表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

3話:暗闇の訪れ

  8



 アルバは気づけば大量のにんじんと大根を抱えていた。両手で収まる限界の量である。


「ちょっとさ……。その、こんなに…………買いすぎじゃないかな」


 アルバの前をずんずんと歩く水春が、怒った顔で振り返って言った。


「今思えばアルバ君、私に隠し事してたのよね。体力だけはあるとか言っておいてさ。何か私が騙されたみたいじゃん!」


 不機嫌そうに水春はまたぷいと前を向いて歩き始めた。強そうじゃないと言ったのは君じゃないか、とアルバは肩をすくめ呆然とする。


 ――そんなんで怒ってたのか。面倒な女だ。

 ――はは、それは君が言えることじゃないよね。でも水春ちゃん、不思議と安心してるようにも見えるよ。さっき会ったばかりなのに、すごい素を見せてくれるし、何より明るくなった。

 ――さすがだな。人の心をこじ開ける才能があるぜ、お前には。

 ――褒め言葉として受け取っておくよ。まだまだ聞きたいこともたくさんあるからね。


 その通りだな、とラースが気楽な声で呟いた。


「ちょっと、何止まってるの?」

「あ、いや。何でもないよ」


 前を行く水春は体ごと振り返ると、アルバの方へ歩み寄った。アルバの顔の下からむっとした顔で見上げる。アルバは水春が何を言おうとしているかが分かり、質問される前に止めようとしたが、水春はそれを許さなかった。


「もう隠し事は止めてよ。最初に会ったときもそう。君は誰と話してるの?」

「あー、えっと……」


 アルバは空を仰ぎ見て、何とか誤魔化そうとした。


 ――どうするんだよラース!

 ――別にそれほど警戒することもないと思うぜ。こいつが邪魔することもないし、他の奴らに言うことになるのも時間の問題だろうしな。


 アルバも、確かに知られるだけならと考えた。時期さえ来れば、そのうち隆剛や蝶義丸、その他の関係者にも話すつもりである。


「その……誰にも言わないならいいよ」

「分かった。なら、こっち来て」


 水春はアルバの手を引き、店とは反対の方向に進んだ。景色はさほど変わらないが、アルバにとっては未知の領域である。そのことにアルバは冒険と同じときと似た感情を抱いていた。


 知らない道を歩き始めて数分、水春は足を止めた。建物はたくさん立ち並んでいるのだが、落ち着いた印象を受けた。何故なら、人が誰もいないのである。どの建物も売物件という看板が掲げられており、死んだように静寂が流れている。こんな場所にまでグリードの影響が現れていた。


 水春は売物件となった店の入り口の階段に腰を下ろした。右に詰めているということは、余った分をアルバに譲るためだろう。アルバもそのことを理解したうえで階段に腰掛けた。ちらりと横を見やると、夕日に仄かに照らされた水春のかわいらしい顔がアルバの目に映った。


 しばらくして、水春が口を開いた。


「ここなら誰も来ないし、全部話せるよ。だから、ほら……これから一緒に旅をするのに隠し事とかさ……」

「ちょっと待って」


 水春に見惚れていたアルバだが、水春の話を聞いてすぐに我に返った。それと同時に、ラースがやれやれと溜息をつく。


 ――心を開かせすぎたようだな、アルバ。俺はもう知らんぜ。それより腹減った。

 ――どうしよう。旅の同行の話、まだ生きてたんだ。それより僕もお腹空いた。

「ほら! また誰かと心の中で喋ってるんでしょ」

「うっ」


 図星だった。水春は思ったよりも鋭い。アルバの額から冷や汗が滲み出始めた。その様子を見た水春は半ば諦めたような声で続けた。


「お願い。もう隠し事はよしてよ。お父さんもこういうことは絶対話さないし、お母さんやおじさんたちも、私が女の子だからっていう理由で何も教えてくれずに話を誤魔化す。……何だか、置いていかれているような気分になるの。確かに私は足手まといになっちゃうかもしれないけどさ……」


 自身の感情を言葉にする水春の目は潤んでいた。アルバは何か気の利いたことを言おうとしたが、水春の言葉が切実過ぎて何も浮かばなかった。アルバは改めて自分の人生の経験不足を自覚せざるを得なかった。


 ――いい両親だけど、子供にはこういう風にとられちゃうんだね……。

 ――そうだな。だが、それはあいつらも分かってやっていることだろう。いい両親を持ったな。ほれ、もう言っちまえ。もう逃げられねえだろ。


 ラースがこれほどまでに穏やかな話し方をするのは本当に稀だ。久しぶりにこの声を聞いたアルバまで和んでしまった。ラースが水春を少なからず気に入ったということだろう。そして、アルバも水春に今の状況を話す覚悟ができた。


「どこから話したらいいか分からないな……。とりあえず、僕が誰と話してるかなんだけど、それは先に王様に起きている異変から話したほうがいいね。おそらく、1,2年前と前くらいに、王様を筆頭にしてこの国の近くにあるクヨ遺跡に行ったと思うんだ。水や食料が多い分、旅自体はそれほど苦じゃなかったはず。そこで王様は、罪牢石っていう凶悪なコアを発見し、触れたんだ」


 そこで水春が手を小さく挙げ、苦笑いを浮かべた顔で言った。


「ごめんね。その、コアっていうのが、よく分からないんだ」


 ――最初から全部説明しなきゃダメかな。

 ――種類と型、あとは大罪系でいいんじゃないか。おっと、制限時間も忘れずに。

 ――つまり全部じゃないか。まあ、すぐ終わるし構わないけどさ。


「コアって言うのは、本当は魔導核石といって、核という字が由来して一般的にコアって呼ばれ、人間の体内の生命エネルギーを魔力に変える媒介のはたらきをしている物だよ。そのコアには6種類あって、火牢石、水牢石、地牢石、雷牢石、白牢石、黒牢石、それに加え、その6つとは全く別物で、罪牢石というものもあるんだ。つまり合計は7個だね。同じコアでも、中身や性能は全然違って、体に装着する装備型、体質自体を変化させる変化型、さらにさっきみたいに弾になったり、剣になったりする魔法が発動される独立型がある」


 水春はその話を熱心に聞いていた。


 アルバは、水春は親の意向でコアのことを教えてもらえなかったのだろうと思った。その点、隆剛とマリアには申し訳なく思っているが、不可抗力であるため仕方がない。このままでは旅に水春を本当に連れて行かなければならなくなる。お互いのために、それは避けたい。


「コアの種類の次は、制限時間だね。コアには、1日当たりの制限時間がある。さっきの単発型のコアだと、一定量の制限時間が消費される仕組みだ。それをオーバーすると、人とコアの主従が逆転してコアが人を飲み込むんだ。残るのは、人を食ったことによって少しだけ強化されたコアのみ。火牢石、水牢石、地牢石は3時間。雷牢石は2時間。白牢石と黒牢石は1時間。ちなみに、筋力や感覚を強化するタイプのコアと併用すると、2倍の速さで制限時間が消費されるんだ。…………制限時間だけは絶対に守らなければならない。僕も気をつけてるよ。本当に死ぬからね」


 ――本当に真面目だな、この女。きっと頭ん中で復唱してやがる。

 ――そうだね。君もこれくらい真面目になればいいのに。

 ――うるせえボケ。無理してでも騒ぐぞ。

 ――それだけは勘弁してくれ。


「……それで、王様の話に戻るけど、罪牢石っていうのは、さっき言ったどれにも属さないんだ。世界に7つしかない代物だから、たくさんの人が探してるけど、見つけても結局王様のように心を支配されるだけ。そうなった者の末路は酷いらしいよ。7つの大罪の中でグリードは『強欲』。それに支配された王様は、独占欲の塊になってしまったんだ。人の心を簡単に支配してしまうほど、大罪のコアは強力かつ凶悪なんだ。何より、人格があるのが厄介だ。人の弱みにつけ込み、蝕む。本来なら、強力である白牢石と黒牢石を一緒に持つことで、使用者の生命エネルギーとそれらのコアの力の組み合わせが罪牢石を弱めるんだけど、王様にはその知識が無かったんだろうね」


 水春はしばしの間、自分の頭の中でアルバの話を整理した。心でアルバの言ったことを復唱しながら、王国に関する相関図を描いた。


「つまり、アルバ君の目的の物ってご飯じゃなくて、その罪牢石ってやつなの?」


「うん。まあ、最初はご飯のつもりだったんだけどね。それと、僕はその7つのうちの1つを持っているんだ。7つの大罪のうち、『憤怒』を司るラースで、それが僕の心の中で定着しちゃってさ。その人格と、心の中で会話しているんだ」


 水春は、やっと合点がいったというように手を叩いた。そして、しばらく考え込んだ後、それがどういうことかを理解して目を丸くした。


「罪牢石を持っているのに、正気を保ってる。……ってことは、白牢石と黒牢石を両方持ってるの!? じゃあ……絶対にグリードに勝てるじゃん!」


 水春の期待の込められた物言いに、アルバは顔をしかめて視線を落とした。


 ――だから俺を解放さえすれば……。

 ――それはないから。絶対!

 ――まあいいさ。俺はもしそうなったとしたら悪いようにはしねえがな。


 アルバは腰のポーチから、3つのコアを取り出した。黒と白と透明。何だか地味な色合いだが、そのシンプルさが逆にコアの強力さを際立たせていた。


「この3つのコアは、故郷のある人から借りてるんだ。ラースとはいろいろあったけど、今ではいい相棒だよ」

「そっか。…………私もラースとお話してみたいな」


 アルバは水春の言葉を聞き入れ、心の中でラースと交渉した。


 ――どうだい、ラース。できそう?

 ――……女次第だ。俺に触れさせてみろ。だがどうなっても知らねえぞ。

「水春ちゃん、気をしっかりね」


 下手すれば、水春がラースに潜む膨大なエネルギーに飲み込まれてしまうかもしれない。先程まで怒っていたのがラースによる影響だとしたら水春は少し危険だ。だが水春は、話さないと帰らないと言うだろう。アルバは腹を括り、万が一の場合に備えた。


 アルバはそう念を押すと、水春の手を、透明な卵形の物体の上に乗せた。


 水春はラースに触れる直前、全身の毛が逆立つのを感じた。触れなくても分かる、罪牢石に秘められた膨大なエネルギー量。まるで磁石の同じ極同士のように強く突き放されるようだ。それでも、アルバを信じてラースに手を乗せた。


「あっ……」


 水春はコアに触れた瞬間、体に不純な何かが流れ込んでくるような感覚を覚えた。自分ではない何か。それは容易に水春の人格を消し去り、新しい人格を形成し始めようとした。


 水春では流れ込んでくる絶望や不安、憎しみ、怒りに耐え切ることができず、体を支配されたのだ。同時に、今までラースに支配された者の死に際がいくつも浮かんでは消えた。肉を引き裂かれ、目からは血涙を流し、耳をつんざく絶叫。そんな光景が何人も何人も、一瞬の内に繰り返された。


 ――もうダメだ! 手をどけろ!


 アルバは急いで水春の手を強く弾いた。アルバ自身、水春が一瞬でラースに蝕まれていくのを若干遅れて感じ取り、身の毛がよだつ思いをした。 


 ――近くに白牢石と黒牢石があったから大丈夫だと思ったんだけど……。

 ――軽率だったな。あと少しで死んでたぜ。大事には至っていないとは思うが…………。


 水春は気を失い、アルバの上に倒れこんだ。顔には大粒の玉のような汗が浮かび、体中じっとりとしている。まるで悪夢にうなされているようだった。


 アルバは目のやり場に困り、空を見上げた。空は朱を越えて、闇が訪れようとしていた。水春は今、何を感じていたのだろうか。押し寄せる地球の記憶とも言うべき奔流を受け入れるには、多大なる精神的苦痛に耐えうる忍耐力、精神力、受容力が必要だ。白牢石と黒牢石があるとはいえ、それに変わりはない。


 ――お前も最初は大変だったな。

 ――君のせいだよラース。よくも僕が幼いからって暴れてくれたな。

 ――最初はガキにくっつくなんて嫌だったからな。ハンクをとことん恨んだぜ。だが、あのとき既に、お前が殺人童貞を卒業しているとは思っていなかったがな。

 ――…………今じゃどっちがガキだか分からないね。

 ――そういうこと自分で言うのかよ……。


 ラースはしばらく黙った後、思い出したように言った。


 ――そういえば、隆剛を連れ戻すんじゃなかったか?


 あ、とアルバが声を漏らした。完全に忘れていた。と言っても、場所が分からない。頼みの綱の水春が意識を失っているのではお手上げだ。さらに帰るにも、水春がこの状態では帰るに帰れないことに気づいた。今になって多大な不安感がアルバに押し寄せた。


「ど、どうしようラース。水春ちゃんもこんなだし、隆剛さんもどこか分からないよ」

 ――……そこで寝てるそいつなら、親に繋がる通信石くらい持ってるだろ。


 その手があったか、とアルバはラースに感心した。だが、それは女子の体を触るということであり、実に罪深い行為だ。そういうことに対して免疫のないアルバの体が急にぎこちなくなった。それに、そんなことをしたらマリアに殺され、隆剛には見限られるだろう。


 ――そういうのは罪悪感を持たずにやるのが一番だ。俺には何で躊躇うのか全く分からんが。


「で、でも……。さすがにその……あるんだよ、人間には」


 覚悟が決まらず赤面し、うじうじするアルバにラースが一喝した。


 ――だあああ! ごちゃごちゃうるせえぞヘタレ野郎、女かお前は! てめえの通信石使っても、ハンクの気持ち悪い笑顔しか映らねえんだよクソッタレ!

 ――わ、分かったよ!


 アルバは渋々、水春の腰付近を中心に探り始めた。すると、ポケットから固い感触が伝わり、それがすぐに石であることが分かった。通信石が無事に見つかって、アルバはホッと胸を撫で下ろした。


「よかった、見つかんなかったら水春ちゃんに土下座しなきゃいけないところだったよ」


 ――おい、おかしいだろ。そこは見つけても土下座しろよ。


 アルバは通信石を握り潰した。ばっと映像が浮かび、そこには酒を飲むマリアが映し出されていた。店内の様子は未だにちっとも改善されておらず、3人の男は酔い倒れてテーブルに仲良く突っ伏している。


 酒瓶を置いたマリアが、画面越しにアルバと目を合わせた。


「すいません。その、何ていうか、こんな感じなんですけど…………」


 アルバは冴えない表情で水春の様子を映し出した。すると、マリアの表情が酔って夢見心地の表情から、恐ろしく厳粛な表情に切り替わった。そして、驚くほど冷徹な声でアルバに言い放った。


「…………帰って来い。今すぐに」

「え……?」

「帰って来いっつってんだよ。分からないかしら?」

「はいっ! 今行きます!」


 通信は一方的に切られた。マリアのあまりの恐ろしさに、アルバは狼狽した。その様子を終始観察していたラースが、呆れきった声で言った。


 ――今のは誤解しても無理ないな。眠らせてレイプしちゃったんですけどどうしましょうかっつってるようなもんだ。

「ええっ!? そんなつもりは……」

 ――例えだ馬鹿。それよりも、早く帰って誤解を解いてやれよ。見た限りだとあいつ、今かんかんに怒ってるぜ。


 アルバは深刻な表情で立ち上がった。倒れている水春を見下ろし、マリアの恐ろしい顔が脳裏に浮かぶ。ついでに、ラースの眠らせてレイプという邪な言葉も脳裏をよぎった。アルバは目を閉じて空を見上げた。明らかに気が動転している。これではマリアの前に立ったとき、何を口走ってしまうか気が気でない。


 落ち着くんだ、と自分に言い聞かせて、水春を抱え上げる。長い髪が垂れ下がり、やけに艶っぽく見えた。眠っているときの水春は、今まで感じたことないくらいに美人だった。


 ――おっと。この女、こんなに可愛いやつだったか?

「……ラース、君は少し黙っていてくれ」


 アルバは水春の顔をもう1度見て、引き込まれそうになるのを首を振って遮った。覚悟を決めたように表情を引き締めると、水春を背に負ぶった。



 9



 水春を背負ったアルバは、店を目前にして既に足がすくんでいた。店の前にはマリアが仁王立ちしており、遠くからでも分かる威圧感は、蝶義丸や隆剛の比ではなかった。目には見えないが、確かにマリアからはどす黒いオーラが立ち上っているのが分かる。


 マリアはアルバが帰ってきたことに気づき、仇をうつような形相でアルバを睨んだ。


「入りな。オスどもは帰らせたから」

「はい……」


 マリアはそう言うと店の中に入っていった。アルバは情けない返事をした後、店の前で1度深呼吸をしてからゆっくりと店に足を踏み入れた。店の中、全然直ってないじゃないか、と内心驚愕したが顔には出さない。


「ここに座れ。水春は壁際の長い椅子に寝かしとけ」


 アルバはびくびくしながら、ぎこちない動作で水春を下ろす。水春の体を仰向けに寝かせ、マリアの目の前に座ろうと手を離したところで、アルバは腕を強く引っ張られた。思わず体ががくんと引き寄せられる。水春が気を失いながらもアルバの左腕を強く掴んでいたのである。


「おいコラ、早く来なさいよ」


 やけにしっくりくるマリアの乱暴な言葉遣いに、アルバはこの上なく焦った。嫌な汗がぼたぼたと流れ出し、咄嗟に右手で水春の手を無理矢理引き剥がしてしまった。


 ――おいおい、女の子なんだからもっと優しくしてやれよ。人肌恋しい時期なんだろうぜ。

 ――う、うるさいな…………。仕方ないだろ。


 アルバが席に着くと、マリアが恐ろしく冷徹な声で尋ねた。


「勝手に私の大事な娘とよろしくやっちゃったってか? おい」

「違います違います違います!」


 アルバは必死に首を振った。このまま話の流れでラースを見せて、触れさせたところでマリアが気絶したら、アルバは今度こそどうしようもなくなってしまう。


 ――どうしようラース…………。

 ――……心配ねえよ。面白いから黙ってたが、こいつほとんど怒ってないぜ。ま、お前のヘタレ度合いを知っていればこその話だろうがな。

 ――え、そうなの? よかったあ。殺されるかと思ったよ。

 ――でもお前は一回殺されるべきだ。


 ラースの言葉に、アルバは無意識に安堵の表情を作った。それをマリアが見逃すはずもなく、アルバに迫った。


「おい、今誰と話していた」


 マリアの突然の発言に、アルバは心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じた。驚愕に染まった瞳をマリアに向ける。マリアは娘以上に鋭かったようだ。アルバは視線をあちこちに移動させるが、そうすればするほどマイナス効果になり、もはや言い逃れはできそうにない。


 アルバは渋々腰のポーチから無色透明のコアを渋々取り出し、あくまでアルバ自身の前に置いた。このタイミングでマリアに秘密を明かすのは予定外だが、問題はないだろう。


「見たことない色のコアね。何だこれは」

「ええと…………これはその…………」


 はっきりとは言わなかったが、アルバが躊躇するさまを見たマリアの表情が一変して曇った。顔はサーっと青くなり、怒っていた演技を忘れたように水春に弾かれたように駆け寄った。


 アルバは薄々気づいていた。マリアならばこのコアの危険性が分かると。アルバですらほとんど無知である金貨の価値を把握しているほどの遺産通なら、大罪系のコアを知らないはずがない。同時に、それを手に入れるのは禁忌とされ、語り継ぐことも避けられているということも知っているだろう。


 水春が気を失っているだけと確認すると、マリアは不機嫌というより、考えに入り浸る表情で改めて椅子に座り直した。


「ちょっと待てよ。だとすると、これは…………どれだ?」


 マリアが静かな声で尋ねた。


「これは、ラースです。憤怒のラース」


 マリアが初めて見る罪牢石をじっくり拝見しようと手を伸ばした。アルバの脳裏に、マリアが水春と同じように死にかけるヴィジョンが浮かび上がった。咄嗟に手が動く。


「触っちゃダメだ!」


 アルバは我を忘れて慌てて罪牢石を両手で覆った。金貨や銀貨ならいくら見たっていい。別にあげたって構わない。だが、これは触れるだけで水春のように危険な状況に陥る可能性がある。同じ失敗は繰り返したくはない。

 マリアは手を止め、訝しげな視線をアルバに向ける。手は引っ込めようとしない。


「それを持つには、確か白牢石と黒牢石が必要なはずよ。旅人とはいえ、あんたみたいな若輩者がそれを持っているとは思えないわ。なのに、あなたはどうやって平常心を…………」


 マリアは、そんな馬鹿なことがあってたまるかという表情でアルバを見た。しかし、アルバは1対のコアを持っていた。


「白牢石と黒牢石です」


 碁石のような2つのコアを机に置いた。いよいよマリアの表情が驚愕を越えて呆然となった。


「あんた、どうしてさっきそれを使わなかった……。それに、どうやってそれを?」

「使える時間がほかのコアに比べて短いし、疲労も凄いから……。あと、あんまり手の内を騎士団に見せたくないですしね。このコアは、色々あって故郷にいる人から借りました。制約も課せられましたが、それを持って旅に出ろって」


 それでもマリアは、信じられないといった表情を見せた。アルバに対して警戒心すら抱いているようである。


「水春はこれを触ってああなったのか?」

「……はい」


 アルバがそう答えると、マリアは迷わずに言った。


「なら私も触ろう。娘がこれに触れてああなったなら、私も触れてみなければな。というより、私もずっと気になってたんだ。これに影響されたらどうなるかをね。いい機会だ。よこせ」


「あの、興味本位なら、その……やめたほうが……」

「うっさいわね! とっとと手をどけなさいよ!」


 アルバは顔を引きつらせながら迷わず手をどけた。隆剛の今までの苦労が一瞬にして理解できた心境に陥った。きっと尻に敷かれていることだろう。


 マリアは勢いに任せて罪牢石に手を伸ばしたが、その手は小刻みに震えていた。知識が増えればその分、それについての恐怖が増えるということだ。恐怖の知らない者が危険物に触れるのは簡単だが、恐怖を知っている者はそうはいかないのだ。


 マリアは自分に言い聞かせる。私なら大丈夫、私なら制御できる、と。触れずして分かるそのコアの持つ力は、今まで見たどんなコアよりも強大で禍々しい。災厄が詰め込まれた、あるいは悪魔の住み着いたコアと言っても過言ではない。


 目の前の青年は、そんな存在と軽々と会話までしている。マリアは軽く目を閉じた。たった1人の若い男にできることを、自分ができないはずがない。できなくてたまるものか。


 マリアも覚悟を決め、表情を引き締めた。


 マリアは罪牢石の上に手をそっと置いた。マリアは急に手が焼け切ったように感覚が消え去るのを感じ、歯を食いしばった。バチバチと右手とコアの衝突面で小さく音が鳴り、マリアの体を災いともいえる暗黒の感情と歴史が駆け巡る。全ての血管、リンパ管、神経を支配されたような感覚に陥り、体の中にもう1人の自分が形成されていくのが感じ取れた。


 アルバは時を見計らい、マリアの手をコアの上からそっとどけた。マリアはたった5秒にも満たない時間コアに触れていただけでも体全体が疲弊しきっており、大量の汗をかいている。


 アルバのときのように幼少期に罪牢石に触れれば、体の中にもう1つの人格ができることや、体内に流れ込む様々な情報にもさほど抵抗はなく、無駄な反発もしないだろうと考えたハンクの推測は概ね正解だった。大当たりと言えないとはいえ、アルバには当てはまったようだった。だが、一歩間違えれば大惨事だ。今思えば、ハンクは狂っているとしか思えない、とアルバは心の中で苦笑いをした。


「本当はお前のような危険因子は今すぐにでも出ていけと言いたいとこだがな…………。頼む、隆剛や蝶義丸に力を貸してやってくれないか?」


 疲労困憊のマリアは、気だるそうな目を何とか開けたままにしている。アルバは力強く頷く。


「はい、もちろん」


「それと隆剛だが、こういうときは決まってそんなに遠くない場所で物思いにふけっているんだ。まあ、がんばれよ」


「はい、探してみます。……あっ、にんじんと大根あっちに忘れ……」


 言い終える間もなく、マリアは安心と疲労が入り混じった顔で目を閉じた。まさかと思ってアルバがテーブルを揺らしたが、案の定マリアは起きなかった。アルバは目を閉じ、煩悩の含まれた溜息をついた。


「ほら、一番恐れていた事態だよ。どうするんだよ」

 ――知るか。そんなことより、こいつとんでもねえ反発力だったぞ。普通の生き方じゃねえよ。波乱万丈な人生を送ってきたんだろうな。知らんけど。

「そ、そうなの……? いや、そんなの今はいいから」


 改めて、アルバは思いがけないマリアの精神力に感嘆した。ここに落ち着く前は何をしていたのだろうと、素直に気になった。


 その疑問も大した問題にはならない。今はこの場にいるのがアルバのみということが問題だ。水春とマリアが結局意識を失ってしまったため、とりあえずは風邪を引かないように辺りを見渡して毛布を探した。しかし毛布が1枚しかなかったため、マリアに毛布をかけ、水春には自身の外套をかけた。


 アルバは外套の下にさまざまな兵器を隠し持っていた。サバイバルナイフを数本に、拳銃が2丁。おまけに、組み立て式のロケットランチャーまで所持している。それ以外にも、手榴弾や発煙装置など、軍人と比べても何ら遜色ないほどの兵器を外套の内側に隠していた。


 だが、それを水春に掛けておくわけにはいかない。アルバは持ち運びが難しい組み立て式のロケットランチャーのみを抱えると、カウンターの奥に目立たないように置いておき、カムフラージュのために空きビンを数本置いておいた。かえって怪しくなっているかもしれないが、気づかれても問題はないだろう。いつか使い時が来るはずだ。


 ナイフを収納するためのホルスターが装備され、腰から太ももにかけて、もう1本のナイフや2兆の拳銃を収めるための彫るスターなども備えられている。機能的なその上半身から覗く腕は、穏やかな表情からは想像もできないほど引き締まった筋肉と、無数の切り傷の跡。とてもではないが、普通に生活していてできるようなものではない。その傷は、アルバがどれだけ過酷な生活をしてきたかを物語っていた。この体はアルバのコンプレックスにもなっており、誰にも見せたくはないと思っている。


「黒牢石を使うよ」


 ――了解。俺は腹減ったからしばらく休憩だ。あんまり使いすぎるなよ。腹減るし、何が起きるか分かったモンじゃねえからな。


 アルバはテーブルの上のコアを手に取り、徐に真っ暗になった外へ足を踏み出した。直後にアルバの視界に、此方に高速で向かいくる微かな異物が入り込んだ。


「ッ!」


 アルバは咄嗟に全力で地面を蹴った。次いで、アルバが立っていた場所が大量に飛んできた小さな土の玉によって撃ち抜かれた。それぞれの威力はさほどでもないが、連続して地面に当たると、その場は大きく穿たれた。


「そういえばメイスンたちをそのままにしてたな……」

 ――どうしたどうした……っておい、この弾数で1つの地牢石じゃねえか! どうしてあんな強力なもんが……て、次だ! 右から水牢石の攻撃だ! これもマシンガン並みに来るぞ! 


 アルバは目の前に走りながら黒いコアを握り潰した。右手から禍々しい黒い光とともに、蛇の如き黒い物体が沸いて蠢き出した。それぞれが意思を持っているようにアルバの体表にあっという間に纏わりついた。液体成分が皮膚に染み込み、つま先から顎までの皮膚の外側が堅い甲殻に覆われた。尻尾も伸び、アルバの意思の通りに動いている。


 コアの影響により、髪も真っ黒に、唯一露見している顔面の肌も日焼けしたように黒く、隠密行動に適した外見に変化した。それに対し、目は獲物を追うハンターのように赤くぎらついている。


 硬く、鋭利に、合理的かつ攻撃的なフォルムは、巨竜を人間大にそのまま縮めたようなプレッシャーを放っている。


 細かい水の弾丸が疾走するアルバに向けて放たれるが、それら全ては惜しくもアルバの背後を空しく通り過ぎた。それらは人気のない建物に容赦なく無数の風穴を開けた。


 ――多いぞ。10人だ。コアに関しては10以上だ。奴らめ、徐々に本気を出してきたな。

 ――まずいね、ここを離れるとマリアさんと水春ちゃんが危険だ。

 ――離れずともやれる。拳銃を使えば隆剛が来るだろう。何せ、こんな静かな夜だ。気づかない方がどうかしてる。

 ――がんばるよ。


 アルバは懐に手を伸ばし、右手に拳銃、左手にはナイフを握り締めた。


 ――まずは左にいる2人を片付けろ。弾は2発に抑えろ。

 ――了解。


 アルバは反時計回りに急旋回し、コアを構えて立っている2人の暗部に駆け寄った。走りながら拳銃の引き金を強く引き、右側の暗部の膝下を狙い通りに撃ち抜いた。


 ――奴らのコアは両方とも水牢石だ。…………1発来るぞ!


 アルバは、足を撃たれてかくんと前のめりに傾く暗部の方から素早く回り込み、足から滑りこんで水の弾丸を紙一重で免れた。関係のない建物まで巻き込むのは申し訳ないが、命には代えられない。今すべきことは、なるべく早く暗部を全員戦闘不能にすることが重要だ。

 左側の暗部の背後に回りこむと、後ろから飛びつき組み伏せた。暗部の両の腕を素早く持ち上げ、肩が外れるように器用に力を込めた。夜の静寂に、ガコっという無残な音が2度響いた。


 ――右側の奴は戦意喪失、左側は戦闘不能。いいぞ、次は左側の建物の上に飛び乗れ。

 ――了解。


 アルバの声は酷く冷めていた。グリードを早く止めなければという使命感よりも、そのコアが持つとてつもない影響力を改めて目の当たりにしたからだ。目の前にいる暗部たちは、あくまでグリードの尖兵、末端の末端に過ぎない。その事実が、その背後にそびえるグリードの絶対的な力を連想させる。


 頭に浮かぶ不安を振り切り、アルバは地を蹴り、高く跳躍した。その跳躍力に、屋根の上にいる3人の暗部は呆然とした。屋根に飛び乗ったアルバは、まずは目の前にいた男の足の甲を拳銃で撃ち抜いた。


「ぬああ!」


 力が抜けたように倒れこんだ暗部の1人は、そのまま屋根からずり落ちた。それには目もくれず、アルバは残りの2人の暗部の手を、コアを握り潰す前に手早くナイフで切りつけた。切断こそしないもの、止めどなく血が溢れ出し、明らかにコアが持てる状態ではない。

 たまらず、手を切られた2人の暗部は手を押さえて蹲った。


 ――3人とも戦闘不能。一旦店の入り口に戻れ。


 アルバは言われるままに屋根の端を蹴り、店の前まで滑空した。ちょうど暗部が店の中に入ろうとしていたようで、2人の暗部がコアを握り潰そうとしていた。


 ――まずい、背後から奇襲しろ!


 アルバは2人の暗部の後ろに音も無く忍び寄り、左側の男は腕で、右側の男は尻尾で首を絡め取り、絞め上げた。両方にぐっと力を込め、暗部の2人は声にならない悲鳴を上げた。逃がさないように数秒間力を込めると、2人は簡単に気を失った。


 ――2人とも戦闘不能。もう終わりだ、お疲れさん。

 ――えっ? 確かまだ9人しか……。


 アルバは背後に、急に人が忍び寄るのを感じ、ばっと振り返った。そこには、短刀を振りかざした暗部が間近に迫っていた。

 ナイフで応じようとするが間に合いそうもない。アルバは虚言を吐いたラースを恨みながら、相応のダメージを負うことを覚悟した。ぐっと歯を食いしばり、できる限りの防御を取った。


 ――ラース、お前何で嘘を……!

 ――おいおい、この俺が嘘なんかつくかよ。いや、つくんだけどさ。


「うぎゃあっ!」


 アルバに迫っていた暗部は空中でおかしな悲鳴を上げ、アルバの目の前で無様に落下した。暗部の背中からは、新鮮な血液がどくどくと流れ出している。


「どういう……」

 ――そりゃ隆剛しかいないだろ。

 ――……あ、そっか。


 地に伏した暗部の背後に、1人の男性が立っていた。赤を基調とした忍者服。その手には50㎝ほどの長さの小太刀が握られている。そして、コアの性質で瞳がやや赤く染まっているが、意志の強さがはっきりと表れているその顔は、紛れもなく隆剛のものだ。


「ありが…………なっ!」


 礼を言おうとしたアルバの眼前に、突如としてきらりと光るものが高速で迫っていた。


 驚きで目を見張るアルバは、身を捻ることで何とか小太刀を避けた。このまま無用心に変身を解いていたなら、隆剛の小太刀によって顔を貫かれていた。


 ――危ねえな、おい。とりあえずぶっ飛ばせ。

 ――ダメだよそんなの! とりあえず武器をしまわなきゃ。……何かしたかなあ、僕。


 ナイフと拳銃をそれぞれしまった。それでもなお、隆剛の攻撃は止まらない。狭い場所での戦闘を得意とするという小太刀の特徴をうまく利用した連撃は、勘で何度も避け続けられるものではない。


 アルバはその不可思議な状況のため攻撃を仕掛けることもできず、ただ避けながら後退することしかできなかった。1度の攻撃に何回ものフェイントを織り交ぜて放つ突きは、予測不能かつ正確無比。相当な修行を積まなければ成しえない所業だ。


 ――屋根に乗れ。乗ったらナイフを取れ。

 ――で、でも相手は…………。

 ――俺もお前もまだ死ぬわけにはいかねえ。奴がその気ならこっちも殺す気でいけ。


 アルバは躊躇いながらも無言のまま飛び上がり、ナイフを1本右手に持った。次いで隆剛がひょいと屋根に上ってきた。


 ――あまり長引かせるなよ。また騎士団から追っ手が来るかもしれねえからな。

 ――う、うん……。


 隆剛の空気を貫くような突きを、アルバはナイフを駆使して防いだ。隆剛の怒涛の攻撃により、アルバが反撃をするどころか、どんどん後ろに追いやられていく。気持ちの面でもなかなか踏ん切りがつかず、刃物で攻撃が返せないアルバの顔に焦りが浮かび始めた。


 だが、アルバには隆剛では防ぎようがない秘策があった。それでうごけなくしたところで、ゆっくりと話を伺うことに決めた。


 アルバはナイフで小太刀を強く弾き、素早く後退して隆剛から距離を離した。それに応じて隆剛は追い討ちを仕掛けるために、すかさずアルバとの距離を詰めた。


 隆剛が飛び掛ってきた瞬間に、アルバはくるりと体を反転させた。


「むっ!」


 隆剛は首付近に強い衝撃を感じ、驚く間もなく空中に投げ出された。首から上に、強烈な衝撃により視界がぼやけ、感覚が瞬間的に麻痺し、隆剛は唇をかみ締めた。

 敵に尻尾があるなど誰が予想できようか。避けられるはずがない。

 アルバは宙に投げ出された隆剛を空中で受け止め、すっと地面に着地した。何が起こっているのか分かっていない隆剛は、微かに声を発した。


「この野郎……あいつらには指一本触れさせんぞ」

「え?」


 アルバが素っ頓狂な声を上げた。沈黙が流れ、その声を聞いた隆剛も目を見開いた。


「その声は、アルバか? ………………ああ、そうか。すまんな。私は目があまりよくなくてな、顔がいまいちよく分からなかったんだ」


 ――おい……ふざけてんのかこのじじい。


 アルバはラース同様、隆剛に呆れ返った。ちょっとした勘違いで命を狙われるとは、はた迷惑な話である。

 静かな夜にアルバの溜息だけが響いた。その溜息すらも、周辺の濁った空気に溶け込んで消えていった。

感想・評価お待ちしております

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ