「明かされる理由」3
ラエルが腕輪に言った嘘つきと言う言葉が、俺には気になって仕方なかった。
もしかしたら、俺の知らない、腕輪とラエルとが密かに言い交わしていた計画でもあったのだろうか。
たとえば、近い将来腕輪がラエルを引き取ろうとしていたとか。
それとも、単純に、敵の手に落ちてしまった絶大的な味方の喪失に怯えて、あんなことを言ってしまっただけなのだろうか。
そんな風に取り留めもなく考えながら、俺は俺にとっては懐かしい場所である街の裏手の丘へとたどり着いた。
「よくもまぁ、こんなところまで駆け抜けてきたもんだな……。おまえ、確か、病み上がりだったはずなのに……」
逃げるのを止めたのかはたまた疲れ果ててしまったのか、街を見下ろせる丘の上でちょこんと座っているラエルの隣に俺も腰を下ろした。ラエルはチラとでも俺に視線を移さず、真っ直ぐに街の眺めだけを見ている。思わず、俺はふうとため息を吐いた。
俺の実家であるリーグルの邸宅は街の入口近くである街東南部に位置していて、そこから中央広場の噴水の大通りを北上して学舎の建物に隠れきった裏手の道を昇りきった場所にこの丘はある。最奥と言ってもいいのではないかと言うくらい街の奥深くの場所であり、俺の家とこの場所はそれくらい極端に離れた場所にあるのだ。
一応日々体を鍛えている俺ですら息が上がっているのだから、俺よりも体力が無さそうなラエルの疲れ具合も相当のはずだった。
「何故腕輪を放り出したんだ」
問いかけても、ラエルは答えなかった。
「あれはおまえを守るためのものだろう? あれを付けていても酷い目にあってきたっていうのに、武器も無しに外を歩くなんて……!」
無鉄砲な真似をしたことを本当は叱り付けてしまいたかった。
けど、怒るに怒れなくなってしまった。
ちゃんとその危険を理解してもらわなければ、ラエルを狙う恐ろしい敵にみすみす彼女を奪われるような事態になってしまう。――でもそれは、何度も誘拐されかけて、何度も腕輪の力に守られてきただろうラエルが一番わかっているはずであり、だからなのか、彼女は気落ちして沈んだ様子でいるから。いつもよりも小さく見えた。
「ねぇ、主様?」
何も言えなくなってしまった俺に、ラエルが囁いた。
視線は相変わらず俺を見ないまま、街を見下ろしている。
「わたしたちが初めて出会ったときのこと、覚えていますか?」
「……五年前、だな」
思わず、この場所で交わした遠い日の約束のことを思い出してしまった俺は、思い出がごちゃごちゃにまとまっていることに気付いた。
出会った場所は、街の門前。俺が、学舎の授業を嫌々に終えて、ケインとコーラルと馬鹿騒ぎをしながら帰っていた矢先のこと。
その翌々日、この場所で――街の裏手の丘の上で、初めて彼女の名前を聞きだして、自己紹介をして……、そして俺は『ロア』と呼ばれたのだ。
「五年前のあの日、わたしはシルベニアの森を脱出し、やっとのことたどり着いたこの街で、あと一息と言うところで街門の自警団の方に詰め寄られてしまったんです。そして、その最中、三人の男の子に出会いました。主様と、コーラルと、ケイン。覚えておられますか?」
「ああ。――っておまえ、シルベニアの森を通ったのか!? あそこには猛獣が出るって――!!」
シルベニアの森とは、この街の北から東の部分を覆う外郭の直ぐそばにある深い森のことで、街の皆々には猛獣が住む森だと言い伝えられる禁忌の森のことだ。
この地方が辺鄙な場所となってしまった理由の一つともされていて、その森を越えるのは武装した大人たちにも容易ではないとされているから、俺の父が他の大人たちと手を組んで商いとしている物資運送が主の交易の価値は計り知れないものとなっているのだ。
「もちろん、なんとかしましたよ? わたしにはあの腕輪がありますから。でも、人以上には効かないことが多かったので……協力者に手伝っていただきましたが」
「協力者って、そんなのいるのかよ!? 森の住人かなんかかよ!?」
そんなのいるわけが無いと思ったのに、ラエルは「そんなものです」と言って、あっさり俺の疑問を流してしまった。
「それより、あのときのこと、おかしいと思いませんでした? 何故、自警団の方々はわたしを街に入れてしまっていたのか。普通ならば、門前払いするはずなのにと、門番役の命を受けたこともある今の主様ならばそう思うでしょう?」
「それは……」
考えないようにしていたことだった。
本来、この街には旅芸人なんてものも滅多に来ない。僻地で辺境だからなんていう理由は、今となっては苦しい理由としか思えないほど、余所者を寄せ付けず排除しようとする。紹介状とか、身元がしっかりしたものでないと、街は入出を許可しない仕組みになっているのだ。
俺はそれを、ラエルのような人攫いに合う者を守るために部外者の入出を強化していった結果だろうとそう思っていた。そう思おうとして、深くは考えようとしなかったのだ。――部外者であるはずのラエルだけを、すんなりと受け入れてしまった過去を忘れて。
「俺たち三人が邪魔したからってことか?」
「邪魔と言うか……結局のところ、そういう仕組みを行わざるを得なくなったんでしょうね。主様たちはともかく、わたし自身、大人たちと腕輪の言うことを聞かなかったことに変わりは無いのですから」
「じゃあ、おまえが来たから、そんな仕組みが生まれたとでも言うのか?」
ラエルは一瞬口を噤んでしまったかのように見えたが、何かを思い直したかのように口を開き、とつとつと語りだした。
「主様。わたしは、……今まで思い違いをしていたんです。腕輪の主がわたしをこの街に導いたそもそもの理由を。三人の男の子に出会った意味を。随分裕福な家庭の子ばかりを寄越したみたいだと幼いわたしにもわかったのに……それだけじゃ無かったみたいなんですよ」
「どういう意味だよ?」
「今、考えたら不思議なんです。――いいですか? もしも、わたしが腕輪の主ならば、追っ手から完全に身を隠すために一番相応しい場所は、主様の通われているヴァレンタイン邸以外には選びません。屈強な男たちが屯し、その腕を日々磨いているのですから。そこに幽閉しておけば、当主一族の眼も届きますし、これ以上に安全な場所は無いでしょう。――けれど、わたしはヴァレンタイン邸に引き取られなかった。そうですよね、主様?」
ラエルは至極冷静に、当時の俺の言葉を忠実に再現してみせた。
「『ヴァレンの家になんか行ったら、おまえ、追放されちまう! それでもいいのか?』って。――当時のわたしは、シルベニアの森の旅路を終えたばかりで心底疲れ果てていました。安寧の場所が欲しかったのです。だから、あなたの言葉を聞いただけで怖くなって、逃げ出したくなりました。そして、助け出そうとしてくれたあなたの手を取ることに、何の抵抗も躊躇いも無かったんです」
そう言えばそうだったと、俺は懐かしい思いが胸に満ちた気がした。
「……そういや、疲れ果てていたわりには、おまえよく俺についてこれてたよな。俺、追ってくる自警団の男連中と盛大な鬼ごっこを始めちゃってたのに」
「あなたの手を離せば、お終いだと思っていたんですよ? きっと、恐ろしい場所に連れて行かれてしまうのだと、必死でしたっけ……」
話が反れた。ラエルは小さく咳払いした。
「とにかく、当時の腕輪の主とヴァレンタイン当主には繋がりがあったはずだとわたしは思っています。都合のいいことに、わたしが街に入ってから後、ヴァレンタイン邸が取り仕切る自警団の方々はこの街にやって来る余所者の悉くを排除しようとしたのですから。――ね、いいですか、主様? 今の出会いの話でわたしは嘘をついていませんし、事実も捻じ曲げていませんよね?」
「え? あ、ああ……」
ラエルの笑顔に釣られて、俺は曖昧に返事を返した。
何しろ、五年前の出会いの話だった。聞いていても「そうだっけ?」と思える箇所が多々あるような気がして、俺はラエルが何故そんな昔話を始めたかすら、余り理解できないでいた。
けれども、話が出会いの場面にまで関わっているのだとすれば、俺はどうしても確かめておきたいことがあった。
「あのときの俺はもちろん、ケインもコーラルもおまえを受け入れようとしていたよな。俺たちはほぼ同時に、おまえに手を伸ばし、ラエルは俺の手を取った。俺はそれを俺たち三人の中で一番に名乗りを上げたからだと思っていたけど……」
俺の言葉に、ラエルはようやく俺の方へと振り返り、一つ頷いて見せた。
彼女が言葉では何も返答してくれなかったことに、俺はひっそりと息を吐いた。
(――ああ、やっぱり……)
「お察しのとおり。わたしは、そのような理由であなたの手を取ったわけではありません」
「どんな理由だよ?」
この問いかけには再びラエルは街の方へと視線を向けて、ぼそぼそと呟いて見せた。
「名乗ってくれたとき、主様の声に反応して腕輪が光ったんです。――それが、理由。幼いわたしは、あなたが腕輪の主であるはずも無いことはわかっていたはずなのに、腕輪の主同様にわたしを守ってくれる人だと信じて疑わなかったから」
「……つまり、当時のラエルは俺のことをあの腕輪の主のような救い手として見てくれたってことか?」
「はい」
「そっか……」
こちらを向かないままラエルは胸中を語ってくれたようだったが、俺にはそれが面白くなかった。その仕草が、一体何を意味しているか、ずっとそばにいた俺にわからないはずは無いのに。
(――目も合わさないし、歯切れも悪い。……ってことは、俺に嘘ついてるんだよな、ラエル?)
それを言葉には出来ないままラエルを見やれば、困ったように顔を俯かせた。俺が勘付いていることにすら、彼女とて気付いているのだろう。――なのに、撤回しようとしない。言いたくないことを大抵拒否か黙秘かをして逃れるラエルが嘘をつく意味があるのだろうかと、考えに考えるけれど、中々見えてこない。思いつけない。そもそも、材料が足りないような気がしてならなかった。
ならば、追求するしかないだろうと、俺は挑むような気持ちでラエルを見た。