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15


 夜空を走る馬車に、憧れない乙女はいない。


 アイリーンは窓の外を流れていく夜空と、煌めく皇都を眺める。

 またたき始めた星の光。扇形に広がる、瓦斯灯や家から漏れる灯りの数々。中でも商業区である第三層あたりは色も輝きもきらびやかだ。


「きれい……」

「――そうしていると、普通の令嬢に見えるな」


 紅潮した頬で窓に張り付いていたアイリーンは、その声で我に返った。真向かいの席にクロードが足を組んで座っている。観察するような眼差しに、咳払いをした。

「失礼なことを仰らないでくださる? わたくしは普通の令嬢ですわ」

「普通の令嬢は魔王に媚薬をもろうとしたりしないと思うが」

「……でも、どうして助けてくださったんですか?」

「それはお前が何にも言い返さないからだ、娘!」

 突然聞こえた声にアイリーンはきょとんと馬車の中を見回して、ぎょっとした。


 窓の外にベルゼビュートが張り付いている。


「窓からの眺めが台無しですわ……!」

「やかましい! どうして言い返さなかった、娘! 万倍言い返すと思ったのに」

「あなた、それを聞きに空をわざわざ飛んでますの?」

「王が我々は出るなと仰るから、ここまで我慢したんだ」

「ソウダ! 娘! 説明!」


 反対方向の窓は鴉で埋まっている。アイリーンは真顔になった。


「……クロード様。ひょっとして今、この馬車の周りは」

「魔物で埋まっているが?」

「……色々、本当に台無しですわ……折角の素敵な夜空の旅が」

「いいから答えろ、娘! 王が返事をお待ちだ」


 どう見ても返事を待っているのはこの馬車を囲む魔物達だ。

 深い溜め息を吐いたあと、アイリーンは行儀良く座り直して簡潔に述べた。


「都合がよかったからですわ」


 クロードは相変わらず静かにアイリーンを見つめている。そのおかげで淡々と説明できた。

「わたくしの目的はあの事態を穏便におさえることです。多少の誤解は些事でしょう。大事なのはあの魔物の子供が無事で、かつ人間側から言いがかりをつけられずにすませることです」

「……そう、かもしれないが……」

「それに、うまく言いくるめる方法も思いつかなくて」

 ふう、とアイリーンはわざとらしく溜め息を吐いた。

「学園での信用が最底辺なわたくしが、あの男子学生が先に手を出していたと言ったところで誰も信用しませんでしょう? むしろますます立場が悪くなるだけ――」

「違ウ! 違ウ!」

「まあ、わたくしが嘘をついているとでも?」


「そうではなく、どうして我々に証言をさせようとしなかった!」


 思いがけない憤りをぶつけられ、アイリーンはぱちぱちと長い睫毛を上下させる。そしてその後で、ぼそりとつぶやいた。

「そんなことをしたらもっと厄介なことになったような気がしますわ……」

「ど、どういう意味だ」

「あなた方が何か証言したところで、わたくしが魔物をたぶらかしたと思われて余計事態が悪化するだけです。というわけで、余計な気遣いですわ」

「なんだと!?」

 苦虫をかみつぶしたような顔で、ベルゼビュートが窓硝子に顔を近づける。そのむきになった顔に、アイリーンは淑女らしく微笑みかけた。

「あなた方に助けられるほど落ちぶれておりません、ということです」

「オ前、ダカラ嫌ワレル! 可愛クナイ!」

「あらご明察。わたくし、恩を売られるのが大嫌いですの。恩を売るのは好きですけれども」

「……ベルゼビュート。全員、下がれ」


 静かにクロードが命じた瞬間、窓硝子ごしに睨んでいたベルゼビュートの表情が真顔になった。今までのいがみ合いが嘘のように、優雅な一礼を返し、ふっと姿が消える。

 反対側の鴉もいなくなり、あっという間に静かになったところで、クロードが口を開いた。


「魔物達は君を好ましいと思い始めている」


 目が真ん丸になった。


「わたくしを……ですか」

「いいか悪いかでの評価ならほぼ悪いだが、フェンリルの子供を助けたからな」

「たかが一回子供を助けただけで、単純すぎません?」

「魔物達は人間のように上っ面を重視しない。君が身を挺してまで仲間を助けた、どんな理由だろうがそれがすべてだ。気にさせまいと悪ぶっても、あまり意味はない」

 何もかも見透かしたような口調が釈然としないが、理解はした。

「すぐに騙されて痛い目をみそうで、クロード様は目が離せませんわね」

「君だって似たようなものだ」

「はい? わたくしは騙されたりしませんでしてよ」

 クロードは答えない代わりに、ちらと視線だけを流した。あえて指摘しないと言いたげな眼差しに、ぴくりと眉を吊り上げる。

「……元婚約者のことをおっしゃりたいなら、余計なお世話でしてよ……?」

「君は泣きもせず、言い訳もせず、助けも求めない人間なんだということは分かった」

 目の前の謎を紐解いていくような、同情もなにもない赤い瞳で、クロードは続ける。

「だから愛してもいない、しかも人間ですらない僕になぜ求婚しにきたのか、その理由を言わないんだな。今も、言う気はないのか?」

「言っても信じてもらえないと思いますけれど」

「信じるか信じないか、それを決めるのは君じゃない」

 それはそうだ。ふむと頷いたアイリーンは、にっこり笑った。


「では申し上げますわね。実はわたくし、前世の記憶があるのです」


「は?」

「実は、この世界は私の前世にあった乙女ゲームなんですの。リリア様がヒロイン――主人公で、私は悪役令嬢。いわゆる当て馬のやられキャラですわね。そして婚約破棄は、なんと私が死ぬ未来のフラグなのです。魔王として覚醒したクロード様に殺されるんですのよ」

「……」

 クロードの目が冷たい。ものすごく冷たい。かまわず、アイリーンはにこにこと説明を続けた。

「でも愛の力ってありますでしょ? だからてっとり早くクロード様を私のものにしてしまえば殺されずにすむと、そう考えて求婚しに参りました。うふふ、ご理解いただけました?」

「……ああ。よくわかった」


 クロードがしらけた相槌を返した瞬間、ぱっと周囲が星空だけになった。馬車が消えたのだ。

 頬を撫でる夜風と、眼下に広がる皇都。足元には何もない。


 当然、落ちる。


「君がどうせ理解できないだろうと馬鹿にして話していることは、よく理解できた」

「いっ――」


 悲鳴が落下に飲み込まれた。雲の隙間を突き抜けるスカイダイビングだ。


(嘘! 死ぬ!)


 恐怖で悲鳴も凍る。パニックを起こしたアイリーンは伸ばされたクロードの腕にとっさにつかみ、首に腕を回してしがみついた。それでも加速度的に増していく落下は止まらない。

 下からの強風に耐えていると、耳元でくすりと笑う声が聞こえた。背中から落ちていくアイリーンの視界いっぱいに、夜空が広がる。


(あ、流れ星)


 落下がやわらいだのはその時だった。

 クロードの靴先が芝生の上を踏む。クロードの首に抱きついていたアイリーンの足も、ゆっくりと爪先から地面に触れた。

 そのまま、へなへなと芝生にへたり込む――と同時に、怒鳴った。


「なんってことなさいますの! 殺す気ですか! 人でなし!」

「ああ。僕は魔王だからな」

「開き直りましたわね!? 一体どういうつもりでわたくしを墜落死させようとなさったの!」

「夜会には出席しよう」

「――え?」


 唐突な承諾に、怒りが削がれた。へたり込んだまま、芝生の上に立つクロードを見上げる。


「それで貸し借りなしだ」

「ど、どうし、ましたの。いきなり」

「どう、とは?」

「……どうして、笑ってらっしゃいますの」

「ああ。笑っているのか、僕は」


 壮絶に妖艶な笑みを口元に浮かべているご本人には、自覚がなかったらしい。


「魔王らしい感情だな、と我ながら思うな」

「説明を――いえいいです、なんだか嫌な予感が」


「君を泣かせてみたくなった」


 は、と言葉が空気が抜けるような音に変わった。


 とんと軽い音を立ててクロードが地面を蹴り、夜空に浮かぶ。その背後でまた流れ星が落ちるのが見えた。今日はよく流れ星が落ちる日だ。

 いや、そうじゃない。クロードの感情が流れ星を落としている。やたらときらきら星が輝いているのはそのせいだ。


(そ、それってどういう感情!?)


 呆然とするアイリーンをドートリシュ公爵家の中庭に放置して、赤い瞳の美しい魔王は、三日月の夜空に姿を消した。



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