「屋根裏部屋の密会」2
誓い立てた当の本人に責められるのは、正直に言えば、主様と呼ばれ始めたときのころ以上の衝撃を受けることとなってしまった。はっきり言って心理的大ダメージだった。
だが、冷静にラエルの言い分を聞いてみれば、なんてことはなかった。俺に想われること事態が嫌だとかいう至上最悪な理由では無いようだったし、『何かの間違いです。わたしなんかのためであるはずが――』とか、わけのわからない文句を理由に責められただけだったからだ。
それは、この俺が、一瞬でも思いを捨て去るべきかと考えた時間すら無駄に感じてしまうような、下らない逃げの言葉だった。そんなことで俺の決意が問われるなんて俺には許せなかったし、従う気にもなれなかった。
だから、俺はそんな彼女を無視して、想いを告げた証しとして左耳に穴を開けたままでいる。
この四年もの間、困って戸惑うラエルと決意の固い俺を目にした人は、決まって、ラエルを哀れに思い、俺に同情めいた視線を送るのだった。
「なぁ、ラエル? どうして、こんな時間まで起きてたんだ?」
静かに問えば、ラエルはそっと左腕の腕飾りに触れたようだった。
「申し上げましたでしょう? わたしは、ただの習慣の名残として、起きているだけです。今日は満月ではありませんが、いつ腕輪が光るともわかりませんから」
「声はもう俺たちに交信を求めていないだろ。声が『しばらく交信を止める』って宣言したのを、俺と一緒に聞いたくせに」
ラエルが、長いため息を吐いた。
「主様。だったら、どうだって言うんですか。……わたしがこんな時間にまで起きていたら、そんなに不自然ですか?」
「おまえの言い分的には不自然極まり無いだろ? 俺の片思いを拒絶してるんだから」
「――っ! きょ、拒絶なんて」
狼狽したようなラエルの様子に、俺は笑った。
「そうだよな。殊勝にもおまえは、なんだかんだ言って俺の帰宅を待っているもんな。父さんにも母さんにもばれないこの場所で」
「今日は……たまたま、この場所にいただけです」
「前に俺が自警団の不寝番役を手伝ったとき、『屋根裏部屋』は長いこと火が灯ってたぞ」
「さぁ、いつのことでしょうね? わたしにはさっぱり……」
「つまり、あくまですっとぼけるんだな?」
「ええ。あなたの言ってることがよくわかりませんもの」
にこりと、ラエルが俺に笑み返す。俺は根負けして、ラエルから視線を逸らすしかなかった。
「……受け入れろとは言わない。けど、なんでそんなに、無視するんだ?」
「わたしと、あなたのためです」
「そうは言うけどさ。――これでも、俺、傷ついてるのにな、結構」
落ち込んだ風情を見せたら、ラエルが口を噤んでしまった。
思わず、舌打ちしてしまった。
失敗だった。俺は、そんなことが言いたいわけではないのに。
「ごめん、これじゃあ、強要してることに変わりないな」
慌てて謝ったが遅かった。
あのラエルが、気にしないわけが無いのだ。
「いいえ……違いますわ。主様。わたしは、あなたをこれほどまでに利用していることに飽き足らず、傷つけることしか出来ないのですね」
ラエル曰くの、自らの罪悪感にとらわれる台詞を何度聞いただろう。
俺は、何度ラエルにそんなことを言わせてしまっているのだろうか。
俺本人が否定しても、何度説得しても、ラエルは寂しそうに微笑むばかりなのだ。結局、俺の真意からの言葉なんて、彼女には決して届かず、挙句彼女を困らせて、こうして傷つけるだけなのかもしれなかった。
無力感に、思わず唇を噛み締めると、ラエルが俺に手を伸ばしてきた。俺の頬に触れてきて、唇を噛むのを止めさせたその手は、限りなく優しかった。
「――ねぇ、考え直してください。こんな悪女を思うなど」
「俺が誰を思おうと勝手だろ? おまえ、悪女じゃないし」
「悪女でしょう? 立派な。今でこそ言えますが、娼婦に身をやつしていてもおかしくは無い身分でしたもの、わたしは」
「――ラエルっ!」
反射的に怒鳴った俺の声に、ラエルがびくりと身体を震わせて、口を結んだ。俺に伸ばしていた手も引っ込めて、身を縮こませている。
(――ああ、俺は、どれだけラエルを苛めれば気が済むんだろうか)
馬鹿な自分に自嘲しつつ、自己嫌悪するけれど、それで何かが変わるわけでもない。
俺は、ため息を吐いた。
「……俺だって男だ、知ってるだろ? 軽はずみな言動は止めろっていっつも言ってるのに」
「せめて、あなたが……わたしを違う理由で求めて下さったなら良かったのに」
恨みがましくラエルが俺を見た。娼婦とは口に出来るくせに、肝心の行為に繋がる言葉すらを言えない辺り、彼女も初心な女らしかった。
「生憎だな。俺はおまえの心も欲しいんだ。俺は、ワガママだから」
そばに座っている彼女に、今度は俺から手を伸ばして、俺はラエルの手をとった。続けざま、いつかのときのように口付ける。
唇だけを離し、自分とは違う白い手に触れたまま、俺は上目遣いにラエルを見た。目を細めて俺を見るラエルは、今にも泣きそうに見えた。俺は、歯痒い思いで、空いた掌を握り締めた。
「おまえには、片思いすら迷惑なのか?」
「いいえ。決して」
ラエルが、困ったように微笑んだ。
「ですが、自警団の任務を引き受けることもあるあなたなら、ご存知でしょう? わたしを狙う謎の追っ手は、昔より増えているのですよ?」
「あんなの、今に始まったことじゃない。それに、おまえがこの街に居ようと居なかろうと、そういう存在は無くならないものなんだよ」
「ですが、わたしは……」
「巻き込みたくない? そんなの、俺がいやだからな?」
掴んでいたままの彼女の体を引き寄せる。抵抗したのかそれすらしていないのか、難なく彼女の体は俺の腕の中に在った。
「わかってくれよ、ラエル。俺だって、もう、おまえ無しじゃいられないんだ。もう戻れないんだよ……」
腕でやんわりと彼女の体を包む。柔らかな温もりがした。
問答無用で取り払った頭巾の下の『陽の色の髪』に口付けると、ラエルが戸惑ったような声を上げた。
「ラエル……」
愛しい少女を抱いていて、何も思わないわけがない。俺は、ある意味開き直って、力一杯ラエルを抱きしめて、その名を呼んだ。
決して約束をしたわけではない、時折訪れる夜の密会を、ラエルはどう思っているのだろうか。
そのたびに俺は彼女に口付ける。時折、その頬や額に口付けることもあるけれど、決して、あのときに触れてしまった唇にだけは触れようとはしなかった。
よく言えばラエルを思うがためだけれど、そんなのただの大義名分で、本当は嫌われたくなかったし、交信を止めて彼女の敵の排除のみに力を残したという腕輪の力を身に受けたくもなかっただけだった。