11.咲良、王子に認識される
一瞬、周りの全ての景色と音が消え、王子の姿だけが残った。
(本当に王子? もしかして、幻?)
一ヶ月以上王子の姿を見ていない咲良にとって、気付かぬ間に心は王子欠乏症になっていたようだ。
こんな幻を見てしまうぐらいだもの……。
「咲良、咲良、どうしたの?」
由香に何度か呼びかけられていたようで、肩を掴んでグラグラ揺すられて、やっと我に返った。焦点を由香の顔に合わせると、咲良は「あっ、由香……」と、友人を認識した。
「大丈夫? ボーとしていたけど……」
「えっ? あ、あの、白昼夢を見ていたみたい」
咲良は由香の顔を見てそう答えると、視線を又部室の中へ漂わせた。
(ええっ? やっぱり、王子? 本当に王子? どうして……)
ああ、王子だってQ大生だもの、ここにいてもおかしくないと咲良の頭がやっと現実を理解すると、今度は急に恥ずかしくなった。
(どうしよ、どうしよ、どうしよ。王子に気付かれちゃうよ……って、王子は私の事知らないはずだ。そう、王子にとって私は初めて会う同級生。ただの同級生。動揺しちゃダメ。王子にも、由香にも気付かれないよう、落ち着いて、落ち着いて)
「咲良、本当に大丈夫なの?」
「あ、あ、大丈夫だよ。ちょっと人が多くて、ドギマギしただけ」
「もう~、しっかりしてよね。それよりね、今日は篠田さん来てないんだって。なんでもね、篠田さんは準部員で、時々しか来ないらしいよ。ちょっとがっかりだけど、あの、部長さんもなかなかのイケメンだよね」
由香の言葉をまだぼんやりした頭で聞いていたが、視線は部室の入口に背を向けている由香の向う側へと彷徨い出しそうで、意識的に由香に視線を戻した。
その時、「入部希望者は中に入って」と言う声が聞こえ、咲良はあらためて「ねぇ、本当に入るの?」と由香に確認してみた。王子に近づくチャンスなんて言う事は、この時の咲良にはまだ思いつきもせず、今まで同様、王子に近づきすぎるとドキドキし過ぎて動揺してしまうので、出来れば回避したい思いの方が強かった。
「はぁ? 今更何言っているの? 入るつもりで来たんでしょ? それとも咲良も篠田さんがいなくてがっかりしちゃった?」
由香に有らぬ疑惑を持たれて、さらに咲良は慌てた。しかし、由香がこんな風に言うのは、周りにいた女子たちが篠田の不在にがっかりして帰ろうとしていたからだ。
「いや、そんなのじゃないから。一応最終確認しただけで……」
咲良が慌てて言い訳をすると、由香はニッコリと笑って「じゃあ、いいわね」と咲良の腕を取って部室の中へ引きずり込んだ。
結局入部希望者は10人程で、入口にひしめき合っていた女子は皆篠田さん目当てだったと言う事か。
恐るべし新入生キラー。
咲良がある方向だけ視界に入れないよう、思考の中にも入れないよう、意識して別の事を必死で考えていると、隣にいた由香に肘で脇腹をつつかれた。
「ねぇ、あそこにいる彼、カッコイイよね。篠田さんといい勝負だと思わない? うーラッキー!!」
(王子はカッコいいわよ。篠田さんよりずっと!)
咲良は心の叫びを飲み込んで、チラリと王子の方を窺うと、平静を装って「そうかな?」と返すと、「もう、咲良は見る目ないんだから」と睨まれてしまった。
部室の中の椅子に全員が座ると、部長と副部長が皆に向かって立ち、チラシの内容と同じような説明をした。そして、新入生はまず学食の一押しをそれぞれ見つけて欲しいと、早速に課題を出された。
サークルの定例の会合は一応毎週水曜日で、その時にお薦めの一品を報告し合う。そして、その中から皆も食べてみたい物を、試食会と称して食べに出かけ、批評し合うと言うのが、普段のサークル活動らしい。そうやって、選び出されたメニューを大学祭で発行するB級グルメ本に掲載するのだ。
話を聞きながら咲良は、自分のお薦めが本に載ったら嬉しいなぁと呑気に考えていたけれど、今まで母親の作る食事以外は、画一的なファーストフード系の味しか知らない咲良にとって、味覚に自信はなかった。それでも、いろんな人のお薦めを食べられると思うと、それだけでワクワクしてしまうのだった。
部長達の話を聞いている間は何とか意識をそちらに向け、王子の事は出来るだけ考えないようにしてきた咲良だが、「それでは今から皆に自己紹介をしてもらいましょう」との部長の言葉に、心の中で『えー!!』と叫び声をあげた。実際に声を出さなかった自分を褒めて欲しい。
自己紹介は、名前、学部、出身、好きな料理、このサークルに入る動機もしくは今後の抱負を述べる事と指定され、咲良は内心蒼くなった。
(出身を言わなければいけないのか……県名だけなら、大丈夫だよ。王子は私の事知らないだろうし……)
咲良は動揺している自分を、心の中で一生懸命に慰め励ました。けれどそんな咲良の心情など知るはずもない部長は、皆の顔が見えるように椅子を中心に向けて円形に並べるように指示をした。
(ぎゃー! 王子が真正面にいる!)
咲良は視線のやり場に困り、結局部長達の方を見る事で、何とか回避したが、「それじゃあ、こちらから右回りで」との部長の言葉は、咲良をさらに慌てさせた。
(まだ何も考えてないのに、いきなりトップバッター!)
咲良は頭が真っ白なまま立ち上がると、「や、山野咲良です。よろしくお願いします」とペコリと頭を下げた。
「文学部で日本文学を専攻しています。それから……M県出身です」
咲良が自己紹介の項目を必死で追いながら言うと、真正面から「えっ?」と言う声があがった。
「M県出身なの? 僕もM県だけど、高校はどこだったの?」
王子は3年前に咲良の心を鷲掴みにした花ほころぶような笑顔を見せ、首をかしげた。
(王子~その笑顔は反則だよぉ。空気読んでよぉ。今、自己紹介中なんだよ)
周りの皆は傍観するように咲良と王子を見つめている。こんな時に上手く言い逃れるスキルは、咲良にはなかった。
「あ、あの……大凪北高校です」
周りの好奇心の目がこのまま誤魔化す事を許してくれなさそうで、咲良は『ああ、もうお終いだ』と思いながら、少し言い淀み、そして思い切って答えたが、小さな声になってしまった。おそらく他県の人だと聞き慣れない高校名だから、聞き取れなかったかもしれない。しかし、王子の耳には聞き慣れた高校名はしっかりと届いていたらしく、彼の二重の切れ長の目は、大きく見開かれている。
「嘘? 本当に? 僕と同じ高校だよ」
王子のリアクションに咲良は思わず頷いた。
(そんな事、わかっているわよ)
こんな事態になってしまった事で、王子を怨みながら、心の中で悪態を吐く。それでも悲しいかな咲良には、王子の前では条件反射のように頬に熱が集まりだし俯く事しかできない。
王子の視界に自分がいて、咲良の存在を今、王子が認識したと思うと、嬉しいのか苦しいのかよく分からない感情に咲良は囚われていた。
「もしかして、僕の事、知っている?」
王子の無意識の攻撃はまだ続いた。
(このKY!!)
早くこの事態から抜け出したい咲良は、憧れの王子様に心の中でまた悪態を吐いた。
「もうこのぐらいでいいだろ? 二人は同じ高校出身と言う事だから、後で話をしなさい。自己紹介が進まないだろ」
部長が口を挟んでくれて、咲良はやっと解放されたとばかりに安堵の息を吐いた。そして、王子の方も我に返ったのか「すいません。自己紹介を邪魔して。えっと、山野さんだったよね? また後でね」とニコッと笑った。
(ええっ? 後で? 社交辞令だよね?)
咲良が突っ立ったまま茫然としていると、「山野さん自己紹介の続きお願いします」と部長に催促されてしまった。
それから咲良は自分が何を言ったのか覚えていない程で、やっと自己紹介を終え椅子に座ると、由香に「後で話し聞かせなさいよ」と釘を刺された。咲良は小さく頷くと、次々と進む自己紹介をただ茫然と聞いていた。
そして、正面の王子が自己紹介のために立ちあがった。それまでのように、自己紹介をしている人に皆の目が向く。咲良もつられて王子の方を見た。こんな間近で改めて王子の全身を見て、咲良は初めて王子の私服姿を見たのだと言う事に気付いた。
(やっぱり、王子は私服も素敵。なんだか以前より垢抜けている気がする。篠田さんがあんなに人気があるのだから、王子もきっとすぐにモテモテになるんだろうな)
「石川駿です。工学部応用化学科。M県出身です。好きな料理は、いろいろあるけど家庭料理が一番かな? 外食するなら、ラーメンとかパスタとかの麺類が好きですね。入部理由は、実家を離れて、自炊もあまり出来ないので、美味しいお店を開拓したいと思っていたので、このサークルに入ればいろんな情報を知る事が出来ると思ったからです。どうぞよろしくお願いします」
そうか、王子は家庭料理や麺類が好きなのか……といつものように王子情報を記憶に書き付ける。咲良は3年間見つめ続けても知る事の出来なかった王子のパーソナルデータを知るチャンスなのだと言う事に、今やっと気付いた。
(これは、柚子に大きな顔をして報告できる。写真は無理だけど……)
咲良はこの後にどんな事態が待っているのかも知らず、今は王子に近づけた喜びに一人浸っていた。
王子はKY王子であった。
後で絶対に王子は声をかけて来るぞ、咲良ちゃん。
さあ、どうする?
次回までしばしお待ちを!




