38:王子の告白
咲良は混乱していた。
(私、告白したよね?)
告白が上手く伝わらなかったのだろうか、王子の反応はどう言う事だろうかと、混乱した頭で咲良は考えた。やはり、よく分からない。それに、王子の言う提案って?
「……のさん、山野さん」
咲良は王子の呼ぶ声をやっと認識して顔を上げた。
「心ここに有らずって感じだけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
「それなら良いけど」
どこか現実感が無く、ぼんやりとしていた咲良に王子は優しく微笑みかけた。
「ねぇ山野さん、僕達付き合わない?」
「はぁ?」
混乱した頭に、また更なる爆弾を投下され、咲良は素っ頓狂な声を上げた。
「いや、フリだけでもでいいんだ」
咲良の反応に、慌てたように王子は付け加えた。
(フリだけって、どう言う事?)
「でも、彼女さん居るじゃないですか」
こんな事言う王子は知らない。これじゃあ、女たらしじゃないか。咲良の中で王子像が揺らぎ始めた。
「あー……、彼女もフリなんだけど、……もしかして、ひどい男だと思ってる?」
王子の言葉に咲良の表情が困惑に歪んでゆく。
説明しかけた王子は、咲良の表情に気付き、恐る恐る確かめるように問いかけた。困惑している咲良は問われるままに、正直にうなずいていた。
「ごめん。ちょっと焦り過ぎた。最初からきちんと話をするよ」
王子が自嘲気味に言うのを、咲良はまだ唖然としたまま見つめていた。そんな咲良に苦笑した王子は、彼女の反応を待つことなく話し始めた。
「僕は3人兄弟なんだ」
咲良はそこから話すかと驚きながらも相槌を打つ。
「5つ上の姉と3つ上の兄がいるんだけど、小さい頃から両親は忙しくてあまり家に居なかったから、家では姉が一番強かったんだ。姉は要領が良くて、弟二人の弱みを握って命令したりするから、姉には逆らえないって刷り込みのように思わされてきたんだよ」
王子の身の上話の様な話に咲良はまたまた唖然とした。学校では王子と皆から羨望の眼差しで見られているこの人が、お姉さんに虐げられていたなんて……。
「それでも姉が大学進学のために家を出た5年前から僕と兄は平和だったんだよ。姉は関東の大学で、兄は関西の大学へ進んだんだ。きっと姉と少しでも距離を取りたかったんだろうね。僕も同じ関東でも姉とは違う大学だから大丈夫だと思っていたんだけど、僕の入学と同時に姉はQ大の大学院に入り直したんだ。それはもう、青天の霹靂だったよ。両親にも僕を驚かせたいから黙っていてとお願いしていたようで、本当に全く知らなかったんだ。それで、入学式の日に僕の前に現れた姉から、『これからよろしくね』と言われたのが悪魔の微笑みに見えたぐらいだよ」
王子はここまで話すと大きく息を吐き出し、咲良の様子を窺う様な視線を向けた。咲良は王子の話の意図がまったくつかめず、相槌さえ打つのを忘れる程唖然としていた。
「こんな話されても困るよな。でも、これを前提に今から話す事を聞いて欲しいんだ」
王子は自嘲気味に笑った後、少し顔を引き締めて言った。咲良は戸惑いながらも小さく頷いた。
「姉がゴールデンウィーク明けにとんでもないお願いをして来たんだ。いや、あれはお願いじゃない。命令だな」
そう言って顔をゆがめる王子を、咲良はまだまだ驚きの目で見ながらも、王子のイメージがドンドン変わっていくのを感じていた。
姉に虐げられていると言う王子が、兄の言葉に翻弄させられている自分とどこか重なるものを感じ、咲良は王子に親近感を感じ始めていた。
(かわいそうな王子。私だったら、王子みたいな弟がいたら、可愛がるのに!)
そんな反発心と同情が、咲良の頭の中から告白の事などすっかり忘れさせていた。
「姉は前の大学で同じゼミの同級生からストーカーのように付きまとわれて、それもあって大学を変わったんだけど、こっちの大学まで押しかけてくるようになったらしいんだ。それで、そのストーカーを撃退するために僕に恋人のフリをしろと言ってきたんだよ」
(えー! お姉さんの恋人のフリ?!)
咲良の頭の中に一瞬『近親相姦』という言葉が浮かんだが、必死に頭を振ってその言葉を頭の中から振り払うと、はたと思い当たった。
「もしかして……あの彼女さんって、お姉さんだったの?」
咲良の問いかけに王子は「姉の命令は拒否権なしだからね」と苦笑した。
(えー!!! それって、それって……やっぱり本当の恋人は神崎さんなの?)
咲良は驚きと共に浮かんだ疑問を口に出そうか悩んだ。しかしすぐに王子が「それで……」と話しだしたので、タイミングを逃してしまった。
「昨日話したように、山野さんのお兄さんと姉は高校の時に付き合っていたと思うんだよ。二人は何か誤解し合って別れたんじゃないかな」
「でも、もう5年も前の事だよ」
「そうだけど、この間の二人は未練があるように見えたんだ」
咲良は驚いた。あの言い合いのどこに未練が見えると言うのだと。
「あれだけ言い合えるのは、まだ相手の事が気になるって事だろ? もう過去の事なら、知らないフリするか、挨拶だけで済ますと思うんだよ。好きの反対は無関心だからね」
咲良の反論したそうな表情に苦笑すると、王子は説明するように言った。それでも咲良はまだどこか納得できない。
(好きの反対は嫌いじゃないの?)
「たとえば山野さんは、元カレとか昔好きだった人に再会したらどんな気持ちになると思う?」
納得できずに困惑顔の咲良に、王子は微笑みながらたずねた。
「元カレなんていないから、わかりません」
そんな事を訊かれても答えようがない。咲良が今まで好きだと自覚したのは王子だけだ。その王子と大学で再会した時は……違う、大学で初めて自分を認識された時は、ドキドキして恥ずかしくて逃げ出したかった。その事を思い出した咲良は、今目の前にその人がいる事に気づき、急に恥ずかしくなって頬を染めて俯いた。
そんな咲良を見ていた王子は、ハッと何かを思い出して少し困ったよう眉を下げ、薄っすらと耳が赤くなったのを、俯いていた咲良は気付かなかった。
しばらくすると王子は小さく嘆息し、咲良を見てニッコリと微笑んだ。
「まあ、とにかく、あの二人は未練があると思うんだ。それで、二人の誤解を解こうと思うから手伝って欲しいんだ」
「二人の誤解を解くって……5年も前の事なのに? どうして?」
咲良は驚いて、思わず尋ね返していた。
何のために? まさか、お姉さんのために?
そんな事をあの二人が望んでいるだろうか?
あの兄が、そんな恋愛を経験しているなどと想像もできない咲良だった。
「姉はね、今回のストーカーの事もあったからだと思うけれど、『もう男はこりごり』なんて言ってるんだ。おそらく、僕が憶測したあの二人の誤解からの別れも、トラウマになってるんじゃないかな? だから、その誤解を解いて、そんなトラウマを少しでも消す事ができたらって思ってるんだよ」
王子の言葉に咲良は感動した。どんなに虐げられても純粋に姉を思う優しい王子。自分だったら兄のためにそこまで出来るだろうか? 自分と比べた咲良は、やっぱり王子はすごいなと見惚れた。
そんな咲良の胸の中には、さっきまで納得できずにいた、あの二人の過去やまだ未練があると言う王子の憶測も、いつの間にかすんなりと収まっていた。
「それで、山野さんにも協力してほしいんだ」
「私にできる事なら何でも協力します」
咲良は感動のまま、後先考えずに承諾した。
「じゃあ、僕と付き合ってくれるね?」
「はい………ええっ?!!!!」
ニッコリと笑った王子に、咲良はつられるように返事をした後、その問いかけの言葉の意味が脳内に届き驚きの声を上げた。
「姉と山野さんのお兄さんに僕達が付き合う事にしたと言った時の反応を見たいんだ。そしてそこから本音を引き出したいと思ってる」
「そ、それは、付き合ってるフリをするって言う事ですよね?」
咲良はやっと最初に言われた言葉を思い出した。最初にいきなり付き合ってと言われて驚いたが、王子にはこんな思惑があったのかと、やっと話がつながった。
「山野さん、あの勘の良さそうな二人の前で演技できる?」
王子の言葉に咲良はすぐさま想像してみた。兄の前で王子と寄り添い、お付き合いする事になりましたと報告している自分を。そんな事、できるのか?
「無理かも……」
(いや、かもじゃないでしょ。無理だから、絶対に!!)
「じゃあ、本当に付き合えば、大丈夫だよね? 演技じゃないんだから」
(え………)
ニッコリ笑った王子の笑顔に、初めて黒いものを感じた咲良だった。




