護衛達の婚約(16)
異常に寒い。毛布をたぐり寄せようとして、両腕が動かないことにウォルトは気づいた。
後ろ手に縛られているのだ。
(ああ、俺たしか――……)
かすんだ視界にまず、石造りにの床が入り込む。順番に壁際にあるテーブルの脚、綺麗に整頓された本棚、対称的に書類やペンが散らばっている長机。何やらあやしげな色をした液体が入った瓶に実験器具、フラスコなどが陳列されている棚。ウォルトが横になっているのは長いチェストの上のようだ。視線を上にあげると、鉄格子が見えた。
鉄格子と石壁に囲まれた研究室だ。
「はい、これでいいわ。本当に無茶をするんだから、リラは。刃向かうなんて」
鉄格子の向こうから聞こえた声に、慎重に視線だけを動かす。牢というわけではなく、部屋のようだった。だいぶ大きな部屋のようで、さらに本棚や衣装ダンスもある。敷かれた絨毯の上に猫脚の丸テーブルとそれを囲む椅子があり、そこにランプに照らされたふたり分の影が重なり合っていた。
それを見て、気づく。この部屋には日光が入り込む窓がない。
「最近は傷を作らないように言動には気をつけてくれてたのに。あの人に会うとき、怪我をしてたらおしゃれもできないからって」
「違うわよ! そんなんじゃ――っぃた……」
「ほら、すぐ怒鳴らない。頬が腫れてるわ。唇だって切れてるんだから」
治療箱らしきものをしまった女性が立ちあがる。ランプのせいで影絵のようになっているふたりの輪郭がそっくり同じことに、ウォルトは唇を噛んだ。
「ねえ。……大丈夫かな。解毒剤、効いてるよね?」
「計算通りなら」
ふたりの視線がこちらに向けられ、ウォルトは自分の話だと気づく。
「でも、ひとに打つのは初めてだったから、油断は禁物だわ。意識も当分は戻らないでしょうし……」
「私、看てるわ。お姉様はそろそろ準備しないと」
「……そうね。時間だわ。あなたのかわりに」
リラが手を伸ばし、リラとそっくりの形をした少女がブローチを差し出す。
その真ん中にある鉱石の光に、ウォルトは目を細めた。
(魔石だな、あれ)
リラがそのブローチをつけた瞬間、床が一瞬輝いた。がしゃんと鎖の音がして、ウォルトはリラの足首に鎖がつくのを見る。逆にもうひとりの少女の足首から伸びていた鎖が、消えた。
何かの拘束魔術だ。それをあのブローチが媒介してふたりの間を行き来させている。
「いってらっしゃい、お姉様。……気をつけて」
「ええ。待ってて、リラ」
「戻ってこなくてもいいのよ」
笑ってそう言ったリラが、声色を変えた。
「戻ってこなくてもいい。私をここに置いて、そしてお姉様は記憶喪失のふりでもなんでもして、ヴィオラ・ルヴァンシュとして……あるいは別人になって生きてく方法だってある。魔香を売ったのは私、リラ・ルヴァンシュだから」
「それはあなただって同じでしょう。どうしたの、今更」
「だって最後のチャンスよ、きっと」
顔を手で覆って、リラが叫ぶ。
「私はきっと殺される、お父様とお母様みたいに! あいつ、皇后陛下の部下にまで手を出したのよ。もう弁明のしようもないわ、でもお姉様なら死んだことになってる。今逃げればまだ間に合うわ、きっと。稼いだお金の隠し場所は話したでしょう? 持っていって、資金になるから」
「リラ」
「お願い、私を置いて逃げてお姉様。もっと早くこうすればよかった! 私がお姉様と二人で逃げるんだ、自由になるんだなんて夢見て意地を張ったから、こんな――ふたりでなんて希望を持たせて縛り付けるあいつのやり方はわかってたのに!」
「できないわ。できるわけないでしょう」
鏡写しのように同じ顔をしたふたりが、抱きしめ合う。
「それなら私も言うわ。そのブローチを私につけ直して、私をここに置いて逃げなさい。あの男の目当ては魔香を作れる私よ。あなたに魔香売買なんてものに手を染めさせた原因も私。何度も私はそう言ったのに、それをあなたが今になって言うの?」
「でも、お姉様。このままじゃ」
「わかってるわ。……あのひとを巻きこんでしまって、不安になったのね」
リラが姉の腕の中で小さく頷く。
「やっぱり、最初から断ればよかったっ……あいつが私と一緒にいずれ始末する可能性だって、考えなかったわけじゃないのに」
「でも皇后陛下の部下よ。そう簡単には手は出せないはず。それに何か皇后陛下が勘付いてよこしたのかもしれない。だから様子見しましょうってあなたを説得したのは私よ。あなたは私の策に協力してくれただけだわ、何も悪くない」
「違うの。それだけじゃないの。そうお姉様が言ってくれたからって、私がのったのよ。ちょっとだけ、普通にデートとか、そんな馬鹿なこと思ったから!」
ウォルトは奥歯を噛んで、大丈夫だからと起き上がるのを堪えなければならなかった。
「大丈夫よ、リラ。お姉様にいい考えがあるの。だから、お姉様を信じて待っていてくれる?」
頭をなでる姉に、リラが顔をあげる。
「何をするつもりなの、お姉様」
「あのひとはきっと魔法使いよ。あなたを助けてくれるわ」
指をさされたウォルトとヴィオラの目がはっきり合う。こちらの意識が戻っていることに気づいていたらしい。悪戯っぽい微笑が妖精そのもので、舌打ちしたくなる。
(ああもう、カイルは節穴だと思ってたのに)
とんだ性悪妖精ではないか。
「だって私が会った魔法使いと同じだったもの」
「……あの、傷が勝手に治ったっていう……? でも、それは魔香の解毒剤の効果でしょ」
「そうなのかしら。でも、きっと運命よ、ね。そう信じたほうが素敵でしょう」
妖精っぽいことを言って、そっとヴィオラがリラの額に口づける。
「大丈夫。オペラであの男が皇后陛下に陳情する結果によっては、まだ希望はあるわ」
笑う姉に、リラがおずおずといったふうに頷き返す。
「そう……そうよね。あとはこの人を助けさえすれば、まだ……」
「目をさましたら打ち合わせをしておいて」
「あの男は解毒剤のことを知らないから、魔香中毒になったふりをしてもらって逃げろって言うつもり」
今度はヴィオラのほうがしっかり頷き返した。
「それがいいわね。あの鉄格子の合鍵、屋敷にないか一応さがしてみるわ」
「使用人に見つからないようこっそりよ、お姉様」
やせ我慢のように互いに笑い合って、ふたりは離れる。
しばらくリラは姉が出て行った扉を黙って見ていた。ゆっくりと驚かせないように、ウォルトは上半身を起こす。
「さっきのが君のお姉さん……ヴィオラ・ルヴァンシュ?」
ぎょっとしたリラがこちらを振り向き、鎖がじゃらりと鳴る。その音はあえて聞かない振りをして、ウォルトは苦笑い気味に確認した。
「ルヴァンシュ伯爵の命令で、お姉さんが魔香を作って、それを君が売ってた。それを屋敷ぐるみで隠してた。そういう理解でいいのかな」
「……」
「君のその怪我はルヴァンシュ伯爵がやったのか」
リラは斜め下を向いたまま、素っ気なく答える。
「さっきの話を聞いてたなら、それで全部よ」
「でも君の両親の事故死について、まだわかってない」
リラが瞠目した。その目に宿った希望も絶望も抱きしめられればいいのだろうが、そうはいかない。一応まだ両手首は縛られているし、自分は魔王の護衛なのだから、すべて解決するまでは彼女を抱きしめたりはできないのだ。
「話してもらえないかな。最初から全部ね」




