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「夜会? 今のわたくしにですか」
夜会は集団見合い、結婚相手を探す場所だ。婚約破棄されたアイリーンは当分自粛するのが普通で、招待する側も外聞の悪い娘を呼びたくないと声をかけなくなるものだ。
「一体どこの空気が読めない馬鹿からのお誘いですか」
「セドリック様とリリア様からだ」
めまいがした。
「あ、手紙も入ってるよ。リリア様から直筆の。内緒ですけど婚約発表もかねるので、是非お出でくださいっていう。実は私も呼ばれてる。大物だねぇ、リリア様は」
「……そう、ですわね……わたくしも見習いたいですわ……」
うつろな笑みを浮かべながら、アイリーンはかろうじて頷いた。
そこへルドルフがさらに追撃する。
「この夜会ではお前から譲り受けた会社を元に、セドリック様が新しい政策をお披露目するらしい。同時にお前は婚約破棄のサインを皆の前で署名しろ、とのご命令だ」
――つまりもう一度、公の場でセドリックにふられろ、ということだ。
婚約破棄の書面へのサインなど、内々にすませられる。それをわざわざ公の行事にするなんて。
(……どうしても、わたくしをやり込めたいのね)
そこまで嫌われていたのか。知らなかった。本当に知らなかった。
でもこれはきっと、嫌われ者の定番の言い訳にすぎないのだろう。
「さらに、事業譲渡の承諾をサインして欲しいそうだ。公に頭を垂れることによってお前の悪評を少しでもおさめてやろうという、慈悲だそうだよ」
全ての感情を押し殺して、アイリーンは肩から息を吐き出した。
「……つまり、欠席したらセドリック様の慈悲をはねつけたことになり、出席したら事業を乗っ取られた挙げ句公衆の面前で二度目の婚約破棄をされる。どちらでもいい笑い者ですわね」
「それで、お前はどうする?」
普通に考えれば選択は断るの一択だ。どちらでも好き勝手言われるのだから、サインだけ送りつけて欠席する方が面目は立つし時間も無駄にしない。嘆いてみせれば周囲の同情もひけるかもしれない。
――だが、しかし。
「出席致します。喧嘩を売られたら買って叩き返す主義なので」
あれだけ啖呵を切っておいて、今更しおらしくしてもしょうがない。同情もまとめて蹴飛ばしてやると、アイリーンは微笑む。ルドルフが満足そうに頷いた。
「いいねえ。それでこそドートリシュ公爵家の娘だ。ここまで馬鹿にされて尻尾巻いて逃げるような娘なら、公爵家から除籍して下町にでも放り出してやろうかと思ったよ」
この父親なら泣き真似をしながら嬉しそうにやりかねない。頬を引きつらせつつ、アイリーンはゆったりと頷いた。
「常識知らずとお父様も悪く言われるかもしれませんが」
「大丈夫だよ。ちゃんとアイリーンのかげ口をたくさん聞いてうんうん頷いて謝罪して、あとからリストに名前を書くよ」
「なんのリストか聞きませんが、お父様がよろしいのならそれで」
「じゃあついでに夜会までに事業の損失分を、ドートリシュ公爵家に補填しなさい」
なんでもないことのように言われて、眉をひそめた。
「さらっととんでもない要求を突きつけないでください。損失を補填って、また新しい会社でも起ち上げろと? わたくしはお兄様達ほど優秀ではありませんのよ。しかも二ヶ月でなんて」
「それは自分で考えなさい。お父様は皇妃にもなれず、疵物のままですごす娘など持った覚えはないよ」
にこりと笑う父親の目が本気だ。
ふと背筋が寒くなった。夜会で欠席を選び、家と自分の名誉を回復しようとしなければ、本気でこの父親は、公爵令嬢としてのアイリーンを切り捨てるのかもしれない。
セドリックは皇太子だ。アイリーンはいずれ皇帝になる人間から疎まれた。
どこかで巻き返せなければ、疵物の令嬢としていずれドートリシュ公爵家のお荷物になる。
(確か、ゲームでも平民に落ちる展開があったような……うっすらとしか覚えてないけど)
微妙に今、何かの不幸フラグを回避したのかもしれないと思うとほっとする。
それに、父親の要求をこなすアテがないわけではない。今ならまだ、父親――ドートリシュ公爵家の力もある程度は使えるだろう。
(あとはクロード様ね……それも感触が悪かったわけではないし。なせばなる、よ)
腹は括った。その分、今夜はよく眠れそうだった。
――が、その夜。夜中に飛び起きたアイリーンは叫ぶ。
「夜会に出席の方が下町に放り出されるフラグじゃないの! なんなの、この記憶の取り戻し方の出遅れ感は!! 神様の嫌がらせ!?」
真っ暗な天井に向かって吠えたアイリーンに答えてくれる親切な神様は、当然、いない。