40:カモミール効果と結果報告
咲良はボーっとしたまま寮へ帰り着いた。
由香は幼馴染と夕食を食べる予定だから、帰って来るのはもっと遅いだろう。けれど、今の咲良には、そんな事を思い出す余裕も、考える余裕も無く、今日の出来事を思い返してはただ呆然としていた。
まるで夢の内容を思い出すように、どこか現実味が無く嘘くさい。
王子と付き合う……フリをするって……どうすればいいのだろう。この事を考えると、咲良の頭の中は真っ白になる。誰かに相談したい気もするが、まるで妄想のような内容に自分ですら信じられなくて、上手く説明できる気がしない。
夕食の時、いつもと違う咲良の様子に、同じ寮生の葉奈と真紀に「どうしたの?」と尋ねられた。「ちょっと疲れちゃって……」と答えるのが、今の咲良には精一杯だった。
「張り切って大学へ入学して、丁度疲れが出てくるのが今頃だって、先輩に聞いたよ」
「咲良ちゃん、頑張り過ぎちゃったのね。まだ始まったばかりだから、マイペースで行こ、ね?」
二人の優しい言葉に、咲良は多少の罪悪感を感じながらも胸が一杯になった。二人が言うように、いろいろあり過ぎて、頑張り過ぎたのかも知れない。
「こんな時はね、カモミールティがいいよ。リラックスできて良く眠れるから。後でティーバックのをあげるね」
最近ハーブにはまっている葉奈の申し出を、咲良は有り難く受ける事にした。
カモミール効果か、ただ暗示に掛かり易いだけなのかはわからないが、咲良の気分は少しずつ落ち着いてきた。そして自室のベッドに寝転がり、もう一度今日の出来事を思い返す。
(私、告白したよね?)
確認するように自分に問いかける。一応ミッションはコンプリートしたのだと胸を張りたい気持ちになるが、その後の展開についていけない咲良には、どうにも自信が無かった。
王子の提案は、自分の告白の答えじゃないのだという事は分かっている。全ては姉のため。
(もしかして、王子ってシスコン?)
もうここまで来たら、たとえ王子の姉のためであっても、最後まで付き合うしかないのだろうと、どこか諦めにも似た気持ちで咲良は自分に言い聞かせた。
それでも王子とたとえフリであっても彼女と言うポジションにつける事は嬉しい事じゃないのかと自分にツッコミを入れるが、王子の姉と自分の兄の前限定の彼女なんてと、咲良にとっては嬉しい気持ちより戸惑いの方が大きかった。
(お兄ちゃんをうまく騙せるのかなぁ)
兄の鋭い眼差しを思い出し、咲良はピクリと肩を震わせた。
咲良にとって告白は、募った想いを昇華させるための儀式のつもりだった。恋人になるとか、彼女になるとか、はなから望んではいなかった。だから今回の期間限定の彼女のフリもどうにか受け入れられたのだと、自分を納得させている。しかし本当のところは、やはり王子の勢いに流されただけだったのだが……。
「ただいま」
「おかえり」
ドアを開けて入って来た由香の声に 、取り敢えず反応した咲良は、何時もの元気が無い事に気付いた。そう言えば、昨日の由香も今日の様に何処か何時もと違ったっけと思い返しながら、ぼんやりしている様な、心ここに在らずと言う様な由香を観察する。
もしや、ダメだったのか? と内心焦りながら、咲良はベッドの上に起き上がった状態で由香の様子を見つめた。
「ねぇ、カモミールティ飲まない? リラックスできて良く眠れるんだって。葉奈ちゃんに貰ったんだよ」
とりあえずここはリラックスだと、咲良は先程貰ったばかりのティーバッグを見せて誘いかけた。
「い、いいわね。じゃあ、飲んでみようかな」
どこかぎこちない由香の反応に、ますます悪い予感を強めながらも咲良は笑顔を保ち続けた。そしてティーバッグを渡すために由香に近づく。
「私もさっき飲んでリラックスできたよ」
咲良は笑顔でティーバッグを差し出すと、見上げた由香と目が合った。途端に由香が視線を外し俯く。頬の辺りが赤くなっているように見えたけど……と咲良は内心首を傾げる。
「あ、ありがとう」
立ち上がった由香は咲良の手からティーバックを奪い取ると、慌てたように部屋から出て行った。手にマグカップを持って行ったので、給湯室へ行ったのだろうと、咲良はヤレヤレと安堵しながら自分のベッドへと戻り、再び寝転んだ。
咲良はすでにお風呂も済ませ、いつ寝てしまっても良い状態だったが、頭の中はまだ何処か興奮しているようで、眠気は訪れそうもない。カモミール効果は睡眠欲に関しては効かなかったようだ。それでも勉強する気も大好きな読書をする気にもなれずに、天井のシミを見つめながら、先程の由香の様子を思い出し、今日はどうだったのだろうと思い巡らす。
その時、またドアが開いて由香が戻って来た。
「やっぱり、お風呂に先に入って来るね」
由香はそう言うとお風呂の用意をして、再び出て行った。
由香はせっかちだけど、あんな慌て方はしない。やはり由香は動揺しているのだと咲良は結論付けると、再び大きな溜息を吐いた。
やっぱりダメだったのだろうか? いや、そんなはずは無い。と、咲良は自分の事は忘れ由香の心配で頭が一杯になった。
あの幼馴染の態度は由香の事を想っている様に思えたのに。
やはり由香の言う様に、妹としての想いだったのか。
咲良は上手く行くと確信して告白を勧めた事に、苦い後悔を感じ始めた。
(どうしよう、私が言い出したばかりに…)
グルグルと後悔の念に気持ちが沈んで行く咲良のメンタルは、すっかりカモミール効果が消えてしまった様だった。
再びゆっくりとドアが開き、左手にお風呂セットと着替えた服、右手に湯気の立ち上がるマグカップを持った由香が入って来た。咲良はチラリと由香の姿を確認すると、辛くて枕に顔を埋め寝たフリをした。
しばらく由香は顔やボディの手入れをしながら、カモミールティーを飲んでいる様だった。狭い部屋の中、見なくても音と気配で何をしているか大体察しがつく。咲良はその間寝たフリを続けていたが、やはり頭の中は懺悔と今後の対応についての考察がグルグルと回っていた。
「ねぇ、咲良、起きてるんでしょ?」
いきなりの呼びかけに、咲良は息が止まるほど驚いた。その上、寝たフリしている事までバレている。
「う〜ん。もう朝なの?」
それでも咲良は最後の足掻きに、目を擦りながら寝起きのフリをしてみた。
「咲良、寝てなかったの、バレバレだって」
プッと吹き出した由香が笑いながら言う。悪戯の見つかった子供のようにバツの悪い様子で起き上がった咲良は、「カモミールティーの効果出た?」と話をはぐらかす様に問いかけた。
「まあね、ありがとう」
「お礼なら、葉奈ちゃんに言ってね」
「さっき、廊下で会ったから言っておいたよ。咲良も元気なかったんだって?」
(キター)
思わず心の中で叫んでしまった咲良は、これはよからぬ方向へ話が進んでいると察知し、どうやって回避しようかと頭の中を巡らせる。
王子に禁止されている事項を外して、どうやって説明すればいいかわからない。
「ちょっと疲れちゃって……それでカモミールティーを貰ったの」
「ふ~ん。疲れるような事、あったの?」
(ちょっと、ちょっと、もういつもの由香に復活したの?)
恐るべしカモミール効果と咲良が恐れ入っていると、由香が近づいて来て「それで、今日の成果は?」と単刀直入に質問を繰り出した。
(そう言う由香さんはどうなんですか?)
心の中で問いかけるが、こちらが答えるまで質問を受け付けそうに無い由香を見上げ、心の中で盛大に溜息を吐いた。
「約束どおり、告白したよ」
咲良は覚悟を決め、どうだとばかりに約束を遂行した事を告げる。由香は少し驚いた顔をしたが、顔を引き締め「そう、それで?」と結果の報告を催促した。
「う~ん……何も変わらないかな?」
「え? どう言う事?」
「今まで通りと言う事で」
「もしかして、このままお友達でいましょうとか言われた?」
(いや、そう言ったのは私の方だけど……)
「まあ、そんな感じかな?」
兄や王子の姉の前では彼女のフリをしても、みんなの前では今まで通りでいた方がいいのだろう。
本当なら、告白したらもう王子の前には恥ずかしくていけないと思っていたのに、共犯を了承したからにはそう言う訳にもいかない。よく考えたら、弱みを握られて王子の企みに加担するようなものかも。
咲良は今更ながらに現実が見えてきて、情けなくなった。
(でも、私にしかできない事なんだよね)
そう思う事で、王子の手伝いが出来る事を誇りに思おうと、咲良は気持ちを切り替えた。
「咲良、そんなに強がらなくても良いよ」
いきなり由香が抱きついてきて、咲良は慌てた。
「ど、どうしたの? 何も強がってないから」
「無理しなくてもいいの。泣きたい時は泣いた方がいいよ」
ギュウギュウと抱きしめてくる由香の暖かさを感じながら、咲良はこれは泣いた方がいいのだろうかと考えた。
「大丈夫だから」
咲良は体に回る腕をポンポンと叩いて力を緩めてもらい、由香に安心してもらいたくてニッコリ笑って大丈夫を伝えた。
(今は本当の事は言えないけど、いつか笑って話せるようになったら……待っててね由香)
笑顔に言外の意味をこめる。
咲良がそんなに悲しまずに済んでいるのは、恋人だと思っていた人が実姉だったと分かったからだろう。その上今はフリーだと言う王子としばらくの間とは言え彼女のフリができる事は、素直に喜べないけど内心は嬉しかったのだ。




