59.修羅場未遂【咲良視点】
地元の自動車学校なので、時々小学校や中学校、そして高校の時の同級生と会う事があり、プチ同窓会となる。近況を報告しあうと、咲良がQ大へ行っている事に決まって驚かれ、そして「咲良は都会へ行っても変わらないね」と柚子と同じような事を言われてしまう。それでもそんな地元での日々を咲良は楽しんでいた。
加藤とも、あれ以来自動車学校で会うと、話をするようになった。やはり同じ趣味の人と話をするのは楽しいと咲良は満足していた。
「ねぇ、あれ、神崎さんじゃない?」
いつものようにロビーの時間待ちのできるスペースでおしゃべりをしていたら、柚子が自動ドアから入ってきた女性を見て、咲良に耳打ちした。
咲良も柚子の視線の先を追いかけて見ると、カウンターで事務の人と話をする神崎茉莉江の姿を認めた。
はっきり言って、高校の頃より更に綺麗になっていた。
「何だか凄く綺麗になったね」
咲良は見惚れて目が離せず、ポツリと本音が零れる。
「神崎さんと王子って、まだ続いているのかな?」
柚子も茉莉江に視線を止めたまま、ポツリと疑問を口にした。
「遠距離だし、どうだろう?」
咲良も視線を奪われたまま、答えた。
歳上の恋人の件は姉だったし、もともとの恋人は茉莉江のはずだ。でも、今の王子は、恋人がいる人の態度ではない。まるで本当に咲良と付き合っているような言動だ。
咲良は又答えの出ないループにはまりそうになり、脳内の保留の引き出しへと放り込んだ。
二人がボーっと茉莉江を見つめていると、こちらを向いた彼女と目が合った。少し驚いたような顔をした彼女は、何を思ったのか咲良たちの方へとやって来た。
「あの、山野さん、よね?」
彼女の問いかけに、咲良は驚いた。
高校の三年間、同じクラスになった事もなければ、会話をした事もない。まさか自分の事を認識しているとは、咲良は思わなかったのだ。王子だって、咲良の存在すら知らなかったのだから。
(まさか、王子が私の事を話した、とか?)
瞬時に咲良の頭の中をハテナが駆け巡る。
声をかけて来た意図は?
どうして咲良の名前だけ出したのか?
これはもしかして、ファンタジーのライトノベルでよくある、王子様の婚約者の公爵令嬢が、王子様に近づく庶民出のヒロインをけん制すると言うシーンか。
いやいや、自分はモブのはずだ。
咲良がいささか現実逃避な妄想を繰り広げている間に、柚子が茉莉江に話しかけていた。
「神崎さん、咲良に話があるのなら、そこに座れば? ちなみに私は森嶋柚子だけど、知っているかな?」
柚子がニッコリと笑って言うのを聞いて、咲良は我に返った。
「ごめんなさい。森嶋さんの顔は見覚えがあるんだけど、名前までは……。山野さんは卒業アルバムで確認したから……」
(えっ? 卒業アルバムで確認? どうして?)
茉莉江は勧められるまま椅子に座ると、申し訳なさそうに謝罪と説明をした。しかし咲良には、先程の妄想が現実味を帯びたような気がした。
「あの、どうして私の事を?」
咲良は傍で見ると益々美しい茉莉江に臆しながら問いかけた。
「山野さんって、駿と付き合っているんでしょう?」
(えっ? 駿? 駿って?)
「ええっ?!! 駿って、石川君のことだよね? 咲良と石川君が付き合っている? まさか!! 同じ大学でサークル仲間なだけだよね、咲良」
柚子は驚いて声を上げた。咲良も慌ててコクコクと頷く。
「本当? 山野さん? 本当に付き合ってないの?」
これはやはり妄想どおり、『私の婚約者に近づかないで』って言う奴か。咲良の頭の中は最近はまっている悪役令嬢モノや婚約破棄モノのファンタジーのお話がグルグルと回っている。
「本当です。石川君とは地元が同じだから、サークルでよくお話しするだけで……でも、誰がそんな事を……」
「ちょっと噂を耳に挟んでね。でも、違ったのか……残念。もしも、駿に彼女が出来たって話を聞いたら、教えて欲しいな。そうだ、山野さん、携帯の連絡先教えて?」
咲良は訳も分からないまま、茉莉江と連絡先を交換した。そして彼女は美しく微笑んで「宜しくね」と去っていった。只々、咲良と柚子は、綺麗に歩き去る彼女の後姿を呆然と見つめていた。
「ね、咲良。さっきの、何だったの?」
「私が訊きたいよ」
「もしかして、神崎さん、王子が浮気していないか探りを入れてきたんじゃない?」
「でも、どうして私?」
「王子が咲良と同じサークルだって、神崎さんに話したのかもね。それでも、いきなり付き合っているの? はないよね」
ハハハと笑う柚子に咲良は苦笑しながらも、まだ心臓がドキドキしていた。
仮の恋人役は、兄と姉のためで、大学限定のもの。地元では関係ないよねと、咲良は心の中で言い訳をする。
「でもさ、やっぱり王子と神崎さんはまだ続いていたんだね。神崎さんって嫉妬深いのかな。咲良も誤解されて災難だね。もしも王子との関係が進展していたら、修羅場だったよね」
柚子は人事だからか、楽しそうに話す。しかし、咲良はその話しの内容を聞いて、ゾッとした。
もしも茉莉江と王子の姉が知り合いだったら……。王子姉には付き合っているって言ったのだ。
修羅場と言う言葉に、恐ろしい妄想ばかりが頭を駆け巡って、咲良は益々身震いした。
「神崎さん、誤解だって納得してくれたよね?」
咲良は安心を求めて、柚子に尋ねた。
「スパイ依頼して来たんだから、大丈夫だよ」
「スパイ依頼?」
「ほら、王子に彼女が出来たら教えてってやつ。咲良は浮気監視役なのよ。やっぱり神崎さんでも、彼氏と大学が違うと心配なんだ」
柚子はそう言うと、少し遠い目をした。咲良はそんな柚子を見て、妙に納得して頷いた。
咲良はその夜、今日の事を思い返した。
やはり今日の事は、王子には言わないでおこう。王子に気持ちを伝えた身としては、焼きもちから王子の彼女に変な言いがかりをしているなんて思われても辛いから。
咲良は自分の中で言い訳を続けながら、酷く落ち込んでいる自分自身に気づかないフリをした。
所詮咲良と王子は仮の関係。王子と茉莉江の本物には敵わないのだと、自分に言い聞かす。
王子からのメールは、合宿式の自動車学校へ言った日から止まっている。その事が良い証拠じゃないかと、心のどこかで期待していた自分自身に、咲良は釘を刺したのだった。




