七章-4
イツキの不穏な言葉を皮切りにゲームの準備が進む。 ゲームというのは勿論テニスの試合のことだ。
ルールはシングルで、 一ゲーム四ポイント制の三ゲーム先取で一セット。 二セット取った方が勝ちという短いものを採用。 黄金の航海者のテニス部はいつもこのルールで試合をしているらしい。
因みにコートはクレイコート。 全仏オープンなどで使用されているもので、クレイは「土」という意味だ。
「ケンジさん、 テニスのご経験の方は?」
「正直に言おう。 テーブルの方しかない。 それも遊びでだ」
「それでどう戦うつもりですの……?」
ケンジは悩むように腕を組み、 しばし時間が経つ。
「フィーリング」
「つまり、 策は何も無いと」
「おう、 フィーリングの意味わかった?」
「流石にその意味はわかりますわ! って、 そうではなくて! 策が無いのであれば、 イツキさんには勝てないと言いたいのですわ!」
まあ、 そうだよなあ。 とケンジは呟きながら、 腕時計を外し、 カスミに投げ渡す。
そんなこと、 イツキを直に見ればわかる。 運動神経の良さそうな体格。 魔法を長い期間、 高純度で扱い続けた者によく見られるオーラ。 そして何よりこの学園においてはトップに立つ魔導長だ。
勝てるのか。 勿論負ける気は無い。 だが、 カスミの心配はもっともだ。 そもそもこのテニスは普通のテニスなのか?
「イツキ先輩、 このテニスは魔法を使っても良いんですか?」
「ん? 逆に使っちゃいけない理由はあるのかな?」
まさかの返し言葉。 思っていたよりも強い意志のこもった言葉だった。
「私らは魔法使い。 魔法は息をするのと同様なもの。 使っちゃいけないなんて考え方はそもそもしちゃいけないんだよ」
その言葉は、 魔法を秘匿扱いする人たちと、真逆に位置する言葉だった。魔導長なる者が、 そういった類の言葉を口に出すのは如何なことか。 しかし、ケンジ自身の本音としては
「……イツキ先輩、 貴女とは仲良くやっていけそうですよ」
ケンジの言葉にイツキは驚いたように、 目をパチパチと瞬かせると
「ふっ、 詳しい話は後で聞こうかな」
二人の準備が完了し、 イツキがラケットを構え、 ボールをバウンドさせる。
「じゃあ、 行くよ?」
「お願いします」
イツキがボールを高く上げる。
見えたのはそこまでだった。
ズバンッ!
『サービスエース! フィフティーン・ラブ』
マイクを持った生徒が声高々にイツキのサーブが得点になったことを伝えて来る。
(はっえ……)
ケンジに冷や汗が流れる。 成程、 今のは無属性魔法で筋力を瞬間的に上げたのか。 微かに風属性の魔法も使われているのがわかる。
(こりゃ、 魔法使わないと戦うこと自体無理だな)
ケンジは苦笑すると、 次のサーブを待ち構える。
「意識の切り替えは早いね。 そこにも好感が持てる、 よ!」
先程と同じく早すぎるサーブ。
生徒がまたマイクを口元に近付け、 イツキの得点を宣言しようとするが
(させるかよ!)
ケンジは己の身体に雷属性の魔力を流し込むことにより、 多少無茶だがボールの方向に身体を動かす。
ツーバウンドする正にその直前にケンジのラケットが届く。
周りの息を呑む音が聞こえてきそうだ。
しかし、 返したボールが高過ぎた。 返すところまでは良かったが、 ギリギリアウトになるだろう。
イツキはそう思い、 ボールの行方をよく見ていなかった。 が、 それでもボールが不自然な動きをしたのが、 視界の端で見えた。
「えっ?」
気付いた時にはボールは線の上でバウンドし、 そのまま転がっていった。
『っ、 フィフティーン・オール』
ケンジがやったのは、 別になんてことは無い。
上まで高く上げてしまったボールを少々無理矢理にコート内に落としただけだ。 イツキなら、 直ぐに反応し打ち返してくる可能性もあったため、 線の上にしたのだが。
「うん、 さっきの私の言葉。 すぐに理解してくれたみたいだね。 魔法を扱うのに躊躇してはいけないんだよね」
「身に染みましたよ。 テニスに慣れてない俺が、 イツキ先輩に勝つには魔法にでも頼んないと無理ですからね」
お互いに相手の性格を理解し、 ここから試合は猛スピードで行われることになる。
その頃、
コンコンコン。
ドアをノックする音が三回響く。 それは、 室内に居る人物が、 ノックをした人物よりも立場が上だということを示すものだ。
「どうぞ」
返ってきたのは若者独特のハリのある声。 しかし、 返ってくる声としては些か不自然なものだった。
ノックしたドア、 その目線の先には「学園長室」と書かれている。
学園長にも若い人物がなることはあるが、 それでも四十路を過ぎた人物を「学園長としては若いですね」ぐらいで表現するものだ。
しかし、 返ってきた声はどう考えても二十代前半ぐらいものだ。 いや、 若しかしたらまだハタチにもなっていないかもしれない。
だが、 ノックした人物は構わず室内に入っていく。 中には難しい顔をしてデスク上のパソコンを弄っている的葉アンヌが居た。
「どうした? ハノネ」
ドアをノックしていた人物。 藤山ハノネは四つ年下である上司に部下としての態度と言葉で
「今年もまた、 あの行事のお知らせがヴァチカンから来ましたよ」
「行事ってーと、 MMSか」
MMS。 魔法界 魔法学園 最強決定戦(Magic World Magic School Strongest Battle)の略称だ。
世界にある魔導王が学園長を務める七つの魔法学園が集まり、 武の一位を決める大会。
毎年、 九月に行われるもので一ヶ月間という長い期間をその大会で消費する。
内容は全て、 中等部から大学部までの無差別マッチとなっているため、 年齢による経験則が物を言う大会になってしまっているのが、 大きな問題点となっている。
無差別マッチと言っても、 がむしゃらに戦うわけではなく、 運動会や体育祭のような競技も複数ある。 そもそも、 乱闘のような試合だけで一ヶ月ももつわけが無いのだが。
因みに、 参加することが出来ない幼稚舎と小学部の生徒たちはその間、 所謂夏休み期間に突入する。
厳密には黄金の航海者には夏休みが無いため、 学園に来て、 その敷地内で遊び放題という時間になる。
勿論、 MMSの生中継が学園に流れるため、 テレビに釘付けになる生徒も多い。
大会はこれまで十二回行われており、 黄金の航海者は七回の最多優勝を誇っていた。
「選手の選定に時間が掛かるんだよなあ、 これが」
「まあ、 全ての行事はそういうものだと思いますが」
アンヌの思わず漏らした愚痴に律儀にツッコミを入れるハノネ。
この二人は性格的には真反対に居るように思えるが(実際そうなのだが)、 相性自体は完璧に合っている。
「まあ、 魔導長を入れるのは当然だとして……、 問題はケンジか?」
「や、 男子を連れて行くのはどうかと……」
アンヌの発言にハノネが軟らかに否定の態度を示す。 が、
「そうも言ってらんねーんだよ。 今年は銀の盾があの生徒会長を出すだろうからな」
「銀の盾の生徒会長……。 あの生徒ですか!」
銀の盾。
日本語を公用語とする、 黄金の航海者と同じく日本から独立する形として学園都市、 そして学園国になった魔法学園の一つだ。
特徴としては、 武器の製造に長けているということ。
黄金の航海者の生徒たちが扱っている魔導書も、 魔法をより効率的に扱うために銀の盾が確立したものを流用しているに過ぎない。
現在、 生徒たちの何人かはケンジが製造し、 緊急任務の際に発信機としても使われた物をそのまま使用しているが、 本来は武器を製造するのは銀の盾の分野である。
因みに、 黄金の航海者の特徴は情報に長けていること。
この情報が集まって来るという点で、 ケンジはこの学園に転入している。
さて、 アンヌたちの語る「生徒会長」とは何者なのか。
名は透紙ナル。 年齢は二十二歳。名門、 透紙家の末裔として幼少の頃から魔法界にその名が知れ渡っている存在だ。
透紙家はその名を轟かせながらも、 詳しい内情について全く漏らさないという謎の一族になっている。
情報集めに長けている黄金の航海者でも、 判明していることは極僅かだ。
・どうやら血を扱う魔法に長けていること
・それ以外の基本魔法に関しては平均的
・自らの運動神経を軸とする戦闘をすること
主にこの三つしか判明していない。
しかし、ナルは基本魔法のステータスも優れているという情報さえある。
今回のMMSは銀の盾が本命との流れもある。
その空気を自分たちの流れにするには……
「ケンジくんが必要というわけですか」
「癪だけどな」
「そんな身も蓋もないことを……」
ハノネが呆れた様に息を吐くが、 アンヌはそれに畳み掛ける。
「だってよ、 これまでは普通にオレたちが優勝して来たのに透紙ナルが出て来るってなったら、 やべえやべえ言われて現にオレたちはケンジに頼るんだぜ? 癪って言葉も出てくるだろうがよ」
「そもそも何故今年急に透紙ナルが、 出てくることになったんです? 生徒会長とは言え、 これまで不参加だったのに」
ナルはその名を広く知られていながらもこれまでのMMSを見送って来ていた。 その理由は未だに不明だが、 同様に今回の参加を決意した理由も不明なのである。
「そのことなんだが」
アンヌがハノネに手元の資料を渡しながら説明を始める。
「フレグランスっつー組織が、 どうやらMMSにちょっかいを掛けてきそうだって話が来てな」
「フレグランス、 ……フレグランス? 確かケンジくんの幼馴染を攫って行ったのも……」
「そうだ、 そのフレグランスだよ。 だから尚更、 ケンジは絶対に連れて行かなくちゃならないんだ。 MMSは将来有望な魔法使いが集まる最大の式典。 犯罪組織が狙うにはうってつけだからな」
「確かに……。 しかし、 どうやってケンジくんを連れて行くんです?」
先程も言った通り、 ケンジは男性。 魔法使いが多く集まる=女性ばかりの空間に男性が一人ポツンと居るのは余りにも目立つ。
「それでだ。 女装させるわ」
「は?」
アンヌの突拍子もない一言にハノネが目を丸くする。
どうした一体何がどうした? そんな趣味あったか?
「女装だ女装。 アイツ女顔だしイケるだろ」
「いや、 イケる言われましても……」
「ハノネ、 想像してみろ。 ケンジがスカート履いて化粧してキメキメになってる状態を」
なんとなく想像してみる。
ケンジは男性としては細身に入る部類だ。 髪も少し長め。 それでピンク色の口紅をして、白いカーディガン。 下はスカートで靴はちょっとしたブーツで……。
「……ノーコメントで」
「……何興奮してんだハノネ」
「興奮してませんよ!」
「取り敢えず鼻血拭けよ」
「なっ……!」
何時の間にやら鼻血が出ていたらしく、 アンヌからのティッシュを恥ずかしさと情けなさの両方が混じった感情で受け取る。
因みに持って来ていた書類にはシミ一つ無い。 やはりそこは秘書。 鼻血が出ようがなんたろうが自然と汚れは書類に付着しないよう魔法は掛けてある。
「ハノネ、 お前ってそんなキャラ濃いタイプだったか?」
アンヌは再度、 呆れた様にハノネのキャラのギャップについて疑問の声を洩らすのだった。
『勝者は、 三啼止ケンジくんです!』
ワー! と歓声がコートに鳴り響く。 そのコールが耳に届くと同時にケンジは膝を着く。 見れば、 イツキも壁に寄り掛かり、 息を落ち着かせていた。
「うえ、 吐きそう……」
「あんなに華麗にイツキ先輩と試合を繰り広げた人が、 そんな顔をしないで下さる? ケンジさん」
「そうは言われてもなあ……。 あんだけ細かい魔法を連続で繰り出したら、 流石に体力が無くなる。 ……いや、 体力じゃないな。 精神力の方か」
ケンジにとって、 正直に言えば何も考えずに好き勝手魔法を放つ方が得意だ。
そのため、 今回のテニスのように『面積の小さいボール』と『四角形の相手コート』の二つを対象に魔法を連続行使するというのは最も神経を使う行為であり、 その上『自分のコート内を走り回り、 尚且つボールを打ち返さなければならない』。
勿論イツキも魔法を使ってくるため『魔法で行動強化をされたボール』を『打ち返す』ために『自身に対しても魔法を使わなければならない』。
また、 ボールもケンジが使ったように『急停止』させてその後『急降下』させれば、 イツキは『急加速』と『強烈なバウンド』をさせてくる。
そのため、 自分の予想する場所とは全くの別方向へとツーバウンドを刻んでしまうこともあった。
「ここまで精神力が削られたのは久しぶりだな。 流石は魔導長全員楽しませてくれるな」
ケンジがこの試合について、 そして魔導長についての感想を漏らしていると
「あはは。 やっぱりケンジくんは強いね〜。 約束通り、 私もケンジくんの寮に引っ越すよ」
「あ、 やっぱりその約束有効なんですね」
「約束したことを反故にする程、 私はひねくれてないからね」
「ひねくれてるって……。 一番イツキ先輩に似合わないですね」
イツキと試合をしてわかったことだが、 この橿疚イツキという女性は現在絶滅危惧種の活発系美女だということがわかった。
「あと、 負けた身でお願いするのは悪いんだけどさ」
「何です? 俺はそういうの気にしないので大抵のことなら大丈夫ですよ」
「良かった」
イツキはこれまでに見せた中でもとびきりの笑顔で
「私のことを『イツキ姉ちゃん』て呼んで欲しいんだよね」
「……イツキ姉ちゃん?」
あれ、 イツキの性格が一瞬わからなくなったぞ? あれ? 『イツキ姉ちゃん』? 思わずケンジもリピートしてしまったが……
「うんうん。 一回言われてみたかったのよね、 年下の男の子に姉ちゃんって! 弟欲しかったのもあるし」
「あ、 ああなるほど。 弟代わりですか。 まあ、 俺には姉がいるので一応弟みたいなものでもありますが。 同い年の姉ですけど」
「双子?」
「いえ三つ子です」
「珍しいね〜。 まあ、 追々の話は引っ越した後に聞くよ」
「ははは」
ケンジがカスミから水筒を受け取り、 イツキも後輩から手拭いを受け取る。
体力もそうだがそれ以上に精神的に参ってしまっている。
「次の魔導長は……、 格闘サークルだっけ? そっちの方が良いのかね?」
ケンジが頭の中で、残りの魔導長の居場所を浮かべ声に出す。
「あ〜、 居るのかな。あそこの魔導長は、 中々にレアだよ」
「リリスと同じ感じ?」
ケンジの疑問にイツキがジェスチャーで否定の意思を示しながら
「いやいや、 単純に部活に出られないぐらい生徒会の仕事が忙しいんだよ」
「へ〜、 生徒会なんだ。 大学部の生徒会? って、 大学には生徒会は無いか。 学生自治会か?」
「いえ、 彼女の所属している組織は学部それぞれの生徒会・自治会ではなく、 学園会。 つまり、 黄金の航海者全体を纏め上げる組織です。 そして、その長でもある人です」
「は〜、 まあつまり生徒の中でもいちばんのお偉いさんってことか」
ケンジが勝手に納得し、 カスミもイツキもその答えに異を唱えることなく、 時間が少しずつ過ぎ去ってゆく。
ケンジはテニスサークルのメンバーに頭を下げると、 カスミと、 そしてイツキの三人で校舎に帰っていった。
遅くなりました。
今回は橿疚イツキとの対戦。そして今度から話に関わってきます「MMS」についてです。