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26

 がくんと沈んだアイリーンを、クロードが支えて東屋の椅子に座らせてくれる。

 だが妙なスイッチでも入ったのか、そのまま唇を耳朶に寄せてもう一度ささやいてきた。


「アイリーン」


 ひいっとアイリーンの喉が鳴る。クロードが喉を鳴らして妖艶に笑った。


「なるほど。……口で言うほど君は男慣れしていないんだな?」

「そっ……そんなことありませんわ、この、わたくしが、そんなことあるわけ」

「なら、もう少しためしてみよう」

「――もう一度ひっぱたきますわよ! わたくしとは婚約破棄するんでしょう!?」

「ああ……そういえば順番を間違えているな」


 はたと我に返ったような顔で、クロードが身を起こす。ほとんど押し倒されかけていたアイリーンをぐいと引き起こして、乱れた髪までなでて整えてくれた。


「アイリーン」


 満月の、明るい夜だった。月明かりに照らされるクロードの顔がはっきり見える。


「僕は君を愛している」


 少しはにかんで、クロードがそう言った。

 瞠目したアイリーンは、馬鹿みたいに復唱する。


「……愛して?」

「愛している」

「わたくしを?」

「君を」


 恥ずかしそうに頬を染めているが、可愛いとかない、あり得ない。とても一方的に理不尽すぎて、乾いた笑いが浮かぶ。


「……今更……そう言えば許されると思ってらっしゃる?」

「わりと」


 真顔で返され、がんと拳でアイリーンは東屋の石壁を叩いた。


「き……切り落として、やりたい……!」

「婚約者相手とはいえ、大胆だな君は」

「本気ですわよ! わたくしがどんな想いで……っ」

「……僕を許せないと言うならこうしよう、アイリーン」


 両手を取られ、完璧な輪郭をかたどる頬に導かれた。アイリーンの両手の中で、凄絶な美貌が月明かりに微笑む。


「君の気が済むまで、僕を好きにしていい。――この顔も」


 体も。


「できるかあぁぁぁぁぁぁ!!」


 両手を振り払って心の底から叫んだ。クロードは頬を染めて長い睫を伏せる。


「そうか、残念だ。君が何をするのか、どきどきしたんだが……」

「今までと言ってること真逆ですわよ、自覚あります!?」

「恋は人を変えるものだ」

「かっこよく言えば許されると思ってっ……掌返しがすぎます!」

「許せないなら僕をめちゃくちゃにして欲しい、君の手で」

「――もういいです、許せばいいんでしょう許せば……!」


 この顔にあやしげな台詞をささやかれるだけで疲弊する。

 情けなさと恥ずかしさで両手で顔を覆うと、クロードが立ち上がった。


「もうそろそろ戻ろう。君と踊らないと周囲に示しがつかない」


 それは、アイリーンがまだクロードの婚約者だという意味だ。


(……わたくし、婚約破棄、されないんだわ……)


 実感がわいたのは、クロードが目の前に手を差し出した時だった。

 手を取らないアイリーンにクロードが首をかしげる。


「どうした?」

「あ……さ、先に行ってください。わ、わたくし、お化粧を直してきます! 身支度も」


 一応化粧はしているが、アヒルのまま帰るつもりだったので、チェックが甘い。ドレスに映えるようにもしていない。アヒルの中にいたせいで髪もぼさぼさだ。

 アイリーンを無理矢理立ち上がらせたクロードが、腰を抱いてささやく。


「そのままで十分綺麗だ。今は君を離したくない」

「こ、皇太子の婚約者がそういうわけには参りません。こんな格好でクロード様と踊るくらいなら、アヒルに戻ります!」


 アヒルという単語にクロードが顔をしかめた。東屋からアイリーンの手を引いて出て、小道を少し進んだ明るい場所で手を放す。


「わかった。アヒルにならないと誓うなら待とう。僕は先に会場に戻っている」

「は、はい。少々お待ちくださいませ……!」


 急いできびすを返し、レイチェルを探す。案の定、優秀な侍女は待ち構えていたように、そっと脇道から姿を見せた。東屋を遠目で確認していたのだろう。たとえ婚約者相手でも、令嬢と若い男性を二人きりにせず見張るのは侍女の基本である。


「レイチェル。化粧道具は持ってきているわね?」

「はい、もちろんです」

「なら急いで直しをお願い。……ク、クロード様と踊るの」


 舞踏会に出ない、二度目の婚約破棄もどんとこいと言っていた手前、気恥ずかしくて少し声がすぼむ。だがレイチェルは柔らかく笑った。


「さすがです、アイリーン様。ひっぱたいて落としましたね!」

「……え? そこなの? そこだったの!?」


 愕然とするアイリーンに、侍女になってから肝が据わったレイチェルは微笑み返すのみだ。

 手早く控え室に案内され、アイリーンは鏡台の前に座った。


「道具を取って参ります。少々お待ちください」


 頷くと、レイチェルは出て行った。まだ舞踏会が始まったばかりなので、控え室には誰もいない。自然と頬が緩む。


(……クロード様が、わたくしを、愛してるって……)


 二度目はなかった。

 記憶喪失でも、クロードは自分を選んでくれたのだ。


「――お幸せそうですね、アイリーン様」


 喉元に突然、刃物が光った。

 気配もなく背後を取った相手が鏡に映る。瞠目したアイリーンは、ゆっくりと名前を呼ぶ。


「……エレファス。なんのつもりなの?」

「本当にあなたは魔王の愛を勝ち取ってしまわれた。まさかと思ってましたが……」

「こちらの予定通りでしょう。なにか問題があるとでも?」

「このままだと魔王の記憶すら取り戻すかもしれません。それは困る」


 自分の読み違いに眉をひそめた。だがエレファスは本来、クロードを魔王に戻すキャラのはずだ。ゲームの設定通りでないことは今までにもあったが、真逆というのは珍しい。


(……わたくしの手落ちだわ。ゲームの設定に目を取られて、エレファスの攻略を怠った)


 いくらクロードのことがあったとはいえ、ミスはミスだ。

 エレファスがアイリーンの金色の髪を一房、手に取る。そこに敬意をこめるように口づけ、冷たい瞳で鏡越しにアイリーンを見据えた。


「あなたはとても魅力的な主君だった。……もっと早く出会いたかったですよ」

「あら、どなた? わたくしをふるほど魅力的なあなたの本当のご主人様は」

「化け物みたいに恐ろしい方ですよ」

「なら、わたくしが囚われのあなたを助けてあげないとね」


 不適に笑った次の瞬間、アイリーンは出現させた聖剣の切っ先をエレファスの喉元めがけて突き出す。

 聖剣はすべての魔力を無効化する。いくらエレファスが優秀な魔道士だとしても、魔王すら斃すその力の前には為す術もない。それをわかっているのか、エレファスは動かない。


 ただ、その掌を上に向け、鳥籠を出現させた。


「!!」


 その切っ先が届く前に、聖剣を消す。


 銀色の籠に閉じ込められているのは、赤い蝶ネクタイを首にしたカラスだった。

 胸は上下しているが、いつものかしましい様子など嘘のようにぐったりと動かない。


「もちろん生きていますよ。まだ」


 尋ねる前にエレファスが答えて、そのまま鳥籠を消した。おそらく見えないだけでそこにあるのだろう。わかりやすい脅しだ。


「本当に魔王の魔物達は純粋で、そして愚かだ。俺を疑いもしませんでした」


 エレファスは胸元から小瓶を出す。そして失礼という一言と一緒に、その中身を動けないアイリーンめがけてぶちまけた。

 ドレスにしみが広がり、覚えのある甘ったるいにおいが漂う。希釈されてはいるらしいが、魔香だとわかった。


「……クロード様からいただいたドレスを台無しにしたこと、後悔させてあげるわ」

「そんなこと言わないでください。貴重品なんですよ。教会でももう手に入らなくて」

「それで? わたくしは何をすればいいのかしら?」


 毅然と顔を上げたアイリーンに、エレファスは優しく笑い返す。


「僕は舞台裏の人間です。あとは用意した役者達が円滑に進めてくれますよ。――レスター様、ここです! 仰るとおりでした、アイリーン・ローレン・ドートリシュが魔香をまいた!」


 エレファスの声を合図に控え室の扉が開き、衛士達が乗り込んできた。そのうしろから、片眼鏡の駒が現れる。


「残念ですよ、アイリーン・ローレン・ドートリシュ嬢。こんな罠にはまるとは」


 下手な演劇の始まりだ。集まった大根役者達に、アイリーンは悪役令嬢らしく微笑んだ。






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