13
ゲームの舞台になっている学園は広い。
むやみやたらにさがすのは体力の無駄だと分かっていたので、アイリーンはまず魔物を倒すイベントが起こる、寄宿舎裏へと向かった。
(マークスを見張ってもいいけれど、イベントが起こる前に魔物を見つけるのなら後手になるわ。そもそもイベントに関係ないのなら、マークスを見張っても意味がないし)
寄宿舎の裏門を抜けると、聖騎士団の訓練場へと抜ける石畳の道がある。聖騎士団の入団を目指すマークスは、授業が終わるとひそかにそこへと通い、訓練をつけてもらっている――という設定があった。その道すがら、魔物と遭遇するのがイベント内容だったはずだ。
その周辺で魔物の姿がないのならば、そもそも迷子の魔物がイベントと無関係という線も考えなければならない。
「あっさり見つかってくれると助かるのだけれど――」
「くっそ! 角が固い、木の棒じゃ無理だ」
「早くしろ、獣用の罠に引っかかってる内に殺すんだよ!」
「まず殴って弱らせろ! フェンリルを倒したなら、聖騎士団入りも夢じゃないぞ」
その短いやり取りだけで状況は察せられた。
拳を握ったアイリーンは、急ぎ足で寄宿舎裏に向かう。そして、何かを取り囲んでいる男子生徒の背中を見つけた。
同時に、がうがうと必死で唸っている、あどけない獣の影も見つける。
「角と牙は傷つけるなよ。フェンリルの角と牙は高く売れる――」
「何をなさっているの」
男子生徒達の背中が震えた。振り向いた顔を、素早くアイリーンは確認する。
(騎士爵の子息ばかりじゃないの。マークスをお坊ちゃんと影で馬鹿にしていた――そのわりには、情けないこと)
男子生徒の隙間から、いわゆるトラバサミに前足を挟まれた白の獣が見える。
小さくもふもふしているが、可愛らしい見目に反する鋭い角が額から二本生えていた。爪も大きく、どう見ても犬ではない。だが足に食い込んだ刃をどうにかしようと必死でもがいている姿を見て、なお痛めつけようと思える精神は、とても騎士道精神に見合わない。
嘲りを隠さず、アイリーンは優雅に微笑む。
「魔物を殺すおつもり? 不戦条約をご存じないのかしら」
「――ア、アイリーン様……退学なさったって、聞きましたけど」
「び、びびるなよ。こんな女……」
相手にする時間も惜しいと、アイリーンは男子生徒達の間をすり抜けた。
(確か、解除の仕方はお兄様に教えてもらったはず……!)
罠に手を伸ばそうとすると、横から唸り声と一緒にかみつかれた。
腕の衣服が裂ける音に、男子生徒達の方が悲鳴を上げる。
「かっ噛まれた!」
「お黙りなさい! ――賢い子だわ、この子」
血は滲んでいたが、肉をえぐり取られたわけではない。
まだ手加減しているのだろう。クロードの命令を覚えているのだ。
一息吐いて、アイリーンは唸る魔物の子供に微笑みかける。
「初めまして、わたくしはアイリーン。あなたを迎えに来ました」
手首をそっと魔物の子供の鼻先に差し出す。
ふわっと風に揺らいだリボンに、魔物の子供が目をまたたかせた。
「わかるわね? 痛いだろうけど、少し我慢して頂戴。動かれるとこの罠をはずしてあげられないの」
じっとリボンを見つめる目が迷っている。
だが次の瞬間、アイリーンの体が後ろ向きに引っ張られた。足首が嫌な音を立てたあとで、尻餅をつく。
「何をなさるの!」
「うるさい! 人間を傷つけたんだから、こいつはもう殺していいんだろう!」
再び全身の毛を逆立てて唸り声を上げている魔物の子供を、鍬を持った男子生徒が取り囲む。
「やめなさいと言って――」
途中で言葉が影に飲まれた。はっと顔を上げたアイリーンと同時に、男子生徒が情けない悲鳴を上げて脱兎のごとく逃げ出す。
ぬっと壁を飛び越えて地面に足を着け、現れたのは魔物。
罠にはまって鳴いていた子供が甘えた声を上げる。
(――これ、イベントの魔物……そうか、親!)
クロードの言いつけを破り、結界を越えてさがしにきたのだ。その瞳は怒りが燃えている。
この状況を見れば、当然だ。罠にはまって前脚から血を滲ませた子供。不自然に曲がった後ろ脚。人間に傷つけられた、そう考えない親はいない。
アイリーンを睨め付けた魔物が、恐ろしい牙が並んだ口を開ける。吠えようとする仕草に、アイリーンは咄嗟に声を上げた。
「待ちなさい! 吠えては駄目、人がくる!」
制止したアイリーンは、立ち上がろうとして膝を沈ませた。さっき男子生徒に押しのけられた時、足を挫いたらしい。だが歯を食いしばって、這いずりながら罠に手を伸ばす。
「怒るのは分かるわ。でも後になさい、今はこの子が先でしょう!」
吠えるのをやめた魔物がぎょろりと視線を動かす。その間に急いで罠の解除を始めた。兄に教えてもらった手順通りに操作すると、すぐに噛み合っていた罠が開く。
か細い声を上げて魔物の子供が、親の元へ向かおうとする。アイリーンは恐らく言葉が通じているだろう、親の方に声をかけた。
「子供を連れてすぐ人気のないところへいきなさい。クロード様が迎えにきてくれるわ。怪我も治してもらえるでしょう。森へ帰るのよ」
「……」
「早く行きなさい。あとはわたくしがなんとかしておくから、早く!」
既に背後が騒がしくなってきた。帯剣したマークスがやってくればイベントが始まる。さすがにマークスの剣の腕をしのげるほどの力はない。
魔物はじっとアイリーンを見ていたが、子供の首筋をくわえ、ひょいと壁を飛び越した。ほっとしたが、気が抜けたのは一息分だけだった。
「――アイリーン。どうして君がここにいる。自主退学したんだろう」
そこには、厳しい顔をしたマークスとそれに追従する生徒達、そしてリリアがいた。