53:夏休み前夜
再び咲良視点になります。
兄の事はさて置いて、咲良にとって母からの電話は、福音であった。
早速咲良は夜行バス帰省を断るために、王子にメールする事にした。
『夏休みの帰省の件だけど、両親が保護者会参加のためにこちらへ来るので、一緒に帰る事になりました。もしも、もう夜行バスの予約をしていたら、キャンセルをお願いします』
考えあぐねた末の文章をメールで送ってしまうと、咲良は肩の荷が下りたように、心も軽くなった。
(こんな時、親の有難味がわかるなぁ)
少々方向違いな感謝の念をふるさとの両親に向けて送ると、咲良は内心ニンマリとしたが、それも王子からの返信が返って来るまでだった。
『咲良が一緒に帰らないのだったら、僕も両親と一緒に帰る事にするよ。そのかわり、保護者会の前日の土曜日はアルバイトをしよう』
すぐに返って来た王子のメールを見て、咲良は「えー!」と声をあげた。
アルバイトは後期が始まるまでお休みだと言ったじゃないかと、心の中で文句を言う。
「どうしたの?」
咲良の上げた声は、勉強中の由香の手を止めたようだった。
「ううん、何でもないの。地元の友人からメールが来ただけ」
咲良は誤魔化す時、いつも地元の友人を借り出す。心の中で柚子の顔を思い出し、謝っておく。最近夏休みに行く自動車学校の件で連絡を取り合ったばかりだ。
「そう言えば由香は、試験が終わったらすぐに実家へ帰るの?」
咲良は再び由香に声をかけた。
「ううん、帰らないつもり」
「え? そうなの? アルバイト? ずっと寮にいるの?」
「うふふ。夏休みの間、恭ちゃんとプチ同棲するの」
「ええっ?!!! ど、同棲?!」
咲良は、先程の王子からのメールの驚きの何倍も驚いた。
同じ時に告白したのに(由香の場合は告白されたのだが)、この差は……。ここまで考えて、空しくなって咲良は考えるのをやめた。もしかすると由香は、大人の階段を駆け上がってしまったのかもしれない。
「そう。普段寮だから、土日ぐらいしかお泊り出来ないし、ご飯も作って上げられないでしょう? もちろん夏休みの間、アルバイトもするし……」
「……そう、なんだ」
どうリアクションして良いか分からない咲良は、ポツリと返事を返すと、机の上に広げたテキストに目を向けた。
「咲良は、石川君と一緒に帰るの?」
もう会話はおしまいと思っていたのに、由香の方は気分が乗ったのか、話題を咲良の事に振ってきた。咲良は内心、帰省の話を出した事を後悔した。
「ううん。両親が保護者会に参加するためにこちらへ来るから、一緒に帰るの」
「あ、保護者会。私の母親も来るって言っていた。それも、恭ちゃんのお母さんと」
ああ、幼馴染だから、親も仲がいいんだなと理解した咲良だったが、自分と恋人の母親同士が仲良いって、別れた時は最悪かも……などと思った事は由香には内緒だ。
「プチ同棲はお母さん達も知っているの?」
そんなに仲が良いのなら、公認の仲なのかと咲良は疑問を口にした。
「まさか!」
「まさかって、付き合っている事も言っていないの?」
「まだ付き合いだしたばかりだし……わざわざ親に付き合い始めましたなんて、報告する?」
それもそうだと一応納得したが、今度はバレないのだろうかと心配になる。
「そうだよね。でも……、彼の母親が突然アパートへ尋ねてきて、プチ同棲がバレるとかないかな?」
「大丈夫だよ。昔から恭ちゃんの家へ遊びに行っていたから、又遊びに来ているって思うから」
結局は昔からの家族ぐるみの付き合いで、幼馴染で、家族に報告すればすぐにでも公認の仲になれる相手なのだ。由香の相手は。咲良の偽物のお付き合いとは次元が違うのだ。
益々空しくなった咲良は、「そうなんだ。良かったね」と笑顔を作って言葉を返すと、今度こそは会話を終わらせようと、机に向かった。
*****
試験が終わり、明日から夏休みとなった夜、咲良、由香、真紀、葉奈のメンバーで、再び女子会が開かれた。
「夏休の予定、もう決まっているの?」
真紀が嬉しそうに皆に聞いた。
「地元へ帰って、自動車学校へ行く予定だよ」
咲良が真っ先に答えると、真紀が「私も」と返す。
「真紀ちゃん、車の運転、大丈夫?」
「うん、私もちょっと不安なんだ」
のんびりした性格で運動オンチだと言う真紀の運転は確かに心配だけど、はっきり訊く由香も由香だと、咲良が心の中で咎めていると、真紀は由香の失礼な質問に怒る事もせず、素直な心情を吐き出した。
「心配性のお父さんが、免許を取るのを良く許したね」
「だって、お母さんが絶対に車を運転できないと困るからって・・・・・・。私の地元は運転できないと本当に不便なんだ」
過保護だと聞いていた父親でも母親には勝てないのかと、葉奈の突っ込みに答えた真紀の言葉に、咲良は妙な関心をした。
「私はねぇ、軽井沢のペンションで住み込みのアルバイトをする予定なの」
話を元に戻した葉奈の言葉に、由香と咲良は驚いた。葉奈と同室の真紀は知っていたようで、ニコニコと笑っている。
「いいねぇ、避暑地でのアルバイトなんて、出会いがありそうじゃない? ガンバレ、葉奈ちゃん」
由香が励ますように言うと、葉奈は嫌な顔して「そんな事、興味ないよ」と素っ気無く返す。
「なんだ、もったいない。そうだ、真紀ちゃんは運命の相手を探しているんだから、真紀ちゃんこそ出会いの多そうなアルバイトすれば良いのに。夏休みなら、お父さんだって許してくれるんじゃないの?」
「う~ん、今年は自動車学校があるから……。それにお父さんは、男の人の多そうなアルバイトはきっと駄目だって言うと思う」
「もう~、そんなんじゃ運命の人に出会えないでしょ。ねぇ、咲良もそう思うでしょ?」
由香が恋愛事に妙にお節介なのは、自分が上手くいったからか。だからと言ってこちらに話を振らないで欲しいとと咲良は内心思いながらも、「まあね」と無難に流した。
「由香ちゃんも、咲良ちゃんも、彼が出来たと思って、私を焦らせないで。私は大学の4年間で出会えたら良いの」
いつもおっとりしている真紀が、恨めしそうに反論した。出会いのために自分から積極的に動かず、運命的な出会いをのんびりと待つつもりなのか。
咲良がそんな事を考えている時、ふと先日レストランで見かけた事を思い出した。
「ねぇ、真紀ちゃん。話は違うけど、真紀ちゃんって飯島先生と会った事ある?」
「え? 飯島先生? あの作家でイケメンの飯島彼方先生の事?」
尋ねられた真紀は、一瞬キョトンとした後、不思議そうに尋ね返した。咲良がそうだと返すと、益々不思議そうな顔になった。
「教育学部には関係ないから、見た事もないけど……それがどうかしたの?」
「咲良、どうして真紀ちゃんにそんな事聞くの?」
「そうだよ。どうして真紀ちゃんだけ? そう言う私も話に聞くだけで、見たこと無いよ」
首を傾げる真紀ちゃんに続き、由香も葉奈も不思議そうに問いかける。
咲良は慌てた。深く考えずに疑問を口にしてしまったが、これは王子との密約事項に抵触するのではと思い至ると、王子に関する事は口に出さないようにしようと決める。
「あ、あ、あのね、飯島先生が女性といるのを見かけて、その女性が真紀ちゃんに似ていたから……でも、遠目だったから、見間違いだったのかな」
「何、何? 飯島彼方が女子大生とデートでもしていたの?」
「うわっ、それって、Q大の学生かな?」
由香と葉奈が興味津々に口を挟む。
「見間違いだよ。私、飯島先生の顔も知らないもの」
「そうだよね。ごめんね。変な事聞いて」
咲良は自分が見た事にすっかり自信をなくし、取り敢えずこの話は終わらせる事にした。しかし、由香と葉奈はこの話題に食い付いてしまったようだ。
「ねぇ、飯島彼方って30代半ばだよね。相手が女子大生だと一回り以上違うけど、アリだと思う?」
由香が身を乗り出すようにして問いかける。
「確か前は、飯島彼方って一般教養の講座で、どの学部でも受講できたらしいけど、先生目当ての女子学生が殺到して、文学部のみになったらしいよ。飯島彼方の方が言い寄る女子学生にうんざりしているって噂だけど……。だから相手は女子学生じゃないかも。仕事関係じゃないのかな?」
恋愛に興味がないのに人間観察や噂は好きな葉奈が、自分なりの分析をしてみせる。
「あ、出版社の人かも。……そうすると仕事の話で一緒にいたのかもね。なんだ、女子大生との禁断の恋かと思ったのに」
由香がガッカリしたように言うのを聞いて、咲良はギョッとしたように「禁断の恋って……」と呟いた。
「先生と学生って、一応師弟関係だからね。でも、飯島彼方って独身だから、公私混同しなければアリかな。まあ、私はどちらにしてもイケメンはナシだけどね」
葉奈が咲良の呟きに答えた。そして、相変わらずイケメン嫌いの発言をする。
「私は一回り以上歳上の人でも、運命の人ならアリかな」
相変わらず真紀も、運命の人オンリーの意見を口にした。
「なんだか真紀ちゃんって、ずっと歳上の人がいいような気がする」
「そうそう、甘やかしてくれる大人な人が良いんじゃないの?」
由香と葉奈にそう言われ、まんざらでもない顔をした真紀が「そうかな」と嬉しそうに答えるのを、咲良は何処か羨まし気に見つめていた。




