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あらおはようと先に挨拶をされたウォルトは、なんだ今日は寝台にいないのかとふざけようとして固まった。
ウォルトの監視だと言わんばかりについてきたカイルも、同じものを見て固まる。
皇城だけではなく古城にも、皇太子夫妻の寝室は用意されている。元はクロードの寝室だったものを、寝台だけ入れ替えて夫婦の寝室にしただけだが、それでもここは夫婦の寝室だ。
そこに義父とはいえ、夫以外の男が幸せそうに眠っているのはいったいどういうことか。
「……これ、まずいよね?」
「あ、ああ……」
「ルシェル様は起こさないであげて」
護衛の懸念を知ってか知らずか、アイリーンは朝日が差しこむバルコニー近くの小さなテーブルで書類をめくっている。一緒に寝台で眠っている現場を目撃しなかっただけ、ましだと思えばいいのか。
カイルをちらと横目で見ると、頷き返された。
できれば見なかったことにしたい。だがしかし、クロードがこれを知る前に対処するには今をおいて他にない。こういうのは後手にまわるほど、痛い目にあうのだ。
「えーっと。アイリちゃん、なんでルシェル様がここにいるのかな~?」
「というか、見つかったのか、ルシェル様……」
「ええ。協力は取りつけたわ。どこまで魔物を動かせるかはわからないけれど、これで本格的に作戦が立てられるわね」
「そ、それはいいんだけどね?」
「一緒に寝たのか?」
「カイル、お前そんなはっきり!」
ぱらりと書類からアイリーンが指をはなす。頬杖をついて、振り向いた。
「失礼ね。わたくしがそんな節操なしに見えるのかしら」
やりかねないと思っているが、素直に言うと蹴っ飛ばされそうなのでやめておいた。
「いやまあ、念のためね?」
「ここの部屋、昔はルシェル様とグレイス様の寝室だったそうよ」
古城は今の皇城ができる前の、旧城でもあった。改装されているが、大本の構造はそんなに変わっていない。特にいちばん高貴な者が住む部屋の位置は、権威や警備の配慮もあって、そうころころ変えられないのだろう。
「だから部屋を譲ったの。落ち着くでしょう、きっと。わたくしは皇城にも部屋があるし、しばらくここに滞在してもらうつもりよ」
「ああ……うんまあ、それなら、ぎりぎり?」
「……だな」
クロードも怒らないだろう。
ほっとしてカイルと頷き合っていると、もぞりとシーツの中からルシェルが寝ぼけた顔を出した。
「んー……朝……?」
「まだ寝ていてかまいませんわよ、お義父さま」
ルシェルはアイリーンの方向へ、ごろごろ寝台を転がる。
「おなかすいたから起きるー……アイリーン、甘いスクランブルエッグとカリカリのベーコンをはさんだパンが食べたい。あと蜂蜜入りのミルク」
「こまかっ!」
「奥さんから指示は具体的にしろって昔ゆわれたー」
「それはそうですけれどもね!? ……わかりましたわ、用意させますから」
「やだーアイリーンが作ってー毒をもられちゃうかもしれないじゃーん」
ごろごろ転がりながらルシェルが駄々をこねている。
このまま気絶したいと思ったせいか、つい心の声が口から出た。
「下僕じゃないならセーフにならないかな……」
「いや、だいぶアウトな気がするぞ……!?」
「クロード様と同じで、お義父さまに毒なんてきかないでしょう。甘えないでください、わたくしは忙しいんですの」
「あー義娘が冷たい! 悲しいなぁおとーさんはこれからハウゼル女王国に差し出されて死んじゃうかもしれないのになー、最後に可愛い義娘の手料理が食べたいだけなのになー!」
「ああもう、うっとうしい……! 作ればいいんでしょう、作れば!」
机を叩いて立ちあがったアイリーンが、ぷりぷり怒りながら部屋を出て行く。なんだかんだアイリーンは面倒見がいいのだ。目配せすると、青い顔をしていても仕事を忘れないカイルが、ふらふらとそれについていった。
とりあえず心臓に悪い光景を見なくてすむようになったとほっとするウォルトの前で、やっとルシェルが起きあがる。
そっとその横顔をうかがうと、見透かしたような笑みが返ってきた。
「いいねえ、義娘って」
「は、はあ……ですがあまり調子にのるとクロード様が、ですね……」
「怒ってお父さんに勝負を挑んでくるかな! まあ、それもいいよね。男は父親殺しこそが成長の証っていう話もあるし」
立ちあがったルシェルは、バルコニーをあけて背伸びをする。その灰銀の髪が、朝日にきらきらと反射する。
「……僕、娘もいたんだよね。思い出した。まだほんと、赤ん坊だったんだよ。息子はもう歩いてたけど。ふたりともどうなったんだろうなあ……僕が殺しちゃったのかな」
バルコニーの縁に背を預けて遠くを見るその赤い目は、どこを見ているのだろう。
「そんなこともわからないなんて、ほんと父親失格だ」
「――無事、生き抜いてエルメイア皇帝になったのだと思います」
断言すると、ちらと視線を向けられた。適当な慰めやごまかしを許さない目だ。
少しだけ緊張しながら、それでもウォルトは口にする。
「だからその血を受け継ぐ皇族のクロード様が魔王になり、公爵令嬢のアイリーン様が聖剣を持つ素養を授かったんでしょう」
あのふたりは魔王と聖剣の乙女の血がつながったからこそ、生まれてきたのだ。ウォルトはそう思っている。
「……ほんと、クロードは周囲に恵まれたね」
ふっとルシェルの表情と口調がやわらかくなった。ふっと空をあおいで、かつてこの城の主だった魔王はウォルトをまっすぐに見つめる。
「これからも頼んだよ。僕の息子を」
「はい」
「僕は、あの子を守ってやれないから」
どういう意味か聞き返すのは野暮な気がして、ウォルトはただ、黙って頭をさげた。




