「夜店」3
夜市の夜店の帰り道、俺はラエルを邸へと送り届けるつもりだったが、もやもやとした思いのままヴァレンの邸へと帰るのは気が向かなかったので、リーグルの邸に俺も帰ることにした。
確か、父は長丁場の仕事先へと向かったはずで、俺自身がそれを街外門の警護の役目としてそれを数日前に見届けていた。つまり、母にさえ上手い顔をしておけば、俺の邪魔者はいないというわけだった。
リーグル邸門前にて立ち止まりかけたラエルを制するように、俺が門に手を伸ばして開くと、ラエルが困ったような顔をした。
「明日もお仕事なんでしょう? お昼から……」
言葉の意味するところに俺は驚いてラエルを見たが、ラエルは慌てたように俺から視線を背けようとしているところだった。
ラエルは、突然言葉をきったかと思うと口元に手を当てて、うろたえている。
「どうして、知ってる?」
「……夜市がある日は、ヴァレンの人に直談判して半休をもぎ取って来ているのだと、前に言っていました」
「前? いつだよ、それ。任務には機密事項も関わることがあるのに、そんな事を軽々しく口にしてしまうほど前のことなんだろう?」
ラエルが、押し黙る。
白状しようとしないラエルの様子に、俺はかまをかけて見せた。
「コーラルと、俺の様子見に来てただろう?」
「え!」
いつもなら上手く交わして見せるラエルが、うろたえているせいなのか簡単にぼろを出す。
「知ってる。……というか、途中から教えてもらった。仕事仲間に。おかげで酷くからかわれたけど、こういう日に休みもとりやすくなったんだよ」
「そうだったんですね」
「普通なら、取れない休みだからな。俺が下っ端って言うのも関係しているけど」
普段の日々でさえ街は自警団を必要としているのだから、こういった催しの日にこそ、不貞な輩、野蛮な盗人は動き出すのだから、警戒する担い手がいればいるほどいいのに、俺は悪いと思いつつも休ませてもらえていた。
ラエルには話してはいないが、ラエルを狙う謎の男の追ってたちの存在を、自警団の連中並びにヴァレン邸の者も気付き始めていてもおかしくは無かったから、そのそばにあえて俺を置こうとする意図もあったのかもしれないが。
ラエルは、ラエルが考えている以上に、たくさんの者たちに守られている。
俺にしろ、両親達にしろ、街の人たちにしろ。あの腕輪の主でさえ、以前からの腕輪の魔力を酷使し過ぎなことを気にしていたから、必要以上に腕輪のに負荷を与えないようにと、彼女の身の安全を守るためだけに力を使うことに決めたから、彼女との交信を止めたのだろうに。
「なぁ、さっきの話だけど……何かって、何が起こると思ってるんだ?」
いつかの父と同じ言葉を言ったラエルに、俺は言った。
「まさかとは思うけど、有無を言わさずおまえが無理やり攫われたりするのか? 父さんや母さんが打つ手も無い事態が起こって、俺が指をくわえてそれを見ていなきゃいけないどころか、瀕死の重傷を負うかもしれないって? ――冗談じゃない。そんなの起こってたまるもんか! 俺が何のためにヴァレンに通っているのかわからなくなっちまうだろ?」
俺は、ラエルに向かって笑った。
「不測の事態に備えるために決まってるだろ、もちろん。おまえを守るために」
「主様……」
ラエルは悲しそうな顔をしているままだった。
「十分すぎるほど、わたしはあなたに良くして下さいました。これ以上何を望みましょう。これ以上、あなたに何を求めることが出来ましょう? おわかりですか、主様。あなたは既に、わたしを一度救って下さっているのですよ?」
「おまえがどう感じていようと、俺は、俺の望むことをしたい。それだけだ」
ラエルが、悲しそうな目をしたまま無理やりに笑う。
「賢明ではないですね」
「そうか?」
「早く、考え直してください」
「どうして」
俺がそんなつもりなんてないと一笑してみせると、ラエルは顔を俯かせてしまった。
「受け取るべきか迷ったのです、このブローチも。あの夜のことも。でも、わたしは、後悔しないと申し上げました。事実、後悔はしていません。あなたと出会ったのだって、あなたを主様と呼ぶようになったことも、わたしは自分の決断を誤ったとは、とても思えないですもの」
「じゃあ、別にいいじゃないか」
「良くありません! じゃあ、せめて、初対面の者に見破られかねないその耳飾りをお止め下さい!」
「どうして?」
「……認めたくはありませんが、その耳飾り、わざと同じ色のものを選んでいるのでしょう?」
しぶしぶと口にしたラエルの口振りには、密やかな確信めいた響きがあった。
「よく気付いたな。――だったら、その思いを汲んでくれないか? 俺におまえを想うことを許してくれたらいいのに」
「主様! ふざけないで下さい!」
珍しく、ラエルが声を荒げた。
「その色は、わたしの……! 秘めなければならない色なんですっ!!」
ラエルは一切黄色い服も着ないし、黄色い装飾も持たない。黄色以外にも紅い色も好まなかった。
元々華美な装飾や派手な格好を好かないようだったから、そういう目立つ色合いが嫌いなのだろうと最初は思ったけれど、少しでもそれらの色が入っていたらラエルは嫌がる以上に拒絶するような反応を示すのだ。
「まさかとは思うけど、頭巾の中身か? 全然違う色じゃないか。考えすぎだろう? 黄身がかっているとはいえ、こんなのありふれた色のものだし、決して貴重じゃないんだから」
ラエルはいつの間にか俺を睨みつけるかのように見つめていた。
「……だとしても、わたしは、その色は嫌なの」
ラエルは、じっと俺の顔を――多分に左の耳に身につけている黄身色の耳飾りを一拍ほど睨みつけた後、俺に懇願するような目を向けた。
「お願い、主様。わたしを哀れに思うなら、お願いだからその色は身につけないで。お願いだから……」