恋とはどんなものかしら
◆9/1『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』3巻発売御礼挿話・第1弾◆
「セレナ! 昨日どーしてすっぽかしたんだよ!」
オーギュストの怒りの第一声が、皇城の洗濯場に響き渡る。
だが両手で洗濯籠を抱えたセレナは、冷たい目を向けてふいとその場を離れてしまった。
あっけにとられてしまってから、オーギュストはあわててそのあとを追いかける。
「ちょっおい、セレナってば」
「……」
「昨日なんで食事会こなかったんだよ、みんな集まってくれたのに」
「……」
「ひょっとして具合が悪かったのか? そうなら言ってくれれば」
「死ね」
鋭い眼光と一緒に言われた言葉が理解できなかった。だがはっと我に返り、その横に並ぶ。
「そんなんじゃいつまでたっても友達できないぞ」
「……」
「そりゃ色々気まずいのはわかるけど」
「死ね」
「だからなんでそういうことばっかり言うんだよ!」
「あんたがまるで男女の機微をわかってないお子様だからでしょ!」
倍の勢いで怒鳴り返されて、目をぱちぱちさせてしまった。そのまま置いておかれそうになって、慌ててその背中に追いつく。
(ええっと違う、そうじゃなくて!)
言いたいのはそういうことじゃないのだ。セレナとは感情的になってしまうことが多くて、会話がどうにもうまく運ばない。
「すっぽかしたのはいいんだよ、いやよくないけど。みんなに当然だって言われたし、俺だって反省した」
「……あんたが?」
不信いっぱいの表情だが、やっとセレナが視線をこちらにむけてくれた。大真面目に頷き返す。
「俺とまだ友達じゃないのに、女の子を男大勢で囲むのってデリカシーなかったよなって」
「……。やっぱり死ねばいいと思う」
「だからなんでそういう――じゃなくて! だから! 今度は俺と二人で出かけよう!」
セレナが足を止めた。
オーギュストは華奢なその背中にぶつかりそうになって、慌てて踏ん張る。
するとセレナが、壊れた人形のようにぎこちない動作で振り向き、呪詛のこもったこえで質問を返す。
「――今、なんて?」
「え? 俺と一緒に二人で出かけようって……今度の休み、一緒の日だし」
「なんで私の休みを知ってるのよ」
「ゼームスに調べてもらった」
「ああそう。今は公子だからって調子にのって、あの半魔」
舌打ちと一緒に吐き捨てられた。そういう言い方をしないで欲しいと言いたかったが、我慢する。
アイリーンに注意されたのだ。曰く、もう一度セレナを誘いたいなら、我慢の一手だと。
「……駄目か?」
あとは魔王様から授けられた秘技、上目遣い。
片方の眉だけをぴくりと上げたセレナは、しばらくオーギュストを見ていたが――やがてものすごく長く深いため息を吐き出し、その凍えるような眼差しから放たれたとは思えない答えを口にした。
「いいわよ」
「えっ嘘!?」
「やっぱり行かな――」
「わかった! 絶対だからな!」
不用意な発言で撤回されてしまったら台無しだ。
強引に待ち合わせ場所と時間を指定して、オーギュストはセレナと別れた――のが、数日前の話。
「なんとなく、こうなる予感はしてたんだよなー……」
その休日は一般的な休日で、オーギュストの目の前を親子連れや複数の友人達、あるいは恋人同士が通り過ぎていく。まず昼食からの予定だった待ち合わせ時間は一時間前。店の横に立っている時計台の長針は、ぐるっと一度一周してしまった。
(いやなんかあったのかも。それか時間、間違えてるとか)
二時間経過。
(……日を間違えてるとか?)
三時間経過。
(いやいや、ゼームスにもカイルにもウォルトにも散々こうなることは覚悟しとけって言われたし)
四時間経過。
(それでも諦めないって決めたのは自分だし)
五時間経過。
(……なんでこんなムキになってんのかよくわかんないけど。でもやっぱり、一時は友達だった子を放っておくのもあれだし……)
六時間経過。
(そういやなんで俺が出世したら、セドリック皇子の愛妾めざすのやめるって話になるんだろ。いいけどさ、やめるならなんでも)
七時間経過。
(っつーかこれいつまで待ってればいいんだ、俺。でも帰ったあとでこられたらなー……)
八時間経過。
(さすがに腹減ってきた……)
九時間経過。
(帰り時がわかんないんだけど……)
十時間経過。
「なにしてんだろうなー俺……」
真っ暗になった皇都の街並みを見つめながら、オーギュストはつぶやいた。店の邪魔にならないよう花壇の端っこでしゃがみこんでいるが、肝心の店はとっくに閉店している。
時刻はもう深夜に近い。最初ここにきた時の賑わいとはうってかわって、行き交う人は少なくなってきていた。
(……さすがにこれは怒ってもいいよな? 俺)
よし、明日怒ろう。
そう決めて、立ち上がる。長時間しゃがんでいたせいか、ほんの少し体がきしんだ。まだまだ鍛え方が足りない。
体も、多分心の方も。
肩から息を吐き出して、伸びをする。今日は満月のようだ。だから周囲が明るく見えるのか、などと思った時だった。
こつり、とヒールが石畳を叩く音が鳴る。
「――まだ待ってるなんて、馬鹿じゃないの?」
白のスカートの裾が広がり、ふわっと甘い匂いが夜風にただよう。灰銀の長いまっすぐな髪が、月光にきらきら輝いて見えた。
「セレナ……」
「普通、帰るでしょ」
呆れた言い方に腹が立たないと言えば嘘になる。嘘になるけれど、それ以上に。
「……俺の粘り勝ちだ」
ほんの少し笑うと、セレナがむっと顔をしかめた。
「言っておくけれど、通りがかっただけよ。待ち合わせにきたわけじゃないから、そのへん――」
「セレナ。俺ととりあえず友達になろう」
「馬鹿なの?」
「本気だよ」
眉間にしわを寄せてセレナが黙った。その顔をまっすぐ見つめながら、オーギュストは続ける。
「俺はセレナがゼームスにしたこと許せるわけじゃない。でも、……セレナをどっかで馬鹿にしてたのは本当だと思う。それでセレナが誰にも頼れずにああいうことをしたんだったら、俺だってきっと悪かったんだ」
「……」
「関係ないってゼームスとかは言うけど、俺、そうは思えないんだ。……俺はずっと思ってたんだから。なんでセレナはこんなに必死なんだろうって。でも思うだけだった」
自分勝手にきっと彼女は目立ちたいだけなのだろうと結論を出して、傲慢に笑い飛ばして、話を聞こうとはしなかった。
馬鹿にされていることなど承知で、それでも近づいてくる彼女の事情など歯牙にもかけなかった。
もちろん、セレナは悪い。許されないことをした。そこはオーギュストだってわかっている。けれど。
「……話くらい、いつだって聞けたはずなのにな」
セレナ・ジルベールは死んだことになっており、まっとうな人生を歩むのは難しいだろう。
そして時間は戻らない。
つぶやきはそのまま、後悔だった。
「つまり自己満足ね」
「そういう言い方――どわっ!?」
突然どさどさと荷物を押しつけられ、視界が箱の山で埋まった。ぐらぐらする上の丸い箱を落とさないよう、オーギュストはバランスを取りながら叫ぶ。
「な、なんだよこれ」
「友達なんてお断りよ。でも荷物持ちにくらいならしてあげる」
「はあ!? おい、ちょっ」
ひらりとスカートの裾を翻してセレナが歩き出した。押しつけられた荷物を持ったまま、オーギュストはそのあとを追いかける。
「ちょっと待てって、セレナ! なんだよこの荷物」
「今日の買い物。この間の結婚式の護衛、けっこういい額が入ったから使っちゃった。さっきまで他の人に荷物任せてたんだけどさすがに自分で持つと重いし」
「そりゃあこの量は……って今日出かけてたのかよ!? 誰と!? また誰かたぶらかしてるんじゃないだろうな!?」
「あんたに関係ないでしょ」
「っていうかなら俺と出かけてもよかったんじゃ――」
オーギュストの批難を、ぐううと間抜けな音が遮った。
盛大になった腹の音にセレナが振り返る。
「何? まさかあんた、食べてないの」
「お前のせいだろ……!?」
「食べる?」
差し出されたのは、三角の紙袋におさまったワッフルだった。さっきから甘いいい匂いがしていたのはこのせいかと、オーギュストはやっと気づく。
(え、いや、でも食べるって)
両手のふさがっているオーギュストに、セレナがワッフルを差し出した格好のままで待っている。
つまりこれは、いわゆるあーんの体勢だ。
緊張してきた。ゼームスの手から勝手に食べ物を取ったりするのは全然、平気なのに。
ごくりと唾を飲みこんでから、おそるおそる顔を近づける。
ワッフルが口に入る――その直前、さっとワッフルを引っ込められた。
「……」
からかわれた。よりによって待ちぼうけをくらわされて、心底腹が減っているこんな時に。
ふつっと怒りがわいて、はじける。
「セレナ……!」
「ばぁか」
――けれどその怒りは、月明かりの下の笑顔に、あっさり霧散した。
それは、馬鹿にした嘲笑でもなく、媚びを売った偽物でもなく、本物の、ただの女の子の。
「ほんと男って単純」
「……」
「何? 怒ってるの? だったら荷物置いて帰ってもいいわよ」
「……もう一回」
声がかすれた。なに、と振り向いたセレナに、オーギュストは続ける。
「もう一回、笑って」
――失敗したと悟ったのは、沈黙のあとにセレナが眉を吊り上げた瞬間だった。
言い訳を口にするより先にワッフルを口につっこまれ、背を向けられる。
「ほんっと男って最低」
そういうんじゃなくて、という言葉はワッフルのせいで声にならない。
(かわいかったのに)
でもそう言ったら余計怒らせるだろう。それに、ひょっとしたら幻だったのかもしれない。
(あーあ。まず荷物持ちかあ)
友達までの道のりは遠そうだ。ため息が出そうになったがこらえて、月明かりの通路を進む。
どうしてだか、まあいいかと思う程度には気分がよかった。
■
背後から鼻歌が聞こえてきた。相変わらずわけのわからない男だ。荷物持ちにさせられて、鼻歌まじりについてくるなんて。
(ほんとーに馬鹿。心底馬鹿)
だが、その調子なら気づかれていないのだろう。
自分の顔が真っ赤になっていることも、やたらうるさい心臓の音も。
これは怒りだ。
決して決して、笑ってなんて請われたからではない。いつもの苛々する人なつっこい表情とは全然違う、胸を奥までそのまま見透かすような眼差しとかほの暗い甘さを含んだ声色にあてられたわけではない。
――あなた、ただの女の子みたいに、打算もなにもなく恋をしていい普通の時間が欲しかったんでしょう?
何もかも見透かした顔をした嫌な女の顔が浮かんだけれど、そういうのは全部、一年ともたなかった学園生活で捨ててきた。
恋なんてする時間も、憧れる時間もない。そんな馬鹿な夢を見て若さを浪費すれば、あっというまにいい条件の男を逃してしまう。いつまでも惨めな人生に甘んじていたくない。
「セレナ、今度はちゃんと時間に合わせてこいよ」
「……あんたまだ懲りないの?」
「懲りないよ」
それでも落ちてしまうものが恋なのだとしたら、それはどんなものだろう。
一度はこの人ならと夢見た男が、人の気も知らず屈託なく笑った。




