41:ツンデレ由香
心配そうに見つめる由香に本当の事を言えない辛さを噛み締めていた咲良は、ふとアルバイトの事を思い出した。
(そうだ、ここは雰囲気を変えるためにも、アルバイトの事を話しておこう)
「あのね、昨日言いそびれたんだけど、アルバイトをする事になったの」
いきなりの話題変換に由香は驚いた顔をした。
「え? アルバイトって、探していたの?」
「そう言う訳じゃないけど……実は……」
咲良は王子の存在に気づかれない様、気をつけながら説明していった。
飯島先生に作品のファンだと言ったら資料の整理を頼まれた事。この事は誰にも言わないと約束したので、由香に話せなかった事。昨日、アルバイトに行って、由香にだけ話す事を許してもらった事。
「咲良……大丈夫なの? 飯島彼方だって男なんだよ。そんな所へ一人で行ってセクハラされたら……」
「ゆ、由香。飯島先生はそんな人じゃないから。それに、もう一人先輩も一緒だったの」
由香の言葉に驚いて否定したが、やはりそう言う心配をするのが当たり前なのだろうかと、咲良は困惑する。そう言えば王子にも言われていたし、兄にも男は狼だと言われ続けて来たのに、自分の認識の甘さを自覚せざるを得なかった。
それに由香を安心させるためとは言え、思わず王子の存在を先輩に置き換えてしまったと自分の考え無しを恨んだ。
(先輩の事突っ込まれたら、どうするの!)
「そうなんだ……もしかすると、咲良が飯島彼方が若くてイケメンと知ってショックだったのが良かったのかもね」
「ええっ? どう言う事?」
「だって、資料の整理をお願いする人に、飯島彼方自身を目的でされたら嫌でしょ」
そう言う考え方もあるのかと、咲良は目を見張った。そして妙に納得し「そうだったのか」と呟いた。
「ふふふ、私が言いふらしてあげたお陰でしょ」
由香の放漫な言葉に何も言い返せない咲良は、悔しい思いを話を変える事で晴らす事にした。
「そう言えば、由香の方の告白の結果はどうだったの?」
そう尋ねた途端、由香が固まった。そして、見る見る赤くなり、顔を背けた。
(何、この反応?)
「勘違い、だ・っ・た・の!」
怒ったように言うと、由香は自分のベッドの方へ逃げていった。
(はぁ? 勘違いって?)
咲良の頭の中がハテナで埋め尽くされ、逃げていく由香を目で追う。由香がそそくさとベッドへ潜り込んだ所で、咲良は我に返り、今度はこちらから由香のベッドに近寄った。
「ちょっと由香、言い逃げしないで説明してよ。何が勘違いなの?」
壁の方に向かって丸くなって寝ている由香の背に声を掛けると、くぐもった声が聞こえたが、よく聞き取れず問い直すと、由香はガバリと起き上がった。
「だから、恭ちゃんに恋人がいたのは勘違いだったの。それに、処女が重い発言も違ったみたい」
言いながらだんだんと声が小さく俯いていく由香の様子を、咲良は別人を見るような目で見つめていた。
(もしかして、由香サンはツンデレですか?)
「それじゃあ、告白はうまくいったのね?」
目の前で恥ずかしそうに俯く由香がだんだんと可愛く見えてきた咲良は、自分の想像通りうまくいったのだと確信し、確認のつもりで問いかけた。
しかし、由香は静かに首を横に振った。それを見て咲良は慌てた。
「恋人はいなかったのでしょ? じゃあ、どうして?」
「告白、してない」
「ええっ? してない?」
「する前にされた」
恥ずかしそうに答えた由香の顔は益々赤くなっている。咲良は頭の中で由香が答えた『する前にされた』の言葉を何度もリピートさせるが、理解が追いつかない。ようやくその意味を理解した途端、咲良は叫んだ。
「うそー!! 恭ちゃんの方から告白してきたの? やったじゃない!!」
嬉しくなって咲良は思わず由香に抱きついた。先ほど反対の理由で由香に抱きつかれた事など、すっかり咲良の頭の中から消えていた。
咲良にとっては本来の目的が達成されたわけだから、これほど嬉しい事はなかった。しかし、由香にとっては咲良の結果を思うと、手放しでは喜べないと思ったようだった。
「咲良、ごめんね。咲良の辛い気持ちも考えず……」
「何言ってるのよ。私の場合は始めから無理だと思っていたから。でも、由香の場合は絶対に上手くいくと思ってたの。私の事は気にしないで、喜んでたらいいの」
ウンウンと頷く由香が可愛くて、咲良はギュウギュウと抱きしめる。これはツンデレのデレだなと、咲良は心の中でニンマリしながら、今日は自分の事は忘れていようと頭の中から追い出したのだった。
その後、しつこく由香の今日の詳細を訊いた咲良は、ベッドへ入ってからも二人の様子を頭の中で妄想してニマニマと頬を緩めた。
先ほども話の途中で、恋人となった幼馴染から届いたメールを見て頬を染める由香に、咲良は萌えた。
ベッドの中でなかなか寝付けずにいると、咲良の携帯もメールの着信を告げた。机の上に置きっぱなしにしていた事を思い出し、起き上がって携帯を見た咲良は驚いた。王子からのメールだった。ドキドキと心臓が駆け出して行く。脳裏に今日の出来事がよみがえる。共犯だと言った時の王子の妙に色っぽい表情を思い出し、益々心拍が上がった気がした。
『こんばんは、まだ起きてるかな。今日はありがとう。姉に彼女ができたから、もう恋人のフリは出来ないって話しました。そうしたら、姉が彼女に会いたいとの事。今度の火曜日の午後4時に今日来ていた要人さんのマンションへ来てくれるかな? 急な事でごめんね。返事は明日でいいから。お休みなさい。』
「えー!!」
思わず声が出てしまい、その声に驚いた由香が起き上がって「どうしたの?」と尋ねるので、咲良は焦った。
「何でもないの。友達からのメールに驚いただけ」
答えながらも咲良の頭の中はパニックになっていた。いつかは王子の彼女として、王子の姉に対峙しなければいけない事は分かっていたけど……。
(いきなりですか!)
あの日兄と言い合いをしていた王子の姉の勢いを思い出し、咲良は身震いした。
(何を言われるんだろう)
そう言えば、あの兄の妹だと知っているのだろうか。王子は話したのだろうか。
咲良は携帯を握り締めたまま布団へ入ったが、しばらく眠れそうも無かった。
*****
今日は朝から雨降りで、こんな日は気分までどんよりとしてしまうと咲良は溜息を吐いた。
今朝、昨夜の王子からのメールに了解のメールを送った際に、あの兄の妹だと話したのかと尋ねてみた。王子の返事は話していないとの事だったが、姉が咲良を見てどんな反応をするか見てみたいんだと綴られてあり、これも王子の作戦の一つなのかと思うと今日のお天気のようにどんより重くなった。
分かっていた事。期待なんかしていない。それなのに王子からのメールを喜んでいる気持ちと、そのメールが作戦連絡でしかない事を残念に思う気持ちが、自分の中にあることを自覚せざるを得ない。
(こんな気持ちを持ちたくなかったな)
再び盛大な溜息を吐いた咲良は、学校へ行く用意を始めた。
一コマ目から授業のある寮生たちと大学へ向かいながら、咲良は声を掛けられ振り向いた。
「咲良ちゃん、昨夜は良く眠れた?」
何の屈託も無い真紀の問い掛けに、一瞬怯む。
「ありがとう。カモミールティーのおかげでバッチリだよ」
なんとか気を取り直した咲良は笑顔で答えたが、真紀の笑顔は消えていた。
「咲良ちゃん、目の下にクマがあるけど、無理してない?」
クマと言われて驚いた咲良は、無意識に目元に手をやった。
「昨夜は由香と遅くまでお喋りしてたから、睡眠不足かも。でも、ぐっすり眠れたんだよ」
心配かけないために睡眠不足を白状したうえで、よく眠れた事も強調しておく。ぐっすり眠れたのに睡眠不足って……と自分にツッコミを入れながらも、悟られないようにニッコリと笑った。
兄相手に感情を読み取られないよう、ツッコミを入れられないよう気を付けていたスキルが、こんな時に活かせたけれど、肝心の兄にはまだまだ敵わない。
あの兄を本当に騙せるのだろうか……いや、その前に王子の姉だ。
―――――――あの勘の良さそうな二人の前で演技できる?
咲良は王子に問い掛けられた言葉を思い出した。
王子はあの時、だから本気で付き合おうと言った。だけどそれは咲良に作戦への参加承諾をさせるための詭弁だ。
咲良は真紀に気づかれない様に小さく息を吐き出すと、真紀との会話を続けた。
表面上は穏やかに会話しながらも、咲良の心の中はもう既に修羅場直前の落ち着かなさだった。




