55.Q大保護者会【咲良父、山野春樹視点】
自分が青春時代を過ごした街で、久々に家族4人が揃った。山野春樹はその事に感慨深いものを感じていた。
子供を通してもう一度青春時代を振り返る。それはなんて甘美で贅沢なセンチメンタリズム。
彼は、妻桃子と楽しそうにメニューを見ながら話す子供達に視線を向け、目を細めた。
お正月以来の息子の顔より、ゴールデンウィーク以来の娘の元気そうな顔を見た時の方が、嬉しく感じられるのは、自身の些細な夢を叶えてくれたせいか。それとも男親と言うものは、やはり娘には甘いせいか。
「大樹までQ大と縁があるなんて、不思議なものだな」
「そうね。咲良がQ大との縁を引き寄せてくれたお陰かもね」
両親の言葉に咲良は、照れ臭そうに笑った。
「それを言うなら、飯島先生のお陰だよ」
咲良は飯島彼方の講義を受けたくてQ大を受験したから、そう思うのだろう。
咲良の言葉に、春樹は明日の保護者会の事を思い出した。
「そう言えば、明日の保護者会で飯島彼方の講演があるんだよ」
「へぇ、保護者会の参加率上げるために飯島彼方まで引っ張り出したのか。それって、俺も聞きに行っていいのかな?」
大樹が驚いたように声をあげた。どうやら彼も飯島彼方の講演に興味があるらしい。
「無理じゃないか? 保護者会も事前に参加申し込みしないといけなかったから」
「まあ、そうだろうね。それにしても、飯島彼方が良くOKしたよな」
大樹の言葉に同意するように、春樹も頷いた。
明日が楽しみだと笑う妻を横目で見ながら、春樹は咲良の言うとおり、この思わぬ幸運は飯島彼方のお陰かなと一人苦笑した。
全国から学生の集まるQ大の保護者会は、大学の会場以外に8地区でも、それぞれの日程で行われる。
それでもやはり多く集まるのはキャンパス会場で、今年は特に飯島彼方の講演のお陰か、出席率は良いようだ。他の会場では、飯島彼方の講演のVTRを流すらしい。
保護者会の行われる階段教室に入った春樹は、人の多さに少々圧倒された。短大出の妻が初めての大きな階段教室に興奮気味なのを感じながら、空いた席へと座った。
全体会が始まり、後援会会長の挨拶、学長の挨拶、大学運営報告、就職状況報告等が、プログラム通りに進んでいく。そしていよいよ飯島彼方の講演が始まる。
登場した飯島彼方について、思っていたのよりもずっと若いと咲良から聞いていた春樹でも、やはり想像外の容姿に内心驚いた。会場もざわついている中、「まあ、若くてイケメン!」と隣で喜ぶ桃子に苦笑する。
彼の本に記載されている作者近影はいつも、サングラスをかけて俯いているとか、斜め後ろとか、顔がはっきり分からないものばかりだし、年齢も不詳だ。ただ、Q大出身と言うのは公表されていて、春樹はずっと自分の先輩だと思っていた。
前に立つ飯島彼方は、黒いセルフレームの眼鏡をかけているが、その整った顔を隠しようも無く、何処かで見たような気がした春樹は、芸能人に似た奴がいるのだろうと結論付けた。
こうして皆の前に出てくると言う事は、これからは自分の姿も公表していくと言う事か。益々女性ファンが増えるに違いないと、春樹は話を聞きながら頭の片隅で思っていた。
飯島彼方の講演テーマは『人生における読書の楽しみ方』と言うもので、作家目線と言うより読書人としての経験を踏まえた話で、分かりやすい話し方に最後まで引き込まれ、拍手喝采だった。
その後、昼食を挟んで学部毎の分科会があり、希望者には個別懇談も実施された。
昼食のために、一部の学食が特別に開いていて、普段子供達が食べている物を食べられるという事で、どの学食も大盛況のようだった。
昨夜の咲良の話では、B級グルメのサークルに入っているらしく、学食のメニューはどれも美味しくて、全て制覇したいと嬉しそうに話していた。
そんな事を思い出しながら春樹は、「本当に美味しい」と咲良と同じ嬉しそうな笑顔で食べている桃子に目を細めた。
咲良が大学に進学してから、妻と二人きりの生活になった春樹は、再び新婚時代が戻ってきたような新鮮さを感じていた。今回の保護者会出席も、妻と二人きりのドライブと旅行を兼ねたようなものだった。
最後には、保護者同士または教授や准教授や講師等との交流を目的に交流会が開催された。立食パーティ形式で、後援会役員や教授達の紹介も行われた。
春樹達は、分科会で一緒になった保護者達と言葉を交わし、子供達の話や大学についての情報交換をする。そうして和やかな時間を過ごしていた時、春樹は見覚えのある顔を見つけ、驚いた。
「飯田、飯田じゃないか?」
春樹にとってその相手は、大学卒業後27年間会う事はなかったが、忘れる事はなかった。卒業と同時に音信がとれなくなり、内定していた就職先も辞退したらしいと噂が流れた。あの頃は携帯電話などと言う個人に直接連絡の取れるものは無く、仲間内でも心配して、皆で集まるといつも話題に上っていた友だった。
長い年月を経ても忘れる事のなかった面影に、こんな場所で出会うなんて春樹は思いもしなかった。
声をかけられた相手は、春樹の顔見た途端驚いた顔をし、そして恐る恐る「もしかして、山野か?」と返した。
「そうだよ。お前今まで何処で何をしていたんだよ。皆心配していたんだぞ」
「………」
困惑した表情の飯田は、どう答えようか思案しているようで、なかなか声を発しない。すると、彼の斜め後ろにいた女性が一歩前に出た。
「山野さん、お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか? 石川です」
(ええっ? マ、マドンナ!!)
石川と名乗った女性はニコリと微笑み、頭を下げた。春樹は27年ぶりに見るマドンナに、驚き慌てた。
「も、もちろん、覚えています。お久しぶりです」
「主人が皆さんにずいぶんご心配かけたようで、本当にすいません」
再びマドンナが頭を下げたが、春樹はその事より、マドンナの言った『主人』と言う言葉に驚き、マドンナの横に立つ飯田に目を向けた。飯田はマドンナの行動に驚いたようにその様子を見つめている。
「しゅ、主人って……飯田の事ですか? もしかして、二人は結婚……」
「すまん」
飯田は春樹の言葉を絶ち、謝罪の言葉と共に深々と頭を下げた。
春樹は複雑な心境になった。マドンナと結婚したのに、仲間の誰にも連絡しなかったなんて……水臭い奴だと、春樹の心の中でフツフツと怒りが湧いてくる。
「皆との約束を裏切ったから、会わす顔がなかったんだ。本当にすまない」
「飯田、俺達を見くびるな。そりゃあ、飯田がマドンナと結婚するなんて聞いたら、怒る奴もいたかもしれない。でもな、皆友達の幸せを喜べない奴らじゃないだろう?」
言い訳をする飯田に、ますます込み上げそうになる怒りを抑え込み、春樹は訴えた。
その時、春樹の態度を咎めるように、桃子が春樹の腕に触れ、小声で囁いた。
「あなた、声が大きい。それに私にも紹介してくださらない?」
桃子の言葉に、春樹はハッと我に返った。どうやら、少々興奮していたようだ。周りも遠巻きにこちらの様子を伺っているような雰囲気があった。
「あ、ああ。興奮してしまって、申し訳ない。飯田、それから奥さん。僕の妻の桃子です。桃子、大学時代の寮の仲間で、以前に卒業後に連絡の取れなくなった奴がいるって言っていただろう。あいつがこの飯田だよ」
「あなた、なんて紹介の仕方を……」
「いえ、奥さん。いいんですよ。私が全て悪かったんですから。改めまして、大学時代同じ寮でずっと仲良くして頂いていた飯田……いや、今は石川健人と言います。それから、こちらが妻の百合子です。宜しくお願いします」
健人は丁寧に自己紹介をすると、隣に立つ百合子も微笑んで頭を下げた。
「こちらこそ、山野の妻です。主人が失礼な態度ばかりで、すいませんでした。宜しくお願いします」
相手の自己紹介にあわせて、桃子も自己紹介をするが、隣に立つ春樹は驚いたように息を呑んでいる。
「石川って、お前婿に入ったのか?」
「まあ、色々あってな。そう言う事だ」
驚いて問いかけた春樹に、健人は苦笑して答えた。
「その色々を聞きたいが……、近いうちに仲間達を集めるから、飯田……じゃない石川か、とにかくお前は皆に説明する義務があるぞ」
春樹は今まで黙っていた相手の弱みに付け込み、説明責任を押し付ける。それでも自分の負い目を自覚しているのか、健人はホッとしたように頷いた。
「ああ、分かっている。ここで山野に会えてよかったよ。ずっと気がかりだったんだ。皆に会いたいし、謝りたい。宜しく頼むよ」
そうして二人は連絡先と名刺を交換し合い、再び驚く事になった。
「え? M県にいるのか? 確か実家はS県じゃなかったか?」
名刺を見た健人は、自分の記憶と照らし合わせて問いかけた。
「ああ、仕事の関係でM県に来て、こっちで結婚して家を建てたんだ。途中単身赴任もしたけど、今はM県にいるよ。そう言うお前も、M県だったのか。それも、職場は同じ市内じゃないか。近くにいるのに会わずに、こんな所で会うとはな」
春樹も相手の名刺を見て驚き、つくづく今回の再会の妙に感じ入った。
「まったくだ」
健人は春樹の言葉に同意し、嬉しそうに笑った。
「それにしても、石川酒造って大きな会社じゃないか。そこの副社長とは、ずいぶん出世したな。石川って言う事は、奥さんのお父さんが社長なのか?」
春樹は名刺を手にしたまま、不躾に問いかける。すっかり大学時代のような気安さだ。
「いや、社長は横にいる妻だよ」
健人の返事に春樹は驚いてマドンナの方を見た。
「いえ、私はお飾りの社長で……」
「こんな素敵な社長さんの会社のお酒なら、飲んでみたいわよね、あなた」
ニッコリ笑った桃子の言葉に、春樹は『憧れのマドンナのお酒なら飲みたいでしょう?』と言う隠された言葉の裏を感じながらも、それが嫌味なのか言葉通りなのか戸惑ったまま、「そうだね」と笑い返した。
「ところで、ここにいると言う事は、お互いに子供が母校に進学していると言う事だよな」
健人は不穏な空気を感じたのか、上手く話題を変えた。
「ああ、娘が今年入学したんだ」
「奇遇だな。うちも長女が院に、次男が学部に今年入ったんだ」
「じゃあ、下の子は同級生か? 専攻は? うち娘は文学部なんだ」
「うちは二人とも工学部だよ」
「そうか、それでは余り関わりはなさそうだな。まあ、子供の事はさて置いて、近くにいるんだから、これからはQ大の事でもいろいろ情報交換できそうだな。まずは、大学時代の仲間達に早速声をかけるよ。皆の怒りがどんなものか、覚悟しておけよ」
春樹の少々上から目線の物言いも、27年ぶりの再会の喜びに笑いで締めくくられた。そして、春樹の頭の中は、すっかり青春時代に舞い戻っていたのだった。
咲良も大樹も駿も綾も知らない所で、事態が大きく動いていきます。




