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「その者の名は」  作者: mumu3173
第一部- 一年目
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「その偶然が齎《もたら》した祝福は」2

 逸る胸の鼓動が増していくかのようでいる。密かに手に汗握りつつ、俺はリーグルの家の門を潜った。

 俺を待っていたのは、頭巾を被る少女――ではない。彼女は隣にいて、その待ち構えていた人物を驚いて見ている。俺とラエルの前に現れたのは、俺の気性に良く似た持ち主である親愛なる母の姿だった。

 母は俺のそばにいるラエルの姿を確認してから、にっこりとした笑顔を俺に向けた。


「ロア、聞いたわよ? あなた、ラエルちゃんに張り付いていた『虫』を退治したそうね?」


 にこにこと機嫌よさそうに笑っているその姿に、つい俺は流されてしまいそうになった。


(――待てよ? 『たった今』学舎の片隅で起こった出来事を、何故、この母が知っているんだ?)


「……ったく、誰だよ、こんな人にそんなこと漏らしたバカは……」


 ぼそりと呟いた俺の言葉は途中で遮られた。


「――仕事の都合で、学舎近くに用事があったんだが……そうしたら、皆が皆、ラエルのことを話していてね? おまえの悪友連中はわたしも知っているし、興味本位に聞いてみたんだが、皆が皆ここぞとばかりに素晴らしい情報をくれたんだよ。そう、確か……その『玉砕男』とは違う『別の男』がラエルと抱き合っていたとかなんだとか……?」


 恐る恐る後ろへと振り返ったら、いつの間にか父が立っていた。

 父は、幾分暗い声で喋っていたかと思いきや、なんともいえない壮絶な笑顔を浮かべて、俺を見据えている。

 背に冷や汗が流れたような気がした。


「だ、誰だろうな、その『男』ってヤツ……」


(ラエルに言い寄っていた男は、俺より年上だった。……多分、男と称してもいい年齢だったかもしれない。恐らく、成人手前の十六くらいだろう)

(――けれど、俺は、まだ十二。残念ながらまだ餓鬼がきだ。だから、俺には、睨まれる理由なんて無いはずなのになぁ……?)


 素知らぬ顔を浮かべようとしたが、俺は、父や母やラエルほど、嘘や演戯や張ったりとかは上手くない。そんな俺の誤魔化しが通じないだろう父にとっては、娘同然に思っているだろうラエルの身の回りにいる俺だってそこら辺にいる悪い虫と同じなんだろう。

 しかも俺はそれを否定できないばかりか、見破られているという気まずい思いがある以上、父の眼を見ることは勿論誰の眼を見ることも出来ず、明後日のほうを見やるしかなかった。


「レフェルス様」


 俺にとっての気まずい沈黙が漂っている中で、ラエルが父の名を呼んだ。


「わたしの名誉のために、それ以上は、どうか――」


 そう言ったラエルが、俺のそばから飛び出していって、父の方へと行ってしまった。父の腕を手にとったラエルは、まるで腕を組むかのように引っ付いて、父を見上げて甘い声で畳み掛けた。


「――ね、レフェルス様?」


 俺の中の、ほんの一部分しかない冷静な自分が、「やるなぁ」と呟いた。


「まったく。当事者であるだろう君自身がそう言うのなら、わたしは強く出てはいけないのだろうね……?」


 ラエルを見下ろす父が、至極不満そうな声で言う。ラエルのお願いに、不承不承手を引くと決めたようだった。


「だが、わたしは君の保護者。父とも思ってくれて良いのだよ? 困った事態になったら、すぐさま、わたしに言うように。君を守るためなら、わたしはなんだってしてみせるからね?」


 娘を甘やかそうとする『父代わり』の『父』が優しくラエルの頭巾を撫でつつも、ぎろりと俺を見据えている。


「どうやら、敵は身近にあり……のようね?」


 いつの間にかそばにいた母が、愉快そうな声で言った。ぽんと俺の肩を叩く母に、俺は苦笑いを浮かべるしかない。

 すると、母は先ほどとは違う表情をして、くすりと笑った。


「――ふふ。わたしは評価してあげますからね、ロア?」


 言った母が、俺の頭を撫でてきた。そして、俺の短くしている前髪の付け根辺りに、柔らかな感触がした。久方ぶりに受けた、母からの祝福だった。

 流石の俺も十二歳である。抵抗するのも忍びなくてそれを受けたものの、気恥ずかしくて仕方がなかった。気のせいなのかもしれないが、どこか優しげに見つめてくる母の眼をまともに見ることが出来なくて、すぐさま逃げるように視線を逸らすと、「頑張りなさいよ?」と囁いてきた。

 何を、と、母は言わなかった。

 俺も、聞き返したりはしなかった。




 夕食後、俺の部屋を訪ねてきたラエルは、先ほどからにこにこと笑っているばかりだった。対する俺はというと、帰宅してからずっと父の監視するかのような視線にうんざりしていて、疲れ果ててしまっていた。


「びっくりしましたね? 皆さんが知っているなんて……」

「……おまえはそうでもないようだったけど?」


 知られていたという事実に驚くばかりだった俺に対し、臨機応変に父を取り成せてしまうラエルの実力はすごいというよりも、末恐ろしいといえるだろう。

 ラエルの年齢だって、きっと俺とそんなに違わないだろうに。真相は彼女のみが知っているんだろうが。


「ふふ」


 にこりと笑ったラエルが「さて」と立ち上がる。俺と向かい合うように座っていたカウチから、俺の座っていた側のカウチへと移ってきた。

 ちなみに、先ほどラエルが座っていた方が二人掛け用で、俺側の方が三人掛けである。隣り合ってはいてもその間にちょっとした空間はあるのだと、俺は誰とも言えない人に向かって心の中でそう主張した。父にたいして言い張ったところでいい顔はしないだろう些細なことだったけれど。

 そのちょっとした空間をあわや埋めてしまうかのように、ラエルが座っていた場所から身を乗り出すかのようにして俺に囁いた。


「祝福のこと、お忘れで無いですよね?」


 心臓が飛び跳ねたかと、俺は思った。


「まさか」


 即答するものの、はっきり言って俺は忘れていた。それもこれも予想外の行動を取り捲る父と母のせいだった。

 ラエルの言葉を聞いた瞬間に変則的な乱れが起きていて、俺には逸る胸をどうすることも出来ない。


(落ち着けよ、俺! さっきも素知らぬ顔で母から受けたじゃないか! あれと一緒、あれと一緒……)


 念仏のように唱えても、効果はまるで無い。

 俺の葛藤も知らない少女が、笑う。


「目を閉じて?」


 言われるまま素直に目を閉じたものの、俺はたまらずにごくりと生唾を飲んだ。


 祝福とは、要するに、自分から他者への感謝とか愛情とか、そういった気持ちをこめて行う親愛の接吻(キス)だった。一般的には、親から子へ、その逆も然りであり、他にも友と友が、師と生徒が、恋人同士とかが、それぞれの相手に贈るものだという。


(――眼なんか閉じたら、余計ヤバイ。何処に気を張っていたらいいかわかんなくなるって! ああ、もう! 落ち着け、俺、落ち着け……)


 やがて、ラエルが動く気配がした。目を閉じていてわからないものの、ラエルの手が俺の肩へと置かれたようだった。その動いた拍子に揺れただろう腕飾りの摩擦音が僅かに聞こえた。

 瞬間、ふわりと漂う何かの匂い。何だろうと思っていたら、頬に触れた何かの感触があった。思わず目を見開いてそちらを向いたら、まともにラエルと目が合ってしまった。

 ラエルの眼は元から円らで愛らしい眼をしているが、それが、更にまん丸になる。


「――やだ。そんな風に見ないで下さい」


 呟いて、ラエルが真っ赤になった。慌てたように俺から身を離し、カウチにどさりと座って、その勢いのまま沈み込むように全身を預けたようだった。

 そんな様子のラエルを見てしまった俺は、母のとき以上に気恥ずかしい思いになっているのに、何故かラエルから目を逸らそうとは思わなかった。

――もっと、そんな姿が見たい。

 我知らず手を伸ばし、ラエルの腕を掴む。いつの間にか身体も動いていて、今度は俺がラエルに身を乗り出していた。


「……なあ、ラエル」


 声が掠れてしまったような気がして、もう一度唾を飲んだ。見上げてくるラエルの眼を、俺は見据えた。


「今度は、別の場所にしてくれよ?」

「別の場所、ですか?」


 不思議そうに問いかけるラエルに、俺は言った。『いいこと』を思いついてしまった。


「たとえば、の話しだけどよ?」


 呟いてから俺が笑ったそのとき、ラエルがふとあらぬ方へと視線を逸らす。次いで、俺が捕らえた腕に反対側の手を近づけたようだったから、俺の手から取り戻そうとしたのかと思ったが、その手はただ単に腕の飾りに触れただけのようだった。

 身を引こうとするラエルの行動を、俺は許さなかった。その動きを利用して、掴んでいる彼女の腕を折りたためるほどに近付いた俺は、ラエルとの距離をぐっと詰めた。

 ラエルは、驚いたように声を上げた。


「――あ、あの、ロア……じゃない。しゅ、主様?」


 その、切羽詰ったかのようなラエルの発言は、ラエル自身の心境を十二分に表していると言えただろう。

 つまるところ、混乱。夕刻のときと同様、また俺のあだ名を呼んでしまっている。

 思わず、俺はふと微笑んでしまっていた。


(……主様、か)


 ラエルが俺のことを『主』としか考えていなかったなら、この状況自体ですら、俺を『主』として考える彼女にとって『逃げられない場面』だったんだろう。

 だけど、今の俺はそうは思わなかった。偶然にも知り得ていた学舎での出来事が、俺自身への力となっていた。

 俺は、空いていた方の手でラエルの頭巾を無理やり後ろにずらし、現れた額にそっと祝福を返した。

 捕らえていた腕を解放してやると、慌てたように頭巾を直しているラエルの表情が、みるみるうちにまた真っ赤になっていった。

 それは、怒っているためなのか、俺からの祝福に戸惑っているためなのか、一見しただけでは判別は出来なかった。


「しゅ、主様ってば……っ!」


 ラエルの上げた声は、羞恥によるもののように聞こえたが、それでもどちらなのかはわからなかった。


「そんなに驚くことか?」

「だ、だって……。しゅ、主様がわたしに、なんて――」

「――たまには、いいだろ?」


 俺がラエルに祝福を返したのは、今このときが初めてだった。


「でも……何故ですか?」

「それは……その……おまえにはいつも迷惑かけてばかりだしな」


 咄嗟に、何とか言葉をひねり出して答えると、ラエルは「ふうん」と呟いて、深くは追求してこなかった。

 俺は内心でホッと息を吐いた。


(さっきの……ラエルが可愛かったからしたくなったなんて、言えないっての)

(しかも、俺は、本当は……)


 俺の思惑など何も知らないで笑うラエルの姿を横目でちらりと盗み見て、俺は何とも言えないため息を吐いた。


(――本当は、その唇に……なんて、絶対に言えないよな)


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