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サクラ、サク  作者: 宙埜ハルカ
第三章:恋は大騒ぎ
52/80

52:封印の解かれた黒歴史【山野大樹視点/石川綾視点】

 時間は少し戻り、咲良と王子と大樹が七夕に食事をした直後の事。


「どうしたらいいんだ」

 思わず自分の口から零れた心の声に、大樹は溜息を吐いた。

 そもそもは妹の咲良が何を血迷ったかQ大へ行きたいと言い出したせいだ、などと全てを妹のせいにしてしまえるほど自己中でもない。

 それでも、もう記憶の奥底に押し込んで忘れたつもりでいた黒歴史と、5年も経った今になってご対面するとは思いもしなかったんだ。

 妹のせいにもしたくなるだろ?

 いやいや、あれは咲良の隣にいたポーカーフェイスの男のせいに決まっている。何を考えているのか読ませないが、何か企んでいるだろう臭いがプンプンしていた。


 大樹はもう一度溜息を吐くと、今日聞いた妹とあの胡散臭い男の話を脳内でリピートさせた。

 (俺の携帯から電話だって?)

 いるはずも無いもう一人の相手から別れてくれと電話があったと、それも大樹の携帯電話からだと……。

 5年前の記憶を掘り起こす。

 連絡を絶った綾を追いかけるのを止めたのは、綾が心変わりをしたと教えられたからだったと大樹は回想する。

 まさか自分が二股していると思われているとは、夢にも思わなかった。

 (一体誰なんだ。電話したのは)

 


 咲良を寮まで送り届けた大樹は、長期出張の間の仮住まいである会社の独身寮へ帰るべく、駅に向かって歩いていた。

 丁度大学の前を歩いていた大樹は、こちらへ向かって歩いて来る綾の姿に気付いた。

 (なんなんだ。これは運命なのか?)

 もう一度黒歴史に向き合えと言う神の采配なのか。


 大樹の存在に気付いた綾が、一瞬立ち止まり二人の視線が繋がる。次の瞬間、彼女はわざとらしく顔を背けると歩くスピードを上げた。


「綾」

 大樹は思わず名を呼んだが、彼女の方は知らん振りして通り過ぎようとする。大樹は舌打ちすると、慌てて彼女の前に回りこんだ。


「綾、話があるんだ」


「話す事なんて何も無い」

 睨むような視線を向けた綾は、取り付くしまもなく切り捨て顔を背ける。


「お前の弟の事だ」

 大樹の言葉にハッとした綾は、再び大樹を見た。


駿(しゅん)に聞いたのね?」

 あいつそんな名前だったか?と頭の中で首をひねりながら、大樹は「下の方の弟だ」と告げる。


「あなたの妹と付き合っているんですってね。もしかして二人の交際が気に入らないとか?」


「そんな事じゃない。それより綾はあの2人が付き合っているのを信じたのか?」


「………自分が嘘つきだと、他の人の事まで信じられないのね」


「俺は嘘なんか吐いていない。そう言えば……5年前俺の携帯でお前に電話したのは誰だ?」

 大樹は綾の言葉に苛立ち、まだ訊くつもりの無かった核心に思わず触れてしまった。


「嘘つき! 自分が電話をさせたんでしょ」

 綾はそう叫ぶと駆け出した。大樹は慌てて綾の腕をつかもうとしたが、するりと逃げられてしまう。


「綾、お前は俺よりそんな女を信じるのか?」

 逃げ去る背中に大樹は言葉を投げる。一瞬綾は足を止めたが、振り返らずに走り去ってしまった。

 

 今は聞く耳を持たない綾を問い詰めるのは無理かと、追いかけるのを諦めた大樹は、再び駅に向かって歩き出した。

 (なんなんだ!なんなんだ!なんなんだ!)

 5年も前の話なのに、たった今起こった出来事のように責められるなんて理不尽すぎる。それも濡れ衣でと、大樹の中でフツフツと怒りが湧き出した。


       *****


「なんなのよ」

 零れた心の声は誰にも聞かれず消えた。それでも、綾の心の中では『なんなのよ』がずっとリフレインしている。

 まさかの再会に忘れたつもりでいた恨みが甦り、それでも今回の共同研究は心に蓋をして乗り切ろうと思っていた彼女は、プライベートでの接触は一切断ち切りたかった。

「なんなのよ」

 やりきれない思いが声になって零れて行く。


 5年前の黒歴史が、記憶の彼方に葬り去ったはずの出来事が、今封印を解かれて脳裏に蘇る。

 高校3年生の冬、当時恋人だった大樹に合わせて少々レベルの高い大学を志望していた綾は、どっぷりと受験生活に浸かっていた。大樹と同じ大学へ行きたい一心で。だから、会うのも電話も出来るだけ控え、連絡はメールでとお願いしていた。

 大樹は渋々の了解だったが、彼の方も大学の4年間を共に過ごす事の方が大切だったので、納得はしていた。

 だから、冬休み中のお正月過ぎた頃の夜10時過ぎ、エンジン全開で受験勉強に励んでいた綾の携帯が大樹からの着信を告げた時、こんな時間に何か急用でもあるのかと彼女はドキリとしたのだった。


 聞こえて来たのは「石川綾さんですか?」と言う女性の声。その時綾が思ったのは、大樹が携帯電話を落としてしまったのだろうかと言う事。「はい」と返事をした後その事を問いかけようと思ったら、電話の向こうの相手は「私、5組の後藤恵(ごとうめぐみ)です」と、知っている名前で自己紹介をした。

 後藤恵とは直接面識はなかったけれど、大樹と同じクラスで仲の良いグループの一人だとは知っていた。その彼女がなぜ? と綾は心の中でつぶやく。

 「ねぇ、大樹って優しいでしょ?」といきなり彼女がタメ口で問いかけてきた。綾は唖然としながらも、なんとか「そ、そうね」と答えた。


 「だからね、あなたに別れてくれって言えないのよ」

 一瞬彼女の言っている意味がわからず「えっ?!」と声を出してしまった綾だが、もう一度脳内で相手の言葉をリピートさせようとしたのを断ち切るように「だから、大樹はあなたと別れたがっているのよ」と相手は苛立った様に言った。

 (大樹が別れたがっている?)

 現実味のないその言葉は、まるでドラマか小説の中のセリフのようだ。


 「どうしてあなたがそんな事を言うの?」


 「誰の携帯から電話しているか分かっているの?」

 質問に質問で返してくる相手の意図通り、綾はその問いかけられた事実を思い返す。

 (どうしてこの人が、大樹の携帯で……)

 そこまで考えて、思いつく可能性に一気に脳内温度が下がった。


 「私の言っている事、分かっている? 大樹は私と付き合っているの。でも優しいからあなたの受験前に別れ話を出来ないのよ。でも、同じ大学へ進学したら、もっと辛くなるのはあなたの方でしょう? だから、私が大樹の代わりに電話をしたの」

 ここから先は、綾はもうよく覚えていなかった。

 彼女はただ逃げた。逃げないと自分が壊れてしまうような不安に襲われ、必死で逃げる事しか考えていなかった。

 大樹に真実を問い質すなんて、本当だと言われる怖さの方が先立った。

 友人達が綾の代わりに怒り、彼女を逃がした。そして、大樹とは遠く離れた大学を受験した。

 大学が決まり、一人暮らしが始まると、我に返った。

 (どうして私が逃げなきゃいけないのよ)

 フツフツと怒りが湧き上がり、あんな男のために人生を曲げてしまった自分自身も嫌悪した。

 二度と男に振り回される人生は歩むまいと、綾は全てを黒歴史として封印した。



 それなのに、脳裏に張り付いた大樹の言葉が、頭の中で木霊する。

 『綾、お前は俺よりそんな女を信じるのか?』

 (まさか……私が間違っていたの?)

 綾は頭を振って、気弱な疑問を振り払う。

 (今更、何気弱になっているのよ)

 これも全て駿のせいだとばかりに、綾は一人暮らしをしているマンションへ向かっていたのを、駿が居候している叔父のマンションへと変更した。もちろん文句を言うために。


 作家で大学の講師をしている叔父は、同じマンション内に自宅と仕事部屋を所有している。自宅の方へはいつでも来たら良いと、合鍵まで持たせてくれている。その合鍵を使って、綾は突撃訪問をした。


「駿、あなたね……」

 綾はこっそり部屋へ入って行くと、リビングにいた駿に向かって声をかけた。丁度電話で話をしていた駿は、名前を呼ばれて振り返り驚いている。そして、慌てたように携帯電話を遠ざけた。


「いきなり来るとか、一体何事だよ」


「ヒロに話したでしょ。5年前の事」


「ちょっと待ってよ。今電話中なんだから……」

 駿はそう言うと、電話の相手に「ごめん、咲良。また電話するよ」と言うと、電話を切った。


「あら、彼女と電話中だったの? お邪魔したみたいね」

 綾がすまして言うと、駿は苦い顔になった。


「姉さん、そう思うなら、連絡入れてから来てくれよ」


「私は、ちゃーんと要人さんから合鍵をもらっているんですからね。いつでも出入り自由ってことでしょう」

 駿は綾の言葉を聞いて、諦めたように溜息を吐いた。


「わかったよ。それで、用件は何?」


「だから、ヒロに5年前の事、話したでしょ」


「え? 会ったの? 連絡してきたの?」


「違うわよ。偶然に道で出会ったの。それでいきなり、5年前の事を持ち出されたから、駿が話したんでしょ」

 綾の言葉を聞いて、駿は諦めたように溜息を吐いた。


「それは、姉さんが誤解していると思ったから、確かめるために話したんだよ」


「余計な事しないで。5年も前の事、蒸し返さないでよ。だいたい駿は今まで、私の事なんて興味もなかったくせに、今回はどういう風の吹き回し? 彼女に良い格好をしたいの?」

 綾は、先程の怒りをぶつける様に文句を言った。それに急に5年も前の事について言い出した駿に対して、何処か違和感を覚えたのだ。

 そもそも綾が大学へ進学してから、弟達との交流はほとんどなかったと言っても良い位だった。確かに今回ストーカーの件で恋人役をさせたけれど、それは同じ大学だったからだ。その件も無事に解決し、本当は男除けのために、しばらく恋人役を続けて欲しかったけれど、駿から彼女が出来たからと断りを入れられたのは先日の事。

 あのヘタレの駿の事だから、恋人役が嫌で彼女がいると嘘を言っているのだと思った綾は、連れて来た彼女がヒロの妹だと知って驚かされた。

 もしかすると駿は、彼女が兄の事で気に病んでいるから、誤解などと言い出したのかもしれない。

 綾は自分が導き出した考えに、妙に納得し嘆息した。

 (まったく、いい迷惑だわ。こっちは黒歴史まで穿(ほじく)り返されて)


「そう言うわけじゃないけど……、咲良のお兄さんと話したけど、やっぱり誤解だと思うよ」


「5年も前の過去の事なの。今更どうでもいいわ」

 綾はしつこく誤解説を唱える駿の言葉を、ばっさりと切り捨てた。


「だけど、姉さん達が再会した時に言い合いしていたのは、とても過去の事に思えなかったよ。二人共相手の裏切りを現在進行形で責めているように見えたよ」


「あの時はあまりに驚いたから、つい口から出てしまったけど、今度はちゃんと大人の対応をするわよ」


「でも、もしも本当に誤解だったらどうするの?」

 まだ言うか、こいつと心の中で突っ込みを入れた綾は、ニッコリと笑った。


「たとえ誤解だったとしても、もう過去の事なの。興味ないわ。だから、これ以上詮索も、忠告もしないで。もしも今後も私のプライベートに口を出すようだったら、駿と彼女の仲を邪魔するから。覚えておきなさい」

 最後は鋭い眼差しで脅しをかけて、綾は顔を強張らせた駿に背を向けて、叔父のマンションを後にした。




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