護衛達の婚約(18)
「――じゃあやっぱり、禁色のドレスなんぞきて皇后陛下に喧嘩を売ったのは、皇帝の気を引くためか」
「でも大して期待なんかしてなかったわ。あの男の顔は見物だったけど」
強気でリラは笑っているが、その頬にはガーゼが押し当てられているし、唇の端は切れている。痛々しい姿につい、ウォルトのほうが目をそらしたくなる。
それを感じ取ったのだろう。リラが立ちあがって、ウォルトを閉じこめている鉄格子に手をかけて言う。
「同情しないで」
「……」
「――あなたにだけは、同情されたくない」
そう言われてはもう、目をそらせない。
「それに、お姉様のほうがよっぽどひどい目にあってるから……」
リラがにごした言葉の意味を、ウォルトは尋ねようと思わなかった。大体こういうときのパターンは決まっているのだ。
リラも気分を切り替えたように、顔をあげる。
「もしお姉様を助けてくれたら、魔香とその解毒剤の処方箋をあげる」
「は?」
「そっちだって魔香の研究をしてるんでしょ? お姉様は本物の天才よ。殺してしまうより絶対にいいはず。何より、もう死んだ人間だわ。別人として生かしてあげて」
リラが自分の胸に手を当てた。
「お姉様の分まで、私が全部罪をかぶる。それでいいでしょう? 悪くない取り引きのはずよ」
「……」
「でなきゃお姉様の研究したものがどこにあるかは教えない。知ってるのは私だけよ。お姉様はこういうの、無頓着だから」
抜け目のない交渉を持ちかけてくるリラに、ウォルトはなんだか感心してしまった。
「君、お姉様が大好きだな」
「馬鹿にしてるの?」
「いやいや。でも、残念ながらその辺の交渉の決定権、俺にはないんだよね」
素直に答えると、リラは眉をひそめた。
「でも、オベロン商会の人間ではあるでしょう? しかも魔香なんてものの調査を単独で任されるんだもの。ただの下っ端じゃなく、それなりに地位があるはずよ」
アイザック・ロンバールではなくともアイザック・ロンバールを名乗れる人物として、ウォルトはオベロン商会の人間だとリラは考えたらしい。
(うーん、つまり俺はアイザックの部下だと思われるわけね)
クロードが聞いたらオベロン商会ごと潰しにかかりかねないので訂正したいが、どうしようか。まだリラは味方ではないのだから、魔王の寵臣だと明かすには早い。
「オベロン商会には協力してるだけ。俺は昔、教会にいたことがあってね。魔香の調査にはうってつけだから」
リラがびっくりしたあと、すぐに納得した顔になった。
「そう。魔香の調査に教会の人間を使うのは、確かに合理的だわ。そして身分はあかせないってことね。こういう潜入捜査は身元を明かさないことが大事だから」
理解が早くて助かる。
「なら、交渉の窓口に立ってくれるだけでもいいわ」
「でないと俺を助けないぞって?」
「何言ってるの。あなたが生きて帰るのは大前提よ。でなければ私もあなたも始末されて終わりじゃない。そのあとの話をしてるの。あなたにはちゃんと逃げてもらうから」
きっぱりと理知的にリラが言い切る。そう、この交渉はウォルトが無事でないと成り立たない。つまりリラは交渉成立しようがしまいが、ウォルトを助けるつもりなのだ。
(あーだめだ俺、こういう身を挺して助けられるのにほんっと弱い……)
人間兵器として、盾として使い捨てられるのが当たり前すぎたせいだろう。胸中で嘆息したウォルトは、観念して後ろ手に縛られている縄を引きちぎった。
一拍遅れて気づいたリラが、ぎょっとする。
「え!? い、今」
「まあこれくらいは鍛えたら」
「鍛えたらちぎれるの、縄!?」
人間兵器なので、とは口にしづらくて、ウォルトは笑ってごまかす。
「なんか細い針金とかピンない?」
「ま、待って」
化粧台に向かったリラががさがさと引き出しを漁り、髪を留める飾りのないピンを持ってきてくれる。
「な、何する気なの」
「古い形だからたぶんいけると思うんだけど、と――ほい、あいた」
がしゃんと開いた鍵を床に投げ捨て、背丈の半分ほどの大きさの扉から出る。リラは呆然と鉄格子とウォルトを見比べていた。
「あなた、本当にただの調査員なの?」
「いやいや調査員ならこれくらいは常識。で、君のは……」
さっさとウォルトはリラの背後に回って床に跪く。おそらくリラの足首からのびているだろう鎖は、石畳の床に食い込んでいた。リラが少し距離をとるように移動すると、その分自然と鎖が長くなる、魔力の鎖だ。持ちあげて引っ張ると、それだけで手の平に弾けるような痛みが走った。慌ててリラがしゃがんでウォルトの手首をつかんで止める。
「引き抜こうとしちゃだめよ。ほら、怪我してるじゃ――」
リラの目の前で魔力でできた擦り傷がなくなっていく。しかたないなと、ウォルトがへらっと笑った。
「平気だよ。俺、ちょっと人間離れした調査員だから」
目を丸くしていたリラが、いつものようにまなじりをつりあげる。
「馬鹿なの。治るからって痛くないわけじゃないでしょう!」
今度はウォルトが目を丸くする番だった。そのあとに、天を見上げて唸る。
「そういう俺が弱いこと言わないでくれるかな……」
「は?」
「いや、いいんだけど。……教会がかけた拘束魔法だね、これ」
リラがこくりと頷いた。
「そう聞いてるわ。私かお姉様のどちらかが地下室につながれてれば、この部屋の扉は開く。でもどちらもブローチをつけずつながれていなければ、扉は開かない。……でも解除方法はあるはずなの。このブローチじゃない、鍵が」
目で先をうながすウォルトに、はきはきとリラは答えた。
「一度籠城したことがあるのよ、この部屋で。お姉様も私もブローチをつけずに、食糧と水を持ちこんで。でも眠っている間に扉をあけて、あの男が使用人をつれて乗りこんできて……」
いい結果にはならなかったのだろう。リラは言葉をにごして、唇を噛む。あえて冷静にウォルトは鉄格子の研究室を含む、この部屋の出入り口を見る。
「鍵穴はないみたいだけど」
「ただの鍵じゃないみたい。お姉様はあたりをつけてたみたいだけど……」
「魔法は専門じゃないからな、俺も」
せめて魔銃があればよかったかもしれないが、持ってきてはいない。いつでも警戒を怠るなと口うるさいカイルの言葉が思い浮かんで、うんざりする。
「でも鍵がなくてもなんとかできそうな奴は知ってるから」
魔法が専門で魔王様の魔力を借りられるエレファスに解錠してもらうか、あるいは魔王様の力で面白いことになっている魔銃があれば壊せるだろう。
要は魔王様の力業である。
いずれにせよ助けを呼ばなければ、ウォルトの手には余る。そして助けを呼ぶにはリラをここに置いていかねばならない。
「大丈夫よ。あなたは逃げて」
ウォルトが何か言う前に、リラが明るい声でそう言った。
「早く行って。あっでも使用人達が見張ってるから……」
「しっ」
廊下の奥から物音がした。ウォルトの忠告につられて、リラも黙る。
扉の前まで、複数の足音がやってきて、なんのためらいもなく扉を開く。三人の男達だった。見たことのない顔だ。
ウォルトを見ても眉一つ動かさない。視線を向ける先もうつろだ。正気ではないのは明らかだった。まばたきせず殉教者のようにランプを持ち、まるで掃除でもするように油をばらまき、何一つ言わずランプを放り投げる。
あまりに淡々とした作業で、逆に反応が遅れた。
「は……!? ちょっと待て、おい!」
叫んだときはもう、ランプの火が毛足の長い絨毯に落ち、燃え広がり始めていた。
呆然とリラと燃えあがる扉を見つめる。そのリラを意味もなく背中にかばいながら、ウォルトは拳を握った。
ウォルトは逃げられる。だが、叔父と教会にかけられた拘束魔法をとかない限り、彼女はこの部屋から逃げられない。




