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 玉座に座り、誰もいない大広間を見渡すのが、一番落ち着く時間だ。

 ピエール・ジャンヌ・エルメイア皇帝は頬杖をついたまま、ひそかにため息を吐いた。


「もう余の手には負えぬ。お前がなんとかせよ、ルドルフ」

「なんとか、とは?」

「なんとかだ! おぬしの娘がことの発端だろう……! 会うことはまかりならんという母上の忠告を無視して騒ぎをおこし、あげく息子を魔王に戻そうとするとは」

「そう言われると返す言葉がありませんなあ、はっはっは」


 宰相の笑い声が空々しく響いた。

 ピエールは深く長く、もう一度ため息を吐く。


「……なぜこのようなことになったのか。余は皇帝の器などではないというのに」

「何をおっしゃる。わが娘の処刑と魔物の討伐を命令したのは陛下でらっしゃいますよ」

「しかたなかろう。お前と母上なしに余にできることは、父親であることくらいだ」

「……皇太子殿下が魔王に戻らなければ、陛下のご命令は英断となるでしょう。クロード様が皇太子に戻られて以来周辺諸国が騒がしい。不穏な動きもあります。やはり魔王が皇帝に、というのはなかなか困難であると私も思います」


 思えば、セドリックが公爵令嬢を暴行した事件から、面倒続きだ。

 もみ消せればよかったのだが恐ろしく精密な証拠をそろえられ、セドリックの立場を守るには要求通りクロードの皇位継承権を戻すしかなかった。一方でドートリシュ公爵令嬢が皇族の婚約者になってくれたのは政治的にはありがたい話で、クロードが魔王であるということだけが難点だった。

 それも今回の記憶喪失騒ぎで払しょくされ、すべてがうまくいくと思ったのに。


「ですが、皇帝陛下。僭越ながら同じ父親として、子どもは成長すると申し上げたい」

「それはそうだろう。いつまでも子どもでいてもらっては余とて困る」

「あなたのおかげで面白いこともありました。ですので、後始末はおつきあいしますよ」

「? 何を言っている――」


 ぎいっと、天井まである両開きの扉が重々しい音を立てて開いた。


 薄暗い王座の間に、まっすぐ扉から光が差し込み、二つの影が伸びる。

 こつりと静かな靴音と、床を引きずる衣擦れの音。痛いとわめいているのは――母親だ。頭を片手でつかまれ、腰を落とした状態で引きずられている。


「母上! クロード、な、何をしている母上を放せ!」

「ピエール! ピエール、この子を止めてちょうだい、痛い、痛い!」


 少女のような母親の体が、壇上の玉座まで投げ飛ばされた。まるで荷物を扱う乱雑さだ。

 足元に落ちた母親の姿に、冷や汗が流れる。


 恐る恐るうかがった息子の両の瞳は、赤。


「アイリーンは、ああ見えて意外とかわいらしいところがあるのです、父上」


 穏やかに微笑みながら、魔王が一歩ずつ、王座に向かって歩いてくる。


「家族にきちんと認められて結婚したいと思っているし、僕の人間関係が希薄なことも気にしている。だから彼女の願いをかなえてやりたいと思ってました」


 クロードが玉座を登るための大階段の手前で、足を止めた。


「だがそれで甘い顔をしていたらこれだ」

「ピエール……ピエール、何をしているの兵を呼びなさい! 誰か」


 叫ぼうとした母親の喉がひゅっと鳴った。

 突如としてクロードの横に現れたのは、妙に部品の多い、大きな柱時計だった。確か母が大切にしていた魔法具だ。

 そっとクロードが魔法具に手を当てる。同時に光り輝きだした。内側から炸裂する光に、目をむいた母親が髪を振り乱して絶叫する。


「やめっ……やめてやめて、それだけはやめてえぇぇ!」


 だがその願いもむなしく、その時計は内側からはぜた。ばらばらになり燃え尽きて、ただの灰の山になる。

 呆然と、母親がその場でへたり込む――が、すぐに怒りに目をもやし、紅を塗った爪で大理石の床をひっかいた。


「よ、くも……! よくも、この化け物が!」

「ひどいことをおっしゃる。僕はあなたが毎日必要としたものを作ることができるのに」


 そう言ってクロードがその手に、青い飴玉のようなものを取り出した。

 母親が目の色を変えて、階段を転がり下り、息子が持つその青いものに手を必死で延ばす。


「それを、それをよこしなさい。妾に早くっ……早く!」


 だがクロードは一度手を振って、手品のようにそれを消してしまった。

 悲鳴を上げた母親が、その足元にすがる。


「な、なにが望みなの。あの娘の命? 魔物の討伐命令の撤回?」

「……は、母上」


 何かにすがる母親の顔を、ピエールは初めて見た。いつもこの世はわが物とばかりに振る舞うあの強さは、見る影もない。

 それはどうしてだか、想像以上の衝撃をピエールにもたらした。

 喉を鳴らし、息子を見る。いやもう、息子とは思えなかった。


「お願いだから……お願いだから、クロード!」

「父上とおばあ様には療養が必要なようだ。そうでしょう?」


 すがりつく母親を無視して、クロードが階段の一段目に足をかけた。


「僕の婚約者を処刑しようとし、魔物を討伐しようとした。そんな馬鹿な皇帝勅命が出るなんて、お疲れだとしか思えない。僕が皇位継承権を放棄した理由も、取り戻した理由も忘れて」

「そ、れは」

「ゆっくり養生してください。北の流刑地あたりで、皇太后と、のんびりと。大丈夫、即位式には呼びます。その時には先程の青い飴玉を贈りますので、ぜひ祝いに駆けつけていただきたい」

「だめよ、今すぐ、明日、わらわの顔が、肌が」

「お、お前は、まさか父親と祖母を追い出そうというのか、皇都から」


 震える声で尋ねた。

 人とは思えない美貌の微笑が、下から一歩一歩、階段を登ってくる。


「簒奪したなどと言われては、アイリーンにいらぬ苦労をかけてしまう。そうだな、一年ほどの療養ののち、皇帝の執務を代行していた皇太子に譲位するというのはどうだろうか? ドートリシュ宰相」

「……よろしいと思いますよ。いやはや、娘のためにそこまで気を回して頂けるとは」

「ルドルフ、お前まで、何を」

「ピエール皇帝陛下。クロード殿下は陛下に休暇をと言ってらっしゃるのですよ。……それで今回のことを呑みこむとおっしゃっておられる」

「呑みこむ、だと。……なんだそれは、何様のつもりだ! ち、父親に向かって!」


 くっと喉で笑ったクロードが、王座まで昇る。


「セドリックはこれから先、僕に不満のある者達をあぶり出すため不自由な監禁生活を送ると誓うことで、自分の価値を示してくれた。立派な異母弟だと思う。――だが、あなたを父親だとは思っていない。僕も、おそらくセドリックも」

「な、ん……」

「なぜならあなたは父親ではなく、あの女の子どもだからだ」


 それは当たり前で、でも思いもよらなかったこと。

 震える手で肘掛けをつかむ。ルドルフが静かに目を伏せた。


「……皇帝陛下のお住まいなどについては、私が用意してかまいませんな」

「まかせよう。お前も一年もすれば暇になるだろうからな」

「承知しております。ですがどうか、クロード皇帝陛下。それでもあなたの父親です」


 一度だけ、息子が目をまたたいた。ピエールは顔を上げる。

 久しぶりに間近で見た息子は、もう自分より背が高い。いつ追い越したのか、そんなこともわからない父親だった。


「もうその重い椅子に、座らなくていい。だからどうかお元気で――父上」


 でもその短い言葉が、息子の精一杯の優しさだとはわかる、それだけの父親だった。




いつも読んでくださってありがとうございます。レビューも感想もブクマも評価もとても励みになっております。


更新ですが、お仕置きタイムも終わったのであとはエピローグのみとなります。ちょっとエピローグは見直しが必要なので、お時間ちょっといただいて、明後日に更新します。

最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

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