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 懸念していたことのほぼ全てに手を打った。勝つ自信はある。心の準備はできていた。

 まさかの当日朝の、プレゼント以外は。


「色っぽいじゃないか、アイリーン。見違えたよ」

「本当に本当ですか、お父様」

 眼光鋭くアイリーンが振り向くと、ルドルフがまばたいた。

「似合っていますか。ドレスに着られてはいませんか。わたくしともあろう者が!」

「ど、どうした、お前らしくない。社交界デビューしたばかりの頃でもそんなこと言わなかっただろう。まさか、リリア様に負けるのではないかと怖じ気づいたり」

「そんな小物の話はどうでもよろしくてよ、相手は世界で一番妖艶な魔物なんですから! 髪も化粧も完璧なはずですけれども……!」

 はらはらする。何度も何度も鏡でチェックしすぎて、使用人達に引きはがされ馬車に放り込まれてしまったのだが、まだチェックし足りない。

(もう少し口紅は大人っぽい赤がよかったかしら。髪はきつく結い上げた方が良かった?)

 でも時間も鏡ももうない。

 父親に手を引かれて、大理石が煌めく夜会の会場へ踏み出す。


 一瞬、静寂が広がった。


 光沢のある白の絹をたっぷり使ったバッスル・ドレスは一見して花嫁衣装のように清廉だ。

 だが隠れ見える精緻な黒のレースや金糸で縫い込まれた刺繍、髪飾りと同じ黒薔薇がアクセントに使われ、ともすれば幼くなりそうな印象を色香漂うものに引き締めている。

 白も黒も、理由がない限り単色では夜会で眉を顰められるドレスだ。だが金を織り交ぜ白と黒を取り入れたドレスは、星空のように人目を引く。批難とそれと羨望が混ざった好奇心の眼差し。流行が始まる前に必ず漂う空気だ。


 ――まして、これを着ているのがあのアイリーン・ローレン・ドートリシュならば。


 いつもの高慢な笑みではなく、憂いを帯びた伏せ目がちの瞳。長い睫毛が作る影が、肌の白さを際立たせる。艶のある唇は瑞々しい果実のようで、歩く度にふわりと黒薔薇の優美な香りが漂った。

 どんなに穢そうとしても、髪の毛の一本まで、彼女は美しい。そう認識させたことに、アイリーン本人は気づいていなかった。


(このドレスはクロード様が選んだのよね? 着てこいってことで合ってるのよね? 似合っているわよね? 似合うから贈ってきたのよね!?)


 似合うと言ってもらえるだろうか。考えるだけでほんのり頬が赤らむ。

 潤んだ目を持ち上げると、惚けたようにこちらに見惚れる貴族の青年と目が合った。反射で、アイリーンはふわりと微笑み返す。

 エスコートしているルドルフが、感心した声を上げた。

「……お前、少し変わったねえ。セドリック様は今のお前になら惚れ直す気がするなぁ」

「は? 何言ってますのお父様。死んだってお断りですわ」

「そうかぁ。アリかなーとは思ったんだけどね、色々搾り取れそうで」

 ふふふふふと笑う父親の目が半分本気だ。

「だが、並みの男ではお前は手に余るだろうよ。じゃあ、お父様はここまでだ。お前の活躍を楽しみにしているからね」

 血色のよい顔でぐっと親指まで立てられた。つまり、それなりに一筋縄ではいかない展開が待っているのだろう。


(まあ、簡単にこちらが勝ってもつまらないものね。――あら)


 今夜はきっちり髪を整えて、貴公子の格好をしたアイザックが近づいてきた。誰も話しかけてはこないが、注目されているのは分かっている。

 すれ違い様に足を止めたような立ち位置で、アイザックが小さく報告した。

「首尾は上々、手筈通り評判になってる」

「そう」

「――誰かがご存知だと思ったのに、オベロン商会!」


 早速耳に飛びこんできた名前に、そのまま耳をすます。


「私に届いていないなんてどういうことなの? ウェームズ伯爵家の令嬢には届いたのに」

「選ばれたご令嬢にしか届いてないって噂よ。それであの方、お怒りなの」

「朝起きたら枕元に置いてあったんですって。使用人達の誰もそんなものは知らないって言うのよ。まるで魔法だわ! 私、わくわくしてしまって」

「とてもいい使い心地なのよ。肌の調子がとてもよくて、もうあれ以外考えられない」

「そんな、私は怪しいと思って捨ててしまったわ。どうしましょう、どこかで手に入れられないの?」

「化粧水だけではなく、洗顔用の石鹸まで届いた方がいるって聞いたのだけれど」

「試用品がもうなくなってしまうのよ。この夜会でなら誰かご存知だと思ったのに――」

「妻が欲しがってうるさいんだ。まいったなあ、誰も分からないなんて」


 思わず顔がほころぶ。隠れて掌をアイザックに向けると軽く叩かれた。


「あとは手筈通り、ドートリシュ公爵家に繋ぎがあると噂をまく。それで十分利益になるはずだ」

「お願い」

「あと、カラスとおっさんコンビから最新情報。一つ目、脅迫文の犯人はリリア。自作自演だ」


 そうでなくては、と思った。自分を婚約者の座から追い落とした女が、ただの女ではつまらない。


「そう。便せんの模様が一致したのね。セドリック様と共謀?」

「単独だと俺はみてる。証拠は俺が持ってるから、必要なら合図くれ。――ただ悪い報せがある」

「なにかしら」

「そのリリア様が今朝から行方不明だ。脅迫の件があるからな、セドリック皇子はマークス率いる騎士団見習い共を魔王の森に向かわせたらしい」


 思わず顔を向けたアイリーンに、アイザックは横顔を向けたまま言う。


「リリア様が見つかるまで、魔王様は来ないそうだ」

「クロード様は――魔物達は? まさか攻め込まれているの?」

「落ち着け、あの魔王サマが簡単にやられるわけねぇだろ、不戦条約だってある。俺は頼まれてんだよ、その魔王サマに。っつうか魔王サマの伝言持ってきたアーモンドに、今朝」

「今朝って」

 ドレスを届けるくらいなら、どうして報せてくれなかったのか。眉をひそめるアイリーンの目を、アイザックはまっすぐ射貫いた。


「“僕が行くまで、アイリーンを頼む”だとよ」


 ――アイリーンの仲間で、堂々と夜会に来られるのはアイザックだけだ。

 瞳に力を込めて、アイザックがアイリーンを見据える。

「できるよな。お前は俺が――魔王が見込んだ女なんだから」

 視線を落とさないために、顎を引いた。まっすぐ前を見て、不敵に笑う。


「クロード様の件は、根回しがいるでしょう。わたくしはいいから、そちらをお願い」

「ああ。――平民落ちしたら、俺がもらってやったのに」

「あなたを夫にするなんて、そんなもったいないことしないわ」

「それもそうだ」


 軽く手をたたき合って、すれ違う。壇上に険しい顔のセドリックが現れる。その隣にリリアはいない。

 このままいけば、ゲームの通りアイリーンが誘拐犯になる。だが、焦りはなかった。


(これをひっくり返してこそでしょう? なめないでいただきたいわ)


 一度目の婚約破棄は負けた。二度目は勝つ。


「アイリーン・ローレン・ドートリシュ。貴様を捕縛する」


 セドリックの指示が飛ぶと同時に衛兵に取り囲まれた。

 それでも微笑む。優雅に、完璧な淑女の仕草で。



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[一言] 男性が女性に服を贈るのってその服を脱がしたいって(ry
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