「夜店」2
「――あ」
俺は目に留まったそれを見て、一種の閃きが走るとともに、一瞬迷った。
「どうかしたんですか?」
ラエルの不思議そうな声がして、俺はどう話そうかと迷う。
立ち並ぶ夜店のある店先で立ち止まってしまった俺たち二人に、得てして人の良さそうな笑みを浮かべた店主の中年男が揉み手をしつつ様子を窺ってきたのがわかった。
「気になった品があったんですか?」
ひそひそとラエルが俺に囁く。見ようによってはラエル自身が俺に対し『あれが欲しい』と駄々をこねているように見えてもおかしくはなかった。
「……俺のじゃないぞ」
呟けば、ラエルが不思議そうに俺を見返してくる。
賢明なのだろうか、それ以上口を開こうとはしない様子だったので、俺はもう一度呟いた。
「俺のはもう買っちゃったから、十分なの。――ま、でも、まだ買うと決めたわけじゃないけど」
思わせぶりの俺の言葉に、ラエルは更に押し黙ってしまったが、話を聞いていただろう店主が、とうとう身を乗り出して俺に話しかけてきた。
「坊ちゃま。お目がねにかなうものが?」
珍しいことに、俺の父の顔を知らぬ店主だったらしく、当たり障りの無い『坊ちゃん』という言葉を使って、話を切り出してきた。
わざわざ俺のややこしい身の上を話すことも無いので、そのまま会話を続けることにする。
俺の目の前にある首飾りには、銀色の細い糸で編め込まれている鎖の先にきらりと輝く丸いわっかが付いていた。
「店主さん。この首飾りについているの、指輪のように見えるけど?」
「ええ、まあ。見ようによっては見えるかもしれませんね」
店主である中年男はにこにこと笑顔を絶やさないでいる。
「首飾りとしてお出ししているものですから、やはり、見栄えのいいものを誂えております。美しく繊細で細やかでいて、主体となる網鎖を引き立てるためのものですが。……ここだけの話、もしかしたら男性では難しいでしょうが、よっぽどの女性でもない限りその手に嵌めることもできるかもしれませんね」
店主の眼が目ざとく俺の耳と彼女の手に走ったのを、俺は見た。内心辟易としながらも、商人と言う立場の人間をそれなりに知っている以上、俺はそれに対しては何も言う気にはなれなかった。
「俺の聞きたいこと、よくわかったんですね」
「恐れ入ります」
「一品しかないようだけれど、人気なの?」
「いえいえ、まさか。わたしもこの地方の生まれですし、やはり坊ちゃんのような方がお嬢様に贈るような指輪やそれの対となる耳飾りに比べれば、大した需要も無いとわかっているのですが」
「そうだな。正式なるものとは違うから……歓迎される品じゃないとは思うけど」
指輪のみもしくは耳飾りのみといった片方だけ売られているものは、金や立場や相手等が揃っていない者たちの必要とするもので、こんな風に夜の市とかで買い求めることは出来る。
しかし、正式な贈りに使うものは、それこそ一対のものとして一緒に売られていて、法外な値段がするものが多い。そもそも、こんな夜市のような場所で買い求めるものではないのだ。
「しがない商人の身であるわたくしもそれに憚り、一度の市に一つきりと決めているのです」
「なるほどね」
言いたいことを言い終えたらしい男が『好感触を得たに違いない』と、しきりにもみ手をこすり合わせている。
俺は、思わずため息を吐いた。
(――道理で、この値段なわけだ)
今日まで夜の市なり朝の市なりたくさんの店を見てきただろう俺が、思わず唸り声を上げてしまいそうなほど、ここの商品は割高だった。
「あ、あの、主様?」
俺はもちろん、この地方の物資運送を手掛けているに等しい父とともに過ごしてきているラエルとて、品々の流通に疎い方ではない。気遣わしげに声を掛けてくるあたり、俺が迷っていることに気付いているのだろう。ただ、俺の迷う理由を正しく理解してくれていたら、俺が迷う必要だって無いのだけれど。
迷いに迷いたかったが、時間が無かった。
これが、一度の市に一度きりしか出ない商品であるのなら、巡りあえたのも何かの思し召しだろうと、俺は柄にも無く思った。
「……買った」
「毎度!」
店主が心底嬉しそうににっこりと微笑み、それを店頭から下ろし、包装し始めた。
「――ちょっと、主様!」
店主にはばれない様な小声で、ラエルが俺に文句を言ったようだったけれど、俺は聞かなかったふりをした。
「さて、坊ちゃん。代金も頂いたことだし、これの所有権はもうあなた様のもの。ですが、決まり文句をお伝えせねばなりますまい」
「なんですか?」
「わたしは、丸い環の付いた首飾りを販売した。決して指輪をお売りしていない。あなた様も、首飾りだけを購入したとお考え下され。それが、わたしたち、そして贈られる方のためと存じますゆえ」
それだけを言うと夜店の店主は店の奥へと引っ込んでいった。
「太鼓判を貰って助かったな」
「ですが……それは……」
首飾りを買った店から離れた途端、早速包装された品を取り出している俺に、ラエルが戸惑ったような声を上げた。
「ほら! おまえにはまだ首飾りなんて贈ったこと無かったんだから、もちろん受け取ってくれるだろ?」
務めて明るい声を出して笑いかけたが、ラエルは笑い返してはくれなかった。
俺の迷いは現実となった。
「……そんな困った顔するなよ」
鎖は思ったよりも長く、ラエルのような身の丈の低い華奢な少女であるのなら、首元で二重になるように身につけても大丈夫なくらい長さを持っていた。俺は、黙っているまま若干俯いているラエルに近寄って、無理やり頭からそれを被せて身につけて見せた。
一歩後退り、似合うだろうかとラエルを見つめる。それこそ、銀色と何かの石が光っているだけの首飾りは、可もなく不可もなくラエルの胸元にあった。
(俺の自己満足も、重症だな)
自分自身を嘲ったところで、今更無かったことにはできない。
ラエルの表情を曇らせたくなんかなかったのに。
「本当に嫌なら俺に返してくれ。別に、俺が持ってても大丈夫なほどシンプルみたいだし。それに、肌身離さず持っていろなんてこと、言わないから」
「……主様」
「何?」
「首飾りのこと、大変嬉しく思います。ですが、これを受け取る代わりに……質問させては下さいませんか?」
抑揚の無い感情の篭っていない言葉に、俺は知らず唇を噛み締めた。
「どうして、その耳飾りを求めたのです? どうして、わたしにこのような形になるものを与えようとするのです」
ラエルの悲痛な声が、悲痛な色を浮かべた目が俺に突き刺さる。
「何かがあってからでは、遅いのですよ?」
いつかの父が言った言葉を、ラエルが言った。
加筆修正しました。10.4