42:友への罪悪感と王子への戸惑い
「咲良、明日のサークル、辛かったら休んでもいいよ。それかいっそ、辞めちゃおうか?」
昼食を食べ終わった学食でぼんやり外を見ていた咲良に、由香は驚くことを言い出した。どこか元気のない咲良を失恋のせいだと思っている由香の思いやり発言なのだが、まさか咲良の頭の中が別の事で一杯などとは思いもしないだろう。
そう咲良の頭の中は、今日の午後四時に迫った王子の姉との対決を、いかに上手く無難にやり過ごすかと言う事で一杯なのだった。
だから由香の提案は青天の霹靂とも言うべきもので、一瞬咲良は息を呑んだがすぐに我に返った。
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから。石川君とは友達になったから、今まで通りで大丈夫」
「でも……石川君はそれで良くても、咲良は辛いんじゃないの?」
「ううん、本当に大丈夫だよ。今まで遠くから見るだけの憧れの存在だった人と、友達になれただけでも喜ばなくっちゃ」
咲良は自分に言い聞かせるように言いながら、由香を安心させようと笑顔を見せた。しかし由香はまだ納得がいかないのか、「そんな……」といったきり言葉が続かなかった。
「私の事は大丈夫だから、由香は今まで誤解して離れていた分、幼馴染とのこれからを大切にしてね」
ニッコリ笑ってこんな言葉が言えた自分を、内心大人になったものだと悦に入っていた咲良は、目の前で頬を染めて頷く由香を、不思議な気持ちで見つめていた。
(恋って、ここまで人を変えるのか……)
それが怖くもあり、羨ましくもあり……咲良にとって途方も無く遠い現実でしかなかった。
その時不意に携帯がなった。メールの着信だった。かばんの中から携帯を取り出した咲良は、送信者を見て戸惑った。今まで余程の連絡事項が無い限り、メールなど来なかった相手から、共犯にされて以来毎日メールが届く。と言ってもまだ3日目だが。日曜日の夜にメールに始まり、昨夜もたわいも無い話とお休みのあいさつのメール。そして3日目の今日はお昼にまで……。
(これって、友達以上恋人未満ってやつなのか)
由香がどうしたのと首を傾げる。咲良は「高校の時の友達からだった」と取り繕うと、恐る恐るメールを開いた。
『もうお昼食べ終わった? 今日の約束だけど、要人さんのマンションまで一緒に行こうと思うんだ。3時半に講堂前まで来れる?』
メールの内容は、やはり友達のメールと変わらない。これって作戦連絡の一部だよねと心の中で嘆息する。でも、よく考えたら……。
「講堂前なんて、目立ちすぎでしょ!!」
思わず声を上げた咲良は、自分の声に驚き、口を手で押さえた。伺うように由香を見ると、やはり驚いた顔をしている。「な、なんでもないから……」と誤魔化すも、由香は「講堂前って聞こえたけど」と探りを入れてきた。
「ほら、この前皆で講堂前で記念撮影したでしょう? それを見せたら、こちらへ来た時に同じ場所で撮りたいって……」
苦し紛れの言い訳をすると信じてくれたのか、「そっかー。お友達こちらへ遊びに来るの?」と屈託無く訊いて来るから、余計に罪悪感が増した。
咲良は心の中で土下座をしながら、「遊びに行きたいって話は出てるけど、具体的には何も決まってなくて……」とさらに誤魔化すための言い訳をしたのだった。
王子共に火曜日は3コマ目までしかなく、2時半には講義が終わるのに、4時と言う設定も、3時半と言う待ち合わせも、中途半端だった。おそらく王子姉の都合なのだろうけれど、3時半までいかに時間をつぶそうかと思案する。
幸いにも由香は火曜日は3時からアルバイトなので、うまくやり過ごせそうだ。
いつもなら、図書館でのレポートや予習復習に当てているが、今日は気持ちが落ち着かないので図書館へ行く気分になれない。
目立たずにいかに王子と合流するかを咲良は考え続けた。王子からのメールの返事に、『待ち合わせはもっと目立たない場所か、出来たら現地集合でお願いします』と送ったら、『気にしなくて良いよ』と返って来た。何を気にしなくていいのか分からず、訊き返そうと思ったら、もう時間が無く授業が始まってしまった。
授業が終わったところで再び王子からメールが来た。
『もしも3時半まで暇なのなら、工学部の学食へ来ない?』
相変わらずシンプルなメールだが、このお誘いはどういう意味だろう? 工学部の学食で一緒に時間を潰そうと言う事だろうか?
王子のメールはシンプル過ぎて言葉通りに受け取って良いのか、分からなくなる。
「咲良ちゃん、行こうか」
まだ席に着いたまま携帯をにらんでいた咲良に彩菜が声を掛けてきた。
「彩菜ちゃん、この後どうするの?」
「私は部活だけど」
サークルと違い熱心な陸上競技部に所属している彩菜は、ほぼ毎日クラブ活動をしている。
「ああ、そうだったね」
少しガッカリした口調で咲良が言うと、彩菜は心配そうに「何かあったの?」と咲良の顔を覗き込んだ。
「友達との約束の時間まで1時間ほどあるから、どうやって時間を潰そうかなって思っただけ」
「そっか……ごめんね」
「いいの、いいの。いつものように図書館へでも行くから」
(仕方ない。一人で学食ですごすより、図書館のほうがマシだよね)
この時の咲良の頭の中は、王子からのメールの事を無意識に頭の中から追い出していた。どうやっても答えが出ない時、咲良はいったん頭の中からその問題を追い出す癖がある。咲良の脳内メモリーが小さいのか、同時にいくつもの問題を抱えきれないのだ。
二人で文学部棟から外へ出て、咲良は図書館へ、彩菜はグランドの傍の部室棟へと暗黙の了解で途中まで一緒におしゃべりしながら歩く。
「それにしても、由香は良かったね。高校の頃の由香に戻ったみたいだった」
昨日の昼食時に彩菜も一緒になり、由香と幼馴染との恋の成就を報告したのだ。その時もあの由香がとても恥ずかしそうにしていたのが、咲良には別人を見ているような気がしたぐらいだった。けれど、彩菜にしたら高校の頃の由香を思い出したのだろう。
「ホント、良かったんだけど、いつも強気できつい物言いをしていた由香だったのに……恋の威力は偉大だ」
「いやいや、私達にしたら、失恋したと言ってからの由香の変わりようのほうが驚きだったよ」
なんにしても今由香が幸せなら良かったよねと笑いあった。そして、そろそろ別れ道に差し掛かろうかと言う時、咲良が行く図書館の方向を見ていた彩菜が声をあげた。
「ねぇ、あの人、ホホエミ王子じゃない?」
驚いてそちらへ視線を向けた咲良は、手を振って駆けてくる王子の姿を認め、戸惑った。
(どうしてここに王子が……)
そう言えばメールの返事をしてなかったと思い出した頃には、王子が目の前に来ていた。
「咲良、メールの返事が無かったから、迎えに来たよ」
プリンススマイルで微笑んだ王子が優しく言った言葉に、咲良は完全にフリーズした。同じく彩菜も驚いて二人を見比べていたが、動かず声も出さない咲良を訝しんだ。
「咲良ちゃん……」
「あ、あ、ごめん。彩菜ちゃんクラブだったよね。ここまで付き合ってくれてありがとう。じゃあ、またね」
咲良は慌てて彩菜にそう言うと、何かを察したのか彩菜の方も「うん、じゃあまたね」と言うと王子にも軽く会釈して、グランドの方へ駆け出して行った。
改めて王子に向き合い、咲良は頭を下げた。
「メールの返事しなくてごめんなさい。ちょっと意味が分からなくて……。それに、他の人の前で呼び捨てにしたら、誤解するから……」
「誤解って?」
「だから、私と石川君の関係を……」
「僕との関係って? 何をどう誤解するって思ってるの?」
王子は意地悪だ。分かっているくせにと咲良は王子を睨んだ。
「皆はまだお姉さんの事、彼女だと思ってるんだよ。それなのに……」
ここまで言ったところで、王子はフッと微笑むと「大丈夫」と咲良の言葉をさえぎった。
「もう自分の周りの子達に話したんだ。きっと噂はすぐに広がるだろうね。こういう噂は皆好きだから」
(な、何を話したの?)
咲良は訊くのが恐ろしくなった。
「ま、まさか……」
頭の中で瞬時にいろいろな妄想が広がる。
咲良が横恋慕したとか。咲良がストーカーのように付きまとったとか。咲良が王子の弱みを握って脅したとか……。
ネガティブな妄想しか浮かばない。
「どんな想像してるか知らないけど、本当の事を言っただけだよ」
「本当の事って……秘密じゃなかったの?」
「姉と咲良のお兄さんの事は秘密だよ。でも、それ以外は本当の事だろ?」
それ以外って……どの範囲までの事だろうか?
それに、本当の事って、何かあったのだろうか?
全てが演技じゃなかったの?
「まあ、とにかく行こうか」
逡巡する咲良の手を握り、王子は楽しげに咲良を引っ張っていったのだった。




