六章-1
君の世界は地図の上なのか?
ならば、 私に勝とうとするのは辞めたまえ
人を一つの命と考えられないような相手に不覚を取るほど
衰えてはいないからね……
三歳ぐらいの少年少女四人が、 そこには居た。
一人は少し地味だが、 顔が整っており、 世間一般的に見れば美少女へと分類されるであろう顔立ちをしている。
何故、 地味な印象を受けるのか。
それは残りの三人の顔立ちが余りにも美し過ぎるからだろう。 三人は三つ子だが、 あまり似てはいない。 末の少女は茶髪で長い前髪をヘアピンで止めている。 一番上の少女は、 黒髪でアシンメトリーの髪型にしており、 右側のみが胸まで届く程長い。
そして、 その二人に挟まれる少年は、 真っ白な髪(間違っても白髪ではない)を無造作に伸ばしており、 一見すると少女のように見える程華奢な印象を与えていた。 一番の特徴はその瞳。 赤く、 赫く輝く双眸だ。 服装は全員が同じ白の服。
ここまで聞くと、 四人は何処か綺麗な青空が広がる草原の下、 笑顔で遊んでいるかのように感じる。
だが、 四人は無表情だった。 全員、 肌が死人のように青白く、 生来の整ってる顔立ちを見てるとまるで精巧な人形の様にも見える。 ……四人が居るのは、 決して和な場所ではない。
それの対局。
四人が居たのは、 地獄だった。
壁や天井、 床までもが暗い部屋。 まるで黒い箱の中に入っているかの様に感じる。 少年少女たちが着ている白い服。 それは、 入院患者たちが着るような白衣だった。 そして四人の身体から伸びるコード、 それは全て、 近くの機械に繋がれていた。
周りを忙しなく動いている大人は、 十人程度しか居ない。 その全員が、 白衣ではあるが、 子どもたちとは逆の立場、 医師が着るような白衣を着ていた。 大人たちは全員目が血走っており、 機械に繋がれた子どもたちをまるで、 機械の一部そのものであるかのような目、 態度をしていた。
「……魔法実験、 火属性読み込み開始」
少年の身体が跳ね上がる。 想像を絶する痛みに意識が飛びそうになる。 三人の少女もそれぞれ、 魔法実験が開始されていた。 いっそこのまま死ねたら良いのに。 それが叶わないなら、 せめて意識だけでも……。
しかし、 繋がれた機械がそれを許さない。 それ以上に周りの大人たちが許さない。 彼等は冷徹にただただ、 実験を進めるだけだ。 そして最後の最後に、 一気に複数の属性読み込みが行われる。
逆に、 何も感じなくなる。
全ての器官が痛みを認識出来なくなる。 最後に一番の衝撃が身体に及び、 左脚が千切れたところで、 夢は覚める。
「……っ! 」
あの時の少年が目を覚ます。 髪は少し短くなっており、 前髪は目にかかるか、 かからない程度。 後ろ側もそこまで極端に長くはないが、 平均と比べると多少長い。 特徴的な白い髪、 赤い眼はしかし揺れ動いている。 真っ白な色の背中全体が汗でびっしょり濡れている。 どれだけの恐怖を味わったのか。 それは彼にしか分からない。
彼……三啼止ケンジにしか。
「……なんつー夢だ」
ケンジは夢を見ていた。 しかし、 決して夢物語ではない。 それは実際にあったことだ。 心臓がバクバクと音を立てている。 汗で髪が額にくっつく。 吐き気がする。 完全に異常な体調だ。 時計を見る。
針は短針が一、 長針が十二を指している。 何時も一度目に起きる時間よりも二時間半も早い。 しかし、 こんな状態で眠れる訳もなかった。 完全に目が覚めてるし、 なにより目を閉じるとまた、夢を見そうで怖い。
怖い……、 こんな感情を覚えること自体が、 今の自分に寝ることを許さない様な気がする。
クソっ……、 ケンジは吐き捨てる様に息を吐くと、 そのまま立ち上がり着替えを取りに行く。 何時もより早いが、 眠れる訳がないので、 ランニングに出る準備をする。
ケンジは着替えを終えると、 寮全体に結界魔法をかけ、 外に出る。 四日前の緊急任務があった時以来、 外に出る際は寮に結界を張るようになっていた。
大した理由もない。 用心でしかないことだが、 これはもう癖なのでしょうがない。
ケンジはてっきり、 緊急任務の後は一日空けてから、 学業開始だと思っていたのだが、 あの魔物、 S・ミノタウロスの事後処理に追われ、 日にちが空いてしまったらしい。 その為、 既に三日間も空いてしまっていた。
ケンジは軽くストレッチをしてから、 ゆっくりと走り出す。 そして、 すぐにトップスピードに乗り、 勢い良く駆け出す。
まるで、 何かを忘れる為に……、 消し去りたい記憶があるかのように……。
物心がつく、 とは不思議な言葉だ。 成長する基準でありながら、 人によって全く異なる基準。 解釈も異なる。 なのに、 常に使われる言葉。
それは、 自分の置かれた状況が言葉に出来なくても、 説明出来なくても、 感覚でわかるようになる。 という意味であれば、 ケンジたちは二歳の頃にはついていたのだろう。 それは平均と比べてもかなり早いとは思う。
だが、 ケンジたちは、 その年齢にして現実から逃げる。 という感情も持ってしまっていた。 現実から逃げた期間は、 二年か、 三年か。 一年では無かった様な気がする。
産まれた時から、 他の子どもと扱いが違った。 普通の親なら、 子どもが産まれたらとにかく一緒に居ようとするし、 面倒を見るだろう。 笑顔が自然と溢れるだろう。 それが、 普通の家庭だ、 と思う。 だが、 ケンジたちは、 今朝夢見た事柄の様に、 決して幸せではなかった。 笑顔ではなかった。 控えめ目に言っても、 地獄だったと思う。
しかし、 実はケンジの子どもの頃の記憶は虫食いとなっており、 殆ど覚えてはいない。 リンカと姉と妹。 この四人でお互いの記憶の穴を埋めたに過ぎないのだから。
子どもの頃の記憶。 それは、 真っ黒で真っ赤な記憶。 ただの生き地獄。 今年で十六になるケンジだが、 また、 現実逃避する様に走り続ける事しか出来なかった。
暫くかなりのスピードで走り続けていると、 海に出た。 夜の海、 それは妖しくも美しい、 闇の世界の一部だ。
「そういえば、 ここは島……だったか? 」
あの任務の日、 二年の先輩が言っていた気がする。 ここは、 日本本島から三千五百キロ離れた場所にある、 元無人島だと。
「……海に来たのって、 結構久しぶりかも」
ケンジは少し海に足をつけてみる。 完全に真夜中だが、 やはり夏なのか少しぬるめだが気持ちいい。 と、
「……? 誰かいる? 」
この海の目と鼻の先にある林の中、 そこから何者かの気配がする。 野生の動物、 ではない。 ケンジの勘がそう告げていた。 しかし、 もう一つの勘が確認してはいけないとも警告している。
確かに、 こんな真夜中。 そして、 街から離れているこんな辺鄙な場所にいるというのは、 その者が只者では無いということを説明している。
それでもケンジは、 ほんの好奇心から林の中へと入って行った。 自分自身の強さにはそれなりの自身があったし、 そこまでの危険は無いだろうと、 一つの勘を無視した為でもあった。
「……滝? なんでこんな所にあるんだ? 」
林の中、 その中を少し進んで行くと、 川と少し小さめの滝があった。 どうやら、 海に繋がっているらしい。 その滝の中に一つの影を見つけた。
「……!? 」
その滝の中から現れたのは何も身に纏っていない、 全裸の女性だった。 赤毛の髪が胸元辺りまで伸びているが、 髪の癖を見るに普段は束ねているのだろうか。 瞳は金木犀かのように美しく、 気高い。 アカネよりもほんの少し、 背が高く、 スタイルが良いが、 胸だけが大きく感じる。 胸の頂きにはガーベラ色の蕾が水に濡れ、 妖しく艶を出していた。
「誰ですか? 」
その女性は滝の中から出てくると近くのタオルで頭を拭きながら問いかけてくる。 落ち着いた声色。 滝から流れてくる花びらが、 川に溜まり一つの絵画の様相をしていた。
こうしてハッキリ見ると、 意外に大人びた容姿をしていた。 アンヌよりも上かもしれない。 まあ、 アンヌ自体が学園長としては年齢がかなり低いから、 比較のしようが無いのだが。
「す、 すいません、 その、 覗くようなことをしてしまって……」
ケンジが低姿勢で謝罪をすると女性は身体全体をタオルで拭くと、 近くの岩場に置いてあった着替えを手に取り、 下着からゆっくりと履き始める。
「構いません。 が、 貴方は、 男性ですね? 」
「え、 ええ」
「それならば、 少し私に付き合って下さい」
「は? 」
「乙女の柔肌を無断で見た罰です。 一本勝負をしましょう」
その女性はゆっくりとこちらに近付きながら、 そんなことを告げてくる。 もう一つの勘を取っていれば良かった、 とケンジは遅まきながら後悔するのだった。
二人が来たのは砂浜。 ケンジが先程までいた場所である。
「貴方の名前は? 」
「三啼止ケンジです」
「みなし、 けんじ。 いい名前ですね」
女性ははにかむようにケンジの名前を褒めてくる。 ケンジも少し、 顔を赤らめながらまた、 問いかける。
「では、 貴女のお名前は? 」
「私の名前は、 范リンスです」
「ふぁん、 りんす? 中国系ですか? 」
「ええ、 生まれも育ちも日本ですけどね」
そう言われてみれば確かに、 少し日本人とは違う特徴も見られるが、 それでも日本人のケンジからしてみれば相当な美人だった。 リンスはポケットから、 髪ゴムを出すと、 その綺麗な赤毛をサイドへのポニーテールに纏める。
「黄金の航海者に所属しています」
つまりは、 魔法使い。 まあ、 こんな時間にこんな場所に居るのであれば、 魔法使いというのが妥当だろう。
彼女は見た目で考えれば、 ケンジよりも二、 三歳上に見える。 大学部なのだろうか。 ケンジは自分も生徒であるという事を伝えるつもりは無かった。 その必要を感じなかったというのもあるが、 言葉を交わす時間も惜しく感じる程、 勝負というものが気になっていた。
「それで、 勝負というのは? 」
ケンジが早る気持ちを抑えながら質問をする。
「別にルールというルールもありません」
そういうとリンスは両手を構え、 左脚を一歩引く。
「どちらかが、 まいった、 といったら負けです。 魔法の使用は不可」
「武器は? 」
「使いたければどうぞ」
「なるほど、では付き合いましょうか」
ケンジとリンスは互いに構える。 日の出まではまだ二時間近くある。 相手の姿を見失いそうになる夜の深さだが、 魔法使いである二人にはさほど関係ない。
リンスの服装は、 上はTシャツで下は太ももまで剥き出しの短い、 デニムのパンツという動きやすさ重視の姿。 対するケンジは自前の運動服で、 上は適当なシャツに下はスパッツと互いの服装にそこまでの差はなかった。 と、
「っ! 」
リンスの姿が一瞬消えたかと思うと、 目の前に足のつま先が来ているのがわかった。 ケンジはギリギリで上半身を後ろに逸らし、 逆に左脚を振り上げる。 強靭な下半身の力が生み出す体勢だが、 リンスはもう片方の脚でケンジの左脚を踏み台に、 空へと飛び上がる。 有り得ないぐらいの跳躍力。 だが、 魔法ではない。 それは単純な運動神経の賜物だ。
魔法使いの力に目覚める。 それは、 体内を循環するテシオン体が覚醒するということだ。 一般に魔力と呼ばれるものが、 このテシオン体である。 体内を循環というのも、 血液や神経の中にまで巡り、 それが身体の中枢神経にまで影響を及ぼす為、 魔法使いとそれ以前の身体はハッキリと別物だと言える。 その為、 普通では考えられないような動きをすることが出来る。 のだが、
(これは、 普通の魔法使いの動き……とは違う! )
例え、 運動神経が急に良くなったと言っても、 それは本人にとってという話であって、 元々良かった一般人の方が上ということも普通に有り得る。
力や運動という点で男性よりも劣る女性が、 男性で魔法使いというケンジに、 リンスが肉弾戦でここまで戦えるという事が異常なのである。 リンスが空中からケンジを踏み抜こうとするが、 ケンジがそれを紙一重で避け、 拳を繰り出すが、
「女だからと手加減しないで下さいね! 」
リンスは着地するとケンジの拳を思い切り、 蹴り上げる。 ケンジがその衝撃で腕ごと身体を持っていかれるが、 あえてその力に逆らわずリンスから距離を取る。 ケンジは地面に着地した瞬間、 リンスの右側を取るように移動するとリンスの右腕を取って、 地面に叩きつけようとする。 リンスは逆にケンジの首根っこを掴み倒れないように支える。
ケンジはそのまま、 自分の技の衝撃で潰されたが、 すぐに立ち直りリンスの顔目掛けて蹴りを出す。 リンスなら、 避けられるだろう。 と、 この短い時間の中でケンジはリンスの実力を買っていた。
と同時に互いの実力が拮抗していることに舌を巻いている自分が居る事に気が付く。 本気でこの勝負が楽しくなった。 それはリンスも同様。 このままこの時間が終わらなければいいのに。 と二人は願うばかりだった。
双方の力の差は互角。 そのまま暫く戦い続けるが、 互いに決め手となる技が見つからず、 ケンジが次の手を考えていると
「眩しっ! 」
突然目が眩み、 海の方を見ると太陽が、 その姿を現しているところだった。 いつの間にか、 日の出の時間となっていたらしい。
「時間ですね」
リンスは構えを解くと、 ケンジに背を向ける。 その瞬間、 互いに大量の汗を流す。 いつの間にか、 相当の量の汗を流していたらしい。 リンスの身体のラインがハッキリと目に映り、 慌ててケンジは目を逸らす。
「では、 また学校で」
どうやら、 同じ学校の生徒だと気付かれていたらしい。 ケンジはその立ち姿に自然と腰を折り曲げ、 礼をしていた。 頭を上げた時には、 リンスは既に見えなくなっていた。
「ケンジさん、 珍しいですね。 こんな時間に帰ってくるなんて」
寮に帰り、 シャワーを浴びてリビングに行くと、 アカネが既に朝食を作り終えており、 カスミもその手伝いをしていた。
「うん、 ちょっと変な人に会ってな」
「変な人、 ですの?」
「なんか、 海の方まで走って行ったらさ。 近くに滝があって。 そこで水浴びしてる人が居て……」
ケンジがテーブルの席に座りながら、 今日の出来事の説明をする。
「水浴び……ですか? 」
「うん、 でその人とちょっと、 ひと勝負して来たところ」
「何で、 朝からそのような事を……」
「何でだろうな……」
言われてみれば、 何故そんな事をしていたのか疑問に思うものだが、 その時はただ単純に勝負がしたかった。 ただそれだけの事だった。 と、
「どうした? アカネ」
「いえ、 その、 水浴びしている人は女性でしたか? 」
「あれ、 何でわかった? 」
「いえ、 ケンジさんとひと勝負出来るのは、 魔法使いぐらいでしょうから」
「そういえば、 そうでしたわね。 あれ? 水浴びってことは、 その時の格好は……、 え? 」
カスミがそのことを考え、 口に出すとアカネがケンジを睨みつけた。
(あれ、 これって俺やらかした? )
ケンジがそう考えた刹那、 カスミからもギロりと睨まれ、 朝から冷や汗を大量に掻くハメになるケンジだった。