5.怒りのバレンタイン
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センター試験が今週末にと迫った週初め、柚子が小さな紙袋を差し出した。
「受験のお守りよ。昨日ね、圭吾と一緒に受験の神様って言われている神社へお参りに行って来たの。咲良の分もお願いしてきたからね」
ニコニコと笑う柚子の手から、「ありがとう」と言って受け取った咲良は、何とか笑顔を作りながら、心の中で嘆息した。
まだQ大受験の話を柚子に出来ていない咲良の心は、チクチクと痛んだ。それでも、Q大の事は合格したら柚子に話そうと決めていたので、今は心の痛みも良心の呵責も呑み込んで、言葉を返した。
「柴田君、余裕だねぇ。センターの一週間前にデートする余裕があるなんて羨ましいよ」
柴田圭吾は柚子の恋人だ。そして、これはけして嫌味なんかではなく、咲良にとっては心底羨ましくて零れ出た言葉だった。
デートが羨ましいのではなく、人生でこんなに頭を使った事がないと言うぐらい勉強漬けの咲良は、少々オーバーヒート気味で、M大合格圏にいると言われている柴田の余裕が羨ましいのだ。
「圭吾だって余裕がある訳じゃないのよ。もう神頼みしか無いってお参りに行ったの。咲良も絶対M大に合格できるように、しっかりお願いしたからね」
柚子の言葉を複雑な心境で聞いていた咲良は、自分は又柚子を裏切る事になるかもしれないと胸を痛めた。
高2の時に一緒に私立S大へ行こうねと交わした約束を裏切って、咲良が担任と母親に勧められたM大に第一希望を替えた時、柚子はすぐに笑って「咲良は頑張り屋さんだから、M大だって大丈夫だよ」と言ってくれたのだ。
その上、咲良が負い目を感じないように「咲良がM大へ入ったら、圭吾の事も聞けるから、嬉しい」とまで言ってくれたのだ。
それなのに……。
でも合格すると決まった訳じゃないし……。
それもあのQ大だし……。
Q大もM大もダメで、結局最初の約束通りS大になる可能性だってあるのだから。
(ああ、縁起でもない事考えてしまった)
「咲良、疲れているの? なんだか元気ないみたいだけど。無理しちゃダメだよ。風邪が流行っているから、気を付けてね」
心配顔の柚子に心の中で「ごめんね」と謝りながら、咲良は「大丈夫だよ」と笑顔で返した。
とにかく今は、心配事はとりあえず先送りして、受験だけに集中!
父親の夢も、柚子の願いも、咲良の妄想も……全てを呑み込んで、受験と言う大波は咲良をどこまで運んで行くのだろうか? 運命の神の采配はいかに?
*****
センター試験が無事に済み、M大とQ大の願書も出し、後はそれぞれの受験スケジュールに沿って試験を受けに行くだけとなった2月。
2月と言えばあのイベントがあるけれど、受験生には関係ない……って、今までだってイベントの本来の意味は咲良には関係なかった。
(だって、王子には恋人がいるし……)
恋人がいる人に、その存在さえ知られていない自分がチョコレートを渡したところで迷惑なだけだと、咲良は最初からイベントに参戦する気はなかった。
けれど、咲良も友チョコやら親チョコ、兄チョコ(こんな言い方はしないけど)のために、毎年手作りチョコを作っていたのだ。
イベント当日、そんな日だと言う事をすっかり忘れていたのは、2月に入ってから受験のために登校しなくてよくなり、また、受験勉強のためにテレビからすっかり遠ざかっていた咲良に、イベントの存在を思い出させるような情報が入らなかったからだ。
いやいや、今やあらゆるプレッシャーが掛かり、受験勉強の鬼となっている咲良の脳が、受験以外の情報をシャットアウトしていたからに違いない。
そんな中、柚子が友チョコを届けてくれた。
「ごめん、柚子。今年は作るのをすっかり忘れていたよ」
「分かっているって。今年は貰おうなんて思って無いから。M大の試験まで後少しだから、体調だけは気を付けてね」
笑顔で受験生を気遣ってくれる柚子を前にすると、咲良の心にまた申し訳なさが蘇った。咲良が情けない顔で笑って「ありがとう」と言うと、試験を前に切羽詰まっていると思ったのか、柚子は「邪魔してごめんね」と帰って行った。
受験が終わって結果が出たら、たとえどんな結果でも、柚子の好きなクッキーを沢山作って、「応援してくれてありがとう」とお礼を言おうと、咲良は心の中で柚子に向かって手を合わせていた。
そして、その夜、兄から電話があった。
「咲良ぁ、今年はチョコレート作らなかったのか? お兄ちゃん、送ってくれるかと思って楽しみに待っていたんだぞ」
咲良は大樹の言葉に、怒りを覚えた。そしてブスリとした声で「受験生にはバレンタインなんて無いの」と言い捨てた。しかし、そんな咲良の機嫌など関係なく、大樹は話を続けた。
「まあ、いいよ。それより受験からずいぶんと経っていたから忘れていたけど、おまえが最初に志望していたM大より、Q大の方がレベル上なんじゃないか?」
次の日曜がQ大の入試だと言うのに、今頃になって何が言いたいのだこの兄は。
咲良の怒りのレベルがもう一段上がる。
黙って切ってしまおうかと思案しながら、冷たく「それが、何?」と返した。
「だから、M大も頑張らないといけないぐらいだったんだろ? それなのにQ大なんて高望みなんじゃないか? 親父をぬか喜びさせただけだろ」
兄のストレートな物言いに、咲良の怒りはマックスまで跳ね上がった。
「お兄ちゃん! お兄ちゃんがいくらQ大受験を反対でも、それを私に押し付けないで!!」
ここまで必死に勉強してきた咲良は、いつものように兄の言葉に流されてなるものかと、反発した。
「ち、違うんだ。咲良が喜ぶ親父の手前、Q大受験をやめたいって言えないんじゃないかなって、心配していたんだよ」
「そんな心配してもらわなくて、けっこうです」
咲良は大樹の言葉を待たずに電話を切った。
(心配って、何なのよ。お兄ちゃん)
身の程知らずなのは、自分が一番分かっている事だと、咲良は心の中で自嘲気味に呟いた。
それでも、父の夢より、自分自身が望んだ事なのだと言いたい。
最初は単なる妄想に過ぎなかったけれど、あの時、塾の講師の「Q大も夢じゃないですよ」と言った言葉が、妄想を現実の目標に変えてくれた。そして、それからは、妄想が頑張るエネルギーになったのだから。
入試の日が近づくと、父親がオロオロとし出した。挙句の果て、自分も一緒にQ大まで行くとまで言いだし、母親に「お父さんが受験するみたいね」と笑われていた。
(やっぱり落ちたら、お父さんがっかりするだろうな)
咲良はずっと父親からの無言のプレッシャーを感じていたけど、ここにきて父の落ち着きの無い姿を見て、失敗する訳にはいかないなと自分に言い聞かせた。
実際ここのところ、飯島彼方や大学生の王子の妄想よりも、受験に失敗して落ち込む父親の姿ばかりがちらついて、咲良は精神的にも追い詰められていた。そして、塾の模擬の結果も思わしくなく、咲良は益々追い詰められていたのだ。
「ねぇ、咲良。Q大の受験をするのが辛かったら、止めてもいいのよ」
Q大の入試間近になって、母親が真剣な顔で言った。咲良の疲れた表情に限界を感じたのかもしれない。
「えっ?! どうして?」
「親の身勝手な夢に、子供は無理に付き合わなくてもいいのよ。ましてや、責任を感じなくてもいいの。今までごめんね。咲良がQ大を受験したいって言ってくれたのが嬉しくて、そんな事も気付かなかったの」
「そんな、私が受験したいって言ったんだし……」
「でもね、咲良がQ大へ行くのがお父さんの夢だと知って、プレッシャーも感じていたでしょう? 咲良の事だから、落ちる訳にはいかないって思っていたんじゃないの? 私もね、大樹に言われるまで気づかなかったのよ」
咲良の心情を見透かすような母の言葉に驚きながらも、それが兄の指摘によるものだと知って、咲良はバレンタインの日の兄の言葉を思い出し、また怒りが沸いた。
「お兄ちゃんの言う事なんて、聞く事無いよ。お兄ちゃんは私を東京の大学へ行かせたくないから、勝手な事言うの!」
「咲良、それは違うわよ。大樹はね、咲良がQ大を受験するって知って、父親の夢を咲良に押し付けたんじゃないかって責任を感じているのよ。自分が叶えてあげられなかったから……」
咲良は母の言葉にぐっと胸が詰まった。
(私がQ大受験なんて言いだしたから、お父さんの夢を再燃させて、お兄ちゃんに責任を感じさせてしまったの?)
兄の心配と言う事は、こう言う事だったのかと、母の言葉で初めて思い知り、咲良の中で兄に対する怒りが凪いだ。
あのバレンタインの日から、兄に対する怒りの炎は消えずにあったけれど、心のどこかであの兄だからと諦めている部分もあった。
そう、兄はからかったり、意地悪な事を言ったり、ふざけたような態度で咲良を振りまわすけれど、その根底には優しいものが流れているのを、彼女は無意識に感じていた。
そして、そんな兄の心情を知り、今更ながらあの日怒って電話を切ってしまった事に、咲良の中で申し訳ない気持ちが芽生え始めたのだった。
もう5話目なのに、主人公が家族と担任以外の男性との絡みが無くて、すいません。
でも、これは、間違いなく恋愛小説ですので、もうしばらくお待ちください。




