「放たれた光」
「腕輪……何故……ロア様にこんなことを?」
呆然と呟くラエルは、何を思ったのかぎゅっと右の手のひらでそれを覆った。
「効果的って、どういう意味ですかっ!」
ラエルは先ほどの状況を忘れているのだろうか、若干怒っているようにも見えた。……きっと、俺の勘違いなんだろうが。
現に俺は何故こんな攻撃が俺自身に放たれたのかは猛烈に理解している。だから、なんとも言えない思いのまま、ただ黙っていた。話の矛先が俺に振られるのもある意味当然だった。
「おまえに伝わらずとも相手に伝わればいいと、そう思ったまで。――わかるだろう、ロアーツ殿?」
俺は腕輪に何と言って良いのかは未だ考え付かぬまま、ラエルにだけ向き直った。
「いきなり、ごめん。……俺、無理やりだった。俺のせいで痛くなかったか? 俺は自業自得なのに、まさかいくらなんでもラエルまで……」
「でも、あなたはわたしを付け狙う追っ手の類ではないのに!」
ラエルが俺を庇ってそういうことを言ってくれるのはありがたかったが、俺はそうしてもらえばそうしてもらうほどこの場に居たたまれなくなった。
(――いや、ある意味そんな奴らよりもよっぽど身の危険を感じるようなことをやらかしかけたんだけどな、俺……)
「――成る程。よほど、おまえは好いているらしいな。ロアーツ殿のことを」
腕輪の声の主自身の声だろう声が、若干低くなる。実際に合間見えでもしたら凄まれているんじゃないかと勘違いしてしまいそうに成る程の声だった。
「なっ――それは……」
「ラエルはラエル自身の身元がわかるまで俺に想いを伝える気は無いだってさ。――そんなの、俺に言わせたら『想いを伝えてくれた』も同然にしか思えないんだけど……」
ラエルは口を噤んでしまったので仕方なく俺が腕輪に答えたら、腕輪の声が笑った。
「――っふ。何とわたしは……残酷なのだろうな? 後悔しても、もう遅いと言うのに」
そのとき、意味深な腕輪の声に聞き返す間もなく、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「何、なんなの! 今の声は!?」
俺とラエルとだけがいた部屋に母と父とコーラルが入ってきた。結構な叫び声を上げてしまっていただけに事態を聞きつけたらしかった。
3人とも不思議そうな顔をして、まずラエルを見て、俺を見て、そして一様に首を傾げた。
「おかしいな? ラエルちゃんが悲鳴を上げるんだったらまだわかるんだけど、何で男のおまえが馬鹿みたいに悲鳴なんか上げちまってるんだ??」
「――コーラル! おまえ今なんて言った!?」
「ロアーツ、答えなさい! 一体何をしたの! ――何があったの!?」
コーラル並びに母は、俺がてっきりラエルに如何わしいことをして懲らしめられたように思ったらしく、彼女を救うという名目の下喜々として笑い飛ばしに来たかのようで。
(本当は否定すらできないにしても、酷いよなぁ。……皆考えるのは同じってか?)
(――だから俺は、腕輪の声に制裁を受けるハメになったってことか……)
「ラエル。一体何があった?」
一人落ち込んでいると父は俺相手ではなくラエルに尋ね、彼女だけを見つめている。いつになく低い声で怖い目をしている父から一歩後ずさるラエルが、腕輪に手をやり隠すような動作をしているままでいることに俺は遅れて気付いた。
ラエルの手の下にあるはずの腕輪は、その隙間からも光を発しているのがわかるほど明々としている。腕輪は、未だ光を放ち続けているのだ。
「あ、あの父さん! これには深いわけが――っ」
答えられないに違いないラエルを庇おうと、父の視線を遮る様にして俺がラエルの前に立つ。
父の眼が、訝しげに細くなった。
(やば、まずった……っ!)
父は何かを確信したような目で俺を睨みつけてくる。緊張に冷や汗が流れ始めようとしたとき、ラエルが悲鳴を上げた。
「やっ、だめ――!」
はっとして振り返ったとき、見覚えのあるような真白い光が、ラエルの腕輪から放たれた。
(あのときの、光――!?)
我知らず、その光を浴びないようにと目を閉じて顔を守るように腕を伸ばすけれど、瞼の裏に焼きついた白い光ははっきりと残ってしまっていた。
残像が消え去るのを待ってから祈るような気持ちで目を開ける。まず、場の状況を確認しようと俺は異変を調べた。腕輪を抱え込むような体勢で震えているラエルの姿を確認して、一息。俺と目が合うと気が抜けてしまったかのようにその場にくず折れてしまったので、慌ててそばによって身を起こしてやる。
気を失っているわけではないらしくラエルの体を支えるようにしてやると、その瞬間、腕輪の声が僅かに聞こえた気がした。何かを呟いている。その声は小声だったがそのせいで判別がつかないわけではなく、俺にはわからない言葉を読み上げているようだった。
そう思ったとき、腕輪の声の呟きが一転して明瞭なものに変わる。老人でもない子供でもない大人の男の囁き声が、俺の頭に語りかけられたかのように発せられた。
――催眠を掛けた。話を聞かせてもいいやつだけを残せ。残せぬものにだけ名を呼びかけよ。
腕輪の声に驚いて息を飲んだのは、俺だけではなくラエルもだった。触れていた体越しにラエルが体を震わせている。「そんな」と、非難するような呟く声がした。
催眠。――なんて、穏やかではない言葉の響き。
過去に俺はラエルの不可思議な腕輪の力を身に受けたことがある。そして、そんな有りえないことが起きてしまうことを知ってはいる。――しかし、だからといって、こんな風に人が人の意思を操ろうとしているなんて、目の当たりにしていたとしても普通ではないおかしなことであり、余りにも現実味がない気がして頭がおかしくなってしまいそうだった。
見れば、母と父とコーラルは、突っ立ったまま呆けたような顔をしている。腕輪の声を信じるのなら、あの光を介して腕輪の主が彼らに何かを働きかけたとでも言うのだろうか。
「……コーラル」
ラエルが俺の悪友である友人の名を呼ぶと、また腕輪が光った。コーラルはその光に眩しそうに目を瞬かせたかと思うと、ふらふらと歩行し、部屋を出てしまった。
「おい、コーラル!?」
慌てて俺が後を追いかければ、コーラルは部屋を出た直ぐの場所に横たわり目を閉じていた。思わず呼吸を確認すると静かではあったが息をしている。規則正しく上下する胸辺りを見るに摩訶不思議ではあるがただ安らかに眠っているかのようだった。
『他の者は良いのか? 二度手間はしたくない。早くしろ』
語りかけてくる腕輪の声に釈然としないまま俺はラエルのそばに戻ると、ラエルは意識を失っているような状態の母と父を部屋のカウチに座らせているところだった。
「――主様。お二人を起こします。いいですよね?」
「俺はおまえさえ良けりゃいいよ。腕輪はおまえの話をするらしいしな」
戸惑いを浮かべるラエルに向かって俺が軽口を立ててもラエルは曖昧に微笑んだだけだった。
あの満月の夜の日、俺に腕輪を託したとき以上に浮かない顔をしている。無理も無いと思った。目の前で起こったこととはいえ、俺だって俄かには信じられなかったし、今から腕輪が行おうとしていることを母も父も信じるかは俺にだってわからない。ラエルが不安に思うのは当然だった。
カウチに座るラエルのそばに腰を下ろした俺は、華奢な体を引き寄せた。凭れ掛かってくる体をそのままに、丁度すぐそばにあった左の腕の手を握ってやれば、ラエルも俺の手に縋るように握り返される。怯える彼女を元気付けてやりたくて、俺は手に力を込めた。
「大丈夫だ。俺がついてる」
「……ありがとう。主様」
俺の思いが通じたのか、ラエルがホッと息を吐いた。
「では、――いきます」
掛け声とともにラエルは両手を上げて――ぱんと、一度拍手した。