49:交際宣言
ずいぶんご無沙汰してしまってすいません。
これからも宜しくお願いします。
七夕の今日は残念ながら朝から降ったり止んだりの梅雨らしい天気だ。お空の上の年に一度のデートのために、せめて夜だけでも雨が上がればいいのにと、咲良は厚い雨雲に覆われた空を見上げた。
年に一度しか会えない恋人でも居るだけましだろうか……などと考えていた咲良は、大きくため息を吐く。
今日は兄との約束のランチの日だ。咲良は王子と一緒に兄に対面する事が憂鬱だった。王子と付き合っているなんて言ったら、兄はどんな反応をするだろうと考えただけで、気が滅入るのだ。
(嘘ってバレないかな? きっと怒るだろうな)
咲良がこんなに不安がっても、王子は訳の分からぬ余裕で「大丈夫」と微笑むだけで、彼女の不安をます ます煽るだけだった。
土曜日の昨日は前回同様に二人は真面目にアルバイトをした。王子は前回よりは親しげな雰囲気だけれど、咲良はその雰囲気に抗うように資料整理に没頭した。それでも途中で少し休もうと王子に優しく「咲良」と呼びかけられると、胸がドキドキしてまともに王子の顔が見られなかった。やはりまだ王子とのこの距離に慣れないと、咲良は心の中でそっと嘆息したのだった。
こんな状態で恋人同士だと兄の前に出る事に少しの戸惑いも無いのだろうかと、王子にそれとなく尋ねてみても「心配要らない」とか「僕に任せて」と微笑みと共に返ってくるだけで、咲良は一人やきもきする事がバカらしくなるほどだった。
兄との約束の時間より早くお店に着いた咲良達は、予約である事を告げると案内係を呼びに行くのか「少しお待ちください」と待たされた。その間に店内へ目を向けた咲良は、一番奥の窓際の席に見知った顔を見つけ驚き、思わず王子に声をかけた。
「ねぇ、あの奥の窓際の席、飯島先生じゃないかな?」
「えっ?」と振り返った王子は「みたいだね」とそちらへ視線を向けたまま答えた。
飯島の向かいには、明らかに女性と思われる後姿が見えた。飯島の柔らかい表情から、親しそうな雰囲気が感じ取れた。
「仕事関係の人かな?」
「担当編集者は皆男だけど……」
ずいぶん離れていて窓際よりもこちらの方が薄暗いので気付かれないと思った咲良は、観察するように飯島達を見つめていた。しかし、「あんまりジロジロ見ない方がいいよ」と王子に釘を刺され、咲良はしぶしぶ好奇心を押し込めた。諦めるように背を向け様とした時、飯島の向かいに座る女性が顔を窓の外へ向け、その横顔がチラリと見えた。
「あっ」
咲良は驚いて出た声を断つ様に手で口を押さえ、さっと背を向けた。そんな咲良の様子を不思議に思い、王子が尋ねるように顔を覗き込む。
「まさか……そんなはず……でも……」
王子の『どうしたの?』と言うアイコンタクトに気付きもせず、咲良は困惑した表情で呟き、もう一度振り返ろうとした時、案内人が来てしまった。
「お待たせしました」と現れた案内人に導かれるまま、二人は無言で予約席にたどり着いた。そこは幸いにも飯島の席から見えない所で、無意識に二人はホッと息を吐き出していた。
咲良が王子とテーブルを挟んで向かい側へ座ろうとしたら、「お兄さんが来るからこちら」と王子の隣の席を示され、咲良はドギマギしながら席に着いた。
そして案内人にもう一人が来てから注文すると断ると、「わかりました」と水だけ置いて戻っていった。
「咲良、もしかして、要人さんと一緒に居た人、知ってる人だった?」
隣に居る王子を意識して、先程の驚いた事がすっかり頭から飛んでいた咲良に、聡い王子は鋭く問いかける。
「あ、あの……」
いきなり核心を突くストレートな問いかけに、咲良は再び混乱し、視点を彷徨わせて言いあぐねる。
「まさか……Q大生じゃないよね?」
王子が追い討ちを掛けるように問いかけた言葉に、咲良は思わず王子に視線を向けて固まった。
「やっぱりか……咲良の知り合いって、Q大生ぐらいだからね。それにしても、要人さんも女子学生と二人きりなんて誤解されるような事……」
咲良の反応を見て肯定と確信したように王子は溜息混じりに言った。
「あ、あの……誤解されるって……」
「そりゃぁ、教え子の女子学生に手を出したとか、セクハラとか……」
「そんな事あるはず無いよ。それに、彼女は教育学部だから飯島先生とは接点がないはずなんだけど……」
「え? そうなの? じゃあ、どうして知り合ったんだろう? 要人さん、自分の講義以外では出来るだけ学生と接点を持たないようにしているらしいから。だから、咲良に資料整理を頼んだのは本当に驚いたんだよね」
王子の言葉に咲良も驚いた。
(学生と接点を持たないようにしているって?)
その事に対してもどうしてと思うけれど、それ以上にアルバイトをしないかと声を掛けたのはどうしてだったのだろうと、咲良の頭の中はまた違う混乱に翻弄される事となった。そして、飯島にアルバイトに誘われた時の事を思い返しながら、一つの事に思い至った。
「石川君が飯島先生に、私が先生の事を若くてショックを受けたって話したから、興味持たれたんじゃないかな?」
「ああ、そう言えば、面白がってたかな。まあ、僕も咲良が高校の同級生だって話したから余計に興味持ったのかも。要人さんが学生と接点を持たないようになったのは、要人さんに色仕掛けで単位を貰おうとしたり、秋波を送って近づいたりする学生が結構いたからなんだ。要人さんは女性にとってはモテる要素満載だからね。だから、咲良みたいに真逆の反応にはホッとしたんだろうね」
王子の説明を聞きながら、自分もモテる要素満載なのにと思った咲良は、『でも、私なんかと付き合ってる事になってる時点で残念王子だよね』と王子の話とは全く別のことを考え心の中で苦笑していた。
(それにしても、どうして真紀ちゃんが飯島先生と一緒にいたんだろう?)
再び先ほど目にした友の横顔を思い出し、咲良は頭の中で首をひねる。前からの知り合いだったら、今までの会話の中に出てきそうなものだし、長野出身の真紀と接点があるようにも思えない。王子のように親戚だったら、王子は知っているだろうか?
「あの、飯島先生と一緒にいた人は、同じ寮生で長野出身の笹岡真紀って言うんだけど、飯島先生の親戚かな?」
一つの事を考え出すと他の事を忘れてしまう咲良は、王子が隣にいるドキドキも、真紀を見た驚きも忘れ、疑問をそのまま王子にぶつけていた。
「え? 親戚? Q 大生の親戚が他にも居るって聞いていないけどなぁ。咲良はその子と仲が良いの? 今まで要人さんと知り合いだって話は出なかったの?」
王子もやはり同じような疑問を持つよねと咲良は思いながら、最後の問いかけに対し首を横に振る。
「真紀ちゃんとは仲が良いけど、今までそんな話一切出なかったよ。それに飯島先生の話題が出ても、知ってるような雰囲気も無かったけど……」
咲良の返答を聞いて王子は腕を組んで考え込む。
「まさか、要人さん、素性を隠してナンパしたとか?」
「誰がナンパしたって?」
突然頭上から声がして驚いて見上げたそこには、ポーカーフェイスの待ち人が居た。
「お兄ちゃん!」
「咲良、どうしてそいつが一緒に居るのかな? 友達って可愛い女の子じゃなかったのか?」
大樹は二人とテーブルを挟んだ席に座ると、ワザとらしく微笑みながら咲良を見つめた。
「今日は来て下さって、ありがとうございます」
「お前に訊いてないんだけど」
丁寧に頭を下げた王子を、大樹はむっとした睨んだ。
「あ、お兄ちゃん。これにはね、深い訳があって……」
咲良は慌てる。いきなり陰険な状態って。
「咲良、僕から説明するから」
「で、でも……」
大樹の不機嫌な顔に咲良はビビった。
その時、給仕の男性が水の入ったコップを載せたお盆を持って、咲良達の様子を伺うように傍に立っているのに気づいた。
「あ、お兄ちゃん、何にする?」
咲良は慌てたようにテーブルの端に立ててあったメニューを兄の方へと広げた。給仕の男性は静かに水を置き、注文が決まるのを待つ。
「咲良は何が食べたいんだ? お前と同じものにするよ」
「えっ? 私、パスタレディスセットにしようかと……」
「おまえ、何気取ってんだよ。メンズセットの方が良いんじゃないか?」
大樹の言葉を聞いて、王子はぷっと吹き出した。
「お、お兄ちゃん……」
咲良は兄の言葉に慌てる。メンズセットとは通常よりも大盛りのセットだ。身内にこんな事を言われたら、まるで大食いみたいじゃないか。
「メンズセットって……」
王子が笑いながらこぼした言葉に、咲良は横目で恨めしげな視線を送る。すると上空からも耐え切れないとばかりにクックと言う笑いが漏れた。
皆がいっせいに顔を上げると、給仕は焦った様に「失礼しました。当店はメンズセットはございませんので……」と頭を下げた。
「咲良、それで、どうしてこいつがいるんだ?」
注文を終えると、大樹は改めて咲良に問いかける。
「そ、それは……」
「お兄さん、僕達お付き合いする事にしたんです。だから先日の事で誤解されていると思い、説明するために来ました」
咲良が戸惑う横で、大樹をまっすぐに見た王子がはっきりと告げた。




