74.真実の答え合わせ【山野大樹視点】
大樹は言いたい事を全て言い、目の前で慌てる駿を見捨てて、立ち去ろうとした。すると、追い縋るように駿が大樹の腕に手をかけて引き止める。
「本当に待ってください。何もかも話しますから、聞いて下さい」
必死に縋り付いて来る駿を大樹は冷めた目で見た。
「何を今更言い訳をするつもりだ? 君は咲良なんか相手にしなくても、いくらでも選び放題だろう?」
今更何を聞いても言い訳にしか聞こえないのに、聞く必要など無いと切り捨てようとした大樹は、駿の必死な表情にふと気持ちが動かされ、動きを止めた。
「僕はずっと女性不信だったんです」
「君が? まさか……」
駿の突拍子も無い言葉に、大樹は呆気に取られた。
「本当です。中学校の時に始めて付き合った彼女に、同じ高校へ行くのが夢だから地元の高校へ行こうって言われて、僕は違う高校を目指していたので断ったら、いろいろ言いがかりをつけられ別れたんです。でも、その後、僕が彼女に迫って断られたから別れたって噂を流されて、皆から白い目で見られ、孤立してしまって……。それ以来女性が怖くなってしまいました」
大樹は話を聞いて、少々気の毒になった。しかし、それが現状にどう繋がるのだ。女性不信だから、女性の気持ちを利用しても良いと言うのか。
「君が女性不信になった事が本当だとしても、それが咲良を振り回す理由にはならない」
大樹がバサリと切り捨てると、駿は慌てた。
「ま、待ってください。まだ続きがあるんです」
「これ以上聞いても無駄だと思うが?」
「高校の時の彼女について説明させてください」
「女性不信なのに、彼女はしっかりいたんだな」
必死に言い募る駿の言葉を、大樹は揶揄するように返す。
「違うんです。女性不信の僕の女避けのためにイトコが彼女のフリをしてくれたんです。同じ年のイトコが、一緒に北高へ行こうと誘ってくれて、以前住んでいた所から北高は離れていたから、誰も噂を知らないし、そのイトコと付き合っている事にしておけば、誰も言い寄ってこないからと言うから、その計画に乗ったんです。お陰で平穏な三年間を過ごせたんです」
「ふ~ん。君はそのイトコを盾にして守ってもらっていたんだ。それで、今度は咲良をその盾にしたい訳?」
必死に説明する駿の話を聞いても、まだ納得できなかった大樹は、少々意地悪かと思う返しをした。告白までした咲良の気持ちを思うと、所詮言い訳だ。
「咲良さんを盾にするなんて考えてもいません。でも、確かにイトコには守ってもらっていたんだと思います。それで、僕の女性不信も少しずつ消えていきました。それでも誰かと付き合うというのはとても勇気が必要で、咲良さんの事は気になっていましたが、なかなかその勇気は出ませんでした。そんな時、姉とあなたの事を知って、それを解決すると言う事を目的にする事でやっと勇気が出せたんです。でも咲良さんを混乱させたのは僕の弱さです。本当にすいません」
焦ったように話していた駿だったが、話している内に落ち着きを取り戻したようだ。しかし大樹は、咲良の説明とどこか噛み合ってないような気がして、納得出来なかった。
「先に告白したのは咲良の方だろう?」
「え? 咲良さんがそう言ったんですか?」
大樹の問いかけに、駿は驚いたように問い返した。
「ああ、告白したから付き合うフリをする事になったって」
大樹が答えると、駿はしばらく考え込んだ後、徐に溜息を吐いた。
「僕は告白されたなんて思っていませんでした。でも思い返してみると、高校の時から憧れていたとか言われた気がします。その言葉が、中学の元カノから言われた告白と同じで、一瞬頭が真っ白になってしまって、それで咲良さんに上手く話せず、姉とあなたの誤解を解くために付き合っているフリをして欲しいと言ってしまいました。でも、その後すぐに本当に付き合おうと言ったのですが……。やっぱり最初から間違えていましたね」
自嘲気味に話す駿を見て、本当に女性不信で女慣れしていないのだなと、大樹は改めて思った。それでも、ここまですれ違う前に手立てはあったはずだ。
「そんな風に後悔しているなら、どうして咲良に過去の真実を話さなかったんだ? 話していれば、今の咲良の誤解はなかっただろう?」
「自分の情けない過去をさらけ出すのが怖くて、恥ずかしくて言えませんでした。でも、やっと話そうと覚悟を決めて、電話やメールより直接会って話したいと思って、都合を聞いたんです。でも断られてしまって……」
情けなさそうに俯く駿を見て、大樹の脳裏にある光景が思い出された。
それは、五年前の真相を綾に話そうとした時の事。
『な、な、何言っているのよ。もう忘れたって言ったでしょ』
綾はそう言い捨てると、逃げるようにトイレに駆け込んで行った。
「綾と同じだな。五年前の真相を話して誤解を解こうと思ったのに、逃げられてしまったよ」
大樹は思わず愚痴をこぼして苦笑した。
「咲良さんとの事ばかり話していたので忘れていましたけど、五年前の真相がわかったんでしたよね? どうしてわかったんですか? やっぱり、姉さんはまだ五年前の事が誤解だと知らないんですね?」
さっきまで落ち込んでいた駿は、新たな話題に飛びつき、大樹に質問を重ねる。
「あの頃、綾が裏切ったと教えてくれた奴に連絡を取って会ったんだ。そいつは騙されていただけで、騙した奴は、グループで仲良くしていた中にいた女友達だった。その女友達も呼び出して話をしたら、白状したよ。もう五年も経っているせいか、相手に対する怒りよりも、綾が裏切っていなかった事が一番安心したよ。だから綾にも、本当は無かった裏切られた記憶を消して欲しいんだ」
「それなのに、姉さんは逃げていると……」
「そう言うことだ。俺もそうだったけど、もう五年前の事を、わざわざ蒸し返したくないんだと思う。綾にとっては、俺が裏切っていなかったとわかっても、今更どうしようもないからな。だけど彼女の進学する大学さえも変えてしまったし、未来を大きく変えてしまった事は本当に申し訳なかったと思うんだ」
「それは、あなたも同じことでしょう? 五年前の事が誤解だとわかって、姉との関係をもう一度やり直そうとは思わないんですか?」
もう一度? と、大樹は頭の中で繰り返す。五年も経っているのに、今更何をやり直すというのか。
「ははは、面白い事を言うね。五年も経った過去の事だよ。それに、五年前もお互いに相手を信じ切れなかったんだ。いずれこうなる運命だったんだと思うよ」
「そうですか。その程度の想いだったから、仕方なかったんですね。でも、僕は諦めません。今から咲良さんに会いに行きます。自宅の場所を教えてください」
急に強気になった駿の言葉に、大樹はムッと苛立ちを覚えた。確かにお互い信じ切れなかったと言ったが、そんな言い方は無いだろう。
「ヘタレな駿にその程度の想いなんて言われたくないわね」
急に飛び込んできた声に、二人は驚いて振り返った。そこには、腕組みしてこちらを見据える綾が立っていた。そして、スタスタと二人の前まで来ると「何処へ行ったかと思ったら、こんな所で何の密談?」と薄ら笑いを浮かべている。
「ね、姉さん、聞いていたのか?」
「大きな声だから、聞こえてきたのよ。それにしても駿、今から何処へ行くつもり?」
「そ、それは……」
大樹は兄弟の会話に口を挟まず傍観していた。いや、驚きすぎて口を出す事さえ思いつかなかった。
「ところであなたは、何をしにここへいらっしゃったのかしら? お客様なら、あちらでBBQでも頂いてください」
急に大樹の方へ視線を向けた綾は、素っ気無い言葉で遠回しに立ち去れと言っているようだ。
「あ、綾、話があるんだ。それとも、俺達の話を聞いていたのか?」
「さっきも言ったけど、聞こえてきたのよ。あなたが五年前もお互いに信じ切れなかったから、いずれこうなる運命だったって言った辺りからよ。あの時は高校生だった私には、どうする事もできない程の出来事だったわ。それを信じ切れなかったとかその程度の想いとか、ずいぶんな言われようね」
「でも、あの時、綾が一言俺に訊いてくれていたら、こんな風にすれ違う事は無かったんじゃないか? 俺の方こそ、訳も分からなくてどうする事もできなかったよ」
「それはそうかもしれないけど……、好きな人から別れを告げられるかもしれないと言うのが、どんな恐怖か分かる? 五年前の高校生の私には、逃げる事しかできなかったのよ」
興奮して話す綾を見て、大樹は少し冷静になった。そう言えば、咲良が言っていた通りだ。
『綾さんは、好きな人から別に恋人がいるなんて聞かされたら怖いって思ったから、お兄ちゃんに確かめられなかったんでしょ』
(そんな乙女の気持ちが分かったとしても、俺の方の気持ちはどうなる?)
「じゃあ、何も分からず取り残された俺の気持ちは分かるのか?」
「それは……」
綾は痛い所を突かれたように、口ごもってしまった。
「あの……お二人さん。この際、何もかも思っている事をぶちまけたらどうでしょう? それで、僕も咲良に全てを話しに押しかけたいので、自宅の場所を教えて頂けたらと思いまして……」
恐る恐る駿が、向き合う二人に声をかけた。
「携帯よこせ」
「え?」
「携帯の地図アプリに住所を入力してやる」
大樹は駿の要求を受け入れる事にした。又駿に助けられた事が癪に障るが、まあ、お互い様か。
「ありがとうございます」
携帯を返すと、駿は嬉しそうに笑って礼を言い、駆出して行った。綾が我に返って「駿」と名を呼んだら、彼は振り返り「姉さんも頑張れ」と言い残して去って行った。
二人の間に静けさが戻ると、どうにも気まずくなった。すると、綾が徐に頭を下げて「ごめんなさい」と言った。大樹は大層面食らってしまった。
いきなりどうしたんだと思っていると、綾が「やっぱり、あの時は逃げた私が悪いよね」とポツリ。
「いや、でも、怖かったんだろ?」
なぜだか素直に謝られたせいか、咄嗟にフォローしてしまった自分に、大樹は戸惑った。
「でも、本当は嘘だったんでしょ?」
「知っていたのか?」
「ううん。今回再会してからのあなたの態度と、今になって思い返してみたら、彼女…後藤さんだっけ? 後藤さんに対するあなたの態度で、裏切りはなかったなって思ったの。今回も話を聞かずに逃げ回って、ごめんなさい。前回逃げた事が負い目になって、今回も素直になかなかなれなかったの。本当にごめんなさい」
あまりの変わりように、大樹は只々困惑する。
「ど、どうしたんだ? 急に素直に謝るなんて……」
「なによ。別にいいでしょ。素直になったって。弟やあなたの妹まで巻き込んで、誤解を解こうとしてくれているのに、当事者の私がいつまでも逃げていちゃダメだなって思ったの」
「そ、そうか、良かったよ。これで、綾の男性不信も治るかな?」
これでもう、裏切り者の烙印は消されただろうと、大樹は心の中で嘆息する。
「そうね。あなたの方はどうなの?」
「俺は……綾が、俺の信じた綾だったと分かって嬉しかったよ」
大樹も素直に心情を話した。こうして素直に向き合えた事が、嬉しかった。
「あなたの信じた私って、どういう意味?」
「綾は絶対に俺を裏切らないって信じていたよ。だから、この五年間は人間不信になっていた」
「わ、私も信じていたのに……信じ切れなかった弱い私でごめんなさい。今も私を信じてくれるの?」
「それは、もちろん」
「ありがとう。私も信じるから」
大樹はやっと肩の荷が下りたような気がした。しかし、二人の記憶が修復され、綺麗な思い出として収納されてしまうと、二人の関係はどうなるのだろうか。
このまま今の仕事が終わり、又関西へ戻ったら、もう二度と綾と会う事は無いのかも知れない。それとも友人として、新たな関係を築くのだろうか。
大樹は自問する。
過去へは戻れないけれど、新たな未来のキャンバスに、どんな夢を描きたいのか、と。




