「絶好のカモ」
「悪いな、ラエル。俺、どうしようもない……」
ラエルが強い目で俺を見た。
「何を謝っていらっしゃるんですか!」
「――俺だって謝りたくない!」
反射的に大声で返してしまったら、ラエルが驚いたようにビクついて俺から逃げるように顔を背けてしまった。
傷つけたくなんて無かったのに。
「俺は、ラエルが好きだ。……好きなだけなんだよ! だから、ラエルに無理やり『あんなこと』だってしでかそうとして、腕輪から攻撃を受けて罰が当たったさ! ――でも、これって……仕組まれていたことなんだろ?」
その言葉を勢いそのままに言おうとしたのに、情けないことに声が震えてしまった。
ラエルは振り返って俺を見たが何も言わない。
俺はなんてことない風を装ってさらに言葉を重ねた。ラエルがうんと頷いてしまえばいいように、わかりやすいように。
「三人の少年の中で一番都合よくて――俺が騙しやすかったんだろ? 頭悪いしな、俺。本当のおまえは俺に調子を合わせるだけ合わせておいて、この四年間、腕輪が寄越すだろう迎えだけを心待ちにしていたんだろ?」
何も言わないでいるラエルは、そのとき、自らが開けていた距離を縮めてきた。俺のそばに立ち、何をするのかと思いきや――ラエルは手を伸ばして俺の首もとを掴み、勢いよく引き寄せてきたのだ。
突然のことに前のめりに体勢を崩しかけた俺を、ラエルが受け止める形になった。
「主様……わたしを疑っていらっしゃるんですね?」
強引に合わせられた視線の先、ラエルの目はゆらゆらと揺れていた。でもそれは今にも溢れそうになった涙が原因なだけで、視線自体は二の句が告げない俺を、ひたと見据えている。
「確かに、わたしは一目惚れとかであなたの手を取ったわけじゃありません。でも、腕輪に命じられたわけでも無いんです。たまたま、あなたの前で腕輪が光ったのだって、いわば切欠の一つにしか過ぎません。――そう、それももしかしたら、腕輪が当時のわたしの置かれている事実に遅れて気付いて慌てて力を発動しようとしていただけだったのかもしれません。――ほら、わたし、物騒な男の人たちに囲まれていましたから」
あっと俺は声を上げてしまった。ラエルの言葉に、自分自身が理由で反論出来ないことに気付いてしまったからだ。
自警団の男連中は門守役の際武器を携帯する。当時の俺はそれを知らずそんな一見物騒な男達に囲まれている見知らぬ少女を見て、慌てて助け出そうとしてしまったのだ。だから、その点では我先に勘違いしてしまった俺が言えることではないし、逆に門守役として警備に立つようになった俺とてそういう格好をして警備をするのだから、それに対しては反論できないのだ。
「だけど、それとこれとは――」
「そうです、それとこれとは別の話です。――もう、本当に馬鹿で愚かな方! 嘘つきな方! 考えてやるって言って下さったからわたしも正直に話したのに、どうして早合点してしまわれるんですか! 腕輪であなたの意識を奪い、街中の人を眠らせた後、わたしが何を選んだのか忘れてしまったんですか!?」
「――っ!?」
今度こそ何も言えなかった。
俺はバツが悪い思いで、口元を押さえる。言葉は取り消せない。一度でもラエルを疑った自分が恥ずかしかった。
「ご、ごめん。俺、どうかして……」
言いかけたとき、更にまたラエルに引き寄せられた。
俺は思わず目を瞠った。眼下で、すぐそばで、ラエルが目を閉じている。――俺に、口付けてくれている。
あまりのことにどうすることも出来ず、俺は固まってしまうしかなかった。
「……信じて下さいますか?」
ものの数秒だったのだろうか、口付けを止めたラエルが俺を見上げていた。俺の反応を窺うかのように。
俺は、正直に言って、すごく嬉しかった。
(――でも)
誤解が解けたかもしれない。そう思えたのは一瞬だった。
すぐさま、暗い思いが俺を支配する。
(――でも、これが、またこの場しのぎの単なる誤魔化しの一つだったら?)
俺は素直に頷くのを、ためらってしまった。
動じない俺に、ラエルが、声を震わせた。
「――っ、どうすれば信じて下さいます? 主様は……ロア様は……わたしを、嫌いになってしまわれました?」
「違う! でも――!」
「以前にも申し上げたとおり、わたしはどれほど疑われてもおかしくは無いんです。――それをわかっていたつもりでした。でも、こんなにも辛いだなんて思わなかった」
ラエルは涙ぐんだままの眼を拭おうともしないまま、その手で、ぎゅっと自らの服の胸元を掴んでいた。
「――返しませんよ」
「へ?」
「主様から頂いたモノを、わたしは返しません。……わたしのものです!」
「……ああ」
その手の下に握られているものの正体すらすっかり忘れていた俺は、確かに頷いて見せた。
「俺も返して欲しくない。――ラエル。おまえが何をどう思おうと、それは四年前に誓った俺の想いの証しだ」
ラエルがはっと息をのんで涙を流す。
「主様っ!」
「……うわっ!?」
ラエルに名を呼ばれたその瞬間、俺にとって有りえない事件が起きてしまった。
感極まったラエルが、泣き出すのはわかる。顔を紅くしているのも、何回かは見たことはある。けれど、俺に向かって飛びついて抱きついてきて、勢い余ってこの俺が押し倒されてしまうことなんて、今までにあるはずも無かった。
これでも鍛えているのにか弱そうな華奢な女の子に押し倒されるなんてと、現実逃避している場合ではなかった。
「……ラエル?」
俺の上にいるラエルの様子を窺おうとしたら、ラエルも我に返ったのか、その顔が真っ赤になった。そして――俺の肩に顔を埋めた。俺の予想は見事に外れてしまった。
「ラエル?」
もう一度その名を呼ぶが、俺の予想する行動を彼女は取ろうとしなかった。
飛びついてきたラエルを無我夢中で受け止めてその勢いのまま後ろから地面に激突したとき、頭を打ったのかもしれない。俺は深く考えることを避けた。
(きっと、都合のいい夢なんだろうな)
(祝福されるわ、抱きつかれるわ。一生分の運を使い晴らしちゃったのかもな……俺……)
考えすぎないようにと念じつつ、俺は身を起こすことにした。
それでも、ちゃっかりラエルの体を支えているままだから、未だラエルは俺の体の上にあった。
「主様……」
泣いていたラエルが俺を呼ぶ。
俺の立てた両膝の間に納まってしまうかのような位置にいるラエルは、寄せていた頭を上げて俺の眼を見るように視線を合わせてきた。
見慣れた上目遣いの眼が、俺に何かを訴えていた。
「お願いがあります、主様。――わたしと、契約をして頂けませんか?」