4.可愛い子には旅をさせろ
「咲良ぁ、Q大へ行きたいなんて、聞いてないぞ。M大へ行くんじゃなかったのか? 東京の大学なんて、田舎もんのおまえなんか、悪い男に騙されてしまうぞ」
年末の近づいたある夜、兄大樹から咲良に電話があった。
大樹は関西の某国立大学を卒業後、某企業の研究所に勤めている。
「お兄ちゃん、まだQ大へ行くかどうか分からないよ」
咲良は面倒だなと思いながら、兄を諌めるように言った。
「でも、親父、大喜びで電話してきたんだぞ。受かったら行くつもりだろ?」
「まあ、それはそうだけど……」
「どうしてQ大へ行こうなんて思ったんだ? 流されやすいおまえの事だから、親父に強引に勧められたんだろ?」
「違うよ。私からQ大の話をするまで、Q大がお父さんの母校なんて知らなかったもん。私は大好きな作家が講師をしていて、講義を聞きたいと思ったから、Q大を受験しようと思っただけ」
「ええっ? 知らなかったのか? 大好きな作家って、飯島彼方か?」
「えっ? お兄ちゃん、何で飯島彼方って知っているの?」
「おまえが前に面白いって言っていたから、俺も読んでみたよ。確かに飯島彼方はQ大の講師をしているけど、何年も前からしているのに、どうして今頃になってそんな事言い出したんだ?」
鋭い兄のツッコミに、咲良はドギマギした。後ろめたい気持ちに心臓がドキドキと大きく跳ねる。
「そ、それは、最近知ったから……」
「なんだか嘘っぽいな。まぁ、まだ受かると決まった訳じゃないし、大晦日には帰るから、俺が納得できる理由を用意しておくんだな」
言い捨てて大樹は電話を切った。咲良は携帯を片手に固まったまま、途方に暮れた。
*****
無事に新しい年を迎え、大樹は悔しそうに職場のある街へ帰って行った。
そう、兄の攻撃は、ハイテンションな父親にことごとく邪魔をされて、タイムアウトとなったのだ。
『だいたい大樹は、俺のQ大の勧めを蹴った癖に、咲良がQ大へ行きたいと言うのを文句言うとは何事だ』
大晦日から正月三が日にかけて、前祝いだとばかりに酒浸りになっていた父親は、咲良のQ大行きを責める息子を一刀両断した。
『理由なんてどうでもいいんだよ。Q大へ入ってくれれば』
さらに父親は、『たいした理由もないのにQ大へ行きたいと言うのは胡散臭い』と言う息子に、人生のほんの4年間の記憶を子供と共有したいと言うセンチメンタリズムを説いて聞かせた。
『それでも、大事な一人娘を東京みたいな大都会へ出してもいいのか? 咲良みたいな田舎娘、悪い男に騙されてしまうぞ』
大樹の方もなかなか引かず、父親に言い募る。
『可愛い子には旅をさせろって言うじゃないか。咲良もあれで案外しっかりした所もあるんだよ。温かく見守ってやってくれよ。大樹もそろそろシスコンから卒業しないとな』
痛いところを突かれた大樹は、苦虫をつぶしたような顔をした。そして、まるでQ大に受かったような気でいる二人のやり取りを傍で聞いていた咲良も、内心後ろめたさで何も口を挟めなかった。
高校三年生の三学期が始まり、いよいよ本格的に受験本番となった。両親の許可が下りたので、担任にもQ大を受験する事を伝えなければいけない。しかし、咲良は憂鬱だった。
(Q大を受験したいなんて言ったら、先生に笑われないかな?)
「先生、実はもう一つ受験したいのですが……」
「山野、M大自信無いのか?」
担任の反応は、予想外のものだった。
「いえ、そう言う事では無くてですね。運試しと言うか、お試しと言うか……あの、東京の大学を受験してみようかと……」
相変わらず機転の利かない咲良は、しどろもどろになりながらも、なんとかQ大を受験する事を言いたいのだが、笑われるんじゃないかと思う故、的外れな言い訳を並べてしまった。
「なんだ? お前まさか、受験を口実に東京へ遊びに行こうとか思っているんじゃないだろうな? そんなこと考えている余裕あるのか?」
(ひぇ~、どうしてこうなるの?)
「ち、違うんです。父が、母校を是非受験して欲しいって言い出して……」
藁をも縋る思いで、咲良は父に責任を被せた。
「はぁ? 山野の父親はこんな時期に何を考えているんだ? 受験だけしたら気が済むのか? 母校へ進学してくれって言っているんじゃないのか?」
担任が偶然にも話を本筋へ戻してくれたので、咲良はそれに飛びついた。
「そうです。そうです。父は子供が母校へ進学してくれるのが夢なんだそうです」
咲良が嬉しそうに大きく頷きながら言うと、担任はがっくりと肩を落とし嘆息した。
「たまにそんな事を言う親御さんがいるよ。だが、どうしてこんな時期になってから言い出したんだ? お前の父親は」
担任の問いかけに、どう説明しようかと思案する咲良の頭の中は、飯島彼方と王子がグルグル渦巻く。考えれば考える程、上手く説明できそうにない気がして、咲良は説明を放棄することにした。
「まあ、いいじゃないですか、先生。とにかく父の母校を受験したいので、調査書の方よろしくお願いします」
受験のための願書を提出するには、高校の校長の名の入った調査書がいるのだ。そうじゃなかったら、こっそり受験するのに……と咲良は心の中でぼやいた。
先ほどの質問をスルーされた担任は、プライベートな事にあまり首を突っ込めない教師の立場を思って心の中で溜息を吐いた。
「まあ、受験するのはお前だから、調査書の用意ぐらいしてやるが、父親の母校っていったいどこなんだ?」
(キター! このまま大学名を言わずに誤魔化そうと思ったのに)
「先生、笑わないですか?」
身の程知らずって思われるんじゃないかと、咲良は言い淀む。
「笑うような大学なのか?」
担任は恥かしくていえないような大学なのかと、これ以上突っ込まない方がいいかと逡巡した。
「そうじゃないですけど……」
「その前に、山野はその大学に受かったら、そちらへ進学するのか? M大はどうするんだ?」
「M大はもちろん受験しますよ。でも……今は第一希望が父の母校です」
「そうか……それで、俺はその母校とやらの名前を教えてもらえるのか?」
「先生、本当に笑わない?」
「しつこいな、おまえ。どんな大学だって笑わないよ」
「あの……Q大です」
咲良は俯いて目だけ担任を窺うように見つめながら、小さな声で言った。その小さな声は担任の耳に届いた。そして、担任は目を見開いて固まってしまった。そんな担任を見て、咲良は言った事を後悔していた。
「山野、冗談じゃないよな?」
「先生の方こそ、冗談じゃないですよ。正直に言ったのに」
「ごめん、ごめん、悪かったよ。でもな? Q大だぞ? あの石川でも、確実に入れる指定校推薦を選んだぐらいだ。父親を納得させるために受験するだけしてみると言うのとは違うんだろう?」
「当たり前です。この間の塾の模試でC判定でした。このまま頑張れば夢じゃないって塾の先生が言ってくれたんです」
「ほぉ~、頑張っているじゃないか、山野。わかった。先生も全面的に協力するよ」
担任はニヤリと笑うと、咲良の頭をポンポンと叩いた。
「じゃあ、先生。私がQ大を受験する事、誰にも言わないでください。恥ずかしいから……」
恥ずかしそうにしている咲良に了承の言葉を告げた担任は、暖かい眼差しで「頑張れよ」と励ましたのだった。




