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僕を取り巻く小規模な世界

作者: 度会

多大な外傷はその人の心にまで傷を及ぼす。

昔からよく言われている言葉だ。

ありふれた言葉。

考えてみれば至極当然だ。

過ぎた外傷は内部にまで悪影響を及ぼす。

さらに厄介なのは、心は治すのが難しい。

「―――以上独白終了」

誰もいない教室で俺はそう呟いた。

一日の授業が終わってはや一時間。

皆部活に精を出してるのか、すぐに帰って遊んでるのか知らないが、この教室に残ってる物好きは俺だけだった。

俺の学校は放課後に残っている生徒に口うるさい先生もおらず誰にも注意されることなかった。

季節も季節なだけに少し蒸し暑さを感じていた。

別に先生に居残りを命じられているわけでも、友達を待っているわけでもない。

ましてや付き合っているわけもないから女の子を待っているわけでもない。

もしかしたら俺以外にもこの教室にいるかもしれないという淡い期待を込めて後ろを振り返る。

予想に反して誰もいなかった。

夕日に染まった誰もいない教室がそこにはあった。

こんな誰もいない教室に一人で喋っていると明らかな変人である。

自分も変わり者だということは自覚している。

高校生になってはや二年か、案外長かった気がする。

やはり充実してないからだろうか。

クラスの中で浮いてるというわけでもなく成績がずば抜けて素晴らしいわけでもない。

勿論運動だって部活連中と勝負したって高が知れてる結果になるだろう。

俺はふと自分の右手をしつこく照っている西日に透かして見た。

手のひらを太陽にすかしてみーれーばーという懐かしいフレーズの歌を思い出しながら。

「真っ赤に燃えてねぇな俺の血」

単純に言ってしまえば、血が通ってないのだ。

断っておくが断じてかっこつけたり、厨二病というわけではない。

右手の半分は俺で半分は俺じゃないなにかだ。

比喩ではなく構成している物質そのものが違う。

まぁ知り合いが作ってくれた義手のおかげでなんとか日常はことなきことを得ている。

最近は技術の発達のためか、ほとんど見ただけでは義手かどうか分からない。

「いやー利き手じゃなくてホントに助かったな」

今さらながら思う。

この年になって利き腕変えるのは難儀だろう。

きっと黒板を写し終わる前に黒板は消されるに違いない。

そんな時がらりと教室のドアが開いた。

「お?」

「え?」

扉の向こうには俺の同学年の女生徒がいた。

整った顔に長い睫毛、深窓のお嬢様を連想させるような長い黒髪。

その容姿は学年で10本の指に入るだろう。

こちらの存在に明らかに不審がっているようだ。

時間が時間だから誰もいないのだろうと思って入ってきたのだろう。

もし俺がお化け屋敷の店員だったらその目を丸くした顔を見てガッツポーズをしているに違いなかった。

「あなた一体誰ですか?勝手に人の席に座って」

目を丸くしていたのは数瞬の事ですぐに目つきをいつも通りに戻すと睨むように俺を見つめる。

「いや君を待っていましたって言ったら?」

「先生を呼びます」

「やれやれ手厳しいな」

極めておどけた調子で軽く言ったのだが、面白くない冗談だったらしくこのままだと本気で先生に話されるかもしれない。

それはそれで好ましくなかった。

これからの学校生活に致命的なダメージを受けたくない。

「今は宮崎とかいう苗字らしいが、ホントに思い出せないかい?櫻」

櫻という単語にその宮崎と呼ばれた女生徒の肩がびくっと震えた。

苗字が変わっていたせいか実際にクラスが一緒になるまで気づかなかった。

「さ…く……ら?」

その三文字を発する唇が震えていた。

乾燥とは無縁の唇が震える様は艶めかしくもあった。

「残念ながら心当たりすらありませんわ」

「あ、そう」

その言葉に俺は少し拍子抜けする。

人違いか?いやそんなはずがない。

しかし、人は変わるって言うしな。

けれど、こんな片田舎に同じ顔の人物などいるのだろうか。

俺が考えていると彼女は俺の前まで近づいてきた。

「という冗談はさておきあなたホントに私の知り合い?」

「え?」

冗談。

本当にそうなのだろうか。

俺のそんな考えをよそに彼女は口を開く。

「私には子供の頃の記憶がない。表現が悪いわね、正しくは飛んでるのよ」

「飛んでる?」

「ええ、私小学校一年から小三までの記憶があいまいでね」

「………」

俺は押し黙る。

「それで?」

「ん?」

「その自称友達のあなたは私に何の用?」

「あんたを助けにきた」

「何からかしら?」

向こうは俺の言葉をあからさまに不審がっている。

無理もない。

いきなり現れた男が助けるとか言いだしても訳がわからないはずだ。

「君を魔の手から。って言ったら?」

「ぜひ私ではなく自分を救って下さい。そのおめでたい脳みそでも引っこ抜いて」

うーん……自分でも耳を覆いたくなるような臭いセリフを吐いたな。

臭いというか随分の幼稚な発言だ。

きっと将来聞いたら顔を覆って逃げたくなるに違いない。

軽く自己嫌悪で死にそうだ。

「そろそろ本題を話させてくれ」

「あなたの性癖についてでしたっけ?」

「おいおい、そんな話して誰が喜ぶんだよ」

「誰かいるかもしれないじゃない」

「お前とか?」

俺が宮崎を指を差す。

彼女はフッと唇を歪めたが目は笑っていなかった。

「本気にしないで鳥肌が立つわ。第一初対面の人間がそんなこと言ったらおかしいじゃない」

「それもそれで俺が傷つくだけなんだけどな」

初対面ではないのでその言葉も軽く悲しい。

まったくさっきから話が一ミクロンも進んじゃいない。

話し始める前に日が暮れてしまいそうだ。

もうほとんど暮れているのだが。

「一つ世間話でもしようか」

「あら?本題に入るのではなくて?」

「まぁ、気にするな。この世間話も意味があるものだからさ」

彼女は、話だけは聞こうという気になったのか手前の椅子を引いて俺の前に座った。

「面白くなかった変人として先生に報告するわ」

その目は笑っていない。

俺はその言葉を聞いてやれやれと肩をすくめる。

「昔さ、このあたりでさ、凄い殺人があったんだ」

「凄い殺人?凄く頭が悪そうな話ね」

「あぁ悪い凄惨だって意味だ。どういうやつかって言うとな、まず被害者は三人。犯人の父親と母親ともう一人当時仲の良かった男の子。仮にAとでもしようか。そのAはかろうじて生きていたが全身は裂傷だらけで、右手から半分先が無かったそうだ」

ちなみにその子の両親は首が背中を見ていたり、カエルの解剖を人間でやってみた感じになっていた。B級ホラー顔負けの状況だったらしい。

全部聞いた話だから詳細は少し曖昧なのかもしれないけれど。

「……それ」

「ん?」

「確か犯人はそのAって子の仲の良かった女の子じゃなかったかしら?」

「おーよく知ってるな。今から言おうとしてたんだ。そう。その犯人は女の子だったからこれまたびっくりだよな」

「……そうね」

彼女の顔色はどことなく悪かった。

元々色白で分かりにくいのだが、少し青みが差して気分が悪そうな顔をしている。

俺はその様子に敢えて気付かないフリをして努めて普通の調子で喋る。

「でもさ、その子も小さかったから罪には問われなかったらしいんだ。確か、今は多分俺達と同じ年か一つ下なんだ」

「へぇ。そこまでは知らなかったわ。初耳ね」

「だろうね。だってそいつは事件から一か月間意識が戻らず、気がついたと思ったら記憶が飛んでたらしいからな」

「……ねぇ」

「ん?」

「今の話から推察するとあなたは私を疑ってるのね?」

睨むように俺を見る。

いや、彼女は俺を睨んでいた。

話の内容が気に入らなかったのか俺が気に入らなかったのか、言いたいことをはっきりと言わないことが気に入らなかったのか。

纏めると俺のことが気に入らないということだろう。

しかし、心底不満だという表情をしていたが、自分の過去の記憶に自信が無いからもしかしたら、という表情が彼女から垣間見えた。

「いや別に」

俺は否定の言葉を口にした。

そんなことを言うためにわざわざ待っていたわけではない。

「え?」

予想外だったのかこちらに顔を向けた。

「疑ってるとかじゃないいんだ」

疑いとはまだ不確定なもの。

確実なものは疑いではない。

やれやれと俺はため息をついた。

全く何年待っただろうかこのこと言う機会を。



「だってそれはお前だから」



「え?」

向こうは呆然としていた。

当たり前だろう。

自分の記憶から抜けている事件の犯人扱いされているのだ無理もない。

「それで?」

「え?」

今度はこちらが驚く番だった。

彼女には記憶が無い筈なのに犯人だという事実には全く動じていなかった。

諦めたのだろうか。

それともただの与太話だと思ってまともに取り合ってくれていないのだろうか。

少しの間逡巡する。

日もいよいよ落ちてきて教室に影を落とし始める。

束の間の沈黙。

その沈黙を破ったのは彼女だった。

「あなたはその犯人であるらしい私に大人になった少年Aは何をしたいの?復讐?」

「別にそんな感情は持ち合わせてないさ」

俺はあの事件で壊れたから、右手の半分と一緒に心の何かも消えてしまったから。

過ぎた傷は心の一部も一緒に壊したのだ。

カラダは作り物で埋まったがココロは埋まらなかったのだから。

今となってはそれがなんだったのか分からない。

「俺はただ一言言いたいだけなんだ」

俺の双方の眼は目の前のヒトを逃さないようにずっと見続けている。

ドクンッと鼓動が速くなってきた気がする。

これは気のせいなんかじゃない。

瞳孔は開き気持ち呼吸が少し荒くなってきたのを感じる。

「宮崎、いや、櫻……」



俺は君のことがずっと好きでした



俺の口から紡がれた言葉それは何年もの思いが重なった言葉。

陳腐でありふれた言葉だっけどそれ故に強い言葉。

「……あ」

それに対する彼女の答えは――

「あ……ありえない」

明確な否定の言葉だった。



最初は些細な出来事だった。

どっちが何かをした。してない。程度の出来事。

向こうにとってはどうでもいいこと。

僕にとっては大事なこと。


「はぁ………」

俺は朝から三点リーダが三つ連なるほど疲れた

。調子が出なかった。

何かをやれば必ず失敗するし、思ったことはすべて逆方向に働く。

自分でも自覚しているのだが昨日のことは俺の精神に支障をきたすレベルのものだった。

なんせ八年越しの告白は一瞬で煙となって消えたと言っても過言ではないだろう。

いや、訂正しよう。過言だった。

だって結果的には変わらない状況になったのだから。

まぁ、その扱いが問題なんだけど……

『暇つぶしには最適』俺はそういう判断を下された。

「久し振りね。少年A」

「さっきからずっと隣にいますが、いきなり話しかけてこられてどうかしましたか?件の少女?」

「別に私が私であることの生き証人と話してはいけない?」

ぴょこと俺の手前の席に座って、俺を食い入るように見てるのは今まさに話に出てきた件の少女もとい櫻だ。

俺はフられたんじゃねーのかよ。

そう思わず心の中でツっこんでみる。

ただフラレるのは癪だったのでダメ元で携帯のアドレス交換を申し込んだのだが、赤外線で楽だからだったのか何とか交換までありつけたのだ。

フラレたショックから立ち直るには到底足りないが少し櫻と近くなれた気がして嬉しかった。

そして、携帯の番号を教えると夜に電話がかかってきた。

もしや記憶が蘇ったのではという淡い期待に身をよせつつ電話に出る。

「はいはい?」

「もしもし少年Aですか?」

俺は飲んでいた麦茶を吹き出しそうになった。

せいぜい数滴零した程度で済んだのだが、余りにも予想外な第一声だったので少々面を喰らっていた。

「ゴホッ……いきなり何を言い出すかと思えば……」

「名前」

「あ?」

「冷静に考えてみると私はあなたの名前を聞く前に帰ってしまったから名前を知らないわ」

「あ、そっか……」

そう言えばあの時名乗らずに別れたのだった。

主に俺がショックで顔を見るのが辛かったからなのだが。

「だから面倒くさいから少年Aに貴方は改名して下さい」

俺は思わず机からずり落ちそうになった。

「ちょっと待て。確かに俺はあの話の少年Aだよ。だからってそりゃ酷いだろ?」

「じゃ候補を挙げるわ。少年ABCDE……」

「ちょっとストップ、ストップ。俺の名前候補はアルファベットかい」

「ええ。汎用キャラには十分すぎるでしょ?」

お前の中じゃ俺は汎用キャラ扱いらしい。

まぁ、今までとは違った人間として認識されている分幾分かはマシなのだろうか。

「まぁ冗談はさておき一体あなたはなんて名前なの?とりあえずAなんて洒落た名前なんかじゃないでしょ?」

お前の中じゃAは洒落てる名前なのか?

「嘘よ。洒落てるわけないじゃない」

「……あの、俺何も言ってないんすけど」

「いいえ、心が言ってました」

俺はそんな読まれやすいのか?しかも女の子相手に。

是非とも俺の心読んで俺に告白してきて欲しいものだ。

切にそう願いたいところだ。

「あ、安心なさい。私以外の人間の九,九割くらいは分からないわよ」

………フォローにすらなってない。

自分が特別と言いたいのか、どう言いたいのか分からない。

いかん頭痛がしてきた。

俺は目頭を押さながら時計を見てみると、まだ櫻から電話かかってきてから二分しかたってなかった。

……時間ってよく分からない時に無性に長く感じるよなぁ……。

もう十分位話している気がしていた。

三十分のアニメならそろそろ敵と戦ってるシーンぐらいか。

なんてわけの分からない例えを出しつつ俺は電話口の催促に応えた。

「あぁ?俺の名前?えーっと……」

「なんと、名前はまだないのね」

電話口で彼女は感情の篭っていない棒読みでそう答える。

「ちょっと待てい」

俺はあれか猫かなんかか?

「最後まで言わせろって。俺の名前は、椎名、椎名陽平だ。」

「そう。ありがと」

プッという電子音と共に電話は切れた。

「……あいつ。本当に名前聞きたかっただけなんだな」

ちょっと期待してた俺は少し、本当に少しだけショックを受けた。

「んで今に至ると」

以上回想終了。

「いきなりなにを言い出すのよあなたは?」

俺は怪訝な顔で見られた。

「なぁ」

「私の質問を……ってなにかしら?」

「今思ったんだけど、俺の名前教えたけど結局使ってんのAか、あなただけじゃねぇか」

小さく怒鳴ってみた。

周りの席で喋ってた女子達に何事かという顔で見られたが、すぐに興味を失ったのかまた友達と喋りだした。

「いきなり大きな声出さないでよ。びっくりするじゃない」

「平然時と全く変わらねぇトーンでよく言うよ」

「嘘よ。あなただったらって予想はついてる」

「お前の中の俺って一体?」

「それはね……」

「あーやっぱ言わなくていい」

もの凄く嫌な予感と悪寒が走った。

なんで言えなくて舌打ちしてる人の台詞なんて聞きたくない。

「ところで何でここに来たんだ?」

いやまぁ同じクラスなんだが昨日まで空気同列だった俺のとこに来るようなんかないと思うんだが。

「空気よりはまだ下ね」

さり気に酷い言われようだ。

本当に心を読まれているのか先程から喋っていないことも会話出来ているのが不思議だ。

「今日昼で学校終わりだから話すことあんなら早めにしてくれ」

「なぬ?」

櫻が顔に似合わない声を出した。

どこから出したか分からないような声だった。

「なんで?」

「お前朝なに聞いてたんだ?」

「ラジオ」

「いや、それは違う」

断じて担任の声はそんなノイズは混じってないはずだ。

「じゃあなに?」

「最近さこの辺りで人が死んだらしいんだよ。警察は事故と事件の両方で調べてるらしいぜ」

後半は友人達の受け売りだがな。

「へぇ」

それに対して櫻のリアクションは淡泊一つに尽きるものだった。

「ってリアクション薄いな」

そこまでリアクションが薄いと話したこちらとしては張り合いがない。

「それで?」

「ん?」

「犯人って捕まってないの?」

「ん?あぁ犯人な。まだ捕まってない。つか本当に犯人がいるか怪しいと俺は思うけど」

「犯人はいるわ」

はっきりとした口調で断言された。

「なんでそんなこと分かるんだ?」

「簡単よ」

フンと鼻を鳴らして櫻は言った。



「だって私その死体見たもの」



「は?」

一瞬にして思考が固まった。

あ、性別は男だったわよとか言ってたが、今そんなことは関係ない。

なんだって?死体見た?誰が?櫻が?はい?頭がクルクル空回りして事態が把握出来ない。

「ごめん。パードゥン?」

やばい言語にも支障が。

「だって私その死体見たもの」

一言一句間違えず言い直された。

いや別に悪いことじゃないんだけど……。

「櫻?それどこで?」

「そこら辺の神社」

そう言って明後日の方向を指した。

本当に見たのかそれ?いささか疑問であるがそんなことより今は事件のことが聞きたかった。

「それで、どんなんだったの?」

そんな俺の様子を見て、櫻はさも意外だというように目を丸くさせた。

「怖くないの?」

「なんで?」

「いや、なんでってそりゃ……考えてごらんなさいよ。事件が起きたのはつい先日のこと。更に私はそこに居たって今言ったのよ?犯人かも……」

「いやぁそれはないっしょ」

即答だった。

あまりにも早すぎてまだ櫻が言い終わる前に言い終えてしまった。

「どうして……」

「どうしてそんなこと言えるかって?」

決まってんじゃん。

そんなの。

恥ずかしくて口には出せないけど。

「ふーん」

まだ納得のいってない様子だった。

眉根を寄せ何か思うことがあるかのように唸っていた。

「ところで」

「なにかしら?」

「その死体。まぁ仏さんはどんなんだったの?」

「それは……まぁ、お昼にでも話すわ」

それは多分昼飯時に咲かせる話題とは程遠いものだと思うぞ。

「ん?」

「どうかした?」

「いや……」

さっき昼にでも話すって言ってたよなぁ。

今日はアレのせいで昼で学校が終わるから……。

「つまり飯も一緒に食おうといわけか」

なかなか可愛いとこあるじゃん。

昔と一緒でさ。

「まぁそうなるわね」

向こうは全く気にしてない様子だった。

とりあえず年頃の男女が二人きりでご飯を食べるんだから少しは何か感じて欲しい。



俺達は約束通り二人で昼飯を食っていた。公園は平日だから人がいないからより静かに感じる。

「どうかした?」

「いや別になんでもない」

「そ」

なんでもないわけないだろ。

よくよく考えてみたら昔好きだった子と二人っきりで飯食ってんだぞ。

少しでも男としてのプライドがあるんだったらなんかしろよ。

俺は自分の心と煩悶していた。

結論としてはとりあえず今は一緒にご飯を食べることが出来ているからいい。

そんな結論に至った。

弱虫。

俺の心の中のどこかでそんな声が聞こえた気がしたが聞こえないフリをした。

ちなみに昼飯は卵のサンドイッチにコッぺパンだった。

しめて二百五十円ナリ。

ちなみに俺はコッぺパンだけで一週間は持たせられる自信がある。

ま、自慢にならないけど。

それで今は近くの公園に二人して来ている。

まだ時間も時間なので子供連れの人もおらず、場所柄もあってか静かだった。

「ふぇ、いっふぁい、ふぉうひたん?」

「口に物入れたまま喋らない」

「ふぁい」

ゴクリと食べていたコッぺパンを胃に流し込んだ。

牛乳でも買ってくればよかったのだが生憎持ち合わせもなかった。

そのせいもあってか口の中はパサパサで喋るのも少し面倒と感じるくらいだった。

「っぷは。それで一体どんなんだったの?」

「解剖よ」

「はい?」

「だから解剖よ。昔やったでしょ?カエルの解剖。あれを人間でやったみたいに真中からぱっくりと割れてたわ」

「ふーん。解剖ねぇ……あー怖い怖い」

「そのあからさまな棒読みな言い方じゃ説得力というものがまるで皆無ね」

俺はその指摘に肩をすくめる。

実際本気で怖いかと聞かれたら俺は迷わず首を真横に振るだろう。

だってどんなにグロテスクだったとしても所詮は死んだ人間なんてタンパク質と脂肪の塊なのだから。

もちろんそいつらが生き帰ってくるなら話は別だけど、そんなこと現実にはありえないし。

俺は知っているから。

死人や幽霊よりも最も恐ろしいのは俺と同じ人間だという考えをあれ以来持ち続けている。

「……ねぇちょっと聞いてる?」

隣で誰かが何かを言っている気がする。

何かを考えている時は他のことが余り上手く頭に入ってこないのだ。

「ねぇ」

隣にいた誰かは露骨に怪しがっていた。

俺はふと時計を見る。

そろそろこの公園も幼稚園帰りの子供達の遊び場へと変化するよなぁと漠然とそう思った。

昔は俺も遊んだ気がする。

「ぐふぉ!!」

いきなり腹部に激しい痛みが。

なにが起きたか分からず隣を見ると櫻がさっきより三割増しで不機嫌な顔になっていた。

表情は頑張って平静を保っていたが雰囲気がピリピリしているのを感じた。

「す……すいません。なんですか?」

「……取引」

「取引ぃ?」

なんかする約束していただろうか。

俺は自分の記憶をたどるが検索結果0件だった。

しっかりしろよ俺の脳。

「私が昨日のことを教えたからあなたは昔のことを教えるのが道理」

「あー」

なるほど。

あいつの言葉を借りると記憶がないからその分を埋めろというわけですか。

「んー」

俺は頭をポリポリとかいた。

うーん……弱ったな。

「どうかしたの?あなたはありのままあったことを話せばいいのよ」

「んー」

「……なかなか煮え切らない態度ね」

櫻は沸点スレスレのようだ。

そこまでにさせた原因は俺にあるというのだから仕方ない。

「じゃあこの事件が解決したら。解決したら話すよ」

「なぜ今じゃだめなのかしら?」

「どうしてもだ」

俺があまりにも強く否定するので櫻も渋々認めたようだ。

「それじゃ」

「はいはい。さようなら」

それ以上話すことがないかの様にすぐにベンチを立って櫻と俺は別れた。

昨日から思っていたがもう少し余韻というものを楽しもうとは思ってくれないのだろうか。

要件が済んだら帰ってしまうなんて随分とつれない。

あくまでビジネスライクな関係。

そうとでも考えているのだろう。

凝った体をほぐすように伸びをした俺は、櫻の後ろ姿を見るとともにどうしたらものかと考えていた。

櫻の話を聞いて分かった。

どうやら、俺は櫻が望むべく答えをまだ与えられそうにない。

終わってないものを終わらせたことにするのは出来ないのだから。

そして、俺は誰もいなくなった公園を後にした。


俺は家に帰るまでの道中に見知った奴を見つけた。

「よぉ水原」

「ん?」

水原と呼ばれた男は頭に被っていたフードを取ってこっちを見た。

殺人事件が起きたせいで学校が無くなっているのだからその格好は止めた方がいいと思う。

「よぉ、椎名じゃん」

相変わらず体育会系なやつだなぁ。

俺の周りで高校生活を一番満喫してる奴。

水原を表すならその言葉に限る。

今だって恐らく部活の為の自主練に違いないし、勉強だってそれなりだし、可愛いマネージャーと付き合っているとか。

そんな俺と人生の表と裏を歩いているようなやつと俺がなんで接点があるのには理由があった。

「また姉貴んとこ行くのか?」

「あぁ。まぁな」

「お前もよくもまぁ飽きねぇな」

お前の好みか?そう言って水原はニカッと笑う。

相変わらず青春野郎め。

その笑顔が眩しい。

認めたくないが水原の姉が俺の右手の半分を作ってくれた人なのだ。

俺にとっての命の恩人にあたる。

あの人の技術がなければこうして満足に生活を送ることは出来なかっただろう。

「ということは当然今日もやるか?」

「あぁ当然」


『3・2・1……GO!』

審判の旗が下がると同時に俺とあいつの車が同時に発射した。

まぁ、俺とあいつは同じ走り屋なのだ。

そう言うと聞こえはいいのだが、要は一緒のレースゲームをやり込んでいる友達というわけだ。

今の所45勝40敗と俺の方に分があるがこいつとの勝負にそんなものは意味をなさない。

町でも有数のゲームセンターであるここはいつも賑やかな音が絶えない。

俺はここに来るのは久々なのだが向こうは違うらしい。

部活に勉強にゲームに彼女。

これ以上ない位に充実している。

「またやり込んでたか?」

「そっちこそ!」

二台同時にコーナーを曲がった。

俺達の後ろからは、おぉという歓声が上がっていた。

いつも俺達のやっている後ろにはギャラリーが出来る。

「はっ!」

向こうは流石に運動しているだけあって人から見られると元気になるらしい。

決して怪しい意味じゃないぞ。

それに対して俺はそんなに注目を浴びるのに慣れてないせいで微妙に縮こまってしまう。

もし家にこれと同じ設備があって闘ったら俺の勝率はもう少し上がるに違いない。

「あ」

やばい。俺の車は最終コーナーを曲がった時にわずかだが水原の後ろについてしまった。

「っしゃ」

むこうもそれを理解していたようで試合中なのにも関わらずガッツポーズを決めた。

ほとんど同じ機能を持つ車がどんなに頑張っても直線で詰められるわけもなく、あえなく俺は負けた。

周りから小さな拍手が起こった。

それを機に少しずつギャラリーが消えていく。

画面に『LOSE』と表示された画面を無視して俺は隣に座っている水原に声をかけた。

「なぁ」

「ん?」

俺に勝てたことが余嬉しかったのかまだ声がご機嫌だ。

「やること終わったんだから早く瑞記さんのとこ連れていけ」

「おぉ悪ぃ忘れてたわ」

余りにもあっけからんとしているので俺は思わず言葉を失った。

俺の顔を見て慌てて取り繕うように呟く。

「嘘だっつーの。俺だって人様の用件を忘れるなんてことはない」

付いてこい。

水原はそう言って椅子から腰を上げた。

水原の姉に当たる水原瑞記は、先程も言ったが俺の右手半分を作ってくれた人で俺にとっちゃまさに命の恩人的存在だ。

けれど、瑞記さんは一言で表すと奇人変人のカテゴリに入ると思う。

いやまぁ確かに歳だって分からない位肌だって綺麗だし、自称医者って言うくらいだからそれなりに博学なには間違いない。

「超がつくほどの面倒臭がりなんだよなぁ……」

「なんか言ったか?」

前を歩いていた水原が振り向く。

「いやなんでも」

瑞記さんは基本的に人と会うのすら面倒臭がっている。

それなのに、例えば昔の理不尽ゲームの攻略とか明らかにやっても意味のないことに心血を注いだりしている。

前に水原に聞いた所によると理不尽という言葉の響きが好きだからそういうことをやるらしい。

「あ、時間平気か?」

俺は言われて腕時計に目をやった。

時刻は丁度6時30分を指していた。

辺りを見てみると確かに日はほとんど落ちて暗くなってきた。

ついでに俺の腹の虫も鳴ってきた。

今日の昼飯は質素に済ませただけだったから余計に腹が減った気がする。

櫻といれたから心は一杯だったけど。

「んー平気だな」

俺の家には基本的には両親がいない。

いやちゃんと生きてるけど。

両親共々海外に出張っている。

だから俺は今、アパートにて一人暮らしだ。

最初は一人暮らしっていいなぁとか思ってたけど、家賃やらなにやらも馬鹿にならないし、案外大変なんだよなと最近思うようになってきた。

まだ始めて2・3週間なんだけどね。

「うっし、ほら着いたぞ」

「悪いな」

「いいってことよ。いつも一緒に走ってる仲じゃねぇか」

相変わらず爽やかな奴だと思ったが言わないでおいた。

「ここ瑞記さんの家?」

「あぁ」

「瑞記さん家変わった?」

「多分……」

水原は曖昧な笑みで答えた。

瑞記さんを俺が変人と言うもう一つの所以は家の場所こそ変わらないが、毎回家の扉が変わっているのだ。

だから毎回弟の水原を連れていかなきゃ場所すら分からない状況に追い込まれてしまうのだ。

「前回来たときは家は洋風の扉だった気がすんだけどなぁ……」

だけど今俺の目の前にある家は純和風の扉だった。

家自体は普通のそこら辺の家と変わらないのだが扉だけが異様だった。

そこを気にしない辺りは流石は瑞記さんらしい。

「あぁ、確か姉貴が暇をもてあましていたらしくて作り変えたとか言ってた気がする」

「瑞記さんってそんなに行動力ある人だっけ?」

俺の中記憶によるとそんなにアクティブに動く人じゃなかったと思うけど、時間は人を変えるって言うしな。

「サンキュ水原」

いいってことよ。

そう言ってあいつはこれまた爽やかに去っていった。

「さて」

とりあえず場所も分かったことだし、家に入って話すとする。

俺は玄関の前に立った。

前の時の洋風な扉から和風の引き戸になっていた。

「失礼しまーす」

返事が聞こえない。

家の中は閑散としているので声は聞こえてると思うのだが。

「失礼しまーす」

もう一度言ってみた。

さっきよりも少し大きめに。

「ん?」

ヒュ。

という風切り音ととともに湯呑みが飛んできた。

当然いきなりきた攻撃を避けられるはずもなかった。

「ぐはっ」

額に直撃した。

しかも中身が入ってて滅茶苦茶熱い。

「うるさいわよ。そんな二回も言わなくても一回言われりゃわかんのよ。阿呆じゃあるまいし」

「お、お久しぶりですね……瑞記さん」

「あ、あんただったの。ならよかったわ。別に相手にしなくてもいいわよね?」

「さすがに相手にしてくださいよ」

「やーだね。あたしは今忙しいの」

そういって奥に引っこんでしまった。

もったいないよなぁ……。

それはいつも瑞記さんに会うたびに思うことだった。

はっきり言ってしまおう。

外見だけならば瑞記さんは美人の部類に入るだろう。

だって足はスラッと長いし、スタイルもいい。

それにメガネをかけて髪を結っているせいかものすごく理知的に見える。

「……褒めてもなんもでないわよ」

「えっ、聞こえてました?今の声?」

声にだしたつもりは全くなかったのだが。

すると先生はちが―うと間延びした声が奥から聞こえた。

「私ほらサトリだから」

「嘘」

明らかに嘘でしょあなた。

そう思いながら俺は瑞記さんの部屋に入った。

また案の定倉庫から引っ張りだしてきたような古いゲーム機にカセットで遊んでいた。

また趣味の理不尽なゲームのようで画面外から敵がガンガン攻撃してくるらしい。

あ、死んだ。

GAMEOVERと昔ながらの電子音ととも表示された。

すると瑞記さんはこっちを振り向く。

「いや本当だよ?だってさっきの君の私に対する美辞麗句はちゃんと耳まできこえていたよ?」

一瞬なんのことか分からなかったけど、すぐにさっきの話だとわかった。

「じゃ俺がいま何考えてるか当ててみて下さいよ」

「瑞記さんルートないかなぁ。だ」

俺は高速で首を横に振った。

さすがにそこまで命知らずな俺ではない。

「あらま。残念だなそりゃ」

あんまり残念そうじゃない声で瑞記さんが唸った。

この人大人っぽく見えて案外子供っぽいとこあるんだよなぁ……。

見た目は、デキル女みたいな感じだが、たまにゲームで負けるとめっちゃ悔しがる所は少し惹かれる所だ。

「そういうとこが好きでした?」

「言ってませんよ!?」

あはは。と瑞記さんは心底楽しそうに笑った。

ゲームにもようやく飽きがきたらしくようやく俺の方を向いた。

「で、今日は何用?」

「あ、えーっとですね……」

「なるほど」

「あの……まだ何も言ってないんですが」

「あれそうだっけ?」

「そうですよ」

俺はここにきた経緯として簡単に櫻に告白したことなどを話してみた。

「ふーん。あの子って言えるほど私は詳しく知らないんだけど。で、それと私がなんの関係があるわけ?もしかしてフラレたから慰めて欲しかったりする?」

そう言って、いらっしゃいと両手を広げた。

「なかなか惹かれる言葉ですけど遠慮しておきます」

だって別に厳密にはフラレたわけじゃないから。

「んだよ。イジリがいがな……じゃなかった。じゃなにしにきたんだよ?」

「とりあえず義手の点検を……」

義手という単語が出た瞬間に露骨に嫌そうな顔をされた。

「そんな顔しなくても……つかあんたが作ったもんでしょ」

「だって、あんときはあまりにも可哀想な気がしてさ。ついでに実験もできるかなぁと……」

「実験!?」

この人がコレ作ったのは俺が小3の時だから、瑞記さんが高2だったらから子供ながら凄いお姉ちゃんもいるんだなぁとか感動してたのに実験かよ!

「いやーまぁ机の上では成功率八割は固かったから平気だと思ったからさー。いやー我ながら凄いと思う。ナイス私」

うんうんと頷く瑞記さん。

いやそれどころじゃない。

「平気なんですかこれ?」

俺は自分の右腕を指した。

言われた途端に不安になってきたんだが。

「平気じゃない?今までなにも無かったんでしょ?少なくとも日常生活を送る分には支障はないと思うよ。ただ……」

「ただ?」

「あんたが漫画とか小説の主人公よろしく殺人鬼とかとバトルするんなら安全の保障は出来ないね」

私は楽しいからいいけどね。

出来ればそんな展開になったら教えてくれると嬉しいな。

そう言ってどっから出したか分からないが干し芋を食べだした。

「じゃあ平気っすね」

俺は別に生まれついて何か残酷な因果を背負ってるわけでも凄い力があるわけでもないからそんな心配は杞憂だろうさ。

「いや、わかんないよ」

「え?」

なんで?と聞き返す前に瑞記さんは呟いた。

「だって好きな子が記憶失っててその為に奔走するなんていかにもじゃないか」

そう言って瑞記さんはシニカルに笑った。

その後簡単な整備をしてもらったあと瑞記さんの家をあとにした。

「ただいまー」

俺は今一人暮らしなので、挨拶しても帰ってくるはずがない。

けれど昔からの癖で今でも毎回挨拶は欠かしていない。

だけど今日ばかりは勝手が違った。

「おかえり」

「え?」

誰もいないはずの俺のみすぼらしい我が家から返事が聞こえたのだ。

瑞記さんのサトリじゃないが、本当に妖怪なんて存在するのだろうか。

「だったら座敷童子だったらいいなぁ」

一人でぼそっと呟いてみる。

昔読んだ漫画に確か幸せを呼ぶ妖怪として載ってたのをよく覚えている。

実は自分の生きてる時不幸だったから、幸運を振りまく妖怪って話を読んだ時は思わず涙が零れた程だ。

「さっきからなんで玄関でぶつぶつ喋ってんのよ。気持ち悪い」

「え?」

まぁそんな夢物語は実際には起きないわけだけだ。

今の状況もはっきり言ってしまえば夢物語に近いことは否めない。

「なんで櫻、俺の部屋にいるの?」

「最初から思ってたけど私としては、いきなり名前で呼ばれるのは抵抗感があるわね」

俺の質問に全く関係ない返答はしたのは今日昼頃に別れた櫻だった。

「なんで、ここに?」

「学校の住所録見て。なんか面白そうなことが起きそうだったから」

俺はあなたの玩具かなんかですか?

「あ、今日から部屋借りるわよ」

暇だからと櫻はさも当然のように言った。

「は?」




「はぁ、はぁ、はぁ」

落ち着け、落ち着け僕。

素数を数えろ。

あ、違うか。

案外余裕だね僕。

僕はぞぶりという音をたててソレから得物を抜いた。

辺りには人の気すら感じなかった。

時間が深夜帯なのも影響してるだろうが、それでもこんな場所でこんな静かなのはもう長らくここで暮らしている僕にとっても意外だった。

僕は改めてソレを見た。

完全に人としての機能は停止していた。

これならばすぐに人に見つかるだろうさ。

これは見つかんなきゃ意味がないんだから。

ピピピと電子音が鳴った。

「お?もう時間かな」

僕、凝り性だから時間分かんなくなっちゃうんだよね。

そう言って僕は其処をあとにした。


俺は櫻と話始めてしてから何故か、人生が加速したみたいにいろいろ起きている。

まるで今までの止まっていた時間を取り返すかのように。

「だからなんでいるの?」

俺のその問いに答える様子もなく櫻は机に頭を乗せたまま、んーとか唸ってた

。一つ言っておくと今この状況を俺個人の感覚からするならはっきり言って万々歳だ。

だって好きな子と一つ屋根の下ってまるで漫画みたいだろ?

一瞬さっきの瑞記さんの言葉がよぎった。

「ねぇ。椎名…くんだっけ?」

「ん?どうした?」

「ちょっとヤバい状況なんだけど聞いてくれる?」

机に突っ伏した櫻が気まずそうにこちらを向いて言った。

無性に嫌な予感が全身を駆け巡った気がした。

隠していたテストが親に見つかってしまった時のような焦り。

そして言いようのない不安感がよぎる。

「とてつもなく嫌な予感がするんですが、どうぞ」

うん。

櫻は頷いて言った。

「私、容疑者第一位らしいのね……」

「は?」

なんか、嫌な予感の枠を超えた気がする。

一瞬何事か分からなかった。

それが先の事件のことだと気づくのに数秒かかった。

「は?」

理解した上で意味が分からなかった。

容疑者ねぇ……ん?

「それって不味くね?」

「うん。だから私の家はマークされてるだろうから椎名くんの家に来ました。流石に私のせいで他の人に迷惑をかけるわけにはいかないからね」

あくまで棒読みな感じは否めなかったが本当に切迫してるらしい。

じゃないとこんな俺の家なんかに来ないだろうし。

「他の女子とかの家じゃだめなのか?」

「椎名くんの家が良かったのって言ったら?」

ほぼ十割からかわれているのだが思わず赤面してしまう俺。

「……さすがに予想通りの反応だけど、こうもまぁ予想通りだと笑えないわね」

やや呆れ顔になった櫻は小さな声で、他に友達がいなかったからと言っていた。

確かに俺も櫻がクラスで女子の友達とかと仲良く談笑してる姿なんて見たことがない。

無論男なんてもっての他だ。

外面はいいのだがどうにも無愛想なので最初の内は話掛けていた男子もやがて喋らなくなっていた。

「だからっていきなり一人暮らしの男の家に来るなんて……」

「煩いわね。椎名くんなら間違いが起きる前に殺せそうだし、それに」

「それに」

「……たから……」

「ん?なに?」

「気にしないで。独り言よ。まぁあなたが一番頼れそうなわけだから来たのよ」

へぇ。

俺は、意外に評価が高いようだ。

勿論嬉しい。

「だって他の人は信頼出来ないけど、あなたは私の知らない私を知っているから」

「……」

「どうかした?」

そんなこと言われたらなんか感動しちゃうよな。

うん。悪い気分はしない。

「で、一体どういうわけか……」

俺が聞く前に櫻が手で俺の言葉を遮った。

「その前に」

「な、なんだよ?」

少しの間を開けて櫻は唇を開く。

一言も聞き逃さないように意識をその唇に集中させる。

ゴクリと自分が唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。

「夕飯お願い出来る?」

「は?」

一気に気が抜けた。

確かにさっき帰ってきた時間を考慮するならばとっくに夕飯の時間だが今はそんなことしてる場合なのだろうか。

「お腹が空いてはなにも出来ないじゃない。期待せずに待ってるから手早くお願い」

「それ思うんだが俺が言う台詞じゃないのか?」

普通こういう場面だったら女の子が料理を振る舞うんじゃないのか。

それとも俺の中の幻想だったのか。

「まぁ椎名くんが、昔のことを話す時になら作ってあげるわよ」

「……」

俺は無言でキッチンに入った。

俺だって自慢じゃないが料理なんて作れるわけじゃない。

だから必然的に俺たちの晩飯はカップラーメンになった。

カップラーメンは料理って言わないのよとかいろいろ言っていたが、意外に満足してたのか、単に仕方ないと思ったのかなにも言わずに食べていた。

つつましやかな晩飯が終わり一段落ついた後櫻は話し始める。

「簡単に話すと、私は夜歩くのが密かな楽しみでした。いつもの通り道なりに歩いてたらやけにカラスの鳴き声がしたので神社に行ってみたら人が死んでました。それを見ていた人がいたらしくて今日の昼通報があったらしいわ。私としてはとても怖い限りなのよ」

「ふーん……」

このあまりにも棒読みな声のせいで全然危機感が感じられないがなかなかまずい状況らしい。

「なによ椎名くん。少しは心配してくれてもいいじゃない。せっかくこんなに演技してあげたのに」

「それで演技したつもりかよ……」

「ええ。なかなか芯に迫るものがあったでしょ?」

「全然」

「つれないわね」

さもつまらなそうに櫻は言って、玄関の方に歩いていった。

「お、おいどこ……」

「散歩。あなたも来る?」

「マジ?」

「大マジ」

自分が疑われていることを知ってなお習慣を崩す気が無いのか、警察に負けたくないのか真意を推し量ることは出来なかった。

「って、待てオイ!」

俺は不安に駆られながらも玄関を出た櫻を追いかけた。

「全くあなたもお人好しね」

「勝手に言ってくれ……」

結局すぐに櫻は捕まった。

俺が来るのを予想していたのか俺の家の脇で待っていた。

「ま、気になるなら付いてきてもいいわよ」

「そりゃどーも」

そんなわけで俺達は二人で夜道を歩いているわけで、風が吹くたびに櫻の匂いやら海の潮風やらが匂ってきて俺の内心はなかなか心臓バクバクな状況だった。

「ねぇ?」

「な、なんだ?」

だからいきなり顔が間近あったらもの凄く動揺するわけで。

「そこ」

「へ?」

櫻は俺の奥の方を指して言った。

「あそこが件の神社よ」

櫻が指した先には俺も知ってる神社だった。

昼間に見る分なら気にもかけない場所だが、夜になるとなかなか雰囲気が出ている。

幽霊が出るという噂が流れれば信じてしまうような独特な雰囲気がある。

「なぁ」

「なに?」

「カラスがかなりいるんだけど……」

ものすごく神社の周りからカラスの鳴き声がまるで鎮魂歌のように響いていた。

「櫻」

「なに?止めないでよ」

櫻はカタカタと小刻みに震えていた。

恐怖とはまた別の。

例えるなら獲物を前にした獣の様に今か今かと疼いているようだった。

まるで子供が虫を殺すときのように。

境内に続く階段を上った先にはソレがあった。

ヒトからモノになった塊がそこにあった。

……ひどい匂いだ。

俺も櫻も思わず鼻を覆った。

死臭というか腐乱臭が鼻をついた。

俺達が近付くとカラス達は飛び去りそこには物言わぬ塊があった。

かつて人であったらしいことは分かるが、カラスについばまれたせいか所々穴が開いていた。

「ねぇ」

「……なんだ?」

「どうする?」

本当にどうしようか。

とりあえずこのままだと櫻がほぼ決定的に容疑者になってしまう。

幸い夜だったせいか辺りに人気がないこと位が唯一の救いだ。

「じゃ……」

俺が逃げようと言おうとして振り向いた時櫻は死体の顔を覗き込むように見ていた。

「な、なにしてんだ?」

「この顔」

櫻が死体を指さす。

つられて俺もそれをよく見ることにした。

「あ」

「あなたが思ったってことはそうなのね。私は興味が無かったから人の顔を覚える気が無かったけれどなんとなく見覚えがあったから」

「あぁ、そうだな」

それは今朝まで事件の注意を促していた俺達の担任の顔だった。

しかし俺の心は大して揺れていなかった。

その様子を見て櫻が目をひそめた。

「随分とドライな反応ね。私としては意外の極みなのだけれど?」

「あぁ、まぁちょいと理由があってね。ところで櫻って体と心が繋がってると思う?」

いきなりの質問に櫻は顔をしかめたが、少し逡巡した後に否定の意を示す。

「体は所詮ハードで魂はソフトウェアよ。実際はわからないけれども魂が複数有るなら簡単に変わるでしょうね」

「でもな。俺は有ると思うんだ。俺は昔の大傷を負ってから一度も、ただの一度も人の死において感情を得たことはないんだ。心もついでに欠けたらしい」

そう。例えるならばゲームの雑魚キャラが死んだような、ただ一人のヒトがヒトじゃなくなった。

ただ迷惑だなとか、物騒だなとかそういう個人に対する思い入れが極端に少ない。

自分でも自覚は有るが我ながら嫌な奴だと思う。

「そ」

そんな俺の言葉に櫻の反応は俺の反応より薄かった。

そんなことより今は目の前の死体のい方が興味がありますよと言わんばかりの態度だった。

「普通驚かねぇ?」

俺としてはかなりの覚悟が必要だったんだが。

「まぁ、意外なことは意外よ。だけどそんなの人の勝手じゃない。もしそれで悲劇の主人公気取ってたら殴ってたけど、椎名くん。あなたは違いそうだから。今の話は聞かなかったことにするわ」

「……」

「……なによ。その顔は?」

「俺今どんな顔?」

「そうね……鳩が豆鉄砲をくらいながら、豆を食らってる顔かしら?」

「はぁ?なんだそりゃ?」

多分それだけ凄い顔をしてるんだろうさ。

純粋に驚いたから。

引かれること位予想していたから余計に。

自分が自分であることを認められたような気がしたから。

昔の自分の目は狂ってなかったと信じれる位に。

俺は櫻を好きになってよかったと切に思った。

「とりあえずここにはもう用なしね」

俺が感慨に耽っている間に櫻はもう死体に興味を失ったらしく俺の横をすり抜け先に階段を降りて行ってしまった。

「さてと」

俺は櫻に先に帰っておくように言っておいた。

結局私を一人にするのね。

そう散惨嫌味を言われたが、死体を少しだけ見た。

当然なにも感じる物は無かったが一応担任なんで手は合わせておく。

それから俺は櫻の行った階段の反対側の森へ入っていった。

神社の屋根に停まっていたカラスが三匹甲高い声で啼いていたのが聞こえた。

まるで、これからの未来を予言するかのように……。


「ん?」

僕は森の中でカラス声を聞いた。

「カラスって確か一回鳴くと人が一人死ぬって話だよね。つまりこれは神からの啓示だろう。もっとも僕は神様なんて信じちゃいないけど」

僕はゆっくりとした動作で月を仰ぐように両手を広げた。

その両手には明確な殺意を持って。

「いやぁ、さっき神社のはヤバかったね。全く櫻ちゃんはどんだけ運が悪いんだろうね。いやそれともツいているのか?いや、多分俺がついてないだけだ」

ピピピッ、ピピピッ……

お、どうやらそろそろ時間だ。

さぁ、ワンサイドゲームを始めよう。

そう言って僕は姿を消した。


「くぁ……」

理由ははっきりとしないが随分と寝不足らしい。

体が睡眠を欲しているのがよくわかる。

「朝早々から景気が悪いわね。殺すわよ」

「ん?」

とりあえずなんか誰かに言われた気がしたが無視して俺は顔を洗った。

ん?徐々に目が覚めてくと疑問に思うことがある。

「俺一体誰と喋ってた?」

この部屋の住人は俺一人のはずなんだが……。

くるりと首を180度回す。

凝り固まった首がベキッと小気味よく鳴った。

「なによ?」

「えーっとなんでだっけ?」

「家がマークされてるから」

「あぁ……」

思い出してきた。確か事件の容疑者がどうとか。

「思い出したならとっととどきなさい。邪魔だから」

「あ、悪い」

反射的に謝ってしまった。

なるほど俺の寝不足の原因は今目の前にいる櫻か。

「なんとなく思い出してきた……」

確か夜帰ってきたらもう櫻が寝てて、その寝顔が可愛かったからずっとドギマギしてたんだなきっと。

うーん、俺も若いな。

手の一つも出せないなんてまた弱虫と言われそうだ。

こうして櫻が顔を洗った後すぐに朝食となった。

ちなみに担当は俺だった。

どうやら女の子が朝食を作ってくれるなんてどうやら二次元の世界だけのことらしい。

きっとこういう努力が実を結ぶはずだ。

そう考えて俺は黙々と朝食を作る。

「このスイカ、味が悪いわね」

ひょいとスイカを一つ摘まんで櫻は言った。

ちなみにスイカは親戚からの貰い物である。

「……何個も頬張ってる奴が言う台詞かそりゃ?」

少なくとも三個は食べていたと思う。

うるさいわよ。

そう言いながら櫻は俺の家の数少ない家電用品であるテレビに目をやった。

テレビからは首相が何をしたとか、外交がどうとか俺達には関係のない話が繰り広げられていた。

「……続いてのニュースです。N県M市で男性が何者かによって殺されているのを付近の住民が発見通報したものと見られます。また遺体は損傷が激しく死因の特定は難を極めるそうです。また、付近の住民からは事件現場から立ち去る高校生位の少女を見たという意見も有り、警察ではその少女がなんらかの事件との係り合いを持っているとみて捜査を進めています」

「「……」」

ニュースが流れてから俺達は自然に目があった。

「私もついに全国区ね」

「喜んでる場合か!!」

状況はかなりまずいことになり始めている。

こいつが見つかったら俺も痛くない腹を探られなきゃいけない。

テレビではこの町で起きてる事件について専門家っぽい人達が意見を交わしていた。

「この事件は八年前に起きた事件の模倣犯だ」

などと偉そうにいろいろ犯人の背格好はどうであるとか、性別はどうなのかとか喋っていた。

「ねぇ」

「八年前の話か?」

「そうよ。分かってるなら話は早いわね。そうよそろそろ教えなさい」

そっと俺の首筋に櫻の箸が付きつけられる。

どうでもいいがその箸は櫻自前の物で、桜がアクセントとなっている箸だった。

「……めっちゃ怖いんすけど」

「あなたが話せば済む話よ」

「それはできないって言ってるだろ?」

「それが怪しいのよ」

さらに強く首に箸を付きつけられる。

喉に刺さって若干痛い。

このまま力を込められれば首に突き刺さって痛い思いをしてしまうだろう。

それはなんとしてでも避けたい。

この状況とは裏腹にテレビからは明るいニュースが流れている音が聞こえる。

「椎名くん。あなたは最初に自分は私の過去を知っていると言っていたわね?」

「あぁ」

「しかしなにも教えてくれていない」

「その通り」

「なにを以てあなたを信ずるに値するか分からないわ」

「……」

「答えられないの?」

「ははは……」

「なにかおかしいことでもあったの?」

「べ、べつに」

いや全くもって傑作だと思う。

そんな信用ならない奴と一晩も同じ部屋にいたことが。

もしかしたら昨日の晩、櫻は寝ていなかったのかもしれない。

俺が寝たのを見てから寝たのかもしれない。

「……じゃあいいよ」

とりあえず後のことは後に回そう。

今は前が先決だ。

「ほらよ」

俺は箸を突きつける櫻に向かって――


指を投げた。


「え?」

投げられてきたものを反射的にキャッチする櫻。

「これは?」

「俺の右手」

あの事件で無くなった俺の一部。

「驚かないんだな」

てっきり部屋中響く声で喚くかなぁ……とか思ったけど、まぁキャラじゃないからしょうがないか。

別に女性を泣かせる趣味もないからどうでも良かったのだけれど。

「……驚きすぎて何も言えないだけよ」

「そうですか」

とりあえず、俺の危機は回避されたので良しとするか。

しばらくその手を見つめた後櫻はこっちに向き直る。

「……単刀直入に聞くわ。これをやったのは私?」

「そ」

少なくとも俺の右手の指を吹っ飛ばしたのは間違いなく櫻だ。

「悪かったわね」

そう言って俺に右手を投げた。

まぁ片手しかない俺が取れる道理がある訳ないのでそのまま床に落ちる。

硬い無機質な音が部屋に響く。

自分の部屋に自分の指が落ちてるってものすごい嫌な状況だな。

客観的な視線で自分の状況を観察していた。

「……悪かったわね」

「別に。気にしちゃいないさ」

まぁなるべくなら知らせないようにしたかった。

なんかこっちにも罪悪感ってのが湧いてしまう気がするから。

「まぁいいわ」

そう言って櫻は来た時の格好で外を出る。

「どこか行くのか?」

「……学校。行かないの?」

「あ」

すっかり忘れてた。

いろいろあったけど学校は普通にあるんだっけか。

俺はいそいそ着換えだした。隣に櫻がいたけど見られて減るもんじゃねぇから別に気にしなかった。

「こっちの気が滅入るわ。そんなもん見せないで頂戴」

ぷいっと背中を向けてしまった。

「ま。今日は速効で終わるからいいか」

俺は一伸びしてから玄関を出た。

「……えーこの度は……」

今日のニュースは夢でもなんでもなく俺達の担任が殺されていた。

それについて今保護者を含めた大々的な集会が開かれているところだ。

「残念だったな」

「あぁ……」

俺は水原と話していた。

俺とあいつクラスが別で学校であんまり話さないが、たまたま隣にいたので話かけてみた。

聞くところによると俺の担任は水原の所属している野球部の顧問でこいつが付きあっているマネージャーの父親にあたる人だったらしい。

普段は爽やかっていうか溌剌してる水原だが、流石に今日は元気が見えなかった。

「水奈子がさ、あまりにもショックだったらしくてさ、家に引きこもってんだよ」

どうやって立ち直らせようか考えてるけど応えがまとまららねぇとか一人でぶつぶつ言っていた。

やがて集会も終わり俺達は蒸し暑い体育館から出た。

「さてと。これからどうしようかな」

昨日のノリのままだったら櫻がいてなんか言われてる気がするが、今日に限っては姿が見えなかった。

別にクラスが一緒なのにも係わらずクラス内でなんかドラマ的なことが起きるはずもない。

「なんでここにいるんだよ……」

「まぁ気にすんな。今は今を楽しむべきさ」

俺は昨日と同じゲーセンでこれまた同じく水原と一緒にいた。

違うという所といえばこんな時間に来ないこと位だろうか。

当然顧問が死んだとなっちゃ部活なんてしばらく出来ないし、そもそもやる気が起きないらしい。

そこら辺のことは万年帰宅部であった俺にはよくわからないが。

「なぁ?」

「ん?どうかしたか?」

「別にさ、俺がここでお前と遊ぶのはいいんだよ。だけどさ、なんで俺がえーっと……」

「水奈子の家に行かなきゃいけないんだってか?」

「そうそう。そのミナコって人と面識無いんだけど……」

その台詞を聞いて水原は目が点になっていた。

どうでもいいけど実際に人の目が点になると、こっちが唖然とするな。

「そんなわけあっか」

ようやく目が点状態から復帰した水原が行った言葉がそれだった。

「そなの?」

「少なくともクラスは一緒になってるぞ」

「マジで?」

どうしたんだ俺の記憶力。

クラスの名前を全部覚えることを信条として学校のプリントの特技の欄に「人の名前と顔を忘れないこと」って書いたのに撤回しなきゃいけないな。

……まぁ、誰もそんなことを書くわけがないんだがな。

「まぁすぐ済むからさ」

頼む。

両手を合わせられちゃ流石に無下に断れないので渋々付いていくことにした。

「そういえばさ」

俺は道中で水原に話かける。

どうやら彼女の家は歩いていける距離らしいのだがなかなか着かない。

もしかして水原のランニングを基準にしてるんじゃなかろうかとさえ疑ってしまう。

「俺達ってさ餓鬼の頃から一緒だったよな?」

「はぁ?なにを今更言ってんだよ。俺とお前は昔からの付き合いじゃねぇーか」

「いや、そうじゃない。俺だってお前とずっと一緒にいること位分かってるよ」

「じゃ誰?」

「櫻」

一瞬その場の空気が凍った気がした。

けど俺は感じないからなんともないんだけど。

あぁ無感は寂しいね。

「櫻ぁ?居たっけ?」

「とぼけんなよ。昔誰が櫻に好か…」

「悪い。着いたわ」

その声に反応して前を見るとなかなか立派な一軒家があった。

「さっきメールしてみたら今家に一人なんだとよ」

「え?それ俺行って平気?」

「なんでだ?」

「いや……ねぇ?」

さすがに恋人同士の逢瀬に関与するような野暮な真似はしたくないんだが。

「どっち向いて言ってるんだ?」

「……」

「なんだその人を憐れむ視線は?一人より二人の方が良いだろ?」

どうやら本当に気づいていないらしい。

「いやなんか可哀想だなと」

主に彼女が。

あぁ水奈子さん。

顔見知りらしいので同情します。

こいつはそういうことには疎いんです。

そんな一人芝居をやっていると水原に先に行かれてしまった。

「入るぞー」

水原が、なんの躊躇いも無く家のドアを開けた。

こういうところ流石勝手知ったる彼女の家ってとこか。

「あっ、来てくれたんだ優くん」

玄関で俺達を迎えた水奈子さんはなるほど確かに見覚えがないわけじゃなかった。

確かにどこかで見知った顔だ。

一目見た感じだと平気そうに見えたが、良く見ると目尻が少し赤いし、隈も出ていた。

ちなみにさっきから彼女は俺の来訪に気づいていないのか意図的に無視しているのか分からないが、一度もこちらを見ていない。

そのことに気づいたのか水原が水奈子さんの頭を撫でる。

「そういや、今日は俺だけじゃ寂しいかなって友達を連れてきた」

「友達?」

彼女の顔が一瞬曇ったように見えた。

全くやっぱりお前は鈍感の極みだよ。

俺は深いため息を吐く。

「あ」

本当に今気づいたかのようにこちらに視線をやった。

「どうも」

「ええ、ありがとね。わざわざ来てくれて椎名くんだよね?」

「そうだよ。気の利いたものなんか持って無いけど」

別に気にしなくてもいいよ。

そう言ってくれたもののさっきから邪魔だっていうオーラが心に痛い。

「じゃ俺は帰るわ。ちょっと用事があったし」

そのオーラにいたたまれなくなって俺はこの場から退散することにした。

じゃあね。

そう見送ってくれた彼女は今日一番の笑顔を俺に見せたことはきっと忘れないだろう。


「しかし、なんでとぼけたんだろうか?」

俺は帰り道暇だったので考え事に耽っていた。

あんな露骨に思い出したくない過去のように扱わなくてもいいと思うが。

「昔三人で誰を櫻は好きになる……あれ?」

俺は自分で言っておきながらふと一つの疑問に行き当たった。

「三人って誰だ?」

誰を櫻が好きになるかを勝負していたんだから俺達は四人で遊んでいたと思う。

俺と水原だけだったらどっちを好きになる?

そんな話をしているはずだ。

誰を、そう聞いている時点で選択肢は三つ以上あったはずだ。

自分で言うと嘘臭いが俺にも昔の記憶であやふやな部分がいくつかあるのだ。

医者が言うには衝撃的過ぎる記憶を一時的に自ら閉ざしてしまっているらしい。

まぁ、きっと阿鼻叫喚の地獄絵図だったのは想像に難くない。

「俺と水原と水原?」

なんで水原の名前が二回も出てきているのだろうか。

自分でも理由は分からなかったが俺の記憶には水原が二人いたような気がした。

断っておくが水原に分身の術が使えるわけではない。

けど、昔の俺なんて世界で二番目にあてにならないけどね。

ちなみに一番は今の俺だから。

あぁ、そうか。

そういうことか。

「ん?」

俺はもしかしたら今日も櫻が家にいるのではないかと考えて寄り道もせずに家に帰る道中。

「あ、す、すいません」

「はい?」

俺は二十歳過ぎの女性に話しかけられた。

身長が俺より頭一つ低いので見下ろす形になる。

「なんすか?」

「えーっと少しアンケートに協力していただいていいですか?」

「断ります」

「ほらほらそんなこと言わずにぃ」

常にニコニコしながら俺の肘を引っ張ってくる。

大分ここらへんを回っているらしく額に汗が浮いていた。

なんか可哀想になってきたので渋々アンケートに答えることにする。

もしここで俺が強引に断れば追ってこないだろうが俺に少し罪悪感が湧く。

そして向こうも大変になる。

しょうがないか。

「わかりましたよ。そんなに時間を取らせないで下さいよ」

「あ、ありがとうございます」

大袈裟に頭を下げて彼女はあろうことかそこらの自販機でジュースを買ってきてくれた。

すごいいい人だと思った。

「それでアンケートってその紙に書けばいいんですか?」

俺は彼女が胸に抱えていた用紙を取ろうとして、取れなかった。

「いえいえこれは関係ないんですよ」

ぱっとその紙を捨ててしまった。

「え?」

俺はあまりに意外なことであっけにとられてしまった。

その代わりに彼女はポケットから手帳を取り出した。

「さぁ、アンケートいきますよ?」

「ど、どうぞ……」

「質問一です。ハイかイイエでよろしくお願いします。あなたは、宮崎櫻と知り合いである」

「……!」

俺は今までの認識を改める必要があった。

別に悪いことをしているわけがないから注意を怠った訳でもない。

いつもならそう考えている所だった。

しかし、今回に限っては事情が違っていた。

警察からしたら重要参考人を匿っている共犯者と見られても不思議ではない。

手帳の取り出し方が堂に入っていた。

認めたくはないがこの人は警察関連の人間だろう。

俺は自分を悔いた。

このままだと櫻が捕まってしまう。

無実なのに。

何もしていないはずなのに。

俺にはそれを証明する手立ては残っていない。

「どうしました?まだ一問目ですよ?」

「ハエエでお願いします」

俺は一礼してそこから去ろうとした。

そんな俺の後ろから彼女が一言。

「今ここで逃げたのならば私は宮崎櫻を目撃者の証言通り犯人とみてあなたの家に行って任意同行を求めますよ?椎名陽平くん?」

俺の歩く足が止まった。

時刻は昼を過ぎ、辺りにも人の流れがちらほら見えてきた。

「まぁ、見ての通りあなたより全然力がありませんが私に危害を加えるならばあなたをついでに逮捕して彼女を捕まえますが」

俺はその場から立ち去るのを辞めて彼女に向き直った。

「懸命なご判断です」

「……」

「あぁ、そんな怖い顔しないで下さいよ。さっき言ったことなんて実際しませんから。私の友人の友人なら私の友人も同然ですからね。友達を公僕に売る趣味はありませんから」

公僕はあんたでしょ。

そう言おうとしたがそれよりもある言葉が気になった。

「友人?」

「えぇ。私の名前は橘日和。今回は個人的に今絶賛ブレイク中の瑞記の友人を見にきただけですよ。今のところは仲間だと思って下さい」

そう言って握手を求めてきたので俺は受けた。

柔らかい手だった。

女性特有のふっくらした感触だった。

瑞記さんから聞いてるのか喧嘩を売ってるのか、利き手なのか左手で握手を求めてきた。

今日の要件は本当にそれだけだったらしく去り際に一言。

「これは独り言なので聞き流してもいいですが、早いとここの事件は終わらせた方がいいですよ。そろそろあなたが殺されるんじゃないですか?」

「さぁ?」

「言うじゃないですか。可愛さ余って憎さ百倍って」

そう言って橘日和は雑踏に消えた。

俺は真っすぐ帰ることを諦めた。



「で、私の所に来たと?」

「はい」

俺は奇跡的に扉が変わっていなかった家の主である瑞記さんに会いに行った。

「なんで瑞記さんに警察の知り合いなんかいるんですか?」

「え?」

さも意外そうな顔をされた。

それ普通俺がする顔なんですがね。

「そりゃ大学のサークルが一緒だったからに決まってんじゃん」

「ちなみに興味本位ですが、サークル名は?」

「犯罪心理研究会」

「いかにもですね」

「だろ?しかもあいつは……ってその顔はもう騙されたって顔だな」

「はい」

綺麗に騙されましたとも。

自分でも簡単に手玉に取られていたことが分かりましたよ。

「日和は名前に似合わずエグいからな」

あたしは詐欺師って呼んでたね。

瑞記さんはそう呟く。

成程詐欺師とはなかなか言い得て妙だと思った。

「ところでさ」

「はい?なんですか?」

「そろそろ少年誌的な展開を期待していい?」

そんな期待するような眼で見られても……。

しかも瑞記さん。あなた美人なんですからそんなことやらないで下さいよ。

心揺れますから。

「まぁ、どんな状況でもあなた専用のルートは有りませんよ」

「ちっ。別に私はどうでもいいけどね。あぁ、あんたは昔から一途で結構なことで」

やれやれと呆れたように手をひらひらとさせた。

「ねぇねぇ」

俺が帰ろうとした時に瑞記さんが俺を呼んだ。

さっきから帰れとか言ったり待てとか言ったり良く分からない人だ。

「なんですか?」

「ほら巷でさ殺人あったじゃん。まぁそれでお前は日和に会ったんだよな」

瑞記さんは自分で言った言葉を反芻するように頷く。

「次あんたかもね」

そんなことを言った。

まるで大したことない伝言を伝えるかのように軽く言った。

「それ日和さんにも言われました」

「そうか。まぁ気をつけて損はないよ」

「それでどうして僕が次と?」

さっき日和さんにも言われた言葉だ。

二人の思考回路が似ているのか、それとも俺が死ぬ気配がでているのか。

「ほらさ言うじゃん。あいつは俺のかけがえのない友人だった。だから殺したってさ」

「瑞記さん。それは、本の読み過ぎですよ」

俺は自慢にならないが友人だってそんなに多くない。

その中に殺人鬼がいるなんてどんな殺伐とした物語だろうか。

断言したい。

絶対ないと。

瑞記さんが言いたかったことはそれだけだったらしく喋り終わった後はまた何かを探し始めたので、俺はおとなしく退散することにした。

なんとなく歩いていたら家に戻ってきていた。

酔っ払いの気持ちってこういうものだろうかとか考えながらドアを開ける。

「遅かったじゃない。別に待ってはいないけれど」

やっぱりと言っていいのか、びっくりと言っていいのか櫻がまた俺の部屋でくつろいでいた。

今度は学校指定のジャージを着ている。

制服は皺になるからとハンガーで吊るしていた。

「……ところで、そろそろ犯人は捕まえないのかしら?」

俺が出した緑茶を飲みながら櫻が事も無げに聞いてきた。

「その言い方だと俺は犯人を知ってるというような言い方だな」

「あら違うのかしら?」

「さぁね」

あながち予想は間違ってもないし、当たってもいない。

そろそろこの舞台にも役者が揃いすぎた。

過去を無くした少女。

記憶に蓋をした少年。

事態を傍観する詐欺師。

無欲な天才。

愛すべき存在を糧に生きる少女。

心と体を失った少年。

そして、記憶に映り出るはもう一つの影。

これだけ揃えば舞台は満員。座席は空席。

誰も見てはいない。

折角過去の因縁なんてサスペンスでは面白い展開なのにも関わらず。

ならば、そろそろ舞台の幕を閉める準備をするとしよう。

「なぁ、櫻」

「なにかしら?」

「昔の話聞きたいか?」

「なにを今更当たり前じゃない」

「そっか。分かった」

俺がやけに素直なことに向こうは眉をひそめたが黙ってこちらを向いていた。

「これは今から丁度八年前俺が。まだ小学校三年だった時のことだ」

俺は昔話を始めた。

「俺達はいつもみんなで遊んでいたんだ。俺は毎日が楽しいことの連続で俺の父さんと母さんはあまり家にいなかったけど、その代わりに皆の家にご飯を食べに行かせてもらっていた」

それはもちろんお前の家にもな。

そう言ったが大した反応は得られなかった。

「俺達は全員櫻が好きだった。俺達は途中から誰が一番櫻に好かれてるかを競うようになった。まぁ友達同士でじゃれあってたようなもんだ」

あの時はあんな事が起きるなんて思わなかったんだよ。

「そんなある日俺と水原でお前の家に行ったんだ。確か誕生日だったかな。もう一人は先に行くって聞いてたから俺達は誕生会を楽しみにして家のインターホンを押したんだ」

あぁ、やばい。

思いだす度に背中に鳥肌が立つ。

そんな俺の異変に気づいたのか櫻が心配そうな視線を向けてきたが、俺は大丈夫と手で制した。

「ところが何回押しても反応が返って来なかった。俺達は悪いとは思ったが勝手にドアを開けたんだ」

今思うとそれが間違いだった。

若さ故の過ちとでも言うのだろうか。

昔に戻れるならやり直したい。

「そこは当時の俺達になにが起きたのか理解するのは酷過ぎた」

その場にあったのは楽しい誕生日会じゃなくて血生臭い地獄だった。

「俺はなにが起きたのか分からなかったが咄嗟に水原に警察に連絡させる為に外に追い出した」

今思うとあれはよく口が動いたなと感心する。

もしできていなかったら俺はいないかもしれなかったから。

「そこで見たのは口で表すことができない。ただ櫻は泣いていた」

そうその後に惨劇が起きたんだよ俺の身に。

「そっから先は話すまでも無い俺の指が五本から零本になっただけの話。これが俺の知っている話の全てかな」

そういって俺はまだ動かない櫻を尻目に家のドアを開けた。

「……どこか行くの?」

「あぁ、ちょっくら昔話にケリをつけに」

自分達で開いた幕くらい自分達で閉めなきゃ格好がつかない。

「待って」

櫻が俺を引き留めた。

「どうかしたのか?」

「もし……」

俺を押さえる櫻の手が小刻みに震えていた。

それは昔のような悦びではなく純粋な恐怖からだと思う。

「もし?」

「もし、私が行かないで。って言ったら行かない?」

「いや、行く」

それは明確なる否定の言葉。

即答。

「まぁ、もう事件は終わるし家に帰ってもいいんじゃないかな」

名残惜しい気もするが俺の好きな娘との二人暮らしはもう終わり。

まぁ、夢だった思うことにしよう。

「じゃ。明日学校で」

俺が学校に出れればの話だけどね。

俺はドアを閉めた。

季節は夏とはいえ夜の森というのは少し肌寒い。

もう少しなにか着てくれば良かったなと後悔したけどしょうがないから我慢する。

俺は今俺の担任が殺されていた神社にいた。

立ち入り禁止のテープをくぐり抜けて、境内の賽銭箱に座っている。

ちゃんと座る前に賽銭入れといたから平気だろう多分。

しばらくすると件の人物がやってきた。

今は何かの帰りだろうかフードを目深に構えて口は笑っていた。

「あら?」

向こうは、俺を確認すると開口一番に疑問の声を上げた。

「なんで陽ちゃんがここにいるの?」


そう言って首を傾げたのは水原だった。


風に巻き上げられた葉が俺の前を数枚通り過ぎる。

「久し振りか?みっちゃん?」

厳密に言うと水原優貴じゃなくて水原の双子の弟水原御幸だ。

さすがに双子だけあってそっくりと言っても違いない。

唯一違う点をあげるなら、雰囲気が違うかな。

向こうが陽ならこっちは陰のようだ。

「そだね。久しぶり陽ちゃん。それでなんで来てるの?僕は櫻ちゃんに手紙を渡したつもりだったんだけど」

「あぁこれか?」

俺は懐から一枚の紙を取り出した。

「これさ、確かに櫻宛てだったよ。まぁ訳あって俺が貰った」

こんなもん見せたら十割の確率でここに来ちゃうからな。

秘密で来た。

「ふーん。まぁいいけど。結局陽ちゃんも殺す予定だったし」

そう言って片手に持っていたモノの包装を解いた。

血に濡れた包丁があった。

よくここに来るまでに捕まらなかったな。

そう場違いなことを考え余裕がある自分が少し面白くて笑ってしまった。

獲物こそ違えど八年前がそこにはあった。

ただ、八年前と違うのはあいつが俺には勝てないということくらいだろうか。

「別に陽ちゃんじゃ無くても良かったんだよね」

「なら助けてくれよ」

勇んで出てきたが死ぬのは怖い。

対する御幸の答えは否定だった。

「やーだよ。俺は兄貴の辛い顔を見るのが好きなんだ。だから親友の陽ちゃんを最後にしようと思っただけだから。もし……」

そこまで言って御幸は少し首を捻って、こう言った。

「もし櫻ちゃんを代わ……」

「断る」

「あれま。随分とご執心のようで」

けらけらと御幸は笑った。

知り合いが同じ顔というのはなかなか怖気が走る。

その顔でそんなことを言うな。

俺は足下にあった棒を掴んだ。

自分でもこんなにしっくりくるものがそばにあるとは思ってなかった。

「あら?抵抗します?しなかったら、もれなく極楽コースなのに?」

そういう話は二日前の俺に言って欲しかった。

喜んでその包丁に自ら突っ込んでってやったよ。

でもさ、もう遅い。

俺は見つけたから、俺の導を。

漫画や小説でよろしくな悪の集団と戦ったり、俺には凄い力があるわけじゃない。

別に正義の味方になりたいわけじゃない。

ただ一人。

その人のそばにいたいから。

俺は御幸の提案を断った。

「それって死ぬってことだろ?俺はもう死ねないからな。そりゃ願い下げだな」

あの日俺は櫻を守れなかった。

水原優貴でさえも目を背けた事実。

俺達はあの時無力だった。

今動かなくていつ動くのだろうか。

八年前は見向きもされなかった俺は今はこうして対峙している。

さぁ、八年越しの第二ラウンド開始としよう。

一歩また一歩と互いの間合いが縮まる。

幸いなことに俺の方が間合いは長い。

すぐに決まると――

思っていた。

「え?」

一歩踏み込んで眼前の御幸に棒を突きを当てる前にサバイバルナイフが飛んできていた。

まだ右手には包丁が握られている。

恐らく左手で投躑したのだろう。

俺の脚から不格好なオブジェが生えていた。

「はぁっ!?」

この不意打ちは俺の脚と余裕を奪った。

油断していた。

武器の有利のせいで忘れていたが、向こうはもう累計四人も殺している殺人鬼なのだ。

素人が生半可な気持ちで戦っていい相手じゃなかった。

いきなり足を失った俺を見て御幸は小動物を狩る獣のような顔をした。

「あっけなかったねぇ陽ちゃん」

「い……いや、まだ戦いは終わってないぞ」

今の俺は対峙してる人間にとってどう見えるのだろうか。

考えるまでもなく無様だった。

「あはは、強がっちゃって。開始数秒で機動力を無くした陽ちゃんが勝てる道理はないよ」

そんな満身創痍な俺を嘲るかの様に俺の上に乗ってきた。

「女に乗られるのはいいが男に乗られるのはいただけないな」

「……この状況でよくもまぁそんな余裕ぶっこいた発言が飛び出ますね」

俺の態度が気に入らないのか少々苛立ちを隠せない様子だった。


――死ぬかな。


俺は死を覚悟した。さっきまでの威勢が嘘のように力が入らない。

足の出血と共に俺のなにかが流れ出てるようだ。

「じゃ、バイバイ」

俺をこの世界から断つ狂気が振り下ろされた。

この時のことは今考えてもわからない。

奴の凶器が刺さる刹那、俺の体が勝手に動き、自分ではない右手で包丁を薙いだ。

もともとこういう目的のために作られていないので横からの衝撃で簡単に包丁は弾かれる。

それと同時に右手がパキリと嫌な音が聞こえたが気にもとめなかった。

「え?」

向こうが驚くのも無理はない。

やったこっちも驚いたのだから。

俺は動いた。

足の痛みもなにもかも飛び、体中の気力を振り絞って俺は御幸を吹っ飛ばした。

「あらら」

向こうは、頭をポリポリ掻きながら苦い顔をしていた。

「ちょっと吃驚しちゃっ…!」

そんな言葉聞いてる余裕なんかない。

俺は向こうが態勢を立て直す前に懐に潜った。

今だけでいいから。

このあともう動かなくてもいいから。

あと少しだけ持ちこたえてくれ。

俺の脚はそんな意思に答えたのか、痛みを感じることはなかった。

「じゃあな。二ラウンド目は俺の勝ちだな」

俺は構わず壊れかけの右手で御幸の顔面を殴った。

さすが壊れているだけあって右手は痺れたように何も感じないが、かなりの勢いで御幸は飛んだ。

今度こそ意識が飛んだらしい。

冷静に考えると金属の塊で殴ったのと一緒だから当たり所が悪ければ死んでいる。

しかし、その心配は杞憂に終わり、僅かに痙攣しており死んでいるというわけではないようだ。

俺はそれを確認すると急に無理がたたったのか、緊張が切れたのか、力なく地面にへたれこんだ。

俺の脚の出血が止まる気配もない。

そろそろ本格的に血が足りないのか意識が怪しくなってきた。

体も最後のひと踏ん張りを見せてくれたのだろう。

力が入らない。

視界が徐々にブラックアウトする。

俺が意識が途切れる寸前に最後に見えたのは階段を蒼白な表情で登ってきた櫻だった。



「ん?」

おかしいな、なんか体が楽だ。

俺本当に召されちまったのか?

嫌だなそりゃ。

結局、約束果たせなかったのかよ。

情けないな俺。

「……目覚めたらいきなり顔を百面相のように変えるなんて随分と余裕ね」

「はい?」

俺の真上から誰かの声が聞こえた。

俺は慌てて瞼を開こうとするが俺の上にいる誰かがそれを遮る。

俺は何がなんだか分からず暴れようとしたが、足の傷を触られて急に冷静さを取り戻した。

俺は思い出した。最後に誰が見えたのかを。

「櫻?」

「偶然」

「え?」

「だから、私がここに来たのは偶然よ。たまたま外を見たらあなたが歩いていたから後ろから付けてみたの」

だから偶然とまた櫻がまた答えた。

それってほとんどことの顛末も聞いてるってことじゃねぇかよ。

俺は頭を抱えようとしたが右手が思うように動かないことに気づいた。

「いきなりなにをしだすのよ。びっくりするじゃない」

相変わらず抑揚のない声。

「ま。今はこの感触をかみしめてなさい」

この感触?確かにさっき目が覚めてからなにか柔らかいものに寝てる気がしていた。

「これマジで膝枕?」

「……じゃなきゃなんなのよ?肘枕?」

いやそういう意味で言ったんじゃないけど。

「ねぇ?」

「ん?」

「あなたとそこでのびてる彼の話を総合して事実を理解したわ。でもなにも思い出せなかったわ。そこについては謝るわごめんなさい」

「なんで櫻が謝るんだよ?」

「あなた期待に添えなくて」

「はは、なんだそりゃ」

はん。と俺は鼻で笑った。

「あぁ、なんか眠いわ。ちょっと寝るわ。じゃあな櫻」

「!!死なないわよ……ね?」

好きな娘に看取られる人生ってかなり幸福じゃないかと本気で思ったが、俺のことで櫻を悲しませたくなかった。

まぁ悲しむかは知らないけど。

「ま、平気でしょ」

そう答えて俺の意識は闇に落ちた。

「あ?」


俺が次に見たのは白い天井だった。

どうやらここは病院のベッドの上らしかった。

どうやら俺は生きていたらしい。

ベッドの脇には櫻が寝ていた。

周りをよく見まわしてみると何人か来てくれたらしかった。

「……」

とりあえず送り主が一発で分かる物が一品あった。

「瑞記さん……やり終わったゲームの処理を押しつけないで下さいよ」

俺の目の前には前に瑞記さんの家に行った時に瑞記さんがやっていたゲームとソフト一式だった。

せめて携帯ゲームにして欲しかった。

ついでに言うと不本意ながらあなたの予感が当たってしまいましたよ。

悔しいですが神様は少年誌的展開がさぞお好きなようで。

それ以外の物は手紙だったしたので一枚ずつ読むことにした。

水原優貴からはただ一言済まなかったと書いてあった。

何でもフードを被った男の目撃情報はそれなりにあったらしく優貴も数回警察に話を聞かれていたそうだ。

まさかとは思っていたが、本当に弟がやったことだとは思っていなかったらしい。

後で聞いた話だけど御幸はあの後警察に連行された。

まぁ自業自得なんだけど昔からの友人が捕まるのは気分的にいい気はしなかった。

余談だが、水奈子さんからも手紙が入っていて、簡単な見舞いの言葉と最後に気を使って下さってどうも。

そう、女の子らしい丸文字でそう書いてあった。

「ちっ」

羨ましいぜ。

彼女持ちの水原を軽く妬んでからもう一枚の手紙を開いた。

相手は詐欺師さんだった。

ちなみに本名は忘れました。

ごめんなさい。瑞記さんから聞いたあだ名だけやけに印象に残っていたので恐らくそういう人だと思う。

そうだ。

日和さんだ。

橘日和。

日和見主義の日和さん。

内容は簡単に言うとこうだった。

『あなたが犯人じゃなくて残念です。予想は当たりましたね。可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったものですね。今度はこんな殺伐した話なんて関係なしに瑞記でも連れて一緒に食べに行きましょう』

心魅かれるお誘いだったが俺は自分に怪我がどれくらいで完治するか分からないが長くなりそうだったので俺はため息を一つ吐いた。

「ん?あ、起きたの?」

今の溜息で起きたのかゆっくりと櫻が目を覚ました。

櫻は鈍った体をほぐすかの様に一伸びした。

「感謝しなさいよ?」

「は?」

いきなり何を言われたか分からなかったが、櫻が自分の二の腕を指しているので理解した。

「もしかしてお前?」

「そ。私はあなたの恩人」

櫻は得意げにそう言った。

おかしいと思った。

どうして俺が生きてるのか分からなかったからだ。

たぶん足からの出血は相当危険なレベルのものだったから俺は死んだと思っていた。

俺が考えている顔を見ながらさも面白そうに櫻は、顔を綻ばせていた。

「血液が合うなんてまるで運命ね」

ま、四分の一で当たるけれども。そう付け加えた。

断言しよう。

櫻は絶対俺で遊んでいる。

こういうことを言って相手の反応を楽しんでいるに違いない。

事実俺の顔は赤いだろうし、櫻は笑っていた。

「あ、そうそう椎名くん。あなたの恩人のお願い聞いてくれるかしら?」

「……俺に出来る範囲なら」

言いようのない不安にかられたが、櫻は平気。そう答える。

「簡単よ。あなたはこれから私が言うことに正直に答えればいいのよ」

なるほどそりゃ楽そうだ。

いや待て、そりゃ一番危険じゃないのだろうか。

「私ははっきり言ってあなたのことなんて名前と住所位知らない。それに私はあなたが好きだった頃の櫻じゃない。でも、でも……そんな、そんな私でも好きと言ってくれますか?」

一瞬おちゃらけてるのかと思ったけど、櫻の瞳に嘘は見えなかった。

「もちろん。俺は昔から櫻は好きだけど、今の櫻が一番好きだ」

慣れないことは言うもんじゃないと思った。

顔がさっきと比にならない位顔が熱かった。

もう布団の中に戻りたい。

「そ」

ありがと。

相変わらず淡泊なリアクションだったが櫻の頬にも薄く赤色がさしていた。

「なら、私は……」

櫻が何か言おうとした時――

「よお!!やっと、目覚ましやがったか!!」

「もう、優ちゃんってば」

水原優貴と水奈子さんが俺の病室にやってきた。

お前は手紙だけの出演じゃねぇのかよ。

彼らの思わぬ襲来に櫻は軽く舌打ちをしてふらりと出て行ってしまった。

「よぉ。テンション相変わらず高いな」

「まぁ、言っちまえば空元気だ。……手紙読んだか?」

「読んだには読んだが……」

すまなかった。

その一言だとなにがなんだか全く分からない。

「あのな……」

「あ、あの」

水奈子さんがいきなり気づいたかの様に声を上げた。

「花瓶の水でも変えてくるわね」

そう言って俺の部屋の花瓶を持って外へ出ていった。

「気が利くな。お前の彼女」

この病気的鈍さの水原に対いし、もの分かりの良い彼女。

案外いいコンビかもしれない。

「あげないぜ?」

「いらねぇよ」

こうやって他愛のない話をするのも悪くはないが、そろそろ本題が聞きたいところだ。

「そうか……。ま、今その話は置いといてだな」

意を決したように話し始めた。

「御幸は、別に病んでいるわけじゃない。ただ……」

「いいよ」

「え?」

俺は水原の話を遮った。

「なんかさっきまで聞きたかったが、なんか込み入った話聞くの面倒になっちまった」

俺は両手を水原の前でふらふらさせた。

「確かに俺は怪我したけどまぁ生きてるからいいっしょ。後はそっちの家族の中で勝手に解決してくれ」

今俺はただ生きて櫻と一緒にいれるだけで良かったのだ。

恐らく櫻のことを知らないと言ったのもひとえに櫻を守ろうとしたのかもしれない。

本心は分からないけれど。

「そうか。悪いな」

それじゃ、と言って水原は水奈子さんを待ってから病室を出ていった。

去り際に水奈子さんが俺の左手をがっしりと掴んで、頑張って下さい。とやけに力強く言ってったのが気になったが。

俺は意識が戻ったということでとりあえず退院になった。

本当はあんな消毒臭くて気が滅入る場所にいたくなかったから、それなりに無茶はしたのだけれど。

意識は失っていても、記憶は無くなってなかったので、無事に家につくことが出来た。

良かった良かった。

自慢じゃないが友達が多くないので人を頼れないのだ。

櫻はあれからどこかに行ってしまったようで退院した時には影一つなかった。

薄情なのかさっぱりしているのか分からないが、もうああして二人でいることはないのかと思うと寂しくなる。

「ん?」

俺は自分の家の前で素朴な疑問が浮かんだ。

「なんで俺の家から飯の匂いがするんだ?」

多分家を開けてからまだ一日しか経ってないはずだが、その間に誰か住み着いたのだろうか。

「ま、まさかな」

俺は言葉と裏腹に意気揚揚とドアを開けた。

「あ、おかえりなさい」

「なんで俺の家にいるの?」

「鍵が開いてたから。約束もあったしね」

「約束?」

「ええ。昔の話をしてくれたら料理を作る約束だったわよね」

「あー」

そんな約束あったな。

「ねぇ。私とあの教室であった時の台詞もう一度言って…くれる?」

俺に背を向け台所に向かっている櫻はどんな顔をしているのだろうか。

また俺で遊んでいるようなしたり顔なのか、それとも別の顔なのか。

俺は一度咳払いしてから言った。

次に進むために。


「櫻。俺は君のことが昔からずっと好きでした」


それに対する櫻の反応は――


「ええ、喜んで」


くるりとこちらに顔を向けた櫻は今までで一番の笑顔だった。

「これからもよろしくお願いするわ」

まだ俺の右手は復活の目処は経ってないし、いつ怪我が完治するかも分からない。けれども、

「ま、今はこれでいいだろうよ」

今は今を楽しめ。

俺は一伸びして櫻の手料理を待った。



何かありましたらどうぞ。

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