12.あり得ない展開
「山野さん、この後予定無かったら、ちょっと話をしたいんだけど……」
(つ、ついにキター!)
咲良は皆の自己紹介が終わって解散となった時、万が一王子に声をかけかれたら……と思うと、平静でいられない自分を自覚していた。だから早く帰ろうと由香を急かしたのだ。しかし、咲良のそんな焦りなど全く知らない由香の方は、のんびりしたものだった。
咲良は強く出られない自分に腹を立てながら、由香に対するイライラを何とか抑えていた。王子が声をかけて来たのは、そんな時だった。その時、全ての感情が吹っ飛び、心臓は大きく飛び跳ねた。
「あ、石川君、咲良はこの後何も予定ないから、大丈夫よ」
由香は咲良の代りに返事をすると、いつもと違う上品スマイルで微笑んだ。
「ゆ、由香……」
(何勝手に返事しているのよ!)
咲良は由香に対するイライラが戻って来ると、心の中で悪態を吐いた。でも王子は由香の返事を聞いて、安心したように微笑んだ。
もう逃げられない。
観念した咲良は、王子に曖昧な笑顔を向けたのだった。
「おー、石川が自分から女の子を誘っているの、初めて見た」
王子の隣にいた友達らしき男子が、驚きの声を上げる。
「村上、うるさいよ」
友達に対する王子の態度に、咲良は妙に感動した。いつも友達に囲まれ、友達思いの良い奴だと言う噂は聞いていたが、こんな風に気さくに友達とやり取りする姿を目の前で見るのは初めてだ。
「じゃあ、山野さん、一階のカフェでもいいかな?」
王子がこちらの意向を窺うように尋ねる姿に、咲良は胸が震えた。
(王子、もったいないお言葉……私、心臓がもつかなぁ)
「どこでもいいわよね、咲良。私もお供します」
咲良が感動に胸を震わせている間に、由香はさっさと返事をし、自分も一緒に行くと宣言している。
「じゃあ、俺も面白そうだから付いて行くよ」
村上もニヤニヤ笑いながら、同じく宣言した。
そうして4人は学生会館一階の大学生協が運営しているカフェへと向かった。
4人は向かい合わせに座って、メニューを覗きこんだ。飲み物から簡単なスイーツ、そして軽食までそろっている。咲良と由香は、寮の夕食が控えているので、飲み物だけにしたが、男子達は早速学食調べのためにと夕食には早いがそれぞれ、オムライスとピラフを頼んでいる。二人とも学生向けのアパートに一人暮らしらしく、食事はどうしても外食に頼ってしまうらしい。
王子がこんなに近くにいるのに、何とか普通に話が出来ているのは、由香と村上がいるお陰だと咲良は心の中で感謝した。特に王子の前に由香が座ってくれたので、それだけでもずいぶん心理的に楽だった。
ドキドキはするが、王子の気さくな雰囲気に、いつの間にか咲良は普通の同級生のような気分になった。王子も由香や村上がいるからか、高校の話は持ち出さずにいてくれる事が、咲良には有難かった。
「ところでさ、山野さんは僕の事知っていたの?」
うっ、と咲良は返答に詰まった。さっき高校の話をしないでいてくれるのは有難いと思ったばかりなのに……。
けれど咲良は、動揺する心を励ましながら「石川君は有名だから」と何とか答えた。
「えっ、そう?」
「だって、卒業式の答辞も石川君だったし、模擬の結果張り出されるのもいつもトップの方だったし、合唱祭のピアノとか、球技大会でも活躍していたし、噂はよく聞いていたよ」
王子の事ならスラスラと出てくる自分の口を塞ぎそびれ、咲良は自分の想いまでこぼれてしまっていないかと不安になったが、どうやら誰も気づかなかったようだ。
「ひぇ~おまえ、外見だけじゃなくて、何でもできるんだな。ピアノまで弾けるのか……」
咲良の話を聞いて、村上が感嘆の声を上げた。
「へぇ~石川君ってすごいのね。モテモテだったんじゃないの?」
由香も咲良の話に驚いたようだ。
「そんな事ないよ。たまたまだよ。それより、僕は山野さんの事知らなくて、ごめんね」
王子に謝られ、咲良は慌てた。
「そんな、知らなくて当たり前だよ。10クラスもあって、同じクラスになった事もないから、私だって半分以上の人の事、知らないもの。たまたま石川君は目立っていたから……」
「確かに生徒数が多かったから、僕も同じクラスになった人ぐらいしか分からないよ。それにしても、山野さんは指定校推薦じゃ無かったよね? 一般入試だったの?」
「あ、あの私、指定校推薦受けるには、成績が足りなくて……それで……」
憧れの王子が自分の事を尋ねてくれていると言うあり得ない事態に、咲良の心臓は又高鳴り始めた。
(どうか、顔が赤くなっていませんように……)
「咲良はね、飯島彼方の講義を受けたくて、Q大へ来たのよね」
思わぬ援護射撃、否余計なお節介に、咲良は思わず由香の方を見た。すると彼女はクスクス笑いながら、「それでね、咲良ったら、飯島彼方がまだ30代でイケメンだって教えてあげたら、ショック受けているのよ。普通だったらイケメンと聞いて喜ぶと思うんだけど……」
(ぎゃー! 由香、なにバラしているの!!)
咲良は絶句したまま、どんどん顔が熱くなってくるのを感じた。絶対に顔が赤くなっていると思った咲良は、もう俯く事しかできなかった。
「飯島彼方って、数年前にドラマ化された小説家か? ウチの大学で教えていたんだ?」
村上が素っ頓狂な声を上げた。そのお陰で咲良の心臓は少し落ち着いた。
「飯島彼方のプロフィールって公開されていないと思うけど、年齢や容姿まで知っているんだ。山野さんはどうしてショックだったの?」
村上の質問は軽くスルーして、王子は咲良を覗きこむように質問をした。
(お、王子、こちらを見ないで!! うー心臓が持たないよ~)
「あら、飯島彼方の事はファンの間では公然の秘密よ。咲良は5,60代の紳士だと思い込んでいたから、ショックだったんですって」
またもや由香が代わりに答えてしまった。でも内心咲良は助かったと思った。とにかく王子の視線を他へやって欲しい。
「ふ~ん、そうなんだ。飯島彼方が若いと知って、イメージ壊れちゃったの?」
(だ、か、ら、こっちに話を振らないで!)
王子は爽やかスマイルで、また咲良の方を見て微笑んだ。
答えなきゃ、答えなきゃと思う程、頭が煮詰まって行く。
とりあえず否定しなくちゃと、咲良は首を横に振って見せた。
「山野さんって、余程飯島彼方の事、好きだったんだね。顔真っ赤だよ」
前に座る村上が、珍しいものでも見たように言った。
顔の赤い事を指摘された咲良は、居た堪れなくなって思わず立ち上がった。「ごめんなさい、お手洗いへ……」と言うと、一目散にその場を離れた。後ろで由香が呼ぶ声が聞こえた気がしたが、咲良は無視して、トイレへと駆け込んだ。
トイレの鏡で確認してみると、言われた通り赤くなっている。咲良はハンカチを濡らして冷やしてみたけれど、それよりも気持ちを落ち着かせなければと、大きく深呼吸してみた。何度か繰り返すうちに、落ち着いてきた気がする。
(王子だと意識するから顔が赤くなるのよ)
咲良は自分にツッコミを入れると、王子はただの同級生と自分に暗示をかけるため、頭の中で何度も反復した。
「咲良、大丈夫?」
様子を見に来た由香と鏡の中で目が合う。
由香の余計なお節介のせいなんだからと、咲良は恨めしげな目で由香を見ると、「もう、あんな事バラさないでよね」と控えめに文句を言ってみた。
案の定由香は咲良の文句など受け流し、フフフッと笑うと「もうみんな食べ終わって待っているから」と告げた。
トイレから出ようとした時、由香は「いろいろ聞きたい事があるけど、寮に帰ってからにするわ。覚悟していてよ」と言って、またフフンと笑った。咲良は蜘蛛の糸に引っかかった蝶のような気持ちになった。なんとなく想像ついてしまうから、余計に怖い。
「待たせてごめんなさい」
咲良が王子と村上に頭を下げると、村上が申し訳なさそうに「俺も変な事言って、ごめんな」と謝ってくれた。咲良はそんな事言われると思っていなかったので、驚いて村上の方を見て「いえいえ」と首を横に振ってみせた。
王子が微笑んだまま、そんな二人のやり取りを見ているから、妙にぎこちなくなった咲良は、心を落ち着かせるため、頭の中で『王子はただの同級生』と又反復していた。
「ねぇ、同じサークルなんだし、これからもいろいろ連絡取ったりする事もあると思うから、携帯番号交換しよう?」
由香が何でもないように携帯を取り出して、二人に提案している。咲良にしたら、とんでもない事だけれど、二人とも何の抵抗もなく由香の提案に応じて、携帯を取り出すと赤外線で情報をやり取りしている。
「山野さんも」
ぼんやりと皆の様子を見ていた咲良は、王子の言葉で我に返った。
「えっ? 私も?」
慌てた咲良に、王子は「ダメ?」とわずかに首をかしげて訊いた。咲良は慌てて「いいえ」と言うと、鞄の中から携帯を探り出し、王子の前に差し出した。
(いいのか? 王子の携帯番号なんて教えてもらって!!)
心臓がまたドキドキと走り出す。今日はなんて言う日だろう。あり得ない展開ばかりで、咲良は目眩がしそうだった。




