17.王子様のお誘い
「ねぇ、ゴールデンウィークは家へ帰るの?」
いつもの寮の夕食の席、新寮生達とテーブルを囲んでお喋りをしながら食べていた。話題は近づいたゴールデンウィークの事。
今年のゴールデンウィークは、並びが良くて4月28日の土曜日から5月6日の日曜日まで、9連休の会社もあるらしい。しかし、間に挟まれた5月1日と2日は平日のため、大学は授業があるのだ。それでも5月3日から四日間の連休は嬉しかった。
「もちろん、帰るわよ。皆も帰るんでしょ?」
「帰りたいけど……往復の交通費を考えると……」
咲良は悩んでいた。実家へ帰りたいのはもちろんだけれど、交通費がバカにならない。新幹線と電車で往復2万円以上かかる。たった4日のために2万円を使うのは気が引けてしまう。
「咲良ちゃんは何で帰るの?」
「新幹線と電車だけど……」
「高速バスを使わないの? 新幹線の半分以下だと思うよ」
「えっ? 高速バス? そんなのがあるの? 私の地元への路線もあるのかな?」
「主な地方都市なら、だいたいあると思うよ。ネットで調べてみたら?」
いつも高速バスを使うのだと、N県出身の真紀ちゃんがニコニコと教えてくれた。彼女は高校の頃から友達とTDL等へ高速バスで来ているらしい。
咲良は、いろいろと教えてもらえる寮の仲間がいて良かったと、改めて感謝した。
4月最後のサークルの日、由香からサークルを休むとメールが届き、咲良は悩んだ。メールによると、由香はレポートの提出期限を勘違いしていたらしく、教授に今日の17時まで待ってもらえるよう頼み込み、図書室でレポートの仕上げをするためサークルには出られないらしい。
どうしよう。今まで一人でサークルに行った事は無い。でも、王子に会えるチャンスをみすみす逃したくない。
広い大学のせいか、妄想のように同じ教室でとか学食でとか、見かけるチャンスがあまりない。
やはり確実に会えるサークルは外したくなかった。
いつものように部室のドアの隙間から中を覗きこみ、王子がいるのを確認してから「こんにちは」と中へ入って行く。
「山野さん、こんにちは。あれ? 今日は一人?」
いつもの王子スマイルで挨拶をしてくれた王子は、咲良が一人なのに気付き、問いかけてくれた。
「由香は用事があって来られないから……」
いつものように控えめに微笑んで言葉を返す。「そうなんだ」とまたスマイルで返された後、王子は別の人に話しかけられてそちらへ会話を移していった。
由香がいないだけで、何となく居心地が悪くて、自分が普段如何に由香に頼っていたかを思い知らされる。由香は人見知りせず、誰とでも話ができるところが、すごいなと思う。
(私も頑張らなきゃ)
少し緊張しながらも、咲良はその日のサークルを当たり障りのない会話をして、何とかやり過ごした。
帰ろうと部室を出たところで「山野さん」と声をかけられた。振り返るといつものように微笑む王子がいた。珍しく王子も一人だ。王子と話をするのは最初少しドギマギするけど、最近はずいぶん慣れたと思う。初めて二人きりでの会話だと言う事は、今の咲良には思いつきもしなかったが……。
「山野さんは、ゴールデンウィークに家へ帰るの?」
「ええ、後半の連休に帰ろうかと思っているの。石川君は?」
「ああ、僕も帰る予定だよ。もしかして、高速バスで帰る予定?」
高速バスと言う言葉が出て来て、先日教えてもらって調べた事を思い出した。
「そうなの。高速バスってとても安いのね。最初知らなかったから、新幹線だと交通費高いしどうしようって悩んでいたの。そうしたら高速バスが安いよって教えてもらって……石川君も高速バスなの?」
「ああ、そうなんだよ。それで、よかったら山野さん一緒に帰らない?」
(えっ? なんとおっしゃいました?)
咲良は一瞬言葉に詰まった。きっと驚いた顔をしてしまったに違いない。
「あ、あの、それって、同じ高速バスで一緒に帰るって言う事?」
「そうだよ。山野さんは高速バスって初めて?」
咲良の頭の中は、王子と並んでバスに座る自分の姿がグルグル頭の中を巡って、王子の問いかけを聞き逃しそうになった。ようやく頷いて返事をすると、王子はそれならと高速バスについて話し始めた。
「あのね、山野さん。高速バスって夜中走るから、乗客は皆眠っているんだよ。灯りも暗くなるしね。でも、女の子が一人で乗るのは少し危ないんだ。隣に誰が座るか分からないだろう? 実際に眠っている時に触られたりした人もいるんだよ。だから、僕と一緒に申し込めば、そんな心配無いから、どう?」
王子の説明を聞いて咲良はとても驚いた。高速バスってそんなに危ないものだったんだ。王子はなんて優しいんだろう。私の事を案じて誘ってくれるなんて。でも、恐れ多くないかな……。
「高速バスって乗った事が無かったから、そんな事情知らなかった。でも、いいの? 私なんかと一緒に乗っても」
「山野さん、誘っているのは僕の方だよ。じゃあ、いいんだね? それじゃあ、予約は僕の方で入れておくから。5月2日の夜発のでいいよね? 往復だと割引があるから、往復で申し込んでおくからね」
「ありがとう。いろいろ、お世話になります」
咲良はペコリと頭を下げてお礼を言った。
「詳しい時間とかはまたメールするから。じゃあ、またね」
足早に去って行く王子の後ろ姿を見つめながら、咲良はまだ事の重大さに、思考が巡らなかった。
王子と一緒にバスに乗って帰る……なんて……夢なんじゃないだろうか?
咲良はそっと右の頬をつねってみた。
「痛っ」
咲良は右の頬を撫でながら、やっぱり現実なんだと思い直す。
だけど、欲張りになり過ぎたこの想いが見せた妄想なんじゃないだろうか?
そちらの方が現実味はあるなと思いながらも、さっきまで目の前にいた彼を、もう一度脳内でリピートさせた。
寮への帰り道、自分がどんなに顔を緩ませているかなんて気付きもせずに、咲良は妄想のままに歩いていた。
ふと、現実に戻って気付く。
王子は彼女と一緒に帰るんじゃないの? と。
そうだよね? 王子と二人きりなんて言う事は無いよね?
もしかしたら、同じ高校出身の人に声をかけているのかもしれない。それなら深夜に走る高速バスでも、心強いよね。
王子ってやっぱり優しいんだなぁ。
こんな王子の優しさのおこぼれをもらえるなんて、Q大へ来てよかった。
咲良は変な期待しないよう、自分は村娘なんだからと、いつものように無意識に言い聞かせていた。
*****
「ええっ! 石川君に一緒に地元へ帰ろうって誘われたの? 私のいない間に、すごい展開になっているじゃない?」
その夜、由香に王子に誘われた話をした。嬉しくてつい話してしまったのだけど、由香は私以上に驚いているようだ。
「いやいや、石川君は優しいから、私が一人で高速バスに乗るのは危ないからって、心配して誘ってくれたんだよ。由香、知っていた? 高速バスってね、隣に男の人が乗る事もあって、寝ている時に触られたりとかあるんだって。怖いよね」
「咲良こそ知らないの? 最近はね、バス会社の方も配慮して、一人で乗る女の人の隣は必ず女性にしてくれるんだよ。それに、それは4列シートの話でしょ? 最近の高速バスは、3列の独立シートが主流なんだよ」
「えっ? そうなの? 石川君は最近の事情を知らないのかなぁ?」
咲良は最新の事情を知ったのに、王子と一緒に帰ってもいいのかなぁと考え込んだ。3列シートなら女性一人でも大丈夫そうだし、たとえ4列シートでも隣が女性なら安心だ。せっかく彼女と一緒なのに、私なんかがいたら変に誤解を与えないだろうか? いやいや、こんな村娘、お姫様は気にも留めないよね。
「ねぇ、咲良。もしかして、石川君も咲良の事、気になっているんじゃないの?」
考え込んでいた咲良に、由香がニヤリととんでもない事を言い出した。
「えー! そんな事、ある訳ない!! たぶん、同じ地元へ帰る人皆に声を掛けているんだよ。彼女も一緒なんじゃないのかなぁ」
「石川君がそう言っていたの?」
「いや、そう言う訳じゃないけど……でも、あの石川君が私と二人で帰る筈ないじゃない! 彼女もいるんだし」
「そうかなぁ。私は結構、石川君は咲良の事気に入っていると思うんだけど……」
「そんな事無いよ。同じ高校出身だから親しみを感じているだけだよ」
一生懸命に言い訳をする咲良を、由香は面白いものを見るようにニヤニヤ笑っている。
「まあ、咲良がそう思うならいいんだけど。また、ゴールデンウィークが終わったら、どんなだったか教えてね」
そんな事、ある筈ないじゃない。
いつも王子は優しく話しかけてくれるけど、それって誰に対してもだし。
最近、自分がどんどん欲張りになっているような気がして、咲良は顔を歪ませた。そして笑っている由香を睨んだ。
(由香のバカ。そんな期待させる様な事言わないで!)
「ところで咲良、一緒に高速バスで帰ると言う事は、寝起きの顔を見られるって言う事、分かっている? その前に、隣に石川君がいて眠れるの? それよりも、早まって襲っちゃダメだよ」
「!!!!」
いや~! どうしよう。どうしよう。
でも、待てよ。王子の隣は彼女の筈だから、私の隣は違う人だよ。どれだけの人に声をかけているか知らないけど、出来れば女性がいいな。
「だ、大丈夫だよ。隣は石川君じゃないはずだから。ほら、石川君は彼女と座るでしょ。私の隣は誰か分からないけど、同じ高校の人だと思うから……」
咲良は説明しながら、自分が安心していった。由香は相変わらず「そうかなぁ?」と言っているけど、「そうなの」と言いきった。
王子の優しさを無下にしては、罰が当たるんだから。
王子が動き出しました。
さて、その意図は?




