「秘めていたもの」2
首飾りを手にしたそのときから衣服の下にこっそりと身につけていたのだと、ラエルは恥ずかしそうに白状してくれた。
「じゃあ、なんでコーラルが知ってるんだよ?」
部屋のカウチに座った俺が疑わしい目をしたままラエルを見れば、俺の隣ではなく俺とは斜め向かいに位置するそれに座ったラエルは肩を竦めて見せた。丁度、俺が肌蹴させた服の襟元を直したばかりだったからなのか、胸元を守るかのようにぎゅっと身を縮込ませている。
「言っておきますが、わたしからは見せた覚えも無いですし、主様と違って触れられた覚えも見られた覚えもありませんから!」
じとりと恨みがましい目をしているラエルは相当腹に据えかねているらしいが、そんなことを言われても、俺には皮肉にすら思えず只単にこの俺を安堵させるものでしかない。
しかし、それならば余計に疑問だけが残るのだった。
(――何故アイツは知っていたんだろう。何故、わざわざそれを俺に伝えてきた……?)
「ラエルはわかるのか? その……コーラルにいつばれたのか、とか……?」
俺の言葉にラエルは体勢を戻し、視線を遠くへ投げてから再び話し始めた。
「主様が学舎を出てから、学舎への道の行き帰りを付き添ってくれているコーラルは、あるときより、妙に生き生きしているらしいわたしに気付いたそうです。学舎の授業とかではなく、何ら特別なことなど無いはずの通学途中に。……でも、直ぐにわかってしまったとコーラルは言いました。この邸と学舎の行き帰りには、絶対に街外門を通らなければいけないのですから。だから、その道を通るときのわたしの様子に確信を持ったらしいのです。やがて、コーラルは気を回してくれたのか、わたしたち二人が辿る道すじも変わっていて、不自然なほど遠回りをしてヴァレンタイン邸まで通るようになっていました。……わたしは、そんなこと全然気付かなかったんですけど」
ラエルの語るそれは、まるで俺の質問の答えとはとても思えない昔話のような話だった。
「おい、ラエル?」
目で言いたいことを問いかければ、まだ続きがあるからと苦笑で返されて。
「わたしは、見ているだけでよかったんです」
話を続けたラエルは、何がとは言わなかった。
「ただ見ることが出来たなら、その姿が見れさえすればわたしにはそれで良かったはずだった。――なのに、いざその姿を見かけてしまえば、ずっと見ていたくて姿を目で追いかけるうちに立ち止まってしまっていて」
一向に『何』に対する話かを名言しないラエルだったが、黙って聞いているとそもそもの話の趣旨のことなんて頭から抜け落ち、想像に夢を膨らませて俺はこそばゆい気持ちになった。落ち着かなくなって、口元に手を当てたり、後ろ頭を掻いてみたりしたが、一向にそれは収まってはくれなくて。自惚れもイイトコロだったけれど、俺には思い当たる節が――兄弟子達の冷やかしとか、知られていた仕事内容のこととかが――もしかしてと思う心が、暴走してしまいそうになる。
「人知れず、わたしは――身につけた『それ』を握り締めるようになっていました。誰にもわからないだろうからと、わたしは安心しきっていました。だって、服の下に入れているんですよ? ばれるはずないと思ったんです。仮に誰かが、胸元を握り締めていた格好のわたしを見たとしても、『具合が悪い』程度にしか思わないだろうとそう思っていたのに……」
ラエルが、ぎゅっと胸元の服を掴む。
見れば、そこに何かがあると知らなければ、確かに体調が悪いのかと疑ってしまうのも無理は無いだろうと俺は思った。そしてよく思い返してみれば、以前にもそんな仕草を取っていたような気さえしてくるから不思議だった。
「主様。――やっぱり、順序だててお話します。さきほど、コーラルと話をしていたときのことなんですが……」
ラエルが一層強い力でそれを握ったのだろうが、衣服に走る皺の深さで俺には見て取れた。
「ついさっき……コーラルは告白して下さいました。わたしのことを好いて下さっているようなんです」
「なっ――!」
俺は一瞬、息が止まったような気がした。
多分、思考も体も。
が、次の瞬間、すべてが大慌てで瞬く間に動き出していく。
(――やっぱりアイツ、色々と仕出かしてくれてるんじゃねーかっ!)
俺はすぐさま身を乗り出してラエルの肩を掴んで揺すぶってしまった。
「ラ、ラエル? なんて答えたんだよっ!?」
焦る俺の内心を知らぬだろうラエルは、俺の取り乱しようも気にすることなく一度微笑んだが、伏せ目がちにして俺の視線を避けたように見えた。
はっとして、俺の頭に絶望の類の二文字が浮かんだが、ラエルはゆるゆると横に頭を振った。
「思いを告げてくれたコーラルに何と言えば良いのかわたしはわからなくて、わたし、黙ってしまったんです。コーラルは笑っていたけど、悲しそうでした。やがて何も言えないままでいると『何故何も言ってはくれないの?』と言われてしまって……。それが『当然の反応』だということに、わたしは目が覚めるような思いがしました。思い当たったその瞬間、わたしの頭に過ぎったのは、目の前にいたはずのコーラルではなく……あなたでした、主様。わたしのことを何も聞かないでくれていて、わたしが話しだせる日が来ればと待っていて下さっているあなたのことを。――気付いたら、またわたしは首飾りを握り締めていました」
俺は彼女の肩を掴んでいた手を離した。
たまたま今回ラエルに言い寄ったらしい男が友人で悪友なコーラルだったが、ラエル自身は何度かはこんな機会があっただろう。なのに今までのラエルがこんな表情をして告白されたのだと語ることなんて、無かったことだった。
そう、唐突に俺は思ってしまったのだ。俺はどうしてこんな話を平然と聞いているのだろうと。
(ラエルが『それ』を身につけていると知らなかったら、俺は……一体今……)
俺は無意識に拳を握りしめていた。
「そのとき、初めてコーラルの笑顔が無くなって、無表情になって。今思うと少し、その変化に驚いてしまったんです。いつも笑顔しか見たことが無かったんですから。けれど、すぐさまコーラルは元の様な笑顔になって『それ、大事なものなんでしょ?』って言ったんです。わたしは無意識にこの仕草をしてしまっているらしく『隠していたんだろうけど知っていたよ』って、コーラルは微笑んでくれたけど……」
ラエルは服越しに首飾りを触るのを止めて、今度は俺に手を伸ばしてきた。膝の上で拳を作っていた俺の両手を一まとめにして掴んでくる。もちろん、彼女の手の方が小さいのでまとめきれていないし掴みきれていなかったが。
冷たいラエルの手がぎゅっと俺の手を握った。
「あれが、初めてだったんです。あんな暗い表情をしたコーラルを見たのは。ごめんなさいって何度言っても、コーラルは頭を振るだけで、困ったように微笑もうとするだけで……」
「そっか……」
まるで自分が泣いてしまっているかのように顔を俯かせ、沈んだ声でラエルが言う。
俺は合間合間で頷くだけに留める。とつとつと話をしてくれるラエルの言葉を全部受け止めてやりたかった。
「『謝ってほしくない。受け止めてくれないのなら、ちゃんと振ってくれないと困るのに。欲しいと願っても僕を拒絶するその言葉すら君はくれないんだね』って……。わたしは必死になって考えました。コーラルに言うべき言葉を、コーラルが望んでいる言葉を」
ラエルが一層、手を強く握ってきた。
「でも、結局、わたしはコーラルに何も言えなかったんです。『あなたに伝えなければいけない言葉を言う前に、わたしも伝えなければいけない相手がいるから、待って欲しい』――そう言ったら、コーラルはやっといつもと同じ笑顔で笑ってくれました。『それで、十分だから』と。そして、話を終えたわたしたちは部屋を出て共に食卓場へと行きました。……まさか、既に済んでいたと思っていた話を掘り起こされていて、よもやルレッセ様が主様をわたしに対する説得要員目当てに働きかけていたのには驚きましたけれど……」
ラエルは、俯かせていた顔を上げて俺を見上げた。
「――どうか、お願いです。主様。先ほどのお話とはまた別ですが……、思いを告げてくれたコーラルのためにも、わたしはあなたに話さならければいけないことが、お伝えしたいことがあるんです」
コーラルとのやり取りを語り終えたラエルの目は今にも涙が溢れそうになっている。
「わたし、あなたにこそ伝えたいんです。主様。名も知らず、身元もわからず、追われ身の上でしかないわたしを、ラエルと呼んでくれるあなたに。わたしにラエルという名前をくれた主であるべきあなたに……」
告げてくれているそばから、とうとう一滴、涙が零れ落ちた。
次から次へと、後を追うように。
「わたしの存在が判明して。あなたに害を成す存在でなければ。法を犯した罪人で無かったなら。もしも、ただの人であれば――わたしは、頂いた指輪を嵌めてもいいですか? あなたのそばに……いてもいいですか?」