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『聖剣の乙女の手に堕ちた魔王など我々は認めない』
『まずは聖剣の乙女の首を差し出せ。さもなくば次はミルチェッタ公主を狙う』
――それがミルチェッタ公国の小さな村への襲撃とともに、皇城に届けられた速報だった。
幸い、襲われた村は人も少なく、子供が転んで擦り傷を作ったくらいで死傷者は出なかった。だが、それだけで問題はすまない。
魔物が人間を襲った。魔王の意に反してだ。このことは、大きな衝撃をもたらした。
クロードが魔王でありながら皇太子に復帰できたのは、そうすれば魔物も支配できるという計算もある。それがいきなり大きく躓いてしまったのだ。皇太子としての才覚を見せねばならないときに、問題なかったはずの魔王としての才覚の方で足を引っ張られてしまった。
クロードを皇太子から引きずり落としたい勢力――大雑把にくくれば、セドリックを皇太子に戻したいセドリック派からの糾弾はまぬがれない。
「魔物襲来時の公的支援について緊急立法をする」
情報が出そろった執務室での、クロードの第一声がそれだった。呼び出されたアイザックとキース、そしてアイリーンの順に視線が投げられる。
「僕が皇帝になるなら、魔物のことはすべて国の責任になる。アイリーン、ドートリシュ宰相にこの草案を。まだ僕の一存では通せない」
「お父様は魔物をかばうだけの案を通したりしませんわ」
アイリーンの懸念を、クロードはあっさり払った。
「魔物が人間を守ることも含めての草案だ」
決して結界から魔物を出そうとしなかった人の提案に、アイリーンは息を呑み、そしてしっかりと頷いた。
今までクロードは不戦条約という形で人間への干渉を控えてきた。だが、クロードが皇帝になるなら、魔物だけを守ってはいられない。現実に魔物に人間が襲撃された今、魔物を使って人間を守る姿勢を見せなければ、周囲の理解も得られない。
「立法を待っていては今日中に支援が行き届きません。襲撃された村は子供や老人が多いようですし、オベロン商会から毛布や食料の物資を届けさせます。アイザック」
「手配した。リュックとクォーツに薬の在庫をありったけ出してもらって、ドニは救援部隊に同行して現場で復興作業にあたってもらう。おっさ――ジャスパーは民間向けに救援物資と募金を呼びかけてる。そうだ、魔物をオベロン商会の社員扱いで借りても?」
「かまわない。当然だ」
ひゅうっとアイザックが口笛を吹いてクロードをたたえた。
「柔軟になってきたよな、魔王様」
「すでにベルゼビュートとアーモンドを村の警護にあたらせている」
「それって……」
アイザックが難しい顔で口をつぐむ。村人との摩擦を懸念しているのだろう。アイリーンも言いたくなったが、ぐっとこらえた。
そんなこと、クロードはとっくに想定しているはずだ。
「ベルとアーモンドなら大丈夫だ」
「……そうですわね。わたくしが教育したんですもの、しくじったらお仕置きですわ」
「じゃあ、当面の対策はそういうことで――」
「いや、まだだ。僕をミルチェッタ公国の公主代理にするよう、皇帝に打診している」
クロードの発言にぎょっとした。しかしキースは予想していたのか、苦笑いで返す。
「そしてクロード様自らがアシュタルトをつかまえると。まあそれが一番、失態を失態ですませない方法ですからね」
「でも、そんなことが許されますの!? ミルチェッタ公国の公主は今回の騒ぎで寝込んでしまわれたとは聞きましたが……」
口にしながら、アイリーンは内心で別の不安をふくらませていった。
(それにミルチェッタ公国って、『聖と魔のレガリア2』のミーシャ学園がある場所だったわよね……これ、偶然なのかしら)
前世でプレイした『聖と魔のレガリア』という乙女ゲームは、大雑把な設定と乱暴なストーリーの割に絵と声がよく売り上げをあげ、シリーズものになっていた。つまり続編がある。外伝やFDも出たり、結構な人気があったのだ。
前世の記憶は曖昧なアイリーンだが、『~滅びの国と救いの聖女~』という嫌な予感しかしないサブタイトルがつく2はプレイしていたし、大まかに思い出していた。
(ストーリーは魔王を喪った魔物がミルチェッタ公国を滅ぼすっていう……まずくないかしらこれ)
クロードは生きているとはいえ、状況が似ている。
それに今、魔物がミルチェッタ公国を滅ぼせば、皇太子のクロードの失点だ。少なくとも魔物と人間の共存をはかる未来はかなり暗く、遠いものになる。
「実はセドリックが賛成してくれて、形式的なことを除いて根回しはすんでいる」
「セドリック様が?」
皇太子に返り咲きたいなら、今回の場合セドリックは静観が得策だ。それが事態収拾の邪魔をするのではなく、クロードが事態収拾に動くのを支援するなんて不審すぎる。
「アシュタルトがミルチェッタ公主の身の安全と引き換えに要求したのは君の首だ。……元婚約者の君を心配してるんじゃないのか」
素っ気なく、クロードが言い足した。まさかとアイリーンは眉をよせる。
「あり得ません」
「……ならそういうことにしておこう。とにかく、僕が公主になればアシュタルトが襲ってこようがなんだろうが対処できる。アシュタルトをつかまえるまでの暫定的な措置だから反発も少ない。要望はとおるはずだ。そこではっきりと、あくまで魔王は人間と敵対するつもりはないという姿勢を明確にする」
「ま、確かにそれが最善だ……ってか、アシュタルトってどういう魔物なんだよ」
そういえばアシュタルトという魔物はゲームにはいなかったはずだ。
(じゃあやっぱり、ゲームとは関係ないのかしら……?)
即断するのは危険だ。注意深く、アイリーンは情報を聞く方に集中する。
「呼びかけてもミルチェッタ地方の魔物から応答もなく、まったく情報がない。文字は書けるようだから、ベルと同じ人型の魔物で、知能が高いんだろう。声明の文章がまともだし、ミルチェッタの魔物は彼に従っているのかもしれない」
「知恵があるから反乱したってとこですかねえ。で、クロード様。アシュタルトって魔物をつかまえてどうします? 対処によっては今後の皇帝への道に差し障りますが」
「魔物の自主性は重んじたい。僕に従いたくない魔物に無理強いすることは考えていない」
「クロード様」
人間の社会からはじき出されたクロードが魔物を大事にしているのは知っている。だがそれはそれ、これはこれだとアイリーンが説得しかかったその時、クロードが唇をゆがめる。
「――だが、それは僕が許せる範囲での自主性だ」
魔性の美貌から醸し出される残虐な笑みに、ごくりと喉を鳴らした。
この人は魔王だ。同じことを感じ取ったのか、そっと目をそらしてアイザックがつぶやく。
「それってつまり無理強いだろ」
「まず話を聞く。人間を傷つけるな――という僕の意志は守っているようだからな」
「死傷者が出なかったのってやっぱりそのせいなんですかね」
「だろうと僕は思っている。そのわりにはミルチェッタの魔物が僕の呼びかけに答えない理由がわからないんだが……ともかく、アシュタルトを見つけるのが先決だ」
「では、わたくしもクロード様についてミルチェッタに行きます」
場所が場所だ。ゲームとの関連を考えずにいられない。
(ゲームがもし始まっていたらミルチェッタが滅ぶのに、放っておけないわ。この状況が偶然だとは思えないし……)
何故かそのとき思い浮かんだのは、聖剣を奪ってやった元恋敵だった。2では、主人公の願いにこたえ、ミルチェッタ公国を救いにやってくる聖剣の聖女――リリア・レインワーズ。
「だめだ、狙われているのは君だ」
「わたくしは聖剣をもっていましてよ。魔物なら敵ではありません」
「それはアシュタルトも理解していると考えるべきだ。つまり、君には人間をけしかけてくるだろう」
「魔物なのにそんな知恵がはたらきますの!?」
純粋に驚いたアイリーンに、キースが噴き出した。クロードは淡々と話を続ける。
「魔物にも頭の回る者はいる。だから君は皇都にいた方がいい。ミルチェッタ領で君を狙う人間が出ないとも限らない。しかも聖剣の乙女の故郷だ。リリア・レインワーズから聖剣を奪った君をどう扱うかわからない」
クロードの低い警告に、キースがあとをつないだ。
「しかも女性蔑視が激しいって有名な土地ですしね。嫌な思いをさせるかもしれません」
「皇都の方がドートリシュ公爵家の力もきくし、俺は魔王様にさんせー」
「アイザック!」
「知らない場所で戦うのは悪手だろ。それに皇都でもやることは山のようにあるんだよ、正体不明なオベロン商会の社長だろうがお前は」
「ああ。だからこそ、君に僕の代理を頼みたい。――大丈夫だ、すぐ帰ってくる」
「クロード様は瞬間移動ができるから簡単に仰るんでしょうけれども……!」
自分が狙われているのに、何もしなくていいなんて、納得がいかない。
(それに、確か2だとミーシャ学園で『魔香』が出てくる……!)
魔香はその匂いで魔物を呼びよせ、理性のタガを外させる秘薬だ。多くの魔物は凶暴化して見境なく暴れまわることになる。
人間に使っても、気分を高揚させ人間離れした動きを可能にしたり、媚薬めいた効果もあり、とにかく厄介な代物なのだ。
そんなものをもし、クロードに使われてしまったら。
(それこそまたラスボス化じゃない!? いえ、魔物にはならなくても媚薬……この顔と体でそんなことになったら……!)
だめだ。全世界の女性をはべらす魔王とかになりかねない。
断固阻止だ。
「クロード様。わたくしやはり、あなたのそのいやらしい顔を放置はできません」
「いやら……どこからそんな話になったんだ」
頭痛をこらえるような顔もまた美しいのだから危険だ。アイリーンは胸を張った。
「わたくしも行きます」
「だめだと言っている。危険だ」
「わたくしは絶対にお役にたちますわ!」
「僕の役に立ちたいならここでおとなしくしていてくれ」
その言い方はずるい。ぐっとアイリーンは唇をかむ。
手伝いは必要ない。そう言った時と同じ強さで、クロードは言い切る。
「君は連れて行かない。皇帝になる僕の判断に、皇妃になる君が従えないと?」
「……いえ……」
だめだ。今この場でクロードを説得させるだけの材料がない。
ゲームがどうこう言っても信じてもらえるか、よしんば信じてもらえたとしても自分でも何が起こっているか分かっていないのだ。説明ができない。問題になっているのも、アシュタルトというゲームにはなかった名前の人物だ。
だが、もしゲームと同じように、2のラスボスが魔香を使っていたら?
そう、2にだってラスボスはいるのだ。魔香を使い魔物達にミルチェッタを襲撃させ、滅ぼしてしまうラスボスが――。
「僕はキースを連れて明日ここを出る。キース、支度を」
「了解致しました」
「……それって、瞬間移動で行かれますの」
「ああ、早い方がいいからな」
全部可能性だ。だが、見誤れば致命傷になる。アイリーンは大きく息を吸い込んだ。
「……。わかりました」
「……。君がもう納得したと? 本当に?」
勘のいい婚約者に、にこりと微笑む。
「ええ。クロード様は瞬間移動なんてものができてしまうから、女心が分かりませんのね」
クロードの眉間にしわが入る。ぱちりとキースがまばたき、アイザックがおい、と声をあげた。その声にかぶせるようにして、声を張り上げた。
「だからいつでも会えると、置いて行かれるわたくしの気持ちがわかりませんのね」
「……そういうわけではないと思うが」
「クロード様。わたくしは連れて行ってと頼みました。でもクロード様は断りました。その重さを存分に感じて頂きますわ」
あからさまにクロードが警戒した顔をする。
「あなたがミルチェッタ公主代理でいらっしゃる間は、わたくしに会うために瞬間移動を使うのは禁止します。普通の人間らしい距離感を保ちましょう」
「……それが君の意趣返しか?」
「はなればなれになる恋人の試練です」
アイリーンは最上の笑みを浮かべ宣言した。
「もし守っていただけない場合、わたくし、クロード様との婚約破棄を考えますので」
一拍おいて、夕暮れの空に突然雷が光った。
魔王の感情は異常気象として周囲に影響を与える。
だが、竜巻が起ころうが地面が割れようが、アイリーンは頑として譲る気はなかった。




