「街の朝市、迷子の少女」
朝市が催されている街の広場の片隅で、俺は駆けていた足を止める。いつの間にか、捜索を開始した出発点に戻ってきてしまっていた。
それなりの時間駆け回っていたからか、息が上がっている。呼吸を整えようとする合間にも、俺は周囲に気を配ることを止めなかった。
目まぐるしく移り変わる視界の中、俺は見知った人影を見つけることは出来ず、刻一刻と時が過ぎるばかりだった。
いつの間にか、呼吸の乱れとは違うやるせないため息を吐いていた。
(やっぱり、どこを探しても、見当たらない……)
脳裏に浮かぶのは特徴的な頭巾を身につけている一人の少女の姿だった。
思い浮かべようとしてすぐさま暢気そうに微笑んでいる彼女を思い出せてしまうあたり、きっと、今現在どこにいるとも知れない正真正銘の本物の彼女自身だって、俺がこんなにも必死になっているのを知らないのだろうなと、ぼんやりと思った。
そう思うと、無性に腹が立ってしまった。
(朝っぱらから人を叩き起こしておいて、一体何処行ったんだアイツは!)
ただいま目下捜索中の探し人である少女――朝一の催しの相棒であった連れの少女は、今、俺のそばにはいない。
元旅人の少女――名をラエルと言う少女は、品行方正、成績優秀、才色兼備などなど、良いイメージの四字熟語にぴったりな人物である。……あくまで、見た目と学舎の成績等々では。
その少女の玉に瑕なところが、ほんのり慇懃無礼なところと、多大なる方向音痴が原因の迷子騒動だった。
月に4回、週に1回。定められた日定められた時刻に行われている通例どおりの朝の市の場でさえ、例によって例のごとく、ラエルは姿を消していた。今回もまた、その『持病』が発動してしまったに違いなかった。
目を離したのは一瞬だって言うのに、何故こんなにも見事に逸れてしまったのか。街に住み始めた頃ならばともかく、彼女がこの街に住み始めてから一年は経っているのに、未だに迷子になっているなんて……。
『……わたし一人きりじゃ、どうしても無理なんです。だから、お願いしたいのです』
ラエルは、早朝も早朝、まだ日が昇るか昇らないかの時分に俺の部屋に現れた。そして、俺に表向きの理由として、彼女が買い込んだ荷物を快適に持ち運んでくれる『ただの荷物持ちの役目』を頼もうとしてきた。
とはいえ、その言葉に含まれている実質的な役目はといえば、『前科』が多すぎる彼女の一人外出自体俺の両親たちに許可されないだろうことを彼女なりに予測していたらしく、彼女はこの俺を体のいい『お目付け役代わり』に据えようと企てていたのだ。
――だけど、それでも彼女は、俺のそばから忽然と消えてしまった。
(ただ単に逸れただけなのか? それなら、せめて、わかりやすい場所にでもいてくれたなら……)
何しろ、「街の人口ってこんなに人がいただろうか?」と思ってしまうほどに、目の前には人が溢れかえっている。
季節の節目の度に催される夜市ならばともかく、ごく一般的な日用品とかを扱う朝市なんか、俺には興味なんてこれっぽっちも無かった。七日に一度行われているのだし、月に一回行けばいいほうだろうと俺は思う。そもそも、目新しいものがあろうがなかろうが、所詮日用品ばかり、俺自身個人的に必要なものなんて無い。だから、学舎もない休日に早起きする理由なんて俺には無かったのに。
(いや、そもそも、広場中見回しても見当たらなかったんだ。やっぱり、性質の悪い迷子癖があると思って間違いないよな……)
彼女に言われたから、仕方なく了承した。気が進まなかったけれど、こうして朝市にも出向いているし、彼女が買い求めた商品である荷物の数々も大事に抱えている。
――なのに、ラエルは、俺のそばにいない。
頭巾をしていると言う時点で街中では少数派に入るだろう奇特な格好をしている彼女の姿が、懸命に探し回っている俺の視界にチラとでも入ってこないなんて……。
(ラエル。一人で、大丈夫だろうか)
きっと、人ごみに紛れて、ただ逸れてしまっただけ。
頭ではそう理解していても、俺は不安に駆られて仕方なかった。
「主様……っ」
陽が傾き始めるだろう頃合になってから、ようやく、ラエルが姿を見せた。
俺が必死になって探していたというのに、現れた彼女は気まずそうに小さく微笑んだかと思うと、すぐさまその視線を彷徨わせた。まるで、俺の目から逃げるように。
「――何処行ってたんだよ?」
見つかった安堵も、すぐさま何処かへと消えてしまった。
代わりに俺の感情を支配するのは苛立ちのみで、怒声を上げないようにと、自分自身で気を付けなければいけないほど苛立ってしまっていた。
「えっと……その、ちょっと?」
少しだけ俺を見たラエルはそれだけを言うと、すぐさま俺から視線を逸らしてきた。俺の問いかけから逃げたというよりは、頭巾から零れ落ちてしまった珍しい髪色の一房を、左側の耳に引っ掛けようと躍起になっているようだった。
そうやって動く拍子に、彼女が身につけている左腕の腕飾りがきらきらと光り輝いたように俺には見えた。
「『ちょっと』って? ……一体何なんだよ?」
殊更ゆっくりと声を低めて言った俺に、ラエルは何も言わなかった。乱れた頭巾と髪を直してしまった途端、顔を俯かせたままでいる。そんな彼女の態度は、散々探し回る羽目になった俺には少々納得の出来ないものだった。
ラエルの姿が見当たらないとわかってから、正確に数えてはいなかったが朝市の広場を三周くらいはしただろうし、道行く人に何度も声を掛けた。広場は勿論のこと、街中を巡回警備していただろう自警団の男たちにもそれぞれ尋ねていたし、終いには、気が進まない思いをしてまで、邸にも一度帰っていたほどだったのだから。
『そこまでやっておいて見つからない? ロア坊、お前、案外人を探すのが下手だなあ?』
――と、大人たちに笑われてしまったのは秘密である。
だから『ちょっと』などと一言で済まそうとするラエルのことを到底許しきれなかったのだ。
「まーた、だんまりかよ? 俺が虱潰しに探したって言うのに、おまえはいなかったし、姿すら垣間見えなかった。……かくれんぼでもしてたつもりだったのか? 俺が必死になっているの見て、楽しんでたんじゃねえだろうなぁ?」
ついつい恨み言を言いたくなった俺の声は自然とげとげしくなってしまって、俺の言葉を聞いたラエルはむっと頬を膨らませてむくれてしまったようだった。
ラエルはその表情のまま、口を開いた。
「主様? 何度も言いますが、わたし、決して道がわからなくて迷子になったわけではないですからね!」
(……この台詞も何度聞いたことか)
両腕を曲げて拳を作って見せて彼女は意気込んでいるようだったが、よくよく見ればその眼は頼りなげに揺れているのがわかった。それは、涙に潤んではいない。その誤魔化したい『嘘』を守りたくて必死なのだろうと、俺は遠慮無しに笑った。
「さぁて、今日は久々に父さんと母さんがラエルに雷を落とすだろうな。楽しみだなぁ」
「酷いです、主様……」
「――だから、俺は、ロアーツだっての」
形ばかりの抗議をした俺は、手を伸ばして、頭巾を撫でた。
見上げてくる目が、驚きに見開かれる。
ふと思いついた言葉を言おうとしたけれど、俺は思い直し、それをやめた。
(『無事でよかった』なんて、大げさ過ぎるしな)
大体、それを言い出せば、何度も何度も言わなきゃいけなくなるような気がした。こうして見つかってから思っても仕方がないことだが、もうこんなこと、二度と起こらなければいいのに。
(このどうしようもない不満も、何度味わったことだろうか)
「今度こそ、迷子になるなよ?」
「わ、わたしは、迷子になんて――!」
俺はラエルの言葉を強引に遮った。
「――そう言い張るなら、逸れるなよな。要らない心配させるなよ」
「……」
何かを言いかけていたラエルが、口を閉じた。いや、口を噤んだような、若干不服そうな顔をしている。
俺はそれに取り合わないで即座に彼女の言質を求れば、不承不承ではあったものの、ラエルは「努力します」とだけ言った。
後味は少しだけ悪く感じたが、俺はラエルとの口喧嘩で見事勝利することに成功したのだった。
加筆修正しました。すみません。9.10