「御機嫌伺い」2
認めたくは無い理由があった。
俺にだって、思い当たる節くらいあった。
漠然とではあるものの、彼女が落ち込んでいるだろう原因が全て、あの噂だけでは無いんだろう、と。
だから、俺はコーラルを呼んだ。ケインにも頼むべきか考えに考えた挙句、コーラルだけを家に呼んだのだ。
(――けど。だからって、やっぱり納得いかねぇ……)
先ほどのやり取りを、俺は苦々しい思いで振り返っていた。
コーラルの突然の宣言に、俺とラエルが同時に固まったのをいいことに、コーラルは俺をラエルの部屋のドアから、その目の前の廊下へと俺の体を押し出した。
わけもわからないまま、不甲斐なく尻餅をついた衝動で、俺は我にかえった。
「お、おい。よりにもよって、何で今――」
慌てて立ち上がった俺の行く手を防ぐかのように、コーラルはラエルの部屋のドアの真正面にいて、その腕を伸ばしドアノブを手に握っていた。直ぐにでも閉めようとしているかのように。
「ロア、君、ラエルちゃんとデートさせてくれるって言ったよね?」
「――っい、言ったけどさ! でも、そんなことラエルには……っ!」
「大丈夫。わかってるって!」
一体何をわかっているのか、コーラルは訳知り顔でにやりと笑顔を浮かべるばかり。コーラルにだって、当の本人の意思も無いままにあんな口約束が成立するとは思ってないだろうに。
「ロア。僕は、二人きりにさえなれればいいんだよ。つまり、この部屋でも、たった今からでも問題ないわけ。そう、君さえ出て行ってくれればね。病み上がりのラエルちゃんに対して何時間もお邪魔するわけじゃないから。ただ、二人で、おしゃべりさせて欲しいだけ。――ね、いいでしょう?」
にこにこと笑顔でまくし立てるコーラルは、拒否されるなんて思ってもいない顔をしている。俺がいくら反対しようと聞く耳も持たないに違いなかった。
言質を取られているのが、何より、辛い。
「ドアは閉めさせてもらうけど、心配ならドアに這いつくばって変な物音が聞こえないかヤキモキしていたら?」
俺が思わずものすごい形相をして睨みつけてしまっても、コーラルは何処吹く風といわんばかりに笑顔を浮かべているままだった。
こうなってしまえば、ラエル自身に断ってもらうしかない。つい、祈るようにラエルを見てしまうが、あの俺にはべらぼうに弁舌の強いはずのラエルは押されているようだった。いつもならひらりと身をかわせていたはずのコーラルの物言いが、余りにも強く押せ押せ過ぎでラエル自身戸惑っているようにも見えた。
このままでは、何時間になるかすらわからないのに、コーラルとラエルを二人きりにさせざるを得ない。
歯痒い思いで打開策を考えていた時、ふと、ラエルが俺を見つめてきた。
何を思って俺を見ているのだろうか。勝手にデートさせるだのさせないだの考えた俺に勝手なことをと腹を立てられていてもおかしくは無かった。
「二人とも本当に仲がいいんだから。ほんのちょっと喋るだけだから、ね?」
そう言ったコーラルは、とうとうラエルの了承を得てしまった。
大満足と言う顔で俺を見たコーラルは、再び俺に近付いてラエルには聞こえないだろう声量で囁いてきた。
「辛抱しろよ、ロア。そしたらいいことが待ってるかもよ?」
「なんだよ、それ」
不機嫌そのままに応えると、コーラルはにやりと笑みを深くした。
「ラエルちゃんと俺の恋仲成就、とか?」
「うるさい! 下らないこと言うのと仕出かすのだけは禁止だからな!」
退出せざるを得ないこの状況で、そんな台詞を言うのは嫌だったが、何も言わないよりかはましだった。
先ほどまでのことをつらつらと考えつつ、俺は少しだけ廊下を歩き、ラエルの部屋のドアが見えるぎりぎりの場所まで来てから、その場に立ったまま壁にもたれた。
最初はアイツの言うとおりラエルの部屋の真ん前で待っていてやろうかとも考えたが、言われたままのとおりでは癪に障ったし、部屋の防音性に優れているのは邸の住人として知らないわけじゃなかったので、いても意味が無いと判断したからだった。
こうなることはわかっていた、再三そう自分自身に言い聞かせても納得がいかないのは何故なんだろうか。
俺は思わずため息を吐いてしまった。
コーラルを連れて来たのは、アイツの言っていた約束を望むままかなえてやるわけではなかった。単にこの間俺が勇気付けられたように、アイツが話し上手だったことを思い出したから、アイツと話せばラエルも元気が出るんじゃないかとそう思っただけだった。
そもそも、俺や両親以外の人間でラエルが喜んで話したいような知り合いなんて、そうはいないだろうから、俺の従兄弟であるケインも連れて来ようか迷ったのだが……。
(あーあ。やっぱり、誘っておくべきだったか)
(もしかしたら、ケインとラエルとが頭の良い会話をして二人だけの世界を作っちゃうかもって思って、それは嫌だなと思ってケインには声を掛けなかったけど、こんな風にコーラルに追い出されてしまうくらいなら、やっぱりケインも必要だったな……)
そこまで考えて、俺は、また長くため息を吐いた。
「おまえの場合、幸せが逃げるというよりかは、幸せに逃げられるといったところだろうな」
「……母さんに聞いたの? 父さん」
気配を消したわけではないんだろうが、まるでふと現れたかのように父が背後に立っていた。俺が驚かなかったことにつまらなかったらしい父は、俺が振り返って父の顔を見るまでの間、不満そうな顔をしていた。
表情を改めた父が、言う。
「ついさっき帰って来たんだが、おまえとコーラル君が来ていると聞いたからな。コーラル君には宜しく言っておいてくれ。彼の父さんは良い仕事相手だ。彼の人の馬の働きにはいつも助かっているよ」
にっこりとした表情をする父に、俺は眉を寄せた。
父の仕事は荷物運搬が主。
でも、決して、一人で行っているわけじゃない。
「父さんってば、コーラルの親父さんといつも一緒に出先に向かってるんじゃないのか? 当人に直接言えばいいじゃん」
「もちろん、言っているさ。大切な相棒のジャックとトーマスにはな。けども、そいつらの世話主に対して言うには、どうも……気に食わんからな」
肩を竦める父の姿を見るに、俺たち子世代も、父たち親世代の方も似たり寄ったりな付き合いをしているのかもしれなかった。
「父さんは聞かないんだな、俺が一人でこんな場所にいる理由」
「おまえが何らかの理由でラエルに追い出されていたのなら、わたしはおまえに決闘を申し込んでいるがな」
相変わらず、この父はラエルの父親代わり気分らしい。熱血方面よりの。
「俺もラエルもコーラルも、三人とも和解の上で、だよ」
「ほう。いやに落ち着いているな」
「どうしようもないからな」
「逃げられるより取られる方が余計に取り返しがつかんぞ?」
思わず、父をまじまじと見返してしまった。
「父さん? 今の今まで、俺にラエルに手を出すなって態度で示しておきながら、今更そんなこと言うの?」
「それとこれとは話が別だ。第一、おまえはわたしの態度による威嚇なんて気にもしていなかっただろうが」
「父さんの威嚇に気をかける暇なんて無かったからね」
にやりと笑って見せれば、父も俺に釣られたかのように笑みを浮かべていた。
「実を言うと、おまえが廊下にいるような気はしていたのだ。母さんがそう言っていたからな。――さぁ、その母さんが首を長くして居間で待っているぞ。時期にラエルたちも降りてくるだろうし、先に行っていよう」
気にならないといえば嘘になるが、俺はしぶしぶ父とともに居間へと向かうことにした。