44:女王様な王子姉
やっとカモミール効果が現れだしたのか、少し落ち着いた咲良は、先ほど王子に答えてもらえなかった質問を思い出した。
「私もお願いしても良いかな?」と、咲良は切り出した。お願いなどと言い出したのは、再びはぐらかされたらと心配したからだ。
「え? 咲良もお願い?」
少しは王子を驚かす事が出来たと内心咲良はほくそ笑んだ。
「はい、村上君達に何をどんな風に話したのか教えてほしいと思って……」
「ああ、僕の彼女の話が出たから、あれは本当の姉で、ストーカーを撃退するために恋人のフリをしていただけだってカミングアウトしたんだ。それで今はフリーなのかって訊かれたから、最近本当の彼女が出来たって話したら、誰だって皆が訊くから、高校の時の同級生でサークルが一緒の娘だって言ったんだよ。まあ、それですぐに村上にはバレたけどね」
(それでバレ無いほうがおかしいでしょ)
その説明じゃ誰を指してるか、誰でも分かると言うものだと、咲良は心の中で嘆息する。
「そんな噂が広まってもいいの?」
兄や姉の前だけの仮の恋人じゃなかったのか。この作戦が終わったら、また噂を取り消さないといけないのに。
「良いも、悪いも、人の口には戸は立てられないしね。咲良は嫌だった?」
嫌って……偽りの噂が広まるのは本意じゃない。でも……。
王子は噂は仕方が無いと思っているのか。一体何を思って周りの人たちに期間限定の仮彼女を彼女だと話したのか。
それを問い質す事も怖いような気がして、咲良はただ首を横に振る事で、王子の質問に答えた。
結局咲良は、真実を問い質すよりも、王子の作戦の共犯になって周りを騙す事を選んだのだ。
インターホンが鳴って来客を告げる。いよいよボスの登場か。ラスボスは兄だなと心の中で苦笑する。
王子がエントランスのロックを解除し、こちらを振り返って「姉さんが来たよ。二人きりも終わりだね」と微笑んだ。
玄関ドアのチャイムが鳴って、王子が出迎える。咲良はそのままリビングで緊張したまま待っていた。二人の話し声が近づきガチャと言う音と共にドアが開けられる。入ってきた人を見て、思わず咲良は立ち上がった。
「こ、こんにちは……お邪魔してます」
「こんにちは、ここは私の家じゃないから、気にしないで」
王子の姉はスタスタと咲良に近づくと、向かいのソファーに座った。
「駿、私、コーヒーがいいから」
台所の方へ向かった王子に、高飛車に言い放つ様は女王様だ。姉に逆らえない弟と命令する姉の関係が垣間見えた気がした。
「あなたが駿の彼女なの?」
相変わらず女王様然とした綾が咲良を見据え、問いかけた。
咲良は内心『こえ~』と悲鳴に似た声を上げたが、どうにか外に出るのを押さえ込み、顔を引きつりながら小さい声で「はい」と頷いた。
咲良はまともに目を合わせられず俯いていると、観察するように見つめる視線を感じ、このまま溶けて無くなりそうだと思った。
(もしかして、あの兄の妹だとは気付いていない?)
「ふ~ん、駿のどこが良いの? 外見?」
外見と言われれば、一目惚れだったのだから、そうだろう。でも、それだけじゃないと思っている。話をするようになって、余計に好感を持ったのだから。それでも咲良はどう答えて良いか分からず、困ってしまった。
「姉さん、そんな訊き方したら、咲良が答えられないだろう?」
コーヒーを持ってやって来た王子がやんわりとたしなめる様に口を挟む。
「あら、駿が私に意見するなんておこがましいわよ。それに、最初が肝心なの。あんたは女を見る目が無いんだから」
綾の言葉に、咲良は心の中で再び『ひえぇ~』と叫び声をあげる。
確かに自分が彼女では見る目が無いかもしれないが(これは仮だし)、あの美しくて、頭も良くて、スタイルも良くて、性格も良い神埼茉莉江が彼女だったと言うのに、どこが女を見る目が無いと言うのだろうか。綾の弟の彼女に望むレベルはとてつもなく高そうだと、咲良は逃げ帰りたい衝動に駆られた。
「姉さん、咲良の前でそんな話はいいだろ」
いつの間にか咲良の隣に座っていた王子が姉の暴言を注意する。
「なによ。駿のためを思って言ってるのよ。咲良さんだったかしら? 駿はヘタレで腹黒よ。そんな男でもいいの?」
綾の言っている事は支離滅裂だ。王子のためと言いながら、この貶しようはどうだろう。
この時、まだ自己紹介をしていなかったことに気づき、咲良はすくっと立ち上がった。
「あ、あの……私、や、山野咲良と言います。よろしくお願いします。……あの、石川君は優しくて良い人です。悪く言わないでください」
臆病なくせにどこか大胆になる咲良は、言い切ってから綾の表情を見てやってしまったと後悔した。
「あなた、どこかで見た事があると思ったけど……もしかして、ヒロの妹?」
やっぱり気付いていなかったか……あの時は眼中に無かったのだろうと咲良は小さく嘆息した後、王子のお願いを思い出した。綾の女王様振りに圧倒され、すっかり忘れきっていたのだ。
「はい。山野大樹の妹です。先日は、兄がとても酷い事を言って、すいませんでした」
咲良は約束通り言って深々と頭を下げた。
「別に妹に謝られても……それより、まさかヒロに駿が私の弟だと話したの?」
「まだ言っていません。でも……」
咲良は戸惑った。やっぱり綾にしたら嘘を吐いた事がバレたくないだろう。
「姉さん。僕と咲良が付き合い始めた事、お兄さんにも報告したいんだ。そのためには言わないと、変に思われるから」
「そう……遅かれ早かれバレるって事ね。まあ、もう関係ないからどうでもいいわ」
「でも兄が何か酷い事をしたんじゃないですか?」
「お兄さんに聞いてみれば?」
投げやりな物言いでそっぽを向く綾の様子に何か影を感じ、咲良は王子の予測を確認してみたくなった。
「あの……兄とあなたは高校の頃に付き合っていたのでしょうか?」
「そうよ、私もあの頃は男を見る目が無かったのね」
綾のやさぐれた様子に、兄はどんな酷い事をしたのだろうかと不安になった。
「あの……兄が二股をしていたと言うのは本当ですか?」
「本当よ。もう一人の相手から電話があって、ヒロと付き合っていて、私と別れたいのにヒロは優しくて言い出せないから代わりに電話したって……それっきりよ」
開き直ったように淡々と説明する綾から感情と言うものが感じられない。でも、咲良にはやっぱり兄がそんな事をするなんて信じられなかった。
「兄も二股だと認めたんですか? 兄にも確かめたんですか? その電話してきた人が嘘を言ってるかも知れないじゃないですか」
「そのもう一人の相手はヒロの携帯から電話してきたのよ。それってヒロも認めてるって事でしょ? それにね、他の男子でもヒロが二股してるって教えてくれた人がいたのよ。残念だけど、あなたのお兄さんはそう言う人なの」
「そんな……信じられない。でも、もしそれが本当なら、兄に謝らせます」
「今更謝られても、ね。もう過ぎた事よ」
「ごめんなさい。私、本当だったら、兄を許しません。二度と口も利きません」
咲良は綾の心情を想像して胸が張り裂けそうになった。ひざの上で握り締めた拳がわなわなと震える。目に涙がどんどん溜まってきて、今にも溢れそうだ。でも、ここで泣いちゃいけない。泣く立場じゃない。
その時王子がそっと咲良の拳を握った。驚いて彼の方を見ると、優しく包むような眼差しが『大丈夫』と言っているようだった。
そんな咲良の様子を見て、言い過ぎたと後悔したのか、綾は先程までの冷たい表情が緩んだ。
「咲良さん、ごめんなさいね。お兄さんの事だからと言って、あなたに八つ当たりのように話さなくてもよかったわね。お兄さんの事を責任感じなくてもいいのよ。それにもう過去の事だから……」
綾の謝罪を受けて、この人は高慢でも冷たい人でもないんだと、咲良は少しホッとした。しかし、兄のことを思うと信じられない気持ちと許せないと思う気持ちとで心は揺れた。
「姉さん、過去の事だっていうけど、これからしばらく咲良のお兄さんとは研究室でちょくちょく会うんだろ。この前みたいな言い争いは控えた方がいいと思うよ」
姉に逆らえないと言いながらも王子は強気で意見する。
「駿、そんな事まで言われなくても分かってるから。もう大人なんだから、大人の対応をするわよ」
憤慨したように王子に言い返す綾を唖然と見ていた咲良は、先程王子が言った事に引っかかりを覚えた。
「研究室でちょくちょく会うって……どう言う事?」
「ああ、咲良には話してなかったけど、君のお兄さんの会社と共同研究するのは姉のゼミの教授なんだ」
この話を聞いた咲良は、これは王子の言うように二人の誤解を解くチャンスなのかもと思い至った。やはり兄を信じたい咲良は、誤解であると思いたい。
王子もきっとこんな気持ちになったから、この作戦に咲良を巻き込み遂行しようとしてるのだ。
ようやく咲良は王子の思惑を理解した気持ちになったのだった。




