71.乙女はその真実を聞きたくない【咲良視点】
咲良はほてって少し赤くなった肌を鏡に映して、はぁーと息を吐く。
今日は晴天に恵まれ、まさしくプール日和だった。しかし、肌が焼けると黒くなる咲良は、夏のお出かけは日焼け止めが必需品で、要注意だった。
高校生の頃はあまり気にしていなかった咲良だが、今は周りの影響で気をつける様になった。
それなのにプールが久しぶりだった咲良は、日焼け止めを塗りなおす事を忘れ、しっかり焼けてしまったのだ。
火照りを鎮める化粧水をパッティングし、水分もたくさん摂る。ネットで調べた対処法を色々試してみる咲良だった。
久々のプールは楽しかった。男女のグループで出かけるのは、高校の時の文化祭のクラスの打ち上げでカラオケに行った事や、柚子と柚子彼にグループデートと称して合コンデートに引っ張り出された事ぐらいしか思い出せない咲良にとって、今回は今までに無く楽しかったのだ。
恋愛が絡まないグループって、ドキドキは無い代わりに気楽なのだと実感した。たしかに王子と一緒にいると、ドキドキして落ち着かない。その上、無謀な恋は咲良を苦しくさせるばかりだ。
だからと言って、昨夜の電話での咲良の物言いは、王子に対して上から目線だったのはないかと反省する。
『石川君、自分の胸に手を当てて、よーく考えた方がいいよ』
(ホント、何様だって感じだよね)
謝るべきかとも思ったけれど、王子にも反省して欲しかったのだと、咲良は心の中で反論する。
二人だけのドライブは絶対ダメだ。彼女のいる地元で、誤解されるような事はしてはいけないと、真面目な咲良は思う。じゃあ、大学だったらいいのかと言うと、王子が今まではぐらかしていた彼女の存在を、知らない間はまだ演技だからと自分に言い訳も出来たが、知ってしまった今となっては、大学へ戻ってももう無理だ。
咲良は、ほてる肌と悶々とする気持ちを持て余すばかりだった。
翌日の月曜日、いつものように自動車学校で午前中の学科教習を受け、午後からの技能講習の時間まで皆でお喋りをする。午後からやって来た加藤も加わると昨日のプールの話題で盛り上がった。
しばらくすると加藤が、少し声を潜めて咲良に話しかけた。
「さっき、ここへ来た時、エントランスで神崎さんに声を掛けられたんだ。昨日、山野さんたちと一緒にプールへ行ったのかって」
加藤の話を聞いていた咲良と柚子は驚いた。そして、柚子はやっぱりと納得したように頷いた。
「神崎さん、やっぱり咲良の事気になっているんだね。石川君と同じ大学だから。時々咲良の事見ているような気がしていたんだ」
柚子に言われて、咲良も納得したように頷いた。王子が必要以上に咲良を構うから、それを茉莉江は勘付いているのかも知れない。
(彼女だったら心配だよね。他の女性と二人で遊びに行こうとする彼氏なんて)
それから数日、咲良は王子とのドライブをどうしようかと悩んでいた。もちろん二人きりはダメだが、皆で行くなら良いだろうかと思案していた。
しかし、王子の恋人が咲良の存在を気にしているのなら、誤解されない様にするのが友達と言うものじゃないだろうか。
咲良は、茉利江が咲良の事を気にしていると聞いてから、何だか気持ちがソワソワして落ち着かない。
それはまるで、村娘が王子様に勧められて座った椅子が、実は王妃様の席だったと分かった時の恐怖と畏れ多さ。
(やっぱり村娘が王子様のお友達なんて、無謀だったよね)
咲良は、まだ柚子にもドライブの話をしていない事だし、と自分に言い訳をして、ドライブ自体を断ってしまおうと言う考えに傾きつつあった。
そんな時、王子からメールが届いた。
『こんばんは。この間は電話で失礼な事を言ってしまってごめんね。実はいろいろ咲良に言っていない事があり、その事のせいで咲良を怒らせてしまったのかもしれません。だから、咲良に本当の事を聞いて欲しいと思っています。近い内に直接会って話す時間が取れないかな? 都合の良い日と時間を教えてください』
(何、これ? 本当の事って、神崎さんの事?)
ああ、それで……と、咲良は全てが納得いった。
(直接会って、実は神崎さんと続いていますって言うの?)
(もしかして、私って当て馬?)
咲良の心の中に黒い気持ちが広がって行く。無性に腹が立って来た咲良は、その気持ちのままにメールを打ち出した。
『こんばんは。今はお話を聞く時間が取れません。それから、ドライブも友達の都合が悪いので、私もやめておきます。他の人達と楽しんで来てください。』
本当はもっとキツイ内容だったが、小心者の咲良は素っ気なくお誘いを断るだけにした。
メールを送ってしまうと、あんなに胸を占めていた怒りは、スルリと哀しみに置き換わり、咲良の胸を締め付ける。
王子との関係も、兄達の誤解も、王子の恋人の件も、もう何も考えられなくなった咲良は、全てに蓋をして眠ってしまう事にしたのだった。
*****
週末の土曜日、兄大樹が実家へ帰って来た。明日のBBQパーティに出席するのだと言う。
「お兄ちゃん、本当に明日行くの?」
咲良が胡散臭げに問うと、大樹はニヤリと笑った。
「当たり前だろ。こんな面白そうな事、逃すはず無いだろ」
「お兄ちゃんは嫌がるかと思ったんだけどなぁ」
咲良は、兄が嫌がって逃げたら自分も便乗しようと、懲りずに思っていた。
そんな咲良の言葉にクスリと笑った大樹が、急に真面目な顔になった。
「咲良、真面目な話があるんだ。後でお前の部屋へ行くからな」
そう言って自分の部屋へ向かって行った大樹を、咲良は驚いたまま見送った。
しかし、昼過ぎに帰って来た大樹は、咲良に不穏な宣言をしたまま出かけてしまい、咲良を拍子抜けさせた。身構えていた咲良は、又いつもの兄のからかいだったかと思い、どこかホッとしていた。
夕食とお風呂を済ませ、自室でのんびりとしていた咲良は、明日の着て行く服を悩んでいた。本当はすでに母親にも相談して、パーティという事でお嬢様風ワンピースに決めていた。しかし、BBQの事を思うと、もっとラフな服装で良いのではと言う考えが付きまとい、咲良は悩み始めたのだった。
そんな時、咲良の部屋がノックされた。
「咲良、今いいか?」
大樹の声に驚いた咲良が、思わず「はい」と答えた途端、ドアが開いた。
「お兄ちゃん、いきなり開けないでよ!」
「お前、返事しただろ?」
「名前呼ぶから、思わず返事しただけ」
「まあまあ、話があるって言っていただろ」
大樹はそう言うと、床の上に座り込んだ。咲良はからかいじゃなかったのかと内心ガッカリしながらも、兄を押し返す気概もなく、しかたなく受け入れた。
「咲良、お前達が言ってくれた五年前の事だけど、あれやっぱり誤解だったよ」
大樹は少し照れ臭そうに、話した。
「え? ホント?」
「ああ、ちょっと気になって色々調べたら、真相がわかったんだ」
「ええっ、真相? 本当に? 五年も前の事なのに?」
「まあね。お前達から聞いたヒントを元に、昔の友達に会って話を聞いたんだ。そうしたら、俺と仲の良かった女友達が、綾に『自分が新しい彼女だから別れて』って電話したらしい。それで、俺には綾が二股しているって教えて、二人を誤解させて別れさす計画に、俺達はまんまと引っかかったんだよ」
「で、でも、お兄ちゃんの携帯電話だったって……」
咲良はどうにもその点に引っかかっていた。
「ああ、五年前の冬休みの終わり頃、夜に友人達と我が家で新年会をしたんだ。その中にその女友達もいたよ。俺も皆でわいわいと騒いでいたから、携帯電話の事なんてすっかり忘れていたんだ。その時に電話したって言っていたから、俺の携帯電話を持ち出してトイレとかで綾に電話したんだろう。丁度その頃から綾との連絡が途絶えたから」
いつに無い大樹の真剣な表情と正直な物言いに、咲良は引き込まれた。兄達二人は悪意のある計画によって引き裂かれた恋人達だったなんて……と、咲良の瞳は潤み出す。
「お兄ちゃんの女友達って人は、どうしてそんな事をしたの?」
「まあ、綾が妬ましかったんだろうな」
大樹の返事を聞いて、咲良は『そんな……』と心の中で呟いた。きっとその人はお兄ちゃんの事が好きだったんだろうと思った。それでももっと不憫なのは、そんな事で別れさせられた恋人達だ。
「それでお兄ちゃんは、どうするつもりなの?」
咲良の脳内では、五年の歳月を経て誤解が解け、再び愛を確かめ合う恋人達の映像が流れ出す。
「どうもこうもないよ。もう五年も経っているんだ。今更昔に戻れる訳じゃなし。まあ、俺が裏切ったなんて記憶は消し去りたいから、綾の誤解は解いておきたいけどな」
咲良は大樹のテンションの低さにガッカリした。誤解が解けたらもう一度じゃないの? と心の中で突っ込むが、口に出しては言えない。それでも咲良は、綾の事を思うと胸が苦しくなった。
「綾さんは、お兄ちゃんに裏切られたと思って、男性不信になっていた訳でしょう? それに、志望大学も変えたって……。その女友達は綾さんに謝らないの? そんな事をして許されるの?」
「そりぁ、悪いのはその女友達だけど、俺達がお互いをしっかり信じていたら、こんな事にはならなかったんじゃないかな。そもそも綾がその電話の事を俺に確かめてくれていたら、こんな事にはならなかったよ」
大樹の言い分を聞いて、咲良は無償に腹が立った。
なぜ被害者の綾が責められねばならないのか。
辛い事実を本人に確かめる事の恐怖を、なぜ分からないのか。
「お兄ちゃんはちっとも分かっていない!!」
怒りがある一定レベルを過ぎると、普段言えない事を言ってしまうのが咲良だった。先日、王子に言ったように。




