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「くどっ……」
かあっと頬が赤らんだ。男性に対する免疫のなさのせいだ。前世は乙女ゲームがお友達で、今世は婚約者こそいたが箱入りのお嬢様として育ち、セドリックとは悲しいほど何もなかった。
しかしうろたえるなんて弱みをさらすことはできない。及び腰のまま、綺麗な無表情に向けて無理矢理不敵に笑う。
「え、ええ。そ、そういうことになりますわね」
「……。声が震えてるような気がするのは気のせいか」
「き、気のせいです」
「口説けるほど男慣れしてるように見えな」
「わたくしを誰だと思っていらっしゃるの、殿方を口説くなんて朝飯前の百戦錬磨です!!」
力いっぱい言い切っても、クロードは無表情だった。ただ頭のてっぺんから足の先まで、しげしげと眺められる。
いつも通り化粧もドレスも完璧なはずだ。もちろん、魔王の城に挑みにやってきたので軽装ではあるが、公爵令嬢として十分に恥ずかしくないはず。でもどうしてだか突然に恥ずかしくなって、アイリーンは身じろぎした。
(や、やたらと美形な人が目の前にいるとさすがに緊張が……あ、髪! ぼさぼさ――っていうかああぁ)
今頃気づいた。靴は泥で汚れているし、どこかにひっかけたのかドレスのレースはほつれ、全体的によれよれだ。森の中を突っ切ってきたのだから仕方がない。とはいえこれはゆゆしき事態だ。
この時代、完璧な装いこそが女性の戦装束であり、防御力なのだから。
「きゅ……求婚しにきたのに、お見苦しい格好で失礼しました。もう一度、出直しますわ」
「出直す必要はない」
クロードがぱちんと指を鳴らした。魔物でもやってくるのかと身構えたが、ふわっと優しい風が足元から吹き上がり、アイリーンの周囲を光をまき散らしながら舞う。靴の泥が取れ、ほつれたレースが編みこまれたように戻り、木の枝にひっかけた生地が修復され、綺麗になっていく。ぼさぼさの髪の毛も丁寧にとかしなおされたように風と一緒に後ろに流れ、心なしか疲労も軽くなった。
(……魔法だわ)
ぱちりとまばたいたアイリーンにそっけなくクロードは告げる。
「これで二度とこなくていいだろう。帰れ」
「……。わたくし、この服、宝物にしますわ」
「は?」
「だって魔法がかかったドレスなんですもの! 素敵!」
目を輝かせてくるりと回ると、お忍び用のワンピースの裾が広がった。
同時に、花瓶に活けてあった花のつぼみが開く。これも魔法だろうか。瞳を輝かせて棚の上の花瓶を凝視したが、一輪つぼみが開いただけで、それ以上の変化はない。
不思議で、アイリーンは無表情のクロードに尋ねる。
「今、花が咲いたのも魔法ですか?」
「……いや」
クロードはそれ以上答えない。
首を傾げているとクロードの斜め後ろから、キースが意味深に笑った。
「やはり女性がいらっしゃると部屋が華やかでいいですねえ。魔物に囲まれてばっかりだとクロード様の美意識や常識がゆがむのではないかと心配してたんですよ」
「そうだ、思い出しましたわ! 道中のカラスのことです」
「……僕は帰れと言っているんだが、聞いていないのか」
「聞いていますがお断りしているだけです。それであのカラスなんですけれども、あれはクロード様の部下なんでしょう?」
微妙な顔をしているクロードの目の前、アイリーンは仁王立ちした。
「この森に入った者に対して警告するのはいいとは思いますが、嘲るのは下品です。部下の行動はクロード様の品位にかかわります。低俗な醜聞を元にした誹謗中傷は控えるよう教育しておいてくださいませ」
「なぜ君にそんなことを言われなければいけない?」
「婚約者が品のない方ではわたくしが恥ずかしいからです」
「そもそも僕は君の婚約者になった覚えはないんだが」
「それと他に気になった点がいくつか。まずベルゼビュート様の格好が破廉恥です。露出狂に見えます」
ベルゼビュートが目を白黒させ、キースが腹を抱えて爆笑した。
ベルゼビュートは上半身は長いベストを羽織っただけで肌が見えている。いわゆる東国風の格好で乙女ゲームで見ていた時は何とも思わなかったが、この国でわざわざ肌を見せるなんて常識外れだ。大体、今は真冬である。見ていて寒い。
「きちんとしたものを仕立てましょう。あとは礼儀作法も学んでいただかないと」
「おい、人間の娘。どうして俺がそんなことをせねばならない」
「クロード様の片腕なのでしょう。魔物だろうがなんだろうが公の場に出て行けるよう、きちんとしていただかないと困ります」
「……。片腕」
ベルゼビュートが心なしか弾んだ声を出した。これは簡単に操れそうだ。
「それとキース様も……同じ服をずいぶん長く着回してらっしゃる感じですわね。物持ちのよさは好ましいですが、無精は困りますわ。きちんとした公の場に出られる衣装はおあり?」
「あー、数年前に仕立てたのがありますねえ。というのもですね、アイリーン様、聞いてくださいよ。なんと私、クロード様の見張り兼口止め役で高官のはずなんですが、クロード様の味方しすぎて給料ゼロなんですよ! 額面あるのにおかしいと思いません?」
「まあ」
横領か。顔をしかめた後で、アイリーンは考え込む。
「……わかりました。となると、クロード様にもお金はないんですのね?」
突然、花瓶に活けてある花が一斉に散る。それを見た従者二人の反応は早かった。
「あ、クロード様傷つかなくていいですからね。私めは、十分人生楽しいですからね」
「王よ、そもそも金銭が必要ならば我々が奪ってくる」
「二人とも黙れ。――分かっただろう、僕に嫁いでも君になんの利益もない」
「あら、そんな小さなこと気になさらないで。わたくし、クロード様を養うくらいの甲斐性はありましてよ? なんなら、飼って差し上げてもいいくらいです」
途端、窓の外で落雷が発生した。もう驚かず、あらあらとアイリーンは笑う。
無表情のままクロードがうなるような声を上げた。
「……どうしてそうなる。口説きにきたんじゃないのか」
「口説くよりそちらの方がわたくしの性に合います」
ラスボスを飼う。いい展開ではないかと、ほくほくアイリーンは微笑む。
クロードが冷ややかにそれを見返した。
「口説く方がまだましだとわからない君の感性はおかしい」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。というわけでわたくしと結婚という名前の契約を致しましょう。うんと頷いてくださるだけで皆様に快適な生活と幸福が訪れます」
「うわあ、新手の宗教勧誘っぽいですねえ」
「クロード様。わたくしへの見返りは、あなたの愛だけで十分です。それがどんなに難しいことなのか、わたくしはどこかのゴミ屑男のおかげで思い知りました」
クロードが顔を上げた。ほんの少しだが、感情が出ている気がする。
うんと言わせてしまえばこっちのものだと、アイリーンはクロードに詰め寄った。
「あなたは優しい人です。自分が人間を憎み切れないせいで魔物達が窮屈な思いをしていることにも、心を痛めてらっしゃるのでは?」
「……」
「わたくしは人間なんて滅びてしまっても構わないと思いますけれど、ええ特にわたくしを侮辱した連中なんて頭から魔物に食べられてしまえばいいと思いますけれど、あなたの場合はそう願えば現実になってしまう。それはどれだけの重責で、葛藤でしょう。その誘惑に耐えられるあなたの強さを尊敬します」
クロードの動揺が、初めて表情に出た。
瞠目した瞳の中に映りこんで、アイリーンは悪魔の笑みを浮かべる。
「わたくしと結婚してくだされば、わたくしはあなたもあなたの大事な魔物も守ります。一人で背負わせたりしませんわ。これでも皇妃になるはずだった人間ですから、心得ています」
そこでクロードが唐突に無表情に戻ってしまう。
どこか間違えたかとまばたいた瞬間、アイリーンの眼前にクロードの綺麗な顔があった。
「もう帰れ」