2話:追っ手
7
出発から10分程度歩いたところで、水春は足を止めた。西部劇に出てくるような雰囲気の店で、上部には『BLUE FLAG』と掲げられている。独特な雰囲気を持ち、店が建てられているのは何故か人気の少ない場所だ。
水春は2枚の板の扉を押し開けて中に入った。帰るが早いが、早速水春は何者かにお咎めを受けた。
「水春、また勝手にどこかに行って……」
声の主は隆剛だった。カウンターに店主として立つ姿は、先程の争いのときのような風格が顕在していた。
「はい、ごめんなさい!」
「え、ああ……?」
隆剛は戸惑ったような表情を見せた。いつもならこの手の注意は軽くあしらわれるのだが、今日はやけに素直で調子が狂った。隆剛はコップを拭く手を止めて水春を呆然と見つめた。そして、入り口から再び音がしたため、顔をそちらに向けると、そこにはついさっき知り合ったばかりのアルバが立ち尽くしてていた。
間もなくしてアルバと隆剛の目が合う。すると、何ともいえない表情でアルバが会釈した。
「あら、男の子! どうりで水春の機嫌がいいわけね。良かったわね、水春」
カウンターの奥に座っている、隆剛と同じ歳くらいの女性が水春に喜々として言った。その姿は凛々しいが、どことなく水春に似ていた。彼女が水春の母親だと気づくのにそう時間はかからなかった。
「そ、そんなんじゃないけどね……」
水春は女性の近くにある4人掛けの丸テーブルに着いた。
「お前はどうしてこんなところに来たんだ」
「ちょっとこの国に用ができたっていうか、その……」
アルバは口ごもった。この時点で既に隆剛の警告を無視したことになる。だが、そうまでしても手に入れなければならないものがあるのだ。素直に警告に従うわけにはいかない。
――そいつ呼び出して話しちまえよ。罪牢石の話を聞いたことくらいあるだろ。
――それは駄目だよ。そうだ、僕たちは今は客なんだ。ご飯だご飯!
「その……。とりあえず腹ごしらえをしようと思って」
アルバの言葉に、隆剛は、少し待っていろと短く返事をした。やはり声はむっとしているようだ。しかし今、アルバは客である。
「ええっと、アルバって言ったな。とりあえず、水春の隣にでも座りなさいな」
女性がアルバを手招きした。あまりの強引さにアルバはあまり気が乗らなかったが、渋々その席に着いた。
店内にいるのは、アルバ、水春、隆剛、水春の母。それに加え3人の男性が隆剛の目の前のカウンターに掛けている。アルバは何をしたらよいか分からず、ただじっと料理が出来上がるのを待とうとした。しかし、水春の母がそれを許さなかった。
「ねえねえ、私には分かるわ。その格好、旅人でしょう?」
「は、はい。そうですけど」
若干戸惑いながら答えると、水春の母はアルバにずいと顔を近づけた。いよいよアルバの顔が緊張の色に染まる。人にこのように接せられるのは慣れていない。
「何か珍しいもの持ってるの? 例えば、そうね、金貨とか」
水春の母はきらきらした瞳でアルバに尋ねた。アルバは、てっきり水春の母がもっと答え辛いような質問を聞いてくるかと思っていたため、ほっと胸を撫で下ろした。
「金貨なら4枚あります。でも、どれも少しだけ酸化していて、だいぶ年季が入っています」
そう言いながら、アルバは水春の母に金貨を手渡した。じゃりんと金属音を立てて金貨が水春の母の手に落下した。
水春の母はしばらく金貨を観察した後、どことなく緊張した顔でそれをアルバに返した。
「とてもいい物ね。初めてよ、こんなに素晴らしいのを見るのは。これはちゃんと価値が分かる人に売るのよ」
「……これそんなにすごいんですか?」
「ええ、1つ売れば1年間は豪遊して暮らせるわ」
え、と声を漏らしてアルバは手にある金貨をまじまじと覗きこんだ。アルバには金貨のほかに、銀貨を6枚と、銅貨が10枚程度ある。また、その他の珍品を少々所持している。どの遺跡、神殿で得たかを言えば、相当な金になるのではないだろうか。しかし、すぐにアルバは首を振った。これらは手放すわけにはいかない。
「ほら、炒飯だ。……おい、マリア。あんまり客を困らせるなよ」
隆剛が水春とアルバの前に炒飯をごとりと置いた。少し量が少ない気もするが、また後でどこかで食べればいいだろう。
隆剛がそのままアルバの目の前に静かに座った。
――気をつけろ。少しだけだが怒りを感じる。
――ええ! 僕何かしたかな……。
――アレだろ。娘をどうちゃらこうちゃらみたいな。……違うか、はは。
――当たり前でしょ! 真面目に考えてよ。
「どうかしたか?」
ラースと会話していたため、表情が少しだけ歪んでいたアルバに隆剛が尋ねた。というよりむしろ、隆剛がアルバに何かを言いたげな様子だ。
「いえ、何もないです。逆に、僕に何か……?」
「ここをいつ出るつもりだ?」
即答だった。そうだろうと思っていたとはいえ、その質問にアルバはどきりとした。隆剛はどうしてもアルバに早く去ってもらいたいようだ。少し考えれば、それも別段不思議な話ではない。自国で起きた問題に、よそ者が関わってほしくないと思うのは当然だ。ましてや素性も知れない少年にそんなこと頼めるはずも、手助けしてもらうつもりもないのだ。
「ちょっと、そんな言い方ないんじゃないの?」
水春が語気を荒げて隆剛に言い放った。しかし、それを気にも留めずに隆剛はアルバに続けて言った。
「忠告はしたはずだ。お前さんがこの国をどうにかしようとしているなら、それはとんだ傲慢だ。お願いだ、怪我をする前にここを出て行くんだ。これはお前さんのために……」
隆剛が全て言い切る前に、アルバがそれを遮るようにして言った。
「それは違うよ。隆剛さん」
――は。違いも甚だしいぜ。慈善活動なんてまっぴらだ。国なんかどうでもいいっつの。
――……ラース、お前って奴は……。
「僕はその……王様に用があるんだ。会って話をしなきゃ駄目なんだ。それまで帰れない」
隆剛を含め、その場にいる者全員が押し黙った。それほどまでにこの国の病気が深刻なのだろう。さっきまで陽気だったマリアまで、神妙な表情をして腕と足を組んで口を結んでいた。
「そうか……。まあ、そこまで言うのならこれ以上は私がとやかく言う権利もないな。……すまないマリア、少し外出する」
隆剛は諦めたようにそう言うと、おもむろに席を立ち上がった。
「え、いつ頃帰るの?」
「遅くなる」
分かったわ、とうんざりした顔でマリアは返事した。
アルバは、去っていく隆剛の後ろ姿を隆剛が外に出るまで見つめ続けた。少しは認めてもらえただろうかという不安とともに。
「何あの人! せっかく私お父さんのこと少し見直したっていうのに」
水春が頬杖をついて、不機嫌そうに愚痴をこぼした。それを聞いたマリアが、水春に対してからかうように尋ねた。
「ん? 見直したってどういうことかな、水春ちゃん」
水春はマリアの方に振り返ると、ふて腐れた口調で言った。
「さっきアルバ君がね、私のお父さんは国の将来を真剣に考える偉い人で、それはそう簡単にできるもんじゃないとか言うからさ。何だか一瞬お父さんをかっこよく思ったんだけど…………はあ」
アルバは溜息をつく水春に対し、何だか申し訳ない気分になった。
マリアは水春の頭をがしっと掴むと、拗ねた赤子をあやすようにぶんぶんと振った。そして、アルバの方を向いてにっと笑った。
「ふふん。あんた、分かってるわね。他人を思いやるくせに不器用だからそれが素直に伝えられない。頑固で面倒な性格だけど、自分の決めたことは絶対に曲げない。奴のそういう男らしいところに私は惚れたのさ」
「もう、こんなところでのろけないでよ!」
水春がマリアの手を払いのけて言った。もう水春には拗ねた様子もなく、仲直りをした後のような顔をしている。
カウンターに座っていた3人の男が、アルバの近くに椅子を持ってドタドタと素早く移動した。何事かと思ってアルバは振り返った。そこには、さっきまでずっと黙っていた3人の男が、緊張の糸が切れたような息苦しい表情をして座っていた。
「驚かせちまったな。俺はルーイ。よろしく」
黒髪で長髪。面長な顔。真っ直ぐな目座っていても分かる長身。理知的で、安心感を感じるその姿は、無意識に信頼を寄せてしまう。
「俺はシステイン。よろしくな!」
太腿の上にまで腹が乗っかるほどの巨体を持ち、さらにそれを気にもせずに露出している。多少不潔な印象があるが、その笑顔はとても優しげものだった。
「拙者は半蔵でござる。よろしく頼むでござる!」
1人だけ、時代錯誤の激しい男がいた。入店したときから気になっていたが、砂漠で出会った白人をそのまま黒くしたような風貌である。唯一露出している目を見ると、本人は至って真面目なようだ。1人だけでこんな格好で恥ずかしくないだろうかと疑問に思った。
アルバは3人の簡単な自己紹介を聞き終えると、自分の自己紹介をした。その後、ラースが探知の結果をアルバに伝えた。
――最後の忍者みたいな奴だけが装備型の火牢石を持っている。性能的には、隆剛のコアの下位互換ってところか。
「いやあ、隆剛さんの機嫌が悪かったもんだから俺たちも話しづらかったんだ。ずっと黙ってて悪かったな」
ルーイが申し訳なさそうに笑いながら言った。
「それにしても、君は意思が強いでござる。隆剛殿に初対面であそこまで言える人はそう多くないでござるよ!」
「そうだな。それは素直に感心したよ。でも、隆剛さんがどういう風に返すのかが怖かったぜ……」
半蔵とシステインがアルバを褒めちぎった。アルバは何となく照れくさくなり、照れ隠しに顔を俯かせた。
それからしばらく、アルバは5人に旅の話をした。生まれてから1度も国の外に出たことのない水春は、興味深そうにアルバの話を聞いていた。
旅の話を続けることおよそ10分。入り口のドアを乱暴に開ける音がした。驚いてそこを見ると、見覚えのある若者が立っていた。男は店内に入るなり、声を張り上げた。
「隆剛はいるか!」
「悪いわね。今は留守よ。さあ、帰った帰った」
マリアが蝶義丸に向かって、しっしと軽く手を振った。蝶義丸はマリアの方を鬼の形相で見つめると、その近くに先ほどの騒動を止めた少年が何食わぬ顔で座っているのを発見した。途端に彼の心の中でどっと炎が燃え盛った。
――一気に怒りのパラメータが振り切れたぞ。きっとお前を見つけたからだろうな。
――…………本当に今日は災難だよ。
蝶義丸はアルバのいる席までずかずかと歩み寄った。アルバの目の前で立ち止まると、鼻息を荒げて般若のような顔でアルバを強く睨みつけた。アルバは若干慄きながらも、蝶義丸から目を逸らさず威嚇に耐え続けた。野獣に睨まれるよりも耐え難い重圧がアルバを襲った。
「てめえ……」
蝶義丸が姿勢を低くしたとき、アルバはその奥の光景に目を見張った。彼の背中越しに、店の前に降った数人の白人たち。各々がコアを取り出し、店に向けた。ラースもそれに気づき、慌てた声で叫び声を上げる。
――やべえぞ! 水牢石が3つと地牢石1つ、それとあの砂漠ンときの火牢石が1つだ!
アルバも咄嗟に声を張り上げた。
「危ない!」
アルバは慌てて席を立ち、扉の向こうに駆け出した。その唐突な行動に、その場にいた全員が何事かと焦った。
アルバはカウンターの前にある椅子を踏み台にしてカウンターに飛び乗った。カウンターの椅子の真上を、1つの水の玉が高速で通り過ぎた。
カウンターを伝って出口まで走るアルバの目の前に、残り2つの水の玉が迫りくる。アルバは咄嗟に体を捻ってカウンターの斜め右前に飛んだ。背後ではビンが割れたような音が鳴り響くが、構ってなどいられない。
アルバは床に着地した直後に前方に飛び出し、店外へと転がり出た。顔を上げると、そこには3人の白人の姿があった。
「……間違いないな、見た目に似合わぬこの軽やかな動き。覚えているか? ……俺だ」
白人の1人が口を開いた。正直、喋ってくれなければ誰だか分からなかったのは黙っておく。
「……ああ、お前か。どうしてここが分かったの?」
アルバは表情を変えずにその男に尋ねた。
「え、ああっと…………その紙切れだ。よそ者を監視して、隙を見て叩くために貴様を泳がせていたという訳よ」
アルバは紙切れを取り出し、ちぎってぽいと捨てた。これではないだろうと思いつつも。
――全く、どうしようもねえ作戦だな。来るならもっと大人数なんだよ。
ラースが呆れた声で呟いた。アルバは白人を一旦無視して振り返り、店の中の惨状を覗き見た。目を覆いたくなるほど悲惨な光景を見て、お詫びに金貨を捧げる決意を固めた。
――1人からコアを奪って、それで残りの2人を倒す。って感じでどうかな。
――最善だ。奴らはコア1個ずつしか持っていない。一応、あンとき使ってきた火牢石が一番強いが、木造の建物が多いここら辺じゃ使えねえはずだ。
アルバはこくりと頷いた。
一定時間が過ぎ、3人の白人の手に青い光が集束していき、元の形に固体化した。再び使用可能になったということだ。
まずは右から、とアルバは強く地面を蹴った。突然のアルバの動きに右の白人は戸惑い、コアを発動する間もなく腹部にアルバに右の足刀を受け、数歩後ずさり蹲った。アルバはその白人の背後に回りこみ、左腕で首を絞め、白人を持ち上げた。
アルバは白人の右手から水牢石をもぎ取り、思い切り圧力を掛けた。アルバの手中で弾けたコアが大きな水の玉となり、中央にいる白人に高速で飛んでいった。
「ぐはっ!」
目の前の状況が理解できない中央の白人は、水の玉を腹部にまともに受け、後方に吹き飛ばされた。数m飛ばされたところで壁に激突し、大量の唾と嗚咽を吐き、そのまま失神した。
「全く。あれだけ人数が多いからって油断するなって言ったのによ」
残った白人は、もうひとつのコアを取り出した。それは緑色をしており、水のコアと同時に握り潰された。
「これはさっきまでの水のコアとは訳が違うんだぜ! 何たってな…………あれ? 出てこないぞ、どうなっている」
白人の目の前には水の玉しかできない。地牢石も潰したはずなのに、と不思議に思ったのか、白人は辺りをきょろきょろし始めた。
「お前、仲間に向けて水玉撃つつもりなのか?」
アルバは呆れたように尋ねた。
「るせー、撃つに決まってんだろ! それより土のコアが発動しないぞ。どうなってんだよ……」
――あんな間抜け、見たことないな。俺らを騙してるつもりか? ばればれだっつの。どちらも独立型、奴の目の前で起きないなら、どこかでちゃんと発動しているはずだ。水の玉と違ってな。
――子供になら通用したかもしれないね。さて、どこで効果が現れるのかな。
アルバの背後で、ずずずと土が盛り上がり、拘束具のような形態を取った。潰された地牢石の効果は、白人の前ではなくアルバの背後で発動した。土で形成された両手両足を縛る枷は開いており、いつでも人を縛る準備ができているようだ。
アルバは水の玉の飛来するタイミングを見計らい、首を絞めていた白人の拘束を解除し、右方向に飛び出た。同時に先ほど使用したばかりの水牢石の効果時間が終わり、アルバの右手に青色のコアが形成された。
――大丈夫だ。この程度のコアなら消費制限時間を気にしなくても安心できる。
――オーケー。
遠くにいる白人の放った水の玉は見事にアルバが捕らえていた白人に命中し、吹き飛ばされて背後の土にぶつかり、拘束具に捕らえられた。ガシンと枷が閉じられる音と、悲鳴が同時に聞こえた。
アルバは一瞬で白人との距離を詰め彼の手に針が握られるよりも速くコアを握り潰した。
「ぐおァ!」
至近距離で水の玉を受けた白人は、無様に地面にたたきつけられた。水の玉も、凝縮に凝縮を重ねればボーリング球のような密度と重さになる。それをまともに受ければ肉はもとより骨もひとたまりもない。最悪の場合死亡する可能性だってある。
アルバは最後の1人が気を失ったのを確認すると、土の拘束具の目の前までゆっくりと歩み寄った。
拘束具に縛られた白人から腰のポーチを奪い取り、中から1つの通信石を取り出した。そしてそれを白人の眼前まで掲げて尋ねた。
「これを使ったらどこの誰に繋がるの? 城にいる王様? それとも君たちの隊長さんかな」
アルバの問いに、白人は当然のように沈黙した。
「君たちみたいな白い忍者みたいな人たちは何なの? どうして僕を襲うの?」
「…………」
またしても沈黙。
早くもラースが堪えきれなくなったのか、じれったいとばかりにアルバの中で喚く。
――殴っとけ殴っとけ! それでも吐かないなら、刺しちまえ!
――駄目だよそんなの! この人たちだって王様に逆らえないだけかもしれないでしょ。
アルバはもう1度、最後のチャンスとばかりに白人に訊いた。
「君は他の人とは何かが違う。もしかして、周りの人たちが豹変したとか…………?」
その言葉に白人がピクリとが反応した。アルバはそれを見て、国の異変の原因の1つを確信した。アルバはさらに、白人たちの状況まで尋ねると、溜まっていた毒をすべて吐き出すように返事が返された。
「俺たち下っ端以外の連中も、突然変わったんだ。俺、見てられねえよ…………目上の人間が欲望に呑まれていくのをよ。そこの2人だってそうだ。つい2週間前くらいまで、突然変わっていく自分の内面に恐怖してたんだ。俺だって今、同じ状況にある。賃金も雀の涙ほどになっちまったし、俺たちの家族も人質同然。このままだと、国全体がおかしく……」
「…………分かった。あの、もう1度聞くけど、これを潰せばどこに繋がるの?」
アルバは通信石を白い人間の顔に近づけた。
「それは、王国騎士団長、クリス氏に繋がる。だが、他人が潰しても反応はしないよう設定されている」
「それで、君たちの役職を教えて。あと、君は特別に名前も」
「……王国騎士団暗部所属、メイスンだ」
「ありがとう。今度は違う形で会えるといいね」
間もなく、制限時間が切れたのか拘束具は崩れ去り、メイスンはどすりと膝から落ちた。
力なくゆっくりと起き上がったメイスンが、アルバを見て手を差し出した。
「お前、優しいんだな。てっきり俺は、拷問にでも掛けられるかと思ったよ」
アルバも手を差し出し、手を握った。メイスンのゴーグルの奥の瞳は若干だが潤んでいる。
「拷問なんてしないよ。大丈夫、メイスンがおかしくなっても、きっと元に戻すから」
「お前ならできるかもな。俺はそんなに高い階級の人間じゃないが、この国が好きなんだ。もし無事に元通りになったら、俺の奢りで酒を飲もう。それと、その水のコアもやるから、その……頼んだぜ。なるべく早くな……。うっ!」
メイスンは頭を抱えて蹲った。そのまま数秒間のた打ち回った後、ぴたりと動きを止めたと思うと、不気味な笑い声を浮かべながら立ち上がった。
「ククク……。貴様らでは我らの王様をゴファッ!」
アルバは、態度の豹変したメイスンの腹部に拳による重い打撃を加えていた。そして、アルバに向かって倒れこむメイスンを抱えて、ゆっくりと地面に下ろした。もう少しだけ我慢してくれ、と心の中でメイスンに謝罪した。
「何だガキ。手馴れてるじゃねえか」
店のドアの目の前で、木の柱に腕を組んで寄りかかっている蝶義丸が言った。その奥にある店内の窓からは、全員が顔を覗かせていた。
「……まあ、旅をしていればそれなりに経験するからね……ていうか、僕と君はそんなに歳は変わらないはずだよ」
蝶義丸は店の数段ある階段を降りると、吹き飛ばされた2人の暗部の手を探り始めた。そこから、青いコアを2つ、緑色のコアを1つを手に取った。さらに片方のポーチからは、アルバがいつか世話になった火牢石が取り出された。
「それをどうする気?」
アルバが怪訝な声を上げた。
「決まってんだろ。頂戴する」
止めようとしたアルバに、ラースがどうでもいいというような声を上げた。
――気にすんなよ。あんな雑魚コア。あってもなくても変わらん。
――そういう問題じゃない。あれは人の所有物なんだ。コアだって発生源が分からない以上、希少であることには変わりない。
「それは駄目だよ」
アルバがそう言うと、蝶義丸はしれっと返した。
「お前、こいつらに襲われたんだろ? 逆に何で盗らないんだよ」
「とにかく盗っちゃ駄目だ。コアを手にするのがどんなに大変なことか分かるでしょ?」
魔導核石は、ハンクたちのような研究者が全力で研究しているが、発動されるメカニズム、発生する原因、コアの成分、何1つとして分かっていない。分かっているのは、コアの中にはとてつもないエネルギーが凝縮されており、生物のエネルギーを取り出して魔力に変換できるということのみだ。それだけ分かっていても、コアの発見に役立つはずもなく、それに伴って入手も困難になる。
「お前にそんなことを言われる筋合いはねえな。俺はこのコアを仲間のために持っていく。戦力を少しでも強化しなければ、王は倒せない。それだけ奴は強大なんだ」
――そんなんで勝てたら、敵兵片っ端からぶっ倒しまくって、コアを乱獲してるところだっての。
ラースの言葉は気にせず、ただ蝶義丸を止めなければいけないという使命感が急にアルバの心を支配した。蝶義丸が今まで何をしてきたかは知らないが、目の前で窃盗を行うのをは見過ごせない。それも革命派の頭ともあろう者がそんなことをしていいはずがない。
「ガキはそっちだよ。窃盗をしてまで勝ち取った王権なんて誰も信じないし認めないよ」
蝶義丸のこめかみ辺りに、青い筋が浮かぶのが見えた。だが、アルバにだってこれだけは譲れない。コアの強弱など関係ない。1回でも窃盗した者が、国民を統べる王になろうなどという大義を掲げるなど、馬鹿げているにも程がある。
しばらく沈黙が続き、罰の悪そうな顔で蝶義丸はコアを戻し始めた。
「…………ちっ。分ァったよ。今回はお前がやったんだ。お前に従おう」
蝶義丸は唇を噛んだ。アルバの言う通りである。たった今、国王を志すものとして取り返しのつかないことをしようとしたのだ。掲げた目標の大きさに対して、今の小さな行為は恥ずべきものである。そのことをよそ者のアルバに気づかされるなど、不覚だった。
直後に店から水春が飛び出し、アルバの元に駆け寄った。
「凄かったよ! あんな動き初めて見た!」
興奮した水春がアルバの手を両手で持ち上げ、ぶんぶんと振った。サーカスショーを見た後のような目でアルバを見つめる水春だったが、すぐにアルバから視線を逸らして手を離した。どうしたのだろう、とアルバは首を傾げた。
「その、ごめん。そんなに強そうに見えないとか言って……」
大したことではなかったようだ。
「はは、何だ、気にしなくていいよ。そんなこと」
「……ふふ。でも、店の修理費は気にしてもらおうかしら」
いつの間にかアルバに近寄ったマリアが、アルバの肩にぽんと手を置いた。
「あっ…………それはこの金貨でどうにか……」
そう言って、アルバは4枚の中でも特に輝きの強い1枚を選別し、マリアに差し出した。やむを得ない犠牲だ。それに、マリアになら安心して金貨の未来を託せる。立派に生きるんだよ、と金貨に心の中で優しく語りかけた。
マリアは驚いたような表情をして、いや……、と首を振った。
「それじゃ新しい店がもう1軒建っちゃうわ。貰いすぎよ」
「いえ、割と金貨はすぐに手に入るので別に問題はないですよ」
マリアはしばらく悩んだ後、渋々手を出して金貨を受け取った。
「しょうがないわね。アルバ君はこれから、ここでタダでご飯を食べていっていいわよ。寝床も保証するわ。それくらいしかできないけど、勘弁してね」
――釣り合わねえな。せめて店の所有権くらい。
――そんなのいらないよ。寝るところができただけで十分。たぶん使うことないだろうけど。
「この光景を隆剛が見てたら、少しは意見が変わると思うんだけどな。あの人は夜まで何してるつもりかしら」
マリアは困ったように腕を組んだ。気難しい男と付き合うとこういうことが頻繁に起こるのだ。支える身としては、たまったものではない。
溜息をつくマリアの横から、蝶義丸がアルバに声を掛けた。
「おう、さっきは悪かったな……。お前、名前は?」
「アルバ。……そっちは、蝶義丸でいいんだよね」
「ああ、アルバ。俺は危うくとんでもないことをしでかすところだった。すまないな」
「いや、分かってくれて嬉しいよ」
――見た目通りの単細胞か。だが俺の経験上、こういう奴に限ってコントロールの複雑な能力を使うパターンが多いんだよな。
――そうかなぁ。殴って殴って殴るみたいな感じだと思うよ。
互いに手を握ると、ふん、と蝶義丸は鼻を鳴らした。蝶義丸がアルバを対等の存在だと認めた瞬間だった。蝶義丸はアルバと握手をすると、アルバの横を通り過ぎていった。
「それじゃあな、また明日来る。今度はあの頑固親父をちゃんと確保しといてくれよ」
「あいよ。あんたもほどほどにしなさいな」
蝶義丸は振り返らず、右手を振り上げた。アルバはその姿を隆剛の後ろ姿と比べた。状況こそ異なるものの、どちらも頼もしさと安心感を感じる。ああいうのを、男の背中というのだろう。僕もほしいな、とアルバも憧れた。だが、2人の関係について腑に落ちない点があった。
「そういえば、ここにいる人たちと蝶義丸のグループは対立しているんじゃないんですか?」
そう尋ねたアルバに、マリアはおかしそうに笑って返した。
「確かにそうね。でも、彼らの違いは、国王の素顔をよく知っているか知っていないかの違いで、根本的な目標は同じなのよ。まあ、ぶっちゃけ言えば、あいつらの仲はいいわね」
「は、はあ……」
まるで子供ではないか、とアルバは喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
アルバは店に戻るなり、ううと呻き声を漏らした。破壊された壁や家具。めちゃくちゃになった酒類のビン。抉られたカウンター。あまりの凄惨な光景に、思わず目を瞑ってしまう。
「……どうすんのよ、これ。蝶義丸の馬鹿、ちゃっかり帰りやがったわね」
アルバは蝶義丸の後ろ姿をぼんやりと思い浮かべた。アルバの中での蝶義丸の株ががた落ちするのが分かった。実はいい奴、からやっぱり駄目な奴、にランクが急降下した。
「……そうね、水春とアルバ。食材を買うついでに、あの馬鹿を呼んできてくれないかしら」
マリアが水春に向かって軽くウインクした。水春はそんなマリアをむすりとした顔で睨んで返した。アルバはそのやりとりに気づいておらず、それよりもこの場を手伝わなくていいのかという問題の方が重要だった。
マリアは水春に買ってもらいたい食材を書き記したメモを渡した。そこにはにんじんと大根と書きなぐられており、おまけにハートマークも書かれている。それを水春はぎゅっと握り締め、引きつった笑顔をマリアに向けた。
「ありがたくさぼらせていただきますよ……! ほら行くよアルバ君!」
水春は力の込められた声でアルバに言った。それを聞いたラースが疑問の声を上げる。
――ちょっとキレてるぞこいつ。どうしたんだ?
――マリアさんが水春ちゃんに厄介ごとを押し付けるからでしょ。
――馬鹿言うなよ。ここの片付け以上に厄介なことなんかねえはずだぜ。
アルバは水春に体をぐいと引っ張られて、うわっと声を漏らした。それでも水春は腕を引っ張るのをやめない。結局、尻餅をついたアルバを水春がずるずると引きずって歩いていった。
2人が外に出ると、マリアはふうと息を吐いて近くにあった椅子に座った。
「青春ね。私もあんな時期がなくもなかったわ。てか、あったわ。遅い青春だったけど。苦労したわ、あの堅物を動かすのはね」
ぼんやりと天井を見上げるマリアに、3人の男たちはそれぞれ悲しい思い出を思い浮かべた。
「俺、そんな時代なんかなかったけど……」
「俺もだよ! 羨ましいぜ2人とも!」
「拙者もでござる! 拙者もでござる!」
ルーイ、システイン、半蔵の順番で悲惨な少年期の記憶を言い連ねた。マリアはそんな3人を見て鼻で笑った。その笑いには、嘲笑が含まれている。
「楽しそうでいいじゃないか。大体、水春ほどの美少女が、今まで男とつるんだことがないってのがおかしな話なのよ。そんな水春も、やっといい男と巡り合えたんだ。私はあの子の望むようにしてやりたいね」
「……マリアさん。彼は、これからどうするつもりでしょうね」
ルーイが不意に呟いた。
「はん、どうでもいいわ、そんなこと。重要なのは、水春が幸せになることよ。アルバが何をしようがしまいが、それだけ叶えば何だっていいわ」
マリアは、どこか嬉しそうな顔で呟いた。
3人の男も、夢を見ているような顔で、壊れた店には目もくれずに天井を見上げた。