くセレナと、礼儀はこなせても地味なレイチェル。いい勝負になっただろう。正々堂々戦うなら、アイリーンは結果がどうであれ手を出す気はなかった。
だがこの女は、勝負を投げた。なら場外からたたきのめされても文句は言えないはずだ。
アイリーンは売られた喧嘩は買う主義なのである――たとえ、魔王が会場に現れたら裸足で逃げ出さなければならないとしても。
(こうなると、あの姿絵が回ってくれてたのはよかったわね。わたくしの本当の姿を見ても誰もアイリーン・ローレン・ドートリシュだとは思わない……)
もちろん、姿絵をばらまいた人間は必ず見つけ出して始末するが。
「……お前」
呆然とした呼びかけに、振り向いた。
ゼームス、オーギュスト、ウォルト、カイル――生徒会の面々が、鳩が豆鉄砲をくらったような顔で立っている。
「生徒会の皆様。ごきげんよう。よい夜ですわね」
「……」
「どうかされました?」
ふわりと微笑むと、何故が四人がくるりと背を向けてひそひそしゃべり出した。
「……私は夢を見てるか、オーギュスト。つねってくれ。――痛い、だと……」
「どうしよう、夢じゃない……ちょ、ちょ、心臓がどきどきするんだけど俺……」
「それはまずい、オーギュスト。あれは男――夢か?」
「ふふ、俺としたことがどうしようね……想像をこえてた……」
全部聞こえているが、アイリーンは微笑したまま静かに見守った。
「えっと、なんだっけ。何かするよう言われてなかったっけ、俺ら?」
「ダンスだ。申し込めと……」
「男なんだ。目を覚ませ、俺……!」
「いやちょっと落ち着こうカイル。俺も落ち着こう……」
「……何か、わたくしにご用ですか?」
埒があかなさそうなので、そう切り出した。すると全員がぴしっと背筋を伸ばして固まる。
(まだ学生ってことね。ダンスの誘いもうまくできないなんて――クロード様なら、完璧にエスコートしてくださるのに)
あれはあれでクロードが完璧すぎて、こちらが失敗しないかとひやひやするが。
「あのっ俺! 踊ってもらえませんか!」
元気よく手を上げたのはオーギュストだった。あっとウォルトが声を上げる。
「おま、抜け駆け……!」
「俺の……俺の目がおかしい……取り替えなければ――」
「ってカイル落ち着けよお前は! 意外に面倒な奴なんだな!?」
「全員、騒ぐなやかましい。……俺が踊る」
「あーゼームス、俺が先にさそったのに!」
「うるさい。色々確認しないと落ち着かないだけだ……!」
ずるいとわめくオーギュストを振り切り、ゼームスが恭しく礼をする。
「美しいご令嬢。どうか、私と踊って頂きたい」
クロードほどではないが、さすが2のラスボス。十分、合格点だ。
にこりとアイリーンは微笑み、頷いた。




